人間と人外は、わかり合うことができるのだろうか。
(これは今春発売予定の
現代ファンタジー小説「AKASHIC RECORDS〜異種交流の記憶〜」から一部抜粋したものです。)

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ある物語の吐き捨て場

二○○四年 夏 ルートヴィヒ=デュッセルドルフ

 

死の世界は、二種類に分けられることを、君は知っているだろう。

生前徳を積んだ者が送られる場、若しくはそうでない場。

俺が居たのは、後者だった。

 

俺は、ヒトを愛する死神の王だった。

死者の還る場。生前の行いを懺悔する場。ヒトはここを、「地獄」と

呼んだ。

彼はヒトが苦しみ嘆く姿を上から延々と眺めている。ヒトを愛する俺だったが、特に何の感情も湧くことは無い。理由は単純。ここでは其れが普通だったからだ。

 この地獄の総括をしている「閻魔」とやらは、どうやら其の様相を見るのが好きなようだ。地球には「人の不幸は蜜の味」ということわざが

あるというのを聞いたことがあったが、閻魔がそれを体現していた。

 

「ルート様」

 

従者が地球から帰還した。どうやら俺の為に新たな本持ち出してきたようだ。

俺はその本を受け取ると、怪訝な顔をしてしまった。

本の題名は「地獄」だった。

地球の生物が地獄のことなどわかるはずもない。それなのにこのような題をつけるとは、余程自分の考察に自信があるのか。

はたまた空想をただ連ねただけのモノなのか。と、本を捲ると、そこには予想外の物が描かれていた。

其処に描かれていたのは、人々が阿鼻叫喚を上げながら泣き喚き、赦しを乞う姿だった。多少事実と異なる描写も窺えるが、それはまるで本当に見て来たかの様な再現度である。

そして俺は——生きた、何の罪もない『ヒト』が、例外なく地獄を恐れ、嫌悪感を抱いていることを知った。今までヒト『であったもの』が苦しみ嘆く姿を上から延々と眺めていたが、生きている、『ヒトである』彼らの其の様な姿を見た俺は酷く動揺した。

 

「おい、其処の」

「何で御座いましょうか」

「これは本当にに地球の書物か」

「——左様で御座います」

 

俺はそうか。と一言返し、従者を帰す。

うーむと最後まで読み切るが、其処には地獄の知識や人々の恐怖が綴られているだけであり、俺らへの称賛を示す部分はどこにも無かった。

 

 

 多少なりともヒトを愛していた俺は、その事実を目の当たりにし冷静さを欠いてしまった。地獄で死神の王として鎮座していたにも関わらず、

地獄という存在が生き物から忌み嫌われていると知った俺は、意を決して地獄のあらゆる場所を自ら放火した。

阿鼻叫喚、まさしく地獄というにふさわしい姿となった地獄は崩壊を

迎え、地獄はその世界、概念から消え失せた。

しかし——怖くなってしまった。自分の身が惜しいと感じてしまった俺は、崩れゆく地獄から身を投じ、一か八かの命運に賭けた。死ねばそれまで、生き延びたのならまだやるべことがある。そう信じて。

 

 

 

 

 

 

 目が醒めたのは花畑を模した大きな花屋だった。夜風と月明かりに

曝された小さな花たちは、きらきらとその花弁を煌めかせていた。

俺は少しの間何もない空をぼうっと眺めた後、異質な服装であることを思い出し、陰で息を潜めることにした。

人の魂を主食として生きてきた俺にとって、人殺しは王族故に経験は浅くも常識だった。ふと通りすがった青年を恐る恐る手にかけたあとに、服を全て剥ぎ取り、遺体を人目のつかない場所に棄てた。

そして行くあても無く街を彷徨うと、とある廃屋を見つける。

とにかく先の出来事で疲れていた俺は、散らかされた布類をかき集め、寝転がってから静かに意識を手離した。

 

 雀の声で目を覚ます。窓を覗くと太陽の光と行き交う人々。

見慣れない、でも少し憧れていた風景に俺は少々目を輝かせてしまったが、ふと大事なことを思い出す。

人間というのは働いて食い扶持を凌ぐ生き物だ。

「働かざる者食うべからず」——。そんな言葉が地球にはあったはずだ。魂を求めてただ闇雲に人殺しをしていては、すぐに警察とやらに

自由を奪われてしまうだろう。

 

 ——「本」というものは人間だけが持ち得る文化の一つであり、俺はその制作物を手に取るのが趣味だった。そこから得る情報は非常に新鮮で、未知的な物であるにも関わらず状況が容易に想像できる愉快なものだった。

そうだ、確か普段読んでいる本には人を殺す仕事があった。と、俺は思いつくとすぐさま街に繰り出す事にした。

 

廃屋から十分ほど歩いた場所にある商店街。出入り口には大きなアーチが施されており、狭い場所でありながらも秀でて賑わいを見せていた。

 突然背後から女性の悲鳴が聞こえる。振り返るとそこには巨漢に鞄を奪われた人間の姿があった。

これはチャンスだ。俺は待っていたかのようにその巨漢へ駆けると、迷わず顔面目掛けて拳を振り上げた。人ならざる力を顔面に受けた巨漢は大きくのけ反り、近くの店舗の壁面に大きくめり込む。

すぐさま俺は巨漢に飛びつき、地獄から持ち寄った愛剣で徐に斬り付け、そして突き刺す。巨漢は抵抗こそしたが、しばらくするとピクリとも動かなくなった。堂々たる殺人現場に周囲は阿鼻叫喚する。

通報をする者、泣き叫ぶ子供、小型の箱のようなものをこちらに向ける者。人が人を押し除けもみくちゃと乱れ狂い、いつだか目にした地獄のような光景が、再び俺の視界の横に広がっていた。

 

「金をくれ」

 

そして俺は立ち上がるや否や、目の前で怯えている女性に鞄を突き出し一言言い放つ。彼女は目の前に広がる異様な光景と突然の要求に戸惑いながらも、恩人であるはずの俺から恐る恐る鞄を受け取り、千と記された紙幣を数枚手渡した。

俺はそれを受け取ると何事もなかったかのように静かにその場を去った。

 俺は其の紙幣で彼はまず、食料を買った。廃屋に戻った彼は食事を買ったは良いものの、箸の使い方や食べ方、そもそも何処まで食べられるのか等、初めての人類の食事に正直戸惑いを隠せない。

人類というのはここまで効率の悪い食べ方をするのか……と少々動揺しながらも、俺は初めての食事にありつく事となったが、一口に放り込むと何とも言えない感触が舌を伝う。普段生き物の魂を食べていた俺はそれに顔を顰めると、無理にヒトに近づこうとしなくてもいいか……と、その食事を外に捨てた。

 

 

二○一五年 夏 

 

 そんな何気ない日々を過ごしていた俺は、特にこれといった大きな弊害に見舞われることもなく、気付けば地球に降りたってから10年の歳月が経っていた。

いつも通り仕事とも言えぬ仕事をこなし紙幣を受け取った俺は、真っ先にある場所へ向かう。其処は初めて彼が降り立った場所、花屋であり、俺は頻繁にそこに立ち寄っていた。

地球に降り立ち初めて目についた、ちんまりと淡い輝きを持つ「花」。見ているだけで心をも灯してくれそうな其れを、俺は手元に置いておきたいと思っていた。まるで何かに導かれるかのように、俺は其処へ足を運び始めた。

 

——が、いつも通り花屋に訪れた時、まず俺の目にそのようなものは映らなかった。いつだか自分が降り立った——花畑を模した小さな公園の空から、何か光るものがごうっと落ちてくるのである。

俺は見慣れない其れを確認する為に近くまで寄ると、驚くことに人の姿をしていた。慌てた俺は思わず受け止めようと両手を伸ばすと、その身体は質量を持った落下をしていた割にはふわりと腕に収まった。

太陽のようにふわりと暖かい光を纏ったブロンドの髪、繭の如き精密な作りをした純白の修道服、そして汚れを知らぬ様な純粋で繊細な肌。

子供の姿をしたその「天使」は、花よりも秀でた儚い美しさを持っており、真逆の存在である俺の胸を騒つかせた。

 どうすれば良いかわからないまま、兎に角落ち着ける場所へと、十年の間で手に入れた小さな自宅に戻った俺は、「天使」を寝床に寝転がせ、急いで小さなパンと牛乳を買いに行き、近くの机の上に置いて目覚めるのを待ち構えた。

 

 

 

 ついつい、と腕を突かれたような感覚で俺は眠っていたことに

気づく。そこを見遣ると、「天使」は既に目覚めており、こちらを不安そうに見つめていた。

存在は真逆であるが、瞳の色は自分と同じ、ルビーをそのまま嵌め込んだかの様な光の屈折を描いていた。

ここはどこ? と訊かれた俺が答えてやると、「天使」はさらに不安げに表情を歪ませた。

 

 どうやら「天使」は本当に『天国』からやってきており、友達を遊んでいる際に下手をして落ちてしまったらしい。

自らを「アンリ」と名乗った性別もわからない天使は、もうこのまま帰れないのではないかという不安に打ちのめされていた。

俺はどうにか安心させようと、蝋燭に火を灯し、パンと牛乳をアンリに渡すと、はみはみとゆっくり食べ始めた。

どうやら食欲はあるらしい。

ふとアンリが俺の方を見遣るが、俺はその間静かに虚空を見つめていた。

 

「——たべないの?」

「……俺はパン、嫌いなんだ」

「……そっか」

 

狭くお世辞にも片付いているとは言えないその部屋には、爽やかな夏風が吹いていた。

 

 

その風は生暖かくも決して不快感のない、心地よい風。風は俺らの頬を優しく撫でたかと思えば、すぐにその感触は消えて無くなっていった。

 

 

 

 

 

——それはまるで

これから待ち受ける悲劇を全て拭おうとするかのように……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二○一五年 夏 浅田 佑瑠(アサダ スケル)

 

「全校生徒の皆様、此のようなしがない一生徒に貴重な一票を託してくださり、誠に有難うございます」

 

 誰にでも聞き取れるようなよく通る声で、オレは大衆に一言言葉を投げ掛けると、深々と頭を下げる。

対する様にその目線の先にいる全校生徒と呼ばれた大衆は、そんなオレを固唾を飲んで見守っていた。

 

「私、浅田佑瑠は、皆様の期待にお答えできるよう、生徒会長として精一杯努力をして参りますので、今後とも、何卒ご声援の程よろしくお願い致します!」

 

オレは深々と頭を上げると、右手にあるものをちらりと見て、ニヤリと小さく笑う。

 

「……よし、父さんから貰ったカンペは読み終えたな……

よしテメェらァ! 俺がテッペン取ったからにゃあテメェらにつまらない思いはさせねェ! 武ノ士(モノノフ)中学校生諸君! 俺についてこいやァ!!」

 

オレが壇上に片足を叩き付け、愛刀である木刀を生徒達の前に掲げると、生徒達は体育館中の空気を震わす程の歓声を上げ、教科書や筆記用具、紙くずとなったプリントなどを宙に投げ出す。呆れて制止する気も失せた教師達を気にする様子も無く、生徒達はオレの生徒会会長認定を心の底から喜んだ。

 

 

 学校から帰宅し、オレは両親に今日の話をする。

 オレの両親——特に母親は人型の『エイリアン』……世間では『人外』と呼ばれる地球外生命体だった。対して父親は今の時代には珍しい、和装に身を包んだ男性だ。その素性は裏社会で暗躍するスパイであり、その間に浅田佑瑠——エイリアンと人間の血を引いたオレが生まれたのだった。

 オレの両親は今日の話を聞くとまるで自分の事のように喜んだ。

ひとしきり騒いだ後に、両親は家族三人で高級レストランでお祝いをしようと話を持ちかける。普段行かない高級レストランでの食事に、オレは心を躍らせざるを得なかった。

早速出かけよう。とオレが着替えに急いで自室へ駆けていくのを見送ると、母と父もまた各々出かける支度をし始めた。

 

 

 白いシルクのテーブルクロスに銀製のナイフが光を反射している。周囲は心地良い静かさで、不躾に騒ぐような客は誰一人として居なかった。

オレらは出かける前に予約していた席に座る。慣れない雰囲気にオレと母は身を硬らせていたが、父は対して動揺を見せずいつも通りである。オレは「流石小慣れているなぁ」と改めて父の偉大さに気づくこととなった。

 

 

「身体に異常はないか」

 

父は自分の息子であるオレに静かに語り掛ける。

 ——普段喧嘩や運動で激しく体を動かしているオレであるが、その体内には、まるで母親の息子である事を証明するかの様に……例えるならば吸収された双子の片割れの様に、小さなエイリアンが棲みついてた。

言わずもがな、其のエイリアンも体内という狭い空間の中でオレと同じ時を生き続けており、しかし取り出そうにもオレと多くの内臓を共有していることから摘出を取りやめていた。しかし体内のエイリアンが暴れ出せばオレの身体への負担も強く、時折入院を余儀なくされることもあった。

 

「オレは大丈夫だよ。コイツぁどうだか知らねぇけどな。ま、俺が大丈夫ならコイツも大丈夫だろ」

 

だが、オレはそのことに嫌悪感を抱いたことはなかった。生まれつきそうであったということもあるが、何より……自分の体内にいる存在が愛おしかった。前述した様に、まるで双子の弟の様な感覚でオレは体内の存在と向き合っていた。

オレはニカッと微笑うと、自分の腹部に視線を落とす。特にこれと言って目立った様子は無い。

しかしその様子を見て母は涙を浮かべた。

 

「ごめんなさい……私のせいで……私のせいで貴方達に辛い思いをさせていますね……ごめんなさい、ごめんなさい、こんな事なら……徹さんと出逢わなければよかったです……」

突然泣き出した母の様子にオレは酷く狼狽する。そんなつもりはなかったんだ、ほら泣くなよ。と手元にあった布ナプキンを手渡すと、母——朱里はそれで鼻をかみ始めた。

その様子に多少呆れつつも、父、徹は静かに口を開く。

 

「そう自分を責めるな朱里……何かあった際にお前を守る。その為に私はお前の側に居るのだ。それにこれは我々が日本男児だからという様な理由では無い。——私がそうしたいからするのだ」

 

一般人なら羞恥を覚える様なキザな言い回しとは対照的に、父の表情は極めて冷静で、感情の読み取れない表情をしている。オレは相変わらず考えてる事がわからなくて怖いなぁと思うと共に、この優しい二人が親で良かったと、改めて実感した。

——しかしこの幸せな時間も、そう、長くは続かなかった。

 

 それは、オレらが穏やかな雰囲気の中食事をしている最中だった。

店内に一人の金髪の少年と、付き添いだろうか、桃色の髪をした若い男性が入って来た。高級そうな布地でできた清潔感のある服装をしており、ぱっと見で彼らがそれなりに裕福な一族であるということは、バカなオレの目からしてもすぐに察することができる。

しかし、オレが彼らを目視した、その瞬間である。

「……!? ゛あッ……!? う、ぐ゛あぁあぁあ!!」

 

 突如、オレは腹部に激しい激痛を覚える。食あたりや腹を下したなどというような痛みでは無い。オレは突然ナイフで腹を掻き回された様な鋭く激しい痛みを覚え、耐えきれず椅子から崩れ落ちる。

佑瑠! と、父と母は突然声にならない声を声を上げて倒れ伏すオレを抱き抱える。オレの額からは冷や汗が流れ落ち、自らを抱く様に必死に蹲ったまま、動けない。痛い。痛い。痛い。

 周囲の客が何事かとどよめいでいる中、父は母に会計を頼むと、軽々とオレを抱えて外に駆け出す。乗って来た車に乗せ、すぐさま車内に寝かせて服を捲ると、蠢く腹部と内側から付けられたであろう不自然な切り傷が数カ所。そこから一筋、血が滴り落ちた。

マズい……咄嗟に父は懐から三錠の睡眠薬を取り出す。それをオレの口の中へ放り込む。効果が現れるまで父がオレを宥めていると、しばらくしてオレは意識を失っていく。そこからは傷が増えることもなく、どうにか一時の平穏が訪れた。

 

 

 

 しかし徹は内心穏やかではいられない。

傷ができたということは内臓がやられたということである。徹が救急車を呼ぼうとすると、朱里が店から帰って来る。彼女は目にいっぱいの涙を溜めており、今にも泣き出しそうだ。

 彼女は会計ついでに、店員に救急車を呼んで貰ったらしい。朱里は嗚咽を漏らしながらそこまで喋ると、ごめんなさい……ごめんなさい……とただただ譫言のように呟き始めた。何がだ、と聞いても、彼女は俯いたまま、地面に向かって謝罪の言葉を吐き捨てている。その瞳はいつもとは違う、見たこともない程暗く、吸い込まれてしまいそうな。深淵のように濁った瞳だった。

 

 違和感を覚えた徹が朱里の様子を伺っていると、遠くから聞こえるサイレンの音が耳を掠めた。

一人は気を失ったまま担架で運ばれ、一人は俯き心此処にあらずといったような状態。一人はその二人を不安げな面持ちで見守りながら、彼らは救急車に乗り込み、その場を後にした。

 

 

 ——オレは白い部屋で目を醒ます。小さなテレビに四方を囲むカーテンから、オレはまたかとため息をついた。

しかし何度か似たようなことで病院に運ばれたことはあったが、今回のように外傷にまで至るケースは初めてだ。オレは何かきっかけでもあったかと、脳みそをフル稼働させたが、思いつくのはいつもと違う物を食べたこと、金髪の少年と桃髪の青年を見たことぐらいだった。

普段と違う環境にオレの中のエイリアンが耐えきれなくなったのだろうか。

そんなことを考えながらテレビを見ると、いつも登校前に見ているニュースが流れていた。オレはそれほど眠っていたのかと思いながら、そのまま寝た状態でニュースを眺めていた。

 

 「緊急速報です。現在日本代表軍である『桜花軍』のヒーロー総統が、緊急記者会見を開いたそうです。こちらをご覧ください」

 

……日本代表軍。それはここ数年、周囲の国で起こる戦争を前に、自衛隊だけで国を守ることは不可能と判断した日本政府が発足した軍である。

戦力を持たないと宣言していた日本が軍を持ち出した事によって、国内の動揺も大きく、また他国への影響も少なからずあった。

壇上にヒーローと呼ばれた男が現れる。カメラのフラッシュを大量に浴びながら、その男はサングラスの奥に煌る瞳をちらつかせる。

 

「この度は突然の会見に足を運んでくださり、誠にありがとうございます」

「今回緊急記者会見という形をとらせて頂いた理由、それは今からご報告する内容が、全世界の人類、そして全人類の未来に大きく関わるご報告である為ということを、ご理解頂きたい」

 

その男は前振りはここまでと言わんばかりに一息つくと、目蓋を落とし

静かにカメラに語り掛ける。

 

「まず、人類は我々政府によって、完全なる安全が保証されるべきである」

「戦争など、もっての他。我が日本国は人類の幸福と安心を保護する為、国同士の闘争は決して遂行しない事を、まずここに宣言する。

——しかし」

 

ヒーローはまた一息、何かを覚悟するかの様に黙る。シャッター音が

止んだ時、彼は落としていた目蓋をゆっくりと開いた。

 

「しかし、これは人類に限った約束である」

 

 

 

 

 

 

「これより、我ら日本を含む全世界政府は、

『人外抹殺計画』を遂行する事を、ここに宣言する」

 

 

 

 

 

 

 ————其の日、オレはとても憂鬱だった。嫌なニュースを見たなという思いで頭がいっぱいだった。

どうやら『人外抹殺計画』とやらは、『人外』による『人類』の迫害が近年著しく増加した事による緊急処置だそうだ。確かに人外が孤児院を偽って子供を強制労働をさせてた〜みたいなニュースはどこかで聞いたことある気がするけど、そこまでだったのか……

だが、ここまで極端な宣言をしたんだ、国民からの批判でいつものように揉み消されるだろう。オレはそう思う事にした。

……そうでないと、母が殺されるということになってしまうのだから。

 

 突然、カーテンの外からオレを呼ぶ声がした。どうやら両親が見舞いに来たらしい。

この事を話そうか……そう悩みながらもオレは看護師に返事をした。両親はオレの顔を見ると酷く安心したような表情をする。痛くないか。と聞かれたオレは痛いに決まってんじゃんと笑いながら返すと、またも母は目に涙を浮かべた。嗚呼、またやっちまった。オレはいつものように母を宥めると、母親もいつも通りちり紙で鼻をかんでいた。いつも通りの光景にオレもなんとなく安心したが……しかし矢張り、あのニュースが気がかりでならない。

 

「——なぁ、さっきニュースで」

 

と言ったところでオレは突然父親に口を押さえられる。父親の方を見ると相変わらず感情の読めない表情をしていたが、オレは父親の言わんとしていることが何となくわかった気がした。

母が何をしているのですか。とこちらに聞いてきたが、なんでもねぇよ! オレの口元に蚊が止まってたっぽくてさ! と返す。我ながら相変わらず嘘が下手だなと苦笑いをしつつも、オレは母に例の件を話す事を諦めた。

 

 

 

 それから数日経って、オレはようやく退院をすることができた。両親はいつかのように退院を祝ってくれたが、今回は家でお祝いをしようという事になった。確かにこの間のことを考えると外食は少し引けるところがある。だが母は腕に縒をかけますよ。とやる気満々だった為、たまには家で騒ぐのも悪くないな。とオレは微笑んだ。

明日はオレが部長をする剣道部の大会があるが、オレは大事をとって出場を辞退した。補欠の奴にこれを伝えた時嫌がるかと思ったが、アイツは逆に嬉しそうに快諾してくれた。オレの部活はやる気のある奴らばかりで嬉しいなぁと思うと共に、オレはいつもコイツらに支えられているなぁと、少々申し訳なくも感じた。だが部長のオレがくよくよしてても仕方がない。オレは観客席で全力で応援しようと部員全員に約束した。

 

 大会当日。オレは約束通り観客席で武ノ士中学校剣道部を応援する。矢張りと言うべきか、流石オレの部員と言うべきか、武ノ士中学校剣道部は何と決勝戦まで登り詰めた。大声で名前を呼んでやると、その声に呼応するかのようにオレの部員が攻めの態勢を見せる。

鍔迫り合いの末に隙を見逃さず面を奪ったのは、オレの愛する部員だった。オレは文字通り飛び跳ねるが、傷口が痛み蹲る。大丈夫ですか部長!? と優勝した部員に心配されたがそれでもオレは優勝を喜んだ。

 

 部員達と喜びを語り合いながら武ノ士中学校剣道部は自宅への帰路につく。試合の話の他にも生徒会の話をしたりと、部員達は最後まで笑顔で帰って行った。オレも「また今日も御馳走になるのかな」なんて思いながら部員と帰路が別れる事になった。

——しかし部員と別れたところでしばらく歩いていると、妙に家の周りが騒がしいように感じられる。

人だかりができている。ざわざわと近所の見た事のある顔ぶれが困惑した表情で何処か一点を見つめている。

 

 

————オレの家だ。

 

 

オレが何事かと近づこうとした時、誰かの大声が聞こえた。

 

「浅田佑瑠は何処にいる!」

「浅田家の長男は見つけ次第即刻抹殺せよ。例え人の姿でも人外の血が流れている。紛れもない人外だ。すぐさま見つけ出せ」

 

オレは突然の情報量に頭が追いつかなかった。なんでオレを探してるんだ? 人外? オレが……殺される? とにかく見つかったらマズいと言うことだけわかったオレは、人だかりから離れた物陰に隠れて様子を伺う事にした。

頭の整理をしていると、突然人だかりが動きを見せる。まるで何かを避けるように空いた道から、大勢の軍人を連れて一人の男が歩いて来る。そしてその男は、何かを引き摺っているように見えた。

その男も軍服を着ており、その引き摺っているものは赤黒い色と青黒い色の混じった線を描きながらこちら側へと近づいて来た。オレはさらに息を潜めて見つからないように隠れる。そしてオレはその正体を……直視してしまった。

 

その軍人は見た事のないカーキ色の軍服を着ているが、血のようなものに染まっている。綺麗な琥珀色の瞳をしたそんな青髪の青年が、先頭を歩いていた。そして引き摺られているのは……昨日まで笑顔で一緒に過ごしていた両親——浅田朱里と浅田徹だった。

二人は全身から大量の血を流しており、その傷はどう見ても手遅れであることがオレにも一目でわかった。

 

 

 

 

「一見してか弱そうな女性に見えたが所詮は人外か……斯様な物がこの地を巣食っていると考えると恐ろしいものだな……」

「この男も中々にしぶといものだ、死んでもなお立ち塞がる姿は正しく侍とも言えよう……大事な『物』を護る為ならば、人はここまで強くなれると言うのか……」

 

軍服の男は独りで何かを呟いているが、何を言っているかはオレの耳には入って来なかった。両親の死と自分の命が狙われているという事実にオレは動揺を隠し切れない。もし隠れていなければ、今頃他の人からは今にも泣き出しそうな表情をしているように見えただろう。

 

 

——始まったんだ。『人外抹殺計画』が。

 

 

 

 

 

 

 

 あれから二日経った。父の葬儀の話があったが、母の葬儀だけ執り行われなかった事に酷く悲しみを覚えた。それに葬儀に行ってもきっと近くで『あいつら』がオレを探している。オレは父の葬儀にも行かなかった。

 

もう誰にも会いたくなかった……いや、会えなかった。オレの存在がバレればきっとその場で殺される。家を出る金も無い為、オレは家に立て篭る事にした。時々けたたましくインターホンが鳴るが、絶対に出てはいけない。

——怖い。辛い。この間までここにいた父と母が死んでしまった。突然の家族との別れは中々に受け入れ難かった。まだ二人は生きている気がする。だが、居間に残ったどす黒い血痕がオレを現実へと引き戻す。ここで、殺されたんだ。ここで、死んだんだ。そう思うと胸がこれ以上ないくらい締め付けられる感覚がした。本当なら今日は部活の日だ。

でも、行けない。きっと行ったら部員達が『あいつら』を呼ぶ。

 

 『あいつら』の正式名称は『世界人類護衛部隊』というらしい。両親が殺された日の夜。ニュースで『人外抹殺計画』の始動と共にその名称が発表されていた。もう既に数百人の人外の命が奪われているらしい。

無論、それを批判する人の数も多かった。しかし政府はそれに見向きもせず、淡々と計画を進行しているように見える。

一体、どうしてそうまでして人外を殺さないといけないのだろうか。

オレの中にいるエイリアンも、ここ最近厭に静かに感じる。きっとオレと同じ気持ちなのだろう。

 

 

 

……大丈夫だ。オレは勿論、お前も、ちゃんとオレが守るから……

 

 

 

 

 

 

 

 

二○一五年 夏 桜井 鬼引(サクライ キビキ)

 

 「鬼引。110歳のお誕生日おめでとう」

 

お父さんは、そう言い私に紅いワイシャツを着せてくれる。

今日は私が生まれて110年が経った日。私は成人の儀式として今、人間の身体を授かったところだ。

人間の身体というのはかなり小さいものだ。人間の平均身長が160〜180cmなのに対して、鬼の平均身長は300〜500cmである。成人したと言われるけれども、こうも急に小さくなってしまうとかえって若返ってしまったのではと錯覚してしまう。服だって、父親の手にある時はなんだか赤ん坊の服のように見えて少し恥ずかしかった。

 

「アタシとヤクソクしたこと、ちゃんと覚えてるわよネ?」

 

母がしゃがんでこちらの顔を覗き込んでくる。い、いつもより数倍大きい……そう思いながらも私はしっかりと頷いた。

 

「はい、お母さん。私はお母さんとお父さんの為に、不死の体になってきます」

 

お母さんはイイコ、イイコ。と言って私の頭を撫でてくる。お父さんも、無理はするんじゃないよ。と笑顔で私を案じてくれた。

 

 

 お母さんはこの鬼ヶ島で死刑執行鬼をしている。喧嘩が強く、少々荒々しい性格で他の鬼方には怖がられているが、悪い方ではない。今回私を不死の身体にすると言い出したのは彼女であり、その理由は「誰よりも強い男になって欲しいから」だそうだ。

 お父さんはこの島の番人をしている。私のように島の出入りをする者を見張っており、怪しい者は即刻捕縛するというような仕事をしている。彼はとても優しく、なんでも許してくれる。周りは放任主義と言うが、私には丁度良いぐらいだ。

 

 私はこれから、鬼ヶ島の掟に従い、そしてお母さんの希望で不死の身体を手に入れるために、約100年程地球へ移り住む事になる。地球にはあらゆる生き物を不死の体に作り替えるという実験が行われてるらしく、私はまず海を渡ってそこに向かう手筈になっている。私は木造船に乗り込んで、小さくなっていく鬼ヶ島に手を振った。お父さんとお母さんも笑顔で手を振って見送ってくれた。

 

 海を渡り、日本という地に足を踏み入れた私は、早速鬼ヶ島とは全く違う光景に驚きを隠せないでいた。

 

「きぃちゃん! なんかあったら遠慮なく帰ってくるんやで! あんさんの故郷はいつだってあの島なんやからな〜!」

 

船の運転手さんは私にそう告げると、颯爽と島へ帰って行く。

 

さて。先ずは不死の身体に作り替えてくれるという人を探さなければならないが……ふむ、どうしようか。何も手がかりがない。そう悶々としていると、ふと後ろから声をかけられた。

 

「……貴方が、鬼引様ですか?」

 

後ろを振り返ると、そこには一人の桃髪の女性が佇んでいた。清楚な服装をしており、如何にもお嬢様というような風貌である。そうです。と返すと、その女性は微笑み「こちらへ」と黒い高級そうな車に案内された。私が案内に従い車に乗ると、静かにその車は動き出す。運転手も先ほどの女性も以降は全く口を開かず、私は謎の緊張感に身を強張らせた。

 そうして辿り着いた先は、森の奥にある寂れた洋館だ。不死の実験という為研究所の様な場所を予想していたが、まさか洋館とは……そう思いながら私はその地に足を踏み入れた。そこには金髪の小さな少年が待ち構えており、私を歓迎するように大きく両手を広げた。

 

「ようコそ鬼引! 全く待ちくたビれてしまったよ! ボクが今回手術を担当スる、ウィ・ベルンハルトさ! よろシくね!」

 

そう言ってウィと名乗る少年は手を差し伸べてくる。私もよろしくお願いしますとその手を取り、握手を交わした。そうして私は、ウィ君に手術室へと案内される。

 

 

 屋内は外よりも清掃されているように見え、清潔感のある印象だ。しかしなぜだろうか、妙に血腥い匂いがする。研究所とはこういうものなのだろうか。そう思いつつ私は手術室へとやってきた。

 ここに寝転がってネ。と言われ、私は言われた通り寝転がる。すると腕に何かプスリと刺さる感触がした。私が驚いて反応すると、ウィ君はふふっと笑って説明する。どうやらこれは『麻酔』と呼ばれるものらしく、驚くべきことに手術の際の痛みがなくなるらしい。色々と説明されるが、話の途中で急激な眠気に襲われてしまい、気付いたら眠ってしまっていた。

 

 

 ——目覚めると、私は大きなベッドで眠らされていた。ふかふかだ。

それになんだかどっと疲れた感覚がする。なんならこのまま眠ってしまおうかと目蓋を閉じようとした時、横から少年の声が聞こえてきた。

 

「ア! 意識が戻ったミたいだね! 気分はどウだい?」

 

ウィ君の元気なその声で私はなんとか目覚める。寝惚け眼を擦りながら少し疲れたかもしれませんと答えると、彼は少し困った表情をした。

 

「アレェ? そうなの? ちょっトうまくいカなかったのかなぁ……

でも大丈夫! 実は君が眠ってイる間ボクが数回ほど君にチメーショーを与エたんだけど、死んでナいでしょ! ほら!」

 

そう言って彼は私の腕を持ち上げる。すると私の手首を縫い傷が一周しており、手首を落とされたんだと言う事がわかる。

「わぁ! 凄いですね! これで私も強い男になれたのでしょうか……!」

「うん! もうこれで向かうところ敵なしだよ!」

 

強くなったことに喜びを感じた私は、しかしそのウィ君の言葉に少しモヤッとした感情を覚えた。

私はお母さんとの約束で強い男になろうとしているが、正直な所私は争い事が好きでは無い。誰かを守る為に、自らが盾になれる。その様な強さが手に入るならそれがいいと思い

この実験に志願したのだ。

しかしそんなことを彼に言っても仕方がない。私は素直にお礼を言い、その洋館を後にした。なんだかいつもより身体が怠い感じがするが、先程の様子だと手術は成功している様だった為、特に気にしなかった。

 

 

 

それにしても、先程から何やら人々の目線が気になる。私に何かおかしい所でもあるだろうか。私は近くにあったショーウィンドウで自分の姿を確認する。周りの人……自分……周りの人……と交互に見比べていると、あっ! と気付く事があった。

 

「人には角が生えていない……!?」

 

そういうことだったか……私はずっと抱えていた疑問の答えが出た事により、スッキリとした気分になる。

しかし角というのはトレードマークにもなるだろう。私は角を隠そうともせず、そのまま今度は住まい探しの為に不動産会社を探すことにした。

——しかし不動産会社というのはどういった店構えなのだろうか……お金だけしか持たされなかった私は、その情報を調べる術すら持ち合わせていない。ここは誰かに訊くしか無いと悟った私は、近くを通りすがった少年に声をかけた。

 

「す、すみません……不動産会社というお店は何処に……」

「……! 近寄るな!!」

 

少年に声をかけた途端、突然その少年は私をつっぱねる。少年はフードを被っており、さらにマスクと赤い眼鏡で表情はよく見えない。私が驚いて少年を見つめていると、その少年は「あっ……す、すまん……」と一言吐き、走り去ってしまった。

ふむ……矢張りこの角が目立って人々を怖がらせてしまうのだろうか……

私も角をさすりながらその場を後にした。

 

 

しばらく不動産会社を求めて道を歩いていると、突然見慣れない服装の男性達に囲まれた。何事かと彼らを見渡せば、彼らは銃のような物をこちらに構えており、いかにも敵意向き出してこちらを見据えている。

突然のことに至極動揺しその場で立ちすくんでいると、一人の青髪の男性がこちらへ一歩、歩み出てくる。

 

「……人外か。何も包み隠さず、堂々と外をうろついているとは。

いい度胸であるな」

 

そう言って彼は私の角を掴み、へし折らんとばかりに握りしめる。

 

「っ……! な、なんですか……なんの御用ですか……?」

 

痛い。そうか。不死になろうと痛覚が失われることは無いのか。

私は訳もわからず目の前の人物に問うと、彼は銃口を私の額に突きつける。その目は至って真剣で、真っ直ぐにこちらを見据えている。

 

「それを知る必要はない」

 

彼がそう一言告げた途端、突然鋭い痛みが頭部に走る。

——引き金が、引かれたのだ。

 

「——!!?」

「ほう……これを喰らって死なんか……では」

 

青髪の男が左手でスッと合図をすると、私の身体を無数の鉛玉が貫いていく。口の中が鉄の味で満たされる。視界は真っ赤に染まり、何も見えない。いくら耐えても、耐えても、身体に力が入らなくなっていく。

 

痛い。痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……

 

突然の銃撃を耐えてどれぐらい経っただろうか。突然何処からか悲鳴が上がったかと思えば、銃撃が止んだ。私はそれと同時に意識を失ってしまったが、朦朧とした意識の中、誰かが私を案ずる様な、そんな声が聞こえた気がした——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が醒めると、そこは誰かの家だった。そして目覚めと同時に、全身に激痛が走る。これまでに経験した事がない痛みに私は身体をうずくまらせた。

 

「……う、ぅう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あぁあアァアァアァアァ!!! 

゛アァアァ゛アァアァアァアァア゛ァアァ゛アァアァアァアァ!!!」

痛い。苦しい。怖い——。こんな事になるくらいならいっそ死にたい……しかし、今まさに不死の事実を突きつけられている状態である私は、死ねないことの残酷さに酷く絶望した。どうして不死になるなんて言ってしまったのだろう。あの時、お母さんのお願いを聞かなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない。

酷い後悔の念が頭の中で渦巻く。信じられないような激痛に涙が抑えられない。嗚咽まじりに叫ぶ私の声は虚しく響き、既に枯れ始めていた。

 

するとその声に呼応するかのように、一人の少年が部屋に駆け込んで来る。涙でぐしゃぐしゃになってしまいよく見えないが、先程すれ違った少年に特徴が似ているようにも感じる。

 

「うわばばば、ちょおぉい……大丈夫かよ……」

 

少年は酷く苦しんでいる私を見ると、何処からか薬のような物を持ってくる。暴れる私を押さえつけ、その薬を無理やり口に押し込むと、すぐさま水で流し込んだ。

 

「あーうーん……暴れると余計傷口開くから、あんま暴れない方がいいぞ」

 

そう言われて、私は言う通り痛む身体から必死に力を抜く。先程の薬は即効性の鎮痛薬だったのだろうか。すると不思議と身体から痛みが抜けていくのを感じる。少年は「顔ぐっしょりじゃねぇかよ……」と言い、ちり紙で顔を拭ってくれた。

ようやくはっきりと見えたその姿は矢張り先程出会った少年と同一人物であり、今はフードもマスクも着けていない様子だった。

 

「わ、私は一体どうして……あ、貴方が助けてくださったのですか?」

 

しどろもどろになりながらも私は彼に問うと、彼は少し困った表情で口を開く。

 

「あんなに虐められてるの見てたらなんかいても経ってもいられなくてよ……一歩間違えりゃァオレまで死んでたってのに、オレってやっぱり馬鹿だよな〜」

「——嗚呼、オレは浅田佑瑠ってぇンだ。お前と同じ『人外』って呼ばれてる嫌われ者さ。よろしくな」

 

佑瑠さんはそう言うと私の前に拳を突き出してくる。私は訳もわからずその拳を開こうとすると「んあ? ン違う違う!」と言って、私の手で拳を作り、自分の拳と軽くぶつけ合う。この人は何をしているのだろう。

 

「とりあえず、お前はこの家から出ない方がいいぜ。今、この世界は人間以外殺害対象らしいからな」

 

なんの前触れもなく佑瑠さんからとんでもない事実を打ち明けられた私は、まずそれらしい反応ができなかった。ん? あ、そうだったのか……とんでもないタイミングで上陸してしまったな……と、私もまたあっさりとした感想を抱いた。とりあえずお前はしばらくオレと同居しとけ。ほら、飯、炊いといたから。と彼は炊飯器の方を目でさす。私は突然のことに理解が置いついてなかったが、とりあえずご馳走になることにした。

 

 

 私が食べているのは卵かけご飯というらしい。おにぎりは食べた事があるがここまで味のある米は初めて食べた。……少ししょっぱい気がしないでも無いが。

 佑瑠さんは「飯食い終わったら掃除の手伝いしろ」と何か棒状の物を持ってくる。佑瑠さん曰く『クイックワイプ』という物らしい。これは紙状の湿った綿を先端に装着し、それで床を拭いてつるつるにできる代物とのこと。これは島に持ち帰りたい。何処に売ってるのかと訊くと、そこらへんに売ってると返された。なら不動産会社にも売ってるだろうか……

 夜になると、お風呂を沸かしてくれた。食事の際に身の上話をしていた為「オレはいつもシャワーだけだけど、鬼は風呂に入るイメージがある」と、かなり熱めのお湯を貼ってくれた。しかし今は角以外普通の人間と同じ身体なので、火傷しない様にこっそりとぬるくした。そうして私は風呂から上がり、歯磨きというものをしてすぐさま眠りにつくことにした。

 

 

 

 

 深夜、私が眠っていると、ふと物音で目を覚ます。衣擦れの様なかなり小さな物音だった為もう一度眠りにつこうとしたが、その物音がだんだん近づいてくることに気づいた。

佑瑠さんはソファーで寝ると仰っていたし、一体誰が……? うっすらと目蓋を開けると、そこには——

 

——私に向かって刀を突き刺そうとする佑瑠さんの姿があった。

 

咄嗟のことで避けるタイミングを見誤ったが、その刃は私の頬を掠め、敷布団へと吸い込まれていく。先を掠めただけなのに頬にパックリと傷ができ、血で頬を濡らす。これは……『真剣』だ。

さらにはその傷から徐々に『何か』に侵食される感覚がする。ここで私は島に伝わる禁忌を思い出した。

 

「妖刀・鬼切丸」…… 別称「髭切」「鬼切安綱」とも呼ばれるその刀は、如何なる鬼をも切り伏せると伝えられ、島では重要危険物として認識されている。改めて彼の刀を見遣ればそれは間違い無く「妖刀・鬼切丸」そのものだった。何故彼がそれを所持しているのかは皆目見当がつかないが、まともにあの刃に触れようものならひとたまりもないだろう。

 

 

 

「失せろよ、人外……」

 

佑瑠さんは上段に構えた剣を私に向かって振り下ろす。慣れた手つきだ。彼はその道の人間なのだろうか。

先程まで同志の様に振る舞っていた彼の豹変ぶりに困惑するが、今はとにかく、彼をどうにかしなければいけない。

 彼を抑えるための隙を探る。彼が刀を振り下ろせば、その度に物が破壊されていく。棚は現代アートの様な風貌へと変化し、布団からは綿が吹き出す。水をも斬り裂くその剣技は、到底素人のものとは思えない。

一手一手が丁寧にかつ素早く振り下ろされ、美しい一線を生み出す。齢14の少年からこれほど洗練された剣捌きが繰り出されていると思うと、少し恐怖心を抱いてしまう。

 

「一体どうされたのですか……貴方も私と同じ『人外』と呼ばれる存在ではなかったのですか。何故同族殺しの様な真似をなさるのです」

 

止むことのない斬撃を躱しながら、私は必死に説得を試みる。彼は無言で刀を振り続け、不死の域を超え私の息の根を止めようとにじり寄って来る。その瞳は何処を見ているのかよくわからない。その姿はまるで操り人形の様にも見えた。

 

刹那、彼は自らが切った布団に足を取られ倒れる。私はすかさず彼の腕を取り押さえ、跨がる様にして取り押さえることに成功した。

彼は離せと振り払おうとするが、私は腐っても鬼である。他種族との力比べで負けるほど落ちぶれた鬼ではない。力で敵わないとわかると佑瑠さんは諦めた様に抵抗を辞めた。

 

「人外は……殺らなきゃならねぇ……殺す……殺す……」

「先程まで匿ってくれていたじゃないですか。どうして急に……」

 

佑瑠さんはその問いを聞けば睨み付けるかの様にこちらをギッと見つめる。今まで気付かなかったが、彼の瞳は全く光を通していない。まるで何かに絶望しきった様な、そんな目をしていた。

 

「最初は確かに見てらんなくて匿ったさ。でもお前もオレも人外だ。お前がここにいるとバレればオレも死ぬ。オレは死にたくない。世間様が人外滅亡を望んでいてもしそれに助け舟を出して命が保証されるのならオレは人外を殺す!! だから、オレはお前を……!!」

「——佑瑠さん。貴方のご家族はどうなのですか?」

 

え? と佑瑠さんはきょとんとした顔をする。彼が人外であれば恐らく彼のご両親も人外なのであろう。それでも、佑瑠さんは彼らを殺すというのだろうか。命が保証される確証も無いのに、生にしがみ付くあまりに正常な判断ができなくなっている。私にはその様に見えた。

彼も最初はどういうことかわかっていない様子だったが、理解し始めると共にその表情は更に暗いものになった。

家族はいない。二人とも殺された。彼はそう吐き出す様にぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。ではもし生きてたら貴方は殺すのですかと問うと、彼は殺さないと即答した。

 

「二人を殺すなんて、できない。死んで欲しく無い。なのに……死んでしまった。きっとこれは悪事を働いた人外が悪い。そいつらを……そいつらを殺さねぇと……」

「自分勝手ではありませんか?」

「!?」

 

自分でも驚くほど冷たい声だった様な気がする。だが本心だ。殺したく無い者は生かし、そしてこうなった原因を誰かのせいにする為に、また自分が助かりたいが為に見知らぬ者を殺す。

そこで自分を勘定に入れず他人の命を散らすのは、それこそ人々にとって脅威なのでは無いだろうか。私がそう伝えると、彼は引きつった様な表情をした。「嘘だ。そんな、オレが……悪い……?」そう呟くと、彼は絶望に満ちた表情から一転、微笑みを浮かべる。

 

 

 

「そうか……オレァ……自分勝手だったんだなぁ……

両親が死んだのを他の奴らのせいにして、オレは一人で知らんふり。

世間様が恨んでるのは『お前ら』じゃなくて『オレ達』……なのになぁ」

 

彼は全て理解した様に、満足げに微笑う。そうして自らが持つ刀を見つめて一言呟いた。

 

 

 

 

「じゃあ……お前もオレも……死ぬしかねぇなぁ……」

 

 

 

なん——————————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

———私の隣には、一人の少年の亡骸が倒れている。腹部を刀が貫いており、傷口からどす黒い何かが蠢めいているのが見える。

 

……斬り伏せられた部分が酷く痛む。さすが妖刀・鬼切丸といったところだろうか。肉どころか、その奥にまで傷が到達しているのがわかる。しかしそこで私は、不思議と以前受けた怪我の痛みを全く感じなくなっていることに気づいた。

見れば無数にあったはずの傷は既に全部塞がっている。あれから半日ほどしか経っていないがもうそんなに回復したのか。不死であるだけでは無いのだな。

 

 

——私は血塗れの彼の隣で静かに、熱い緑茶を啜った。

今日からここが、私の家だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嗚呼……嗚呼、嗚呼、ここだ。二○○四年七月二十日。運命の日。

歯車が動いた日。彼が動いた日。

そしてまた、想定していた元凶も違う。

 

 

彼か。彼だったのか。

 

 

 

ならばここから『全て』書き換えればいいが、其の様な冒涜的な力は、何処にも、無い。

 

 

被害者:2名



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