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その日の戦場は、どこかいつもと違う雰囲気に包まれていた。
イングランド勢力は最近、勢いに乗ったフランス軍に押されており、負け戦も多い。
そんな中でのこの戦い。フランス軍と矛を交えたのは私たちの軍をはじめとする、いくつかの部隊が集まった集団だ。
朝から降り続けた雨で何か不吉なものを感じながらも戦いは進み、私たちは勝利した。
退却する敵軍を見て、部下達からは歓声が上がる。浮足立った敵軍を叩きのめしたことは彼らにとって気持ちの良いものであっただろう。
そんな戦勝の余韻に浸る間も無く、私は十数名の部下と共に戦場跡を歩く。
そこで見たのは、傷で動けない敵兵数名をリンチする友軍の兵士。
これは私の軍以外ではありふれたものであり、敗者を勝者が痛ぶるというのは遥か昔から続く戦争における常識だ。
私はそんな彼らに近づき口を開く。
「……何をしている?そこの兵士は確かに敵であったが、今は戦意のない捕虜だ。今直ぐ中止したまえ」
その言葉に彼らからは抗議の声が上がる。我々は勝者なのだから別に良いだろう、といった旨の声だ。
「そもそも、君らの部隊は現在私の指揮下にある。それは知っているだろう?その際に言ったはずだ。私たちの規律に従ってもらう、と」
この時代の価値観で正しいのは私でなく、彼らであろう。それは間違いない。
だが、それを容認できるかとなれば話は別だ。
「これでも反抗すると言うのなら私としても処罰を考えなければならない。どうする?」
そう言うと彼らは渋々私から離れていく。私を異常者を見るような目で見ていたが、これももう慣れた。
私は敵兵に近づき声をかける。
彼らは装備を何も着けていなく、体中に痛ましい傷跡が。
「私の指揮下の兵がすまなかった。治療を行う故、もう安心して欲しい」
膝をつき目線を彼らに合わせると、彼らは私に向けて様々な感情を持っていることが分かった。
怒り、憎悪、不信感、嫌悪感…いずれにせよ、良い気持ちにはならないが彼らの反応は当然のものだ。
その内の一人の手をとり、立ち上がらせようとした時。
「触るな、悪魔め‼︎貴様らイングランド人が俺の家族にしたことが許されると思うなよ‼︎!」
そう言うと、彼はその場に転がっていた石を手に取り私に飛びかかる。こうなって仕舞えば、もう仕方ない。
私は腰から剣を引き抜き、一閃。彼の首はその場に転がった。
殺したくはないがこういう人間は治療場でも暴れるだろうし、こうするしかない。
部下の引いてきた荷車に彼の死体を丁寧に運ぶと、私は残りの敵兵達に問う。
「…もし君たちが生きたいのならば、私に従ってもらう」
彼らの中から反対する者はいなかった。
数ヶ月経ち、私が拠点にしている街で自軍の損害など、諸々の詳細を確認していた時だ。
斥候に出している者に渡した鳩が帰ってきた。私は数十名の斥候を各地に放っており、毎日情報がかなりの量入ってくる。
戦場において情報は金にも勝る宝だ。
勝てないような戦力の大軍とばったり対峙してしまえばその時点で私の人生が終了する可能性が跳ね上がる。そんな最期は死にきれない。
鳩の足に括り付けられた手紙を読むとそこには簡潔な一文が。
────“コンピエーニュにてジャンヌ・ダルクが捕らえられた”
手紙にはそう書かれていた。
ジャンヌ・ダルク───もといジャネットが捕まった。
やったのはブルゴーニュの軍らしく、ほどなくして彼女の身柄はイングランドに引き渡され現在ルーアンの街に幽閉されている。
フランス王のシャルルは要求された身代金を払うつもりは無かったらしい。
だとするならば、彼女はこのまま裁判にかけられ私の知っている歴史と同じ道を辿るだろう。
異端審問。
この時代の宗教がらみの裁判は大変厄介であり、彼女の判決を覆すことはおそらく不可能だ。流石に私も、そこまで現状把握できないほど阿呆ではない。
彼女の身柄は現在、ピエール・コーション氏の手にあるという。その他にも百名以上の聖職者達がこの街に集まることが予想される。
一人の農民の娘には、大袈裟過ぎるほどの規模の裁判だ。
それ程まで彼女はイングランドにとって目の上のタンコブなのだろう。
(まぁ…それもそうか。彼女の存在は大きくなり過ぎた)
良い方向にも、悪い方向にも。
彼女は“神の声”を聴いた。その結果フランス軍は連戦連勝。あのオルレアンでさえ解放された。
ここまで短期間で結果を出されればいくら農民の娘であろうと、実際に神託を受けたと信じる者は多くなる。そうなれば焦るのはイングランドの有力者達。
『フランスの小娘には声を届けたのに、なぜ我々には無い?』
平等を謳う宗教で、こんなことはあってはならないのだ。そして、その理由などはいくらでも生まれてくる。
フランス人を殺し過ぎたから。
信仰を蔑ろにした者が多かったから。
イングランドが、神から愛されていないから。
もしそんなことが民衆の間で広まれば、有力者達の足元はいとも容易く崩れ去るだろう。
このまま彼女に率いられたフランス軍が勝ち続ければ、そんな未来は妄想でなくなる。
そしてフランス王が身代金を払わないのも、民衆から慕われている彼女が国に牙を剥くことを恐れているか、それとも払えない程の理由が別にあるのか。
私が聞いた限りの評判だとそこまで血も涙もない人物だとは思わないが、実際に会ったことは無いのでなんとも言えない。
さて、私はジャネットが捕まったと聞くや否やルーアンの街に移動し兵を入城させた。私がこの街に来た理由は二つある。一つは、幽閉されているジャネットの扱いをまともなものにするため。
もう一つは───あわよくば彼女を脱出させるため。但し、これが叶う可能性は低いが。
私の軍は大陸に来て数年経ち、幾つもの戦場を超えてきた。その中で得た支援や報酬の中から部下へ定期的に給料を払い、非常用の備蓄に回したその残り。
決して少ないとは言えないその金額と、貴族である実家の地位、そして大陸で築いた有力者達との繋がりを惜しげもなく利用し、私は彼女の裁判に関わる内の一人に食い込んだ。
少なくとも綺麗な方法では無い。
金を掴ませ、それでも首を縦に振らない者には自分や協力者達の身分をひけらかして説得した。やり方は、正に悪徳領主のそれである。
そうして私が要求したのはジャネットの身の回りの世話をする者を私が選ぶことと、彼女の弁護に私が出るということだった。
中々首を縦に振らない彼らを、ルーアンの教会に予算の殆どを寄付することで黙らせ今に至る。
私は彼女が監禁されている塔の中を進む。
人を雇い中を掃除させたので異臭や汚れは今の所目立っていない。
途中すれ違うのは、この街で教会に従ずる女性達。彼女達もジャネットの身の回りの世話と、警備のために私が雇った。
当初の予定通り、見張りに男など置いた日にはどんな結末になるかは目に見えている。
暫く進むと、一つの牢の前で私は止まる。見張りの者を下がらせ中に入るとそこには懐かしい顔があった。
彼女も私に気づいたようで近寄ってくる。
私の記憶にあるよりも大人びた、金髪の少女。
「…久しぶりだな。ジャネット」
彼女を見てみると、服も汚れていないし頬も痩けていない。
どうやら食事も摂っているし、身なりも清潔にしてもらっているらしい。その事実にひとまず安心した。
ニ年ぶりの彼女の姿はドンレミの村にいた時よりも美しさに磨きがかかり、雰囲気は大人びている。眼は燻んだ、戦場で幾度となく見てきた兵士のものではなく、かつての希望に満ちた輝きは変わっていない。
「こんな形での再会は望んでいなかったが……元気なようでひとまず安心したよ」
「ふふっ、久しぶりですね。二年ぶりに会ったんです。色々話しましょうよ!」
囚われの身だというのにその元気さは記憶と変わらない。気になるところがあるとすれば、私に対しての敬語か。
「ジャネット、敬語なんて良い。以前のように話そう」
「それもそうだね…ずっとこの喋り方だったから癖ついちゃった」
「そうか。やっぱり…その喋り方の方がずっと良い」
そこから私たちは時間の許す限り話に花を咲かせた。戦友の話題から日々の楽しみまで様々なことを話すジャネットを見て私は、ドンレミの村にいた時の彼女を重ねる。
戦場に勝利をもたらす聖女の話はイングランド軍の中でも話題になり、そして恐れられた。
嬉々とした表情で楽しそうに話をする彼女だが、今まで逃げ出したくなるようなことは何度もあっただろう。何故ならば、戦場に明るい話題など殆どないのだから。
しかし、彼女は今もこうして目の輝きが失われることなく笑えている。
「───本当に強いのだな、君は」
私は彼女の強さが羨ましい。幾度もの死線をくぐり抜けてなお曇ることの無いその心が。
それと同時に強く思う。この少女を死なせたくないと。
そこから私は彼女の弁護の為に資料を集め、裁判の関係者との繋がりを作るために奔走した。
毎日ほんの少しだけ寝て、それ以外の時間は裁判の準備に徹する日々。
────この裁判の結果はもう決まったようなものだ
全ては無駄なことだと。そう言ってくる者も多い。
そんなこともちろん知っている。
だが、近いうちに異端と決定され、火で炙られて死ぬ少女を見殺しにできるほど私は狂えていない。
彼女はフランスに希望を灯したのと同時に私にも光を示してくれた。顔も知らない誰かの為に迷う事なく人生を捧げるその酔狂。
この狂った世界で彼女の存在は私にとって何にも勝る輝きだ。
『フランスとイングランドは敵国だ。なぜそこまであの娘を救おうとする』と。そう私に言った騎士がいた。それがどうした。
『ジャンヌ・ダルクは異端だ。死んで当たり前だろう』と。そう言った聖職者がいた。それがどうした。
『この裁判に首を突っ込みすぎると、君まで裁判にかけられるぞ』と。そう言った友がいた。それがどうした。
私は彼女を救いたい。
ジャネットという一人の少女に、戦場以外の場所で笑って生きて欲しいから────
しかしその後の裁判でジャンヌ・ダルクの処刑が決まった。
私はジャネットの幽閉されている塔に赴き、彼女と話していた。
今夜は彼女が過ごす最後の夜。明日、ジャネットは火刑に処される。裁判で彼女の判決が少しでもマシになるために努力はした。努力はしたが、それだけだった。
彼女の末路は変わらない。人々を救った聖女は異端とされ、その身を火で炙られる。
だというのに、彼女はそれを受け止めた。
「私のためにありがとう。…だけどね、もう良いの。沢山の人の笑顔を守れた、それだけで十分だよ」
そう言って笑う彼女を見る度に、私は救えなかった罪悪感で胸がいっぱいになる。
「気にしないで。あなたと過ごした日々は楽しかったよ!だからあの時みたいに笑ってくれないと私も悲しくなっちゃう」
────あぁ、私はまた命を取りこぼした。
「ジャネット、すまない…私の力では不十分だった。本当にすまな───」
謝罪の言葉を紡ぐ私の口をジャネットは抑え、それ以上声を出させないようにした。
「…あの日のこと忘れちゃったの?どっちが斃れても恨みっこ無し、って」
「しかし……」
「私は恨んでいないよ。あなたも、イングランドも」
そう言った彼女は一度目を伏せ、暫くしてから私を再度向く。その目には今まで映っていなかった悲しみと、決意のようなものを含んでいる。
「…言えなかったら後悔するだろうし、今言うね。これは忘れてくれたって構わないよ。私はあの村にいた時から───」
その言葉を今すぐ止めさせたかった。それを最後まで聞いて仕舞えば、何かが変わってしまうと確信できる。
しかし体が、そして口が動かない。
やめてくれ、と心の中で叫ぶも当然聞こえる筈もない。彼女の口は動き続ける。
「───あなたを愛しています」
「よし、言えた!どう、驚いたでしょ?私だっていつまでも子供のままじゃないんだよ?」
やり切ったような顔でそう言うジャネット。頬は少し赤くなっているのが見てとれる。
「あ…さっきも言ったけど、忘れてくれて大丈夫だからね!あなたはこの後も生きるんだし」
私に笑いかける少女の姿は大変美しく、輝いて見えた。
そんな彼女に私はやっとのことで一つの言葉を絞り出す。
「忘れる訳…無いだろう…」
「本当に?それなら…嬉しいな」
嬉しそうにしている彼女を見ながら、私の頭の中は真っ白になっていた。ただただ感じるのは混乱という言葉でも言い表せない様な、まとわりつく虚無感と不快感。
最後の最後で自分の中の、何か大切な事に気づいてしまったことを私は後悔した。
それから先の記憶は継ぎ接ぎで、全てを思い出す事は出来ない。
気づけば、空には見事な朝日が昇っていた。
ジャネットの足元に火が纏わり付き、彼女の顔には苦痛が浮かぶ。
そんな中彼女は私を見て微笑んだ。
さほど時間は掛からずに胴体にまで火が回る。
苦痛の表情は険しくなったが、微笑みは止めていない。彼女は私の目を目を見ながら口を動かした。
───『大丈夫だよ』
私には彼女がそう言っているように思えた。
そして程なくして炎はジャネットの全身を包み込み、広場には人間の肉と脂の焼ける異臭が漂う。十分過ぎるほど焼かれた少女の遺体は黒焦げで、生前の面影は無い。
執行人の兵士はジャネットが生き絶えたのを確認した後、再び遺体を炎に投じる。
結局、私の知る少女は真っ黒な炭に変わっていた。
彼女の燃え滓はこの後、川に流されて処理されるのだとか。
私は彼女の命が果てるまでの全てをこの目で見た。何も考えず、何も言わず。
広場が兵によって片付けられ、観衆は散っていく。彼女がここで死んだという事実は既に私たちの記憶と、記録書に書かれた文字のみにしか残っていない。
もう、ジャネットは死んだ。
そのことを改めて認識した瞬間、私の中の何かがピキリ、と音を立てて割れたような、そんな気がした。
◆◇◆◇
あの異端裁判の日から四年。私は大陸に残り、兵を率いて戦場を駆け回った。
あの日から時の流れが恐ろしく早い。
あれから、戦争の流れは完全にフランス側に傾いた。
そんな中でも私の軍は負け戦が少なく、大量に部下を失う事態にはなっていないのは幸いか。
それと、私の軍の名はフランスにもイングランドにも知れ渡ったらしい。
戦場で負傷した者に敵味方問わず治療をすることが広まったからだとか。
そんな事があり、戦に明け暮れる日々であったが、そんな時間も終わりを迎える。
実家からの手紙が届き内容を見てみれば父上が病で倒れ、兄が当主の座に就いたというものだった。
そして私をイングランドへ帰還させ、兄の補佐をしてほしいとのこと。
兄は生まれつき体が弱い。まだ若いが何かの拍子に逝ってしまうこともあり得る。なので私にも経験を積ませて、不足の事態に備えるのが目的だという。
そんな事があり、私は9年ぶりにブリテンへ帰ることになった。
見て下さりありがとうございました。