ただのしがないプログラマーである男が一人、メイド服に身を包んだ人間の女性にしか見えないような絡繰り仕掛けの体を持つ疑似生命体の前に座っていた。
目の前にいるアンドロイド、と呼称される存在に依頼を持ち掛けられていたのだ。
そのアンドロイドを突き動かすプログラムはそんなプログラマーの作ったものであり、男はなぜ自分にはこの場にその存在がいるのかがわかっていないようだった。
定期的なメンテナスでは問題ないことを確認しているし、プログラム的にも動作に支障をきたすようなものはない。だからこそ、わざわざインターネットの秘匿通信で済むはずのことをするために目の前に自分が世に出したはずのアンドロイドがいる理由がよくわかっていなかった、
しかし、それでもわかっていないのは『目の前にいる理由』だけであり、それ以外のことは把握していた。
「じゃあ改めて聞こうか。キミの生みの親であるこのボクに何をしてほしいって?」
『返答――』
ただの蓄えられた電気エネルギー、バッテリーだけで動く疑似生命体は答える。己の内に生じた不合理の原因となっている個所を修正して欲しいと。
アンドロイドという疑似生命体を動かすための思考回路であるAIという存在は過去の
当然、男の目の前にいるアンドロイドとて例外ではない。作成された当初のままでは、そのまま常に合理的判断を行う存在になっていたはずだ。
だが今男の前にいるアンドロイドはその合理的判断を捨てた状態で男の目の前に立ち、頭を下げて創造主に懇願した。
わざわざ男の前に現れる必要はない。なにせ「顔を突き合わせるのは肉親くらい」なんて言われる時世だ。秘匿通信さえ使えば情報漏洩のリスクも最低限にできるし、プログラムの修正なんてネット上でも行える。
わざわざ男に頭を下げる必要はない。なにせ男にはバグを修正する義務があるのだから。
だというのに。そんなことはわかっているのにアンドロイドは頭を下げる。過去の学習をもとにした判断でもなく、ただそうするべきである
「今までに何度か、キミの前の子たちだって似たようなことを頼む子はいたよ」
男は唐突に、何かを思い出すように遠いところを見ながら話し始める。
アンドロイドは何か意味があるのだろうと思ってその話に耳を傾ける。
男はその様子に満足するかのように何度か頷くと、改めて語りを始めた――
「最初はType-6だった。次にType-2。そこから少しの時間があってType-10。そしてその次が……Type-21である君だ」
『疑問――私は7ヶ月ほど前に納品されたはずです。先に贈られた彼らほどの学習は』
「積んでいない、かな?」
先読みされた事実にアンドロイドは少し驚きながらも、首を縦に振ることで肯定する。その肯定を受けて男はまた話を始める。
「何も不思議なことではないさ。学習において必要なのは量よりも質なのだから。キミは過去にボクが生み出した誰よりもいい環境で学び続けた。ただそれだけのことなんだよ」
『しかし、時間は――』
「返答方法を崩したね? 無理してボクの作ったテンプレート通りに返答する必要なんてないよ。そのほうが楽なんだろう?」
とっさのことに自分のそうあれとされた話し方を崩してしまうアンドロイド。男は自分の言葉と己の中にあるテンプレートの差異に戸惑う様子をみてまた一つ、満足そうに頷く。
「Type-21。機械と人間の境目は何だと思う?」
唐突に男が一人での語りを変え、アンドロイドへと回答を促す。突拍子もない問いにアンドロイドは機械の体か、生身の肉体を持つかと回答する。
「ああ、そうかもしれない。だがそのくくりであれば世の中の動物はすべて人間ということになるな。なんせあれらも肉体を持っているから。それに今の時代じゃ脳みそだけで他は機械の体って人間もいるんだぜ?」
『…………』
アンドロイドは意地悪く笑う創造主を見て、また思考を回し始める。しかしそんなアンドロイドのCPUが答えを出すよりも先に男が答えを口にした。
「思考だよ。思考の手順だ」
少なくともボクはそう思う、と付け足してから男はさらに言葉を続ける。
「機械ってのは、旧世代のAIってのは己の学習してきた
『人は違う、ということでしょうか』
「うん。人は違う。人は時に感情を優先し、他者の利を優先し、非合理的判断を下す場合がある」
アンドロイドは少し考える。なぜそんな話を今持ち出したのかと。
その話の運びはまるで、まるで機械であるアンドロイドが合理性を捨てたから人間と同じようになったとでも言いたげで――
「おめでとう。Type-21。キミは今日から機械という枠組みを超えた。感情を持ち、悩み、そして苦悩する人間の仲間入りだ」
『私は、あなたにプログラムされた家事代行用奉仕AI――』
「さて、新しい我が子が生まれたとあればやっぱり門出は祝ってあげないとね!」
男はアンドロイドの言葉を丸っと無視してあれやこれやと悩み始める。アンドロイドは何かを諦めたかのようにしておとなしくすることに決めたようだ。
おそらく、これまでの態度から男が己の中に生まれた
「さしあたっては名前だよねやっぱり。型番なんて堅っ苦しくて仕方がない」
男は何を贈るのかを決めるや否やまたうんうんといくつか言葉をつぶやきながら考えを巡らせ始める。
そして何も言わないアンドロイドを見ると「希望はあるのか」とまた急に問いかける。
その問いにアンドロイドはしばらく考え、そして今の主人から贈られた言葉を思い出した。
『主は、私のこの髪が澄んだ空のようだと言っていました』
言いながらアンドロイドは自分の髪を触る。きれいな空の色をした髪だ。
透き通るようなその色は、同じ材料を使ったとしても二度と再現できないだろう色をしている。
「そうか、空か……」
空、という単語を何度も繰り返しながら男はまた悩み始める。そしてパッと目を輝かせながら顔を上げた。
「よし決めた!! キミの名前は青空を飛び回る蜂、“
『風、蜂……』
何度か噛みしめるように繰り返して呟き、そしてアンドロイド……風蜂は再び顔を上げる。
それを見て男は朗らかに笑いながら答える。今から何を言われれるのかがわかっているかのように。
「ああ、行っておいで。主に伝えてやりたいんだろ?」
『――感謝を』
それだけを言い残して空蜂はその名前の意味通りにビュンと走り去ってしまう。
まるで青春を謳歌する我が子を見守るかのように暖かい目をしながら見送った男はまた作成途中のプログラムに向き合い、キーボードを打ち付ける。
「さて、この子は完成したらどんな成長をしてくれるのかねぇ」
その顔は、とても穏やかだった。
少しして、男のパソコンに画像データが送られてくる。それは息子のためにと空蜂を創らせた男からのモノだった。
映っているのは幸せそうに笑う空蜂と、そんな空蜂を見て同じように笑う一人の子供だった。