それが学校の部活動ならなおのこと。
そんな雨の日に、出会った越前リョーマと竜崎桜乃。
「はぁ…」
外で降り頻る雨を睨みながら、越前リョーマは一年生の下駄箱で一人ため息をつく。本来ならば今ごろ部活で汗を流している時間だ。現にリョーマの服装は青学のレギュラージャージに着替えられている。
「ちぇ…向こうじゃこんなことなかったのに…」
日本にはアメリカとは違って梅雨と呼ばれる季節がある。その時期はどうしても雨の日が多くなるのだと、以前母親から聞いたことがある。そもそもアメリカならば室内で練習できるコートも多いのだが。
「はぁ…雨かぁ…止まないかなぁ…」
「ん?」
そんなことを考えていると、リョーマと同じようなことを考えている別の声が聞こえてくる。
「竜崎?」
「あ、リョーマくん!」
声の主はリョーマと同じ一年生の竜崎桜乃だった。女テニもこの雨では練習ができないであろうに、桜乃もまた練習用のジャージに身を包んでいた。
「リョーマくんも雨が止むのを待ってるの?」
「そういう竜崎こそ…」
吹き荒ぶ雨は激しく、リョーマと桜乃の他にも雨が止むのを下駄箱で待っている一年生は多くいた。けれど、その誰もが傘を忘れているだけだ。多くの人間が帰るために雨を待つ中、部活をしようとしている二人は異様に写っていた。
「せっかく今日は部長が相手してくれるって言ってたのに…」
「え!?手塚部長が!?」
「うん、なのに雨なんて…」
「ついてないね…」
「はぁ…」
最後のため息はどちらからだったのだろうか。或いは両方から聞こえてきたのかもしれない。
「こうなったら壁打ちだけでも…あそこなら屋根もあるし…」
「うーん…別のことした方がいいんじゃない?」
「別のこと?」
独り言に反応された桜乃がリョーマの方を振り向く。テニス初心者の桜乃にとってはリョーマからのアドバイスは何にも替えがたいものだ。
「竜崎はもう基本のフォームはちゃんとできてるから。むしろ苦手なことを集中して直した方がいいと思うけど…」
「あ、それじゃあたまにラケットが飛んでいっちゃうのを直したい…」
「それはあんたのドジで技術じゃない」
「あぅ…」
辛辣とも思えるリョーマの寸評に思わず俯いてしまう桜乃。
「…でもまあ最初のころよりかは上手くなってるんじゃない?」
「そ、そう…かなぁ…」
けれど桜乃はリョーマの優しさを知っている。なんだかんだと言いながらもいつも練習に付き合ってくれる。できるまでちゃんと教えてくれる。今だって、言い過ぎたと感じたのかちゃんとフォローも入れてくれた。クールなイメージとは裏腹に、不器用なリョーマのことを桜乃は誰より知っている。
「ほら、ラケットがすっぽ抜けるとかじゃなくてさ、なんかこう…苦手なシチュエーションとかないの?」
「あ、それならドロップショットが苦手で…」
「ふーん…ちょっとやってみてよ」
「うん!」
少し距離を開けて、持っていたラケットとボールを使ってドロップショットを打ってみる。他の生徒たちは傘を持った友人に入れてもらったり、諦めて濡れながら帰ったりすることを選択したため、もう周りには誰もいない。
「あぁ、前に飛ばそうとしすぎだよ。ドロップショットは前じゃなくて上。そうしないとバウンドした後に前に行っちゃうでしょ?」
「なるほど…」
「あと、力はもっと抜いて」
「抜くの?入れるんじゃなくて?」
「ドロップショットはフェイントなんだから…そんな力込めてどうすんのさ…」
「うーん…こんな感じ?」
「そう。後はラケットの面をもう少し…」
いつの間にか、二人はテニスに夢中になっていた。コートもネットもないけれど、二人にとってそれはテニスだった。
「今日も部活できなかったね…」
「しょうがねえだろ、雨なんだから…それにしても越前はどこ行ったんだ?」
「ねぇ…あれってリョーマくんと竜崎さんじゃない?」
「え?」
部活が中止になったことを愚痴りながら、制服に着替えて家に帰ろうとする堀尾、カチロー、カツオの三人が下駄箱で二人っきりのリョーマと桜乃を見つける。
「だからここは…」
「こ、こんな感じ?」
「そう、中々やるじゃん」
「おいおい、マジじゃねえか!」
「どんなこと話してるんだろう…?」
「ちょっと!押さないでよ!バレちゃうよ!」
桜乃がリョーマのことをどう思っているかなんて、よほど鈍くなければわかる。リョーマにしても他の女子に対しては素気無い…というよりもほぼ無視に近い扱いをしておきながら、桜乃にはなんだかんだと言いつつ構うのだから、気づいていないのは当人たちばかりだろう。そんな二人が二人っきりでどんなことを話すのだろう。気にならない者など、越前リョーマの関係者には皆無だろう。だからこそ、三人が聞き耳を立てて、覗き見をするのは自然な流れだった。けれど…
「ほら、竜崎はせっかくリストが柔らかいんだからさ。そこを活かさない手はないよ」
「こ、こうかな?」
「…やるじゃん」
「…テニスの話しかしてない」
「あいつ、どこまでテニスバカなんだよ!?」
よくよく話を聞けば聞くほど、テニスの話しかしていない。もちろん三人は二人がお互いに自覚していないこともわかっていた。けれど、もう少し色気のある話をしていても良かったのではないだろうか。
「というか、竜崎さんも大概だよね…」
「あぁ…」
「確かに…」
仮にも好きな男子と一緒にいるというのに、桜乃の目はテニスに夢中だった。それでいいのかと思う反面、リョーマのテニス好きを知っている三人はそれについて行ける桜乃の特異性に改めて驚いていた。
「なんか…あの二人ってさ、高校生になっても…何なら大人になっても、あのままくっつかずにテニスの話してそうじゃない?」
「うん…」
「わかるな…」
それは果たして良いことなのかはわからないけれど、カチローの目に映ったそんな未来の二人は幸せそうだった。
「コラァァァ!あんた達!今日は下校するように言っただろう!」
「ゲッ!?」
「え?お婆ちゃん?…って、もうこんな時間!?」
気づけば辺りは暗くなり、時計の針は下校時刻の五分前を指していた。そのことを二人はテニス部顧問のスミレに指摘されるまで気づかなかったのだ。
「リョーマ!あんただね!桜乃ちゃんを捕まえて…」
「ちょっ!?なんでオレだけが悪い感じになるわけ!?」
「桜乃ちゃんが規則を破るわけないだろう!」
「ち、違うの!お婆ちゃん!リョーマくんじゃなくて私が…」
「問答無用!」
確かにスミレの言うことは正しい。品行方正な桜乃が校則や決まりを破るなどということは今までに一度もなかった。そんな桜乃を変えたのが越前リョーマというだけの話だ。
「竜崎!逃げるよ!」
「え?でも、逃げたら余計に…」
「いいから!こっち!」
「あっ!待ちな!まだ話は終わってないよ!」
説教を続けるスミレから逃げるように、桜乃の手を引くリョーマ。手を繋いでいるということに気づくのはもう少しだけ後の話…。