Fate/Starry Night   作:九阿散歌碓

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今回、独自設定独自解釈のオンパレードです。



四条烏丸の決闘

 四条烏丸。京都を代表するビジネス街と名高いそこ。夜も深く、人通りはない。いや、それは夜だからだけが理由だろうか?

 

 歩道にはただの一人の通行人もおらず、立ち並ぶ店にも一切の人気はない。

 昼間は忙しなく駆け回る車の姿もまた皆無。不気味なほどの静寂だけがあった。

 

 そんな、夜に閉じた交差点。大通りが重なる中心に、一人の男が立っていた。

 

 瑞々しく、長い髪が風にたなびく。

 宝石の糸で彩られたそれは、深い青。後頭部でまとめられては尾のように伸び、挑発的に誘う。

 

 異様な男であった。

 

 (かんばせ)は美男子。されど肉体は鍛え上げられ、一切の無駄を削ぎ落とした猛獣の如き躰。

 それを覆うのは、時代錯誤な薄絹の戦衣装。

 胸には輝く金のブローチ。肩には毛皮のマントを巻き付け、戦衣装の要所要所を金属の鎧で飾る。

 まるで古の絵画から抜け出したかのような、幻想の戦士の出で立ちだった。

 

「——いい夜だ」

 

 呟く声は深く、流麗。静寂の中によく響いた。

 

「心の臓がひりつくほどの、いい夜だ」

 

 雲の切れ目に、月が差した。白い光が、乙女の如くにしなだれかかる。

 眩むような色気。切長の目に座す瞳が、宝石に似て七色に輝いた。

 

「お前さんも、そう思うだろう?」

 

 水を向けた先。そこにもまた、一人の男がいた。

 交差点の北。往来のど真ん中に憚ることなく佇むその男も、また異様。

 

 どこまでも冷たい、無骨な鉄面皮。気品ある面差しは、けれど纏う覇気によって威圧的に見える。

 

 氷の男だ。

 

 黒い眼鏡は叡智の結晶。翠玉の瞳が、透鏡(レンズ)に覆われてなお鋭い眼光を放つ。

 肉体は鋼。実直に練り上げられた、人たるの極点。

 

 それを彩るのは黒の鎧。現代的なボディアーマーにも通ずる、機能的なそれ。華やかさなどまるでない、無骨にして愚直な鎧。けれど氷の男が纏うには、それでこそふさわしいだろうと感じさせる。

 棘輪の肩当てで止められ、風に翻る藤色のマントだけが、その血の貴さを物語っていた。

 

「——ああ、いい夜だとも」

 

 問いかけに応じる。

 答える声もまた無骨。低く、重く、響き渡るそれはまさしく戦士の王たる者の声。

 

「——雄叫び、流血、死と栄誉。鉄の刃に火花が散り咲く、大いなる戦の始まりにふさわしい、いい夜だ」

 

 その答えに、猛獣の戦士は破顔した。美男子の顔が大きく歪む。

 威嚇する獣のように、口を裂いて笑う凶相は、待ち望んだ以上の答えに対する歓喜の現れだった。

 

「ああともさ。月も高く、この場にいるのは二人の戦士。血潮は熱く迸り、研がれた牙が戦の気配に火を灯す」

「なればここに至て道は一つ。斯様な益荒男と(まみ)えたのなら、必然魂を削り合い、打ち倒すのが礼儀というもの」

 

 打てば響く。吟じるが如き、確かめ合うような言葉の応酬。

 それは古の様式美。戦士たちが紡ぐ戦場の詩。

 

「——ああ、これだ。これだから、たまらねえぜ。予想以上に最高の答えじゃねえか。一眼見た時、直感したよ。俺が戦うべき、真実の戦士が現れたぞ、と。それは正解だった。この上なくな」

 

 その言葉に、氷の戦士もまた微かに笑った。

 

「それはこちらも同じだ。偉大な戦士よ。一眼見ただけでわかる。貴殿こそ、この戦争における最大最強の敵。当方が越えるべき真なる英傑である、と」

「両思いとは、光栄だね」

 

 笑い、そしてどちらともなく、互いに右手を広げる。

 

「もはや言葉は不要だろう」

「ああ、交えるものは一つのみだ」

 

 空から滲み出すように、二振りの得物が現れた。

 

「名を名乗れぬ無礼を許せ、ランサー」

 

 瞳と同じ、翠玉の刃。濃密な神秘を纏う幻想の大剣。緑色の燐光を放つそれを構えた氷の戦士が言う。

 

「なんの、この戦いにおいては些事だろうさ、セイバー。密かに秘された一夜の逢瀬だ。されど我らの戦いは、神々さえも讃えるものとなるだろう」

 

 対するは、棘の紅槍を構える猛獣の戦士——ランサー。

 舞うように手がくるりくるりと回り、合わせて槍が夜を裂く。

 演舞の如きルーティンを終え、パシリと槍を掴めば、身を低く。

 隠し立てもせぬ、貫きの構え。

 

「さあ行くぜ、セイバー」

 

 セイバー——そう呼ばれた氷の戦士は、応じるように足を踏み込み、拳を構えた。

 叡智の結晶、その黒い骨格(フレーム)がバシャリと音を立てて展開し、フルフェイスの兜となる。

 励起した魔力は稲妻の如く迸り、腰に下げた短剣が眼前へと浮き上がった。

 

「こちらの戦闘態勢は完全である——来い!」

 

 一瞬の静寂。

 転じ、次の瞬間。

 

「おおおおおおっ!!」

「はあああああっ!!」

 

 激突。

 追い縋るように、響き渡る衝撃音。

 

 挨拶がわりに交えられた剣と槍の一合。

 たった一合のその衝突で、赫と翠の魔力が可視化されるほどに迸り、衝撃波が撒き散らされた。

 店に降りたシャッターが軋みを上げ、街灯が耐えきれず次々と音を立てて割れる。

 

 吹き散るガラス片が地面に落ちるよりも先に、二人の戦士——ランサーとセイバーが動いた。

 

 滑るように地を這う槍の穂先が、アスファルトを布のように引き裂きながら迫る。

 対するセイバーは、大剣を低く構え迎え撃つ。槍は向かって左から迫る。合わせるように剣を左寄りに傾けた。

 

 槍を振り抜く——という瞬間、槍の穂先が跳ね上がる。それはあたかも、高々と刃が掲げられる断頭台のように。

 アスファルトの破片を巻き上げながら大きく軌道を変えて大上段へ。獲物を狙うカワセミのような振り下ろしで頭を狙う。

 

 けれどそれを待っていたかのように、セイバーは膝を折り、体をガクリと下げた。チリ、と、鬣のように逆立つ黒白の毛先を僅かに掠めて刃が通り過ぎた。槍を振り抜き、ガラ空きの胴が眼前に差し出される。

 

 好機。過たず差し込まれる剣——が届くよりも先に、ランサーは跳び立っていた。

 

 目を見開くセイバー。

 からぶる大剣を嘲笑うように、鮮やかに中空へと身を踊らせる幻想の戦士。振り下ろした槍を軸として、棒高跳びの要領で跳んだのだ。

 

 天へと逃れたランサーを追い切ること叶わず、大剣は空を切った。

 悠々と見下ろすランサーは、ポールダンスのように槍を持った手で体を支え、宙に止まったまま自由な足で蹴りを繰り出す。

 

 曲芸の体捌き。類稀なる脚力が生み出す強烈な蹴りがセイバーを背後から襲う。すんでのところで反転し片腕で庇うが、衝撃までもは殺しきれず大きく後ずさった。

 

「……へぇ、やるじゃねぇか」

 

 しかし、蹴り飛ばされる寸前、僅かな隙を突いて反転する勢いのまま投げられた短剣が、ランサーの腿を浅く裂いていた。

 

 感心と——疑問。

 傷は皮一枚を切る程度。されどそれ自体に意味がある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()。それは本来、()()()()()()()なのだ。

 

 矢避けの加護——そう呼ばれる、飛び道具に対する守護。広域を消し飛ばすような範囲攻撃を除き、遠距離からの攻撃を全て逸らしてしまう、反則じみた絶対防護。

 ランサーが生来持つそれが、いかなる術によるものか、いとも容易く貫かれた。

 

 それは眼前の敵がランサーの命に届く刃を持つという証明であり、だからこそ——

 

「——面白い」

 

 ランサーは昂ぶる。首元に刃を当てられて、その上で笑うのが戦士というもの。

 眼前の敵が自らの命に届く刃を持つというのは、吉報以外の何物でもなかった。

 

「俺は飛び道具の類にはめっぽう強いはずだったんだがな。一体どんなカラクリだ?」

 

 口を滑らせる、などとは思わない。けれども気になるというものだ。ランサーは問い、しかして当然、セイバーは煙に巻く。

 

「さて、な。当方は蹴りに対するささやかな返礼をしたまでのこと。それ以上のことはない」

 

 持ち主の元へと独りでに帰還する短剣を掴み取りながら、薄く笑ってみせるセイバー。それは挑発の笑み。知りたければ暴いて見せろと、言外に語る。

 

 双方浅いダメージを負い、けれど決定打には程遠く、互いに健在。それでも僅かな攻防が、相手を好敵手であると認めさせた。

 

 どちらともなく踏み込み、戦いは激しさを増してゆく。

 流れるような極限の槍捌き。変幻自在のそれは時に狼の牙のように突き立ち、時に蛇の尾のようにからみつく。

 対する剣筋もまた神域の技量。槍と剣。間合いの不利をものともせずに、獅子の如き王者の剣を叩きつける。

 

 瞬きの間に、百を超える打ち合い。槍が突けば剣がそれを捌き、剣が薙げば槍が跳ね上がって弾く。

 技量は拮抗し、千日手の様相を示し出した。

 

「こう言う趣向はどうだ、セイバー!」

 

 先に動いたのはランサー。直球勝負は互角。ならば、変化球はどうか?

 足首を狙う鋭い薙ぎを繰り出しながらも、左手を槍から離し、素早く指を動かす。

 

「ニワトコ、トネリコ、ナナカマド。燃え立つ火は蛇。絡む軛の縄。地を這う赤、血を伝う傷、名残惜しくも牙を突き立て!」

 

 吟じられる詠唱。それは遥か古の戦士の呪い。神代の文字を繋げ、一つの魔術、一つの呪詛、一つの誓約(ゲッシュ)として組み立てる言霊。

 

 言葉を紡ぎ終えれば、現象が応じる。

 薙ぎ払う槍をわずかに跳ねて鮮やかにかわして見せ、かえす刀で剣を振おうとしていたセイバーの眼前に、紅蓮の炎が吹き上がった。

 

「むぅっ!」

 

 セイバーは剣を振り切る手を止め、それを咄嗟に盾の軌道に変え、火を打ち払った。

 しかし——

 

「追い縋るか!」

 

 身を蛇の如く変えた火が剣に絡み、そのまま剣士の肉体を蝕もうと首を伸ばす。

 

「しぃっ!」

 

 だがそれを許すセイバーではない。

 燃え盛る火をそのままに全身を躍動させ、一回転するように剣を振るう。槍を構えて突撃の姿勢に入っていたランサーへと向けて、炎ごと剣を叩きつけた。

 

 ガイィイン、と耳障りな金属音。ランサーは剣を槍の手元で受けた。

 莫大な運動エネルギーが衝突し、拮抗——するかと思いきや、それはセイバーの剣へと伝う。

 

 それは決して力負けしてのことではない。

 あえて隙を作り、伝わった衝撃は魔力を伴い、火をも震わす。

 巨大な魔力の氾濫に耐えきれず、魔術の火は身を引き裂かれ、散り散りに消えた。

 

「今のはルーン……否、ケルトのオガムか。それも最源流たる大樹のそれ」

 

 間合いを計りながら、セイバーが呟く。その言葉には固い確信があった。

 

「雄弁の神オグマが生み出した神秘の文字。近縁となる文字を基盤とする魔術に比べ、文字単独では効果を発揮せず、一文を刻み誓約(ゲッシュ)となすことで初めて効果を発揮する。代わりに出力は高く、儀式向けの魔術基盤——それをこうも巧みに戦闘に用いるとはな」

 

 詳らかに語られる魔術の特性。初見のはずのそれに対する確かな知識に、ランサーは目を細めた。

 

「へぇ、一度見ただけでそれか。よくわかるもんだな?」

「叡智の結晶は伊達ではない、ということだ」

「なるほどね……なんであれ、知ってるなら話は早ぇ。こいつぁちょいとばかり気難しいが、パワーはとびきりだぜ!」

 

 言葉を終え、飛び込む槍使い。

 絶えず続く攻防に、閃光や炎熱が混じり始めた。

 雷鳴よりも早く振われる剣と槍。差し込まれる魔術の煌めき。一合ごとに衝撃が迸り、熱と光が撒き散らされる。

 

「はあっ!」

 

 一歩深く、セイバーが踏み込む。

 状況は手数で勝るランサーに傾いていた。

 乾坤一擲。深く踏み込み間合いの不利を潰す。オガムにより咲き乱れる光の茨が身を裂くが、必要経費だ。

 

「そう簡単にやらせるかっての!」

 

 しかしそうやすやすと逆転の目を与えるわけもない。

 ランサーは槍を短く握り、剣の間合いでの戦闘に備える。

 しかしセイバーの攻撃は、ランサーの予想を上回るものだった。

 

「喰らうがいい!」

 

 剣よりもさらに深く踏み込み、長物が完全に枷となる距離へ。

 アスファルトを踏み砕く、右足の踏み込み。前に深く体重がかかる。地面をすり潰しながら踵を軸に左足を開く。その力で骨盤を回し、上半身の捻り。

 音速を超えた拳が衝撃波を鳴らし、砲弾と見紛うボディーブローがランサーの鳩尾に深々と炸裂した。

 

「カッ——ハッ……!」

 

 強壮なる肉体も急所への一撃には耐えきれず、わずかのひととき呼吸が止まった。

 その隙を、過たずセイバーは撃ち抜く。

 

「おおおっ!!」

 

 左、右、左、右。見事なコンビネーションの連打。肝臓、膵臓、鎖骨、心臓。螺旋を描く神速の拳の連撃が、的確に急所を撃ち抜いてゆく。

 皮が裂け、肉が潰され、骨が割れる。瞬きの間に、ランサーは百を超える拳を受けた。

 

「せぇい!!」

 

 もう一度、深い踏み込み。身を深く、地を這うに等しい構え。拳を受けて浮き上がったランサーの体の下へと潜り込むような体制。

 

 一瞬の静止。後、爆発。

 

 割り砕かれたアスファルトの破片が宙空を舞う。

 見れば、踏み込んだ足にかかるエネルギーで、四条烏丸の交差点に小さなクレーターが生まれていた。

 

 しかしそれほどの大破壊もまた、単なる余波でしかない。

 足の下から伝わるエネルギーの反作用を膝に受け、超人的なバネがセイバーの身を跳ね上げる。

 空へと打ち上がる戦士の肉体。離陸に伴う爆発的なエネルギーは腿を伝い、上半身へと届く。丹田にて螺旋を描き練り上げられたそれは脈動する筋肉に乗って腕へ、拳へと突き進む。

 

 突き上げられた拳。天を裂くような、渾身のアッパーカット。

 全身を使って放たれたそれはもはや対空ミサイルの域。

 頭上にあるランサーの顎へと吸い込まれるように着弾した拳が、ランサーを吹き飛ばした。

 

「まだまだぁっ!!」

 

 烏丸通りを西へと吹き飛ぶランサー。

 それを追うように、四本の短剣が突き進む。

 拳を撃鉄とし、柄を殴って発射された短剣が、吹き飛ぶランサーを切り刻もうと迫る。

 

「沈め」

 

 飛翔する短剣をさらに追って、セイバーが飛来した。

 弾丸より急いて進む短剣よりもなお早く迫ったセイバーが、大上段に剣を構えて振り下ろす。合わせて飛来した四本の短剣と共に、瞬間的な飽和攻撃。

 絶体絶命の窮地に、けれどランサーは——

 

「やられっぱなしじゃぁ……」

 

 ——笑った。

 

「いられねぇよなぁ!!」

 

 空中。踏ん張りの効かないそこで、けれども強引に姿勢を整える。飛来した短剣の一本をあえて足に受け、その衝撃を軸に体制を転換。

 槍をぐるりと大きく回し、大上段からの振り下ろしを防ぐ。

 

「樫の檻よ、阻み、重なり、日の香を食んでは生い茂れ!」

 

 瞬間的に紡がれる大樹のオガム。

 アスファルトを引き裂いて樫の木が現れる。瞬く間に育ち巨木となった樫の枝に着地し、しなるそれを銃身として自らを弾丸に構える。

 

「お返しだぜ!」

 

 血塗れのまま、この上ない笑みを浮かべる。

 発射。そうとしか形容できない、愚直な突貫。けれどもそれで十分だった。

 雷の速度で突き進むランサー。手に持つ槍を突き出し、セイバーの心臓を狙い——

 

「こう言う趣向はどうだ、ランサー?」

 

 ビシリ、と。

 縫いとめられたように、宙に止まる。

 ランサーの左足。その足首に、氷の鎖が結びついていた。

 

 見れば、ランサーが飛ぶその下の地面。

 黒いアスファルトに、何事かの文字が刻まれている。

 氷の鎖はそこから伸び上がり、ランサーを拘束していた。

 

(イサ)(ハガラズ)(ナウシズ)

 

 それは神代の文字。北欧の大神が見出した神秘の極点。

 

「——原初のルーン。フィンブルヴェトルの氷の戒めだ。外から溶けることは決してない」

 

 ギャリギャリと音を立てて鎖が引かれ、ランサーが地に落ちる。

 原初のルーン。北欧に伝わる最強の魔術による氷の戒めが、ランサーの左足を氷に封じ、地面に縫いつけた。

 

「チッ、やってくれるぜ」

 

 忌々しげに、舌打ちをひとつ。

 

「戦士でありながら魔術に長けるのは、何も貴殿だけではないと言うことだ」

「はっ、意趣返しか——」

 

 ランサーが左足を動かそうとし——

 

甘ぇんだよ(大樹のオガム)

 

 氷が、音を立てて溶け落ちた。

 

「馬鹿な!」

 

 信じられぬ光景。外部からでは決して溶けえぬ、ラグナロクの予兆たる冬の氷が、いとも容易く溶け落ちる。

 

「惚けてる暇はねぇぜ!」

 

 飛び込むランサーが蹴りを繰り出す。長い足が繰り出すハイキックを、畳んだ腕で受け止める。

 

「——なるほど」

 

 チラリと見えた足の先。

 氷が絡み付いていたその足首には、ぐるりと一周するようにオガムの呪文が刻まれていた。

 

「対策済みだった、か」

 

 外部からの解除は不可能な氷の戒めも、あらかじめ置かれていた解呪には無意味だった。それは焼けた鉄に雪を被せるような物だ。

 

「なんとなく感づいてはいたのさ、テメェも()()()()ってことにな」

 

 槍を構えながらの種明かし。

 

「純粋な戦士にしちゃあ、魔術に対する理解も対処も妙に熟れてやがる。だからいざと言うときに備えて、体自体にオガムを刻んでおいたのさ」

「なるほど。仕込みを見逃した当方の落ち度か」

 

 諦観の声。それは二重の意味を持っていた。

 

 先のハイキック。刻まれたオガムの呪文は二つ。かかる災難を払う浄めの術式と、触れたものを蝕む病魔の呪詛。

 

 肺を蝕む水腫。血中を駆け巡る腐敗。心の臓を凍らす寒気と停滞。全身にのしかかる死病の重みに、セイバーは足を止めざるを得なかった。

 

「——その心臓、貰い受ける」

 

 その一瞬の淀みは、生死を分かつ境界線。

 

「〈刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)〉——!」

 

 ——真名解放。それは今や失われ、されど人々の祈りの中に息づく貴い幻想(ノーブル・ファンタズム)の真相。

 

 赤き稲妻が走る。それは敵対者の心臓を尽く穿つ因果逆転の一撃。

 先に心臓を貫くと言う結果をもたらし、後から槍を放つと言う原因を作る、権能一歩手前の運命そのものに対する攻撃。

 

 回避不可、絶死の一撃。

 迸る赤き閃光は、過たずセイバーの心臓を穿った。

 

 静寂が降りる。

 紅の槍に縫いとめられたセイバーは微動だにしない。

 瞬間の決着に、ランサーは息を吐く。

 

「……仕留める時は一撃で、さね」

 

 名残惜しくも目を伏せる。強敵との戦い。心躍る闘争の果て。あっけないほどに唐突な結末。

 甘美なる戦いの終わりを噛み締め、ランサーは静かに死体へ背を向け——

 

()()()()()()()()()

 

 ——聞こえるはずのない声が響く。

 

「なにっ——ガッ!」

 

 翠玉の大剣が、空気の壁を引き裂いてランサーへと投擲された。

 完全なる不意打ちに、然しものランサーも全く対応できず、その身に剣が突き立った。振り向きざまを射止めるように腹から背へと刃が抜け、耐えきれず膝をつく。

 

 そうされてなお、ランサーは目の前の光景が信じられなかった。

 己が宝具。一刺一殺の対人絶技。かつて己が友と己が子を貫いたそれを真正面から受けてなお、生きている存在がいるなどと。

 

「——不思議か? ランサー」

 

 胸から深紅の槍を生やして、けれどもなお壮健なるを示し、仁王立ちするセイバー。

 

「——否、アイルランドの光の御子、クー・フーリンよ」

 

 彼はランサーの真の名を見抜いた。切り札を見せ、なおも仕留めきれなかった。ならば、その名の秘匿を暴かれるは当然だった。

 

「……ああとも、不思議だぜセイバー。我が槍は確かに貴様の心臓を貫いたはずだが?」

 

 脂汗を額に浮かせながら、ランサーが問う。

 躱すでなく、防ぐでなく、己が槍を真正面から心の臓に受けたというのに、当たり前のように生き残るとは、いかなる了見だ、と。

 

「左様。貴殿の槍はたしかに当方の心臓を貫いたとも」

 

 しかし——

 ずるり、と、槍が引き抜かれる。血に濡れて艶かしく輝くそれ。

 見つめる叡智の結晶が、ぎらりと光を反射した。

 

「我らは仮にも英霊である。その生にて偉業をなし、その功績を持って英雄として世界に召し上げられた者」

 

 それが。

 

たかだか心の臓を貫かれた程度で(竜種改造: E X)何故死ぬ道理があるだろうか(原初のルーン)?」

 

 猛き竜の心臓に空いた穴が、煙を上げて塞がっていく。

 竜の生命力と治癒のルーンが、瞬く間に致命傷を癒やし、病魔のオガムさえついでとばかりに退けた。

 

「ハ、ハ、ハハハハハ!」

 

 その答えに、ランサーは笑う。

 

ああとも(戦闘続行:A)違いねぇ(大樹のオガム)

 

 一息に剣を引き抜いたランサーが立ち上がる。傷口に光るオガムの呪文が、すぐさま傷を塞いだ。

 

「さあ、続きと行こうや‼︎」

 

 どちらともなく、お互いの獲物を勢いよく投げ返し、駆け出す。

 夜は深く、明けは遠く。

 戦いはまだ、始まったばかりだ。

 

 

 コンビニエンスストア。

 烏丸通りに面したそこは、昼間こそ多くの人が入れ替わり立ち替わり訪れど、夜も深くとなれば、来客は数少ない。

 

 BGMとして放送される流行りのポップミュージックばかりが、気怠げな店内に音を立てる。

 やる気なくレジに突っ立つ店員を他所目に、窓際に並べられた雑誌を立ち読みする客。腐り果てるほどに日常的な風景。けれどそれが、薄氷の上に成り立つ稀有なる平穏であったなどと、気付くのはいつだって後からだ。

 

 ——ガシャァァアアン!!

 

 唐突な、けたたましい破砕音。

 誰もが理解せぬうちに、その大惨事は巻き起こった。

 

 店の入り口に面した窓。それを豪快に吹き飛ばしながら、凄まじい勢いで何者かが入店した。立ち読み客のすぐ横をすれ違うように吹っ飛んで、店内の棚を二つ三つと薙ぎ倒し、冷蔵コーナーへと突っ込むそれ。砲弾のような速度でやってきた何者かは、冷気を逃さぬように閉じられたガラス戸に凄まじい勢いで叩きつけられる。一度目が鳴り止まぬ内に、二度目の破砕音。当たり前のようにガラス戸を突き破ったそれは。並べられた酒缶酒瓶をクッションとして、ようやく停止する。

 

 一瞬の静寂。時が止まったように、店内がしんと静まる。

 あまりの出来事に身を竦ませることさえもできず、ただただ呆然と立ち尽くしていた客と店員が、錆び付いたブリキ人形のような速度で事故現場へと目線を向けた。

 

 がらんがらんと音を立て、名残りのように壊れた棚から酒瓶が落ち、止まる。

 瞬く間に引き起こされた惨劇により、店内はめちゃくちゃだ。

 

 跡形もなく吹き飛び、内向きに破片を撒き散らした窓ガラス。ひしゃげて倒れた商品棚。床に散乱する無数の商品。砕けたガラス戸と、床に落ちて割れた酒瓶。匂い立つアルコール。軽快なBGMだけが、我関せずと鳴り続けていた。

 

 車でも突っ込んできたのかと思わせる破壊痕。けれど店内の人間が見つめる先に、そのようなものは存在しない。

 突っ込んできたのは車でもバイクでも、ましてや自転車でもなく。

 ただ一人の——人間だった。

 

 全身に深々と刻まれた傷からぼたぼたと血を垂らし、青染の戦衣装を赤く濡らす男が、冷蔵棚に刻まれたクレーターのようなへこみの中心に、ぐったりと手足を投げ出して座していた。

 

 仰向けに突っ伏すその人物は、ピクリとも動かない。あるいは、もはや命なき骸のように。

 事件か、事故か。何事にしろ、人死である。

 立ち読み客だった男はそう信じて己の携帯端末を取り出す。——しかし。

 

 ()()()、と。

 

 なんでもないように、男が起き上がる。上半身をゆっくりと起こしたその男は、血まみれの手で落ちた酒瓶の一つを拾った。かろうじて無事であったそれを握ると、無造作にべきりと捻りあげる。

 

 見れば。

 それは瓶の封を解いたのではない。

 瓶の首。ガラスでできたそれをいとも容易くねじ切って、無理矢理にこじ開けたのだ。

 

 流れ出す眩むような酒気。蒸留酒だ。芳しく香るそれを、男は浴びるように一息で煽った。

 気付け代わりの一杯。一瓶を流し込むように飲み干した男は、大きくため息をつく。

 

 今にも死に絶えそうな見た目であるというのに、生気に満ちた所作。己が死ぬなどとはかけらたりとも思ってはいない、死の淵にあってなお溢れ出る自信。

 

 垂れ落ちた青の髪を血混じりに掻き上げて、男は頬を裂いて笑う。

 

「野郎、やぁってくれるじゃねぇか」

 

 跳ねるように起き上がり、その勢いのまま駆け出す男——ランサー。

 偉大なりしアイルランドの光の御子。クランの猛犬(クー・フーリン)の名を背負いし大英雄は、かつてない闘争に、たまらぬ歓喜の叫声を上げた。

 

 一筋の青き旋風となりて、クー・フーリンは飛び出した。音速を超えるスプリント。たまらぬ衝撃波に野次馬の如く見物していた客が顔を覆う。次の瞬間には、クー・フーリンは店外を駆けていた。その背に携帯端末のカメラがフラッシュを焚くが、もはやその光さえも届くことはなかった。

 

 鋼のブーツに包まれた足が大地を叩くたびに、アスファルトに足型の凹みが刻まれていく。割り砕かれたアスファルトの破片が砂塵の如くに舞い上がり、克明に刻まれた足跡は怪物のそれのよう。

 

 おお、偉大なりしアルスターの勇者。強壮なりし、凶相なりし、狂躁なりしクー・フーリン。戦場の支配者。精霊を恐れさす者。瞳に七つの宝石を抱き、神の熱をその血に宿す光の戦士。

 

 古の時代。若きクー・フーリンはただ心に灯した怒りに任せるだけで、戦士の中の戦士のみが知る鮭跳びの秘奥を己が足に宿した。

 ならばその足は神話の足である。ただの踏み込みがアスファルトを深々と貫き、割り砕いては足跡を刻むのはあまりに当然のことであった。

 

「ハハハハハハハ!!!!!」

 

 絶叫の如くに笑う。クー・フーリンはたまらなく気分が良かった。かつてない強敵。あるいは彼の兄弟弟子、フェルディアにさえも匹敵する真実の戦士との戦いだ。

 不撓不屈、不死身の英雄。ああとも、それでこそこのクー・フーリンの相手に相応しい。

 

 道路の遠く先。視線の果てには、先程己を吹っ飛ばしてくれた下手人の姿が。

 迎撃するように待ち構える、氷の益荒男だ。

 

「叩き込む!」

 

 振りかぶられる拳。それが振われるたびに、青緑の燐光を瞬かせながら短剣が射出される。

 臓腑を貫かんと猛るそれを前に、クー・フーリンは吠えた。

 

「カァアッッッ!!!!!」

 

 見よ。

 一喝。ただの一喝が、音速を超えて飛来する短剣を吹き散らした。

 

 クー・フーリンは笑った。こんなもので、こんな挨拶がわりの一撃で、傷を負っている場合ではない。そら、こんなにも上等な獲物なのだ。そのとっておきで俺を貫いて見せろ。

 

「お返しだ——そぉらっ!」

 

 轟、と音を立てて巨大な物体が宙を舞う。時速にして五百キロメートルを超える速度で風を切り裂いて飛来するそれは、空を飛ぶことなどあり得るはずもない、重量一トンを優に越す鉄の塊——自動車であった。

 

「もう一丁!」

 

 クー・フーリンは路肩に止められていた自動車を無造作に掴む。クー・フーリンはこの車という乗り物が嫌いではなかった。真新しく、洗練され、それでいて男臭くて、こうして掴めば球にもなる。まことよくできた乗り物であった。

 

 五指が触れれば、鋼鉄のはずのボディがぐしゃりとひしゃげ、指先が深々と食い込んだ。そのまま力を込めれば、車体がぐわんと宙に浮く。軽々と掴み上げたそれを、クー・フーリンは思い切り振りかぶった。

 

「オラァッ!」

 

 腕が振り抜かれる。唸りを上げて吹っ飛んでゆく車を見送ることもせずに、クー・フーリンは次の車を掴み上げた。投球練習でもするかのように、次々と車を投げ飛ばしてゆく。

 

「——せい! ——やっ! ——よいしょっと!」

 

 三度の遠投。先の二度と合わせ、都合五つの乗用車がセイバーを襲う。

 

 現代技術の粋を集めた頑丈極まる鋼鉄の騎馬。高張力鋼板のボディに、合金の塊である心臓部たる内燃機関。さまざまな事故を想定され、強固な耐久性を持たされたそれであるが、古の英雄たちからすれば、触れれば砕ける氷細工と変わりない。

 

「ぜぇえい!」

 

 一閃。

 巨大な鉄の塊も、翡翠の大剣が振われれば、熱したナイフでバターを切るかのようになんの抵抗もなく両断された。

 

 切り裂かれた車の残骸がセイバーの背後に転がって行き、遅れて爆発する。

 二度三度と剣を振るい、その度に新たな廃車が形成され——五度目。

 

 剣を振りかぶり構えるセイバーの意表をつくように、先手を切って飛来する車が爆発した。

 赫赫たる爆炎の内より飛び出るのは、青藍鮮やかなりし幻想の戦士。飛来する車の影に隠れて、クー・フーリンは迫っていた。

 

 構えた槍を一直線に振るい、セイバーの首を狙うが——浅はかなり、クー・フーリン。

 

(パース)(エイワズ)(マンナズ)

 

 セイバーの首に槍が突き立ち——幻影が砕け散る。秘密、保護、人間を意味する三種のルーンによって構成されたそれは、クー・フーリンの目をしてなお触れる瞬間まで実像と見まごうた見事な幻術だった。

 

 クー・フーリンは欺かれた怒りとともに、その業の見事さに敬意を覚えていた。

 逃げの虚偽であれば耐え難い屈辱を感じただろう。けれどもそれが必勝を期した仕込みであると理解したからこそ敬意を抱き——だからこそ、クー・フーリンは気づくことができた。

 

「喰らえ!」

 

 その幻影の半歩後ろで待ち構えていた、セイバーの一撃を。

 

「やるじゃねぇか!」

 

 紙一重の気付き。ほんの一瞬——いやさ、百億分の一秒さえも遅れていたのならば、クー・フーリンの上半身は哀れ下半身と泣き別れになっていただろう。

 

 破片となってなお神秘の霞となりて現実を秘匿する幻影の、その隙間に見える逆袈裟の切り上げ。迫る翡翠の大剣を、槍の上を滑らせるようにしていなす。

 

 刹那の攻防。

 滝の如くに火花が散り落ちる。

 

 それが地につくよりも先に、クー・フーリンは身を屈めた。流れ落ちる火花の、光の乱反射に身を隠すように。

 火花の滝を裂いて、蹴り脚が突き出される。地べたに手をつき、這うような姿勢から、顎へと駆け上がるハイキック。

 

 わずかに背を反らせ、顎を掠めるように蹴りを避けたセイバーは、腰から抜き放った短剣を三本投擲した。

 牽制の一撃。そんなものはどうとでも対処できる。だからこそクー・フーリンはそれを無視して槍を突き出し——それこそが狙いだったと気付かされる。

 

Th(スリサズ)

 

 スパーク。

 短剣の腹に小さく刻まれた、雷のルーンが弾けた。ほとばしる電流がクー・フーリンの体をわずかのひととき痺れさせる。

 

 そこに差し込まれる絶死の一撃。首を落とす横凪の一刀。回避も防御も不能である。死せよ英雄、落日の時だ——

 

「——とは、いかねぇさ!」

 

 クー・フーリンの腹部。刻まれていた大樹のオガムが輝く。それは奇しくもクー・フーリンを痺れさせたのと同じ雷の呪文。

 ただし意味するのは雷鳴ではなく——

 

「反転起動」

 

 ——磁力。

 

「があっ!?」

 

 剣を振りかぶるセイバーの背に、鉄の塊が激突した。それは先程セイバー自身の手によって両断された自動車だった。

 

 ——鋼避けの加護。クー・フーリンの腹に刻まれていたのはそれである。

 磁力によって斥力を生じさせ、武器を弾く魔術。それを反転させ、引力によって鉄塊たる自動車の残骸を引き寄せたのだ。

 セイバーの刃が鋼ではなく、結晶のそれであったからこそできた芸当である。

 

 単純な質量の暴力に襲われたセイバーは耐えられず吹き飛ばされ、正面にいたクー・フーリンと揉み合うように地に転がった。

 備えていたクー・フーリンはそのまま寝技に持ち込み、腕の関節を極めようとする。

 

 槍を投げ捨て、もつれあいながらも剣を持つ右手にかぶりつくように組みついて見せた。腕を捻り上げ剣を手放させると、そのまま裏十字固めへ。

 腕を起点に相手をうつ伏せに引き倒し、肩を跨ぐようにしてのしかかった。

 

「ぶっ壊してやらぁ!」

 

 腕を抱え、勢いよく体を後ろに反らす。肘関節を破壊し、そのまま右腕を引きちぎるほどの力で。

 けれども、相手は不死の怪物である。人を壊す程度の技が、通用などするはずもない。

 

「おおっ!!」

 

 雄叫び——そして、剛力爆発。

 完全に極まった裏十字を、けれどもただ剛腕ゆえに破壊する。

 

 腕にクー・フーリンがしがみつくままに、それを振り回すようにして姿勢を反転。勢いのままにクー・フーリンの背をアスファルトに叩きつけた。

 

 カハッ、と嫌な音を立てて空気が吐き出された。肺が強引に押し潰されたのだ。

 思わず緩んだ拘束。それを見過ごすはずもなく、するりと腕が引き抜かれる。

 こうなれば、隙を晒したのはクー・フーリン。いち早く体制を立て直し、飛びかかるセイバー。

 

 胸に向かって振り下ろされた短剣を、クー・フーリンは掌を盾にして受け止めた。肉を裂く刃の感触。貫かれ、裂けた皮膚から、ししどに血潮が滴り落ちる。

 盾とした手は徐々に押し込まれていく。刃が、クー・フーリンの胸に迫った。

 

「追い詰めたぞ」

「それはこっちのセリフさ」

 

 それが単なるブラフではないと気づいたセイバーは、遮二無二転がるようにクー・フーリンの上から飛び退いた。

 瞬間、セイバーが元いた位置を貫くように、紅の槍が飛んでくる。

 

「おかえり、相棒」

 

 クー・フーリンは槍を掴み取る。ゲイ・ボルク。紅の魔槍はクー・フーリンを真なる主と認めている。たとえ地球の裏側にあろうとも、彼に呼ばれれば飛んでその手に収まるだろう。

 

 跳ねるように立ち上がったクー・フーリンがセイバーへと突貫する。刺突、殴打、薙ぎ払い。流れるような槍の蓮撃。しかしその一つとしてセイバーの体には届かない。

 二本、三歩。下りながらの回避。鋭く穿つ突きを胸鎧に滑らし——反転。なめらかな踏み込み。

 

 けれどもその手にあるのはせいぜい短剣。間合いが足りぬぞ。どうするつもりだ?

 その問いの答えは、すでに手中に握られている。

 空手の振り抜き。けれどその手のひらの内側には、輝くルーン。

 

(ライゾ)

 

 刻まれたるは車輪のルーン。旅、移動を意味するそれが齎す効果は一つ。

 

 すなわち——空間転移。

 

 一秒の隔たりすらもない、文字通りの瞬間移動。

 時空を歪ませ、その手の内に必要なものが運ばれる。

 無手だったはずの手のひらに握られたのは——燐光迸る翠玉の大刃。

 間合いの不足は瞬く間に埋まり、防ぐ槍を弾き飛ばしながら、緑光振り撒く結晶の大剣が振り抜かれた。

 

 が。

 

 切り裂かれたるは、精巧なる木偶人形。

 なるほど——とセイバーはひとりごちる。

 意趣返し、か。

 なれば次に差し迫るのは——

 

「ご名答だ!」

 

 身代わりの人形を砕きながら、紅の槍が飛び込んできた。

 けれどもそれは単なる猿真似。それで獲れるほど、この首安くはなかろうぞ。

 

「そんなことは百も承知さ」

 

 槍を弾き、そして気づく。飛んできたのは槍だけであった。柄に刻まれた自律起動のオガム。その持ち主はどこにいる。思わず後ろを振り向き、けれどそこに姿はなく。ならば右、左、あるいは上か——

 

「残念、どれもハズレだ——!」

 

 ビシリと大地がひび割れる。次の瞬間、地面が爆発した。捲れ上がるアスファルト。煙立つ砂塵の中から、痛烈なアッパーカットが炸裂した。

 

 ゲイ・ボルグが帰還した時、掴み取ったのは人形である。本体は避けるために意識を逸らしたセイバーの隙をついて、大樹のオガムにより地中に潜航していたのだ。

 

 一撃を入れながら地上に躍り出たクー・フーリンは、槍を掴み取り、そのまま攻めに出る。

 丹田へ向けた抉るような突き。それはぞぶりと肉をかき分け、臓腑を貪り——背骨で止まる。

 

「捉えたぞ」

 

 恐るべきことに、セイバーは気合によって背骨に固く力を込め、槍を受け止めて見せたのだ。

 ゾクリと肌が泡立ち、咄嗟に槍を引こうとするが、抜けない。肉と臓腑が強固に絞められ、食い込んだ槍の穂先は囚われた。

 

 そして、大上段より剣の落雷が降り落ちる。

 

 クー・フーリンは槍を手放した。脳によらぬ、直感の判断。けれどもそれは何よりも正しい決断だった。

 

 叡智の結晶がギラリと輝く。隆起する筋肉は山の如く。伸長する靭帯はワイヤーロープよりも強い。灼熱の血潮が全身を駆け巡り、心の臓から生み出された爆発的なエネルギーが集約する。降り落ちる瀑布よりも圧倒的な、力の濁流。堰き止められていたそれが、今この時解放された。

 

 剣閃——厳かなる一撃。

 

 ——例えるなら、それは隕石の落下に似ていた。

 おお、その一撃こそは、彼が剣の英霊(セイバー)たる証明に他ならぬ。まさしく神話に刻まれるが如き、規格外の大斬撃。

 

 重く、どこまでも力強い一刀。英雄譚に相応しい超級の大断絶は、避けたクー・フーリンの背——聳え立つ五階建てのビルを、いとも容易く両断して見せた。

 

 すでに明かりはなく、ただ静かに佇んでいたそれが、轟音を立てて崩落する。低く、重く、腹の底に轟くような、破滅的な音色だ。粉塵が撒き散らされ、割れたガラスの破片と、崩れたコンクリートの塊が降り注ぐ。

 まるで発破解体のような埒外の大破壊が、京都の夜に深々と刻まれた。

 

 宝具ならぬ、ただの一刀がこれか。

 はは——思わずクー・フーリンの口から笑いが漏れた。どこまで俺を喜ばせてくれれば気が済むのかね——相手が強ければ強いほど、相手が理不尽であれば理不尽であるほど、その戦いは極上の法悦であり、その勝利は至上の名誉となるのだ。

 

「今度はこっちの番だぜ」

 

 クー・フーリンは無理矢理に槍を引き抜き、大きく飛び退る。穂先に血の滴るそれが、妖しく光を反射していた。

 

 セイバーは治癒のルーンによってすぐさま傷を癒した。反則じみた耐久力だ。さてはて、どこまですれば殺せるのか。心臓を貫いてさえ殺せぬのだ。頭を砕くか、首を刎ねるか、寸分も残さず切り刻むか、あるいはその全てか。

 

 瓦礫が降り注ぐ中、微動だにせずクー・フーリンは構える。一拍の間。次の瞬間——セイバーの眼前に、槍の穂先があった。

 

 縮地と見紛う無音無拍子無刻の踏み込み。首を捻り、かろうじて躱したセイバーの腹に、痛烈な蹴りが突き刺さる。

 

 腹部が爆発したかと錯覚するような痛烈な蹴り。

 吹き飛ばされたセイバーは水切りのように道路を跳ね転がり、突き刺さるように壁を砕いて建物に叩き込まれた。

 

 五条烏丸の交差点。二十四時間営業のファーストフード店だ。

 壁を突き破ったことで衝撃を減衰し、空中で体を捻ってカウンターテーブルの上に降り立つセイバー。突然の大事故に騒ぎ出すまばらな客ら。気遣う余裕などありもしない。セイバーはただ一言「逃げろ」とだけ告げて、迎撃の構えをとる。

 

 次の瞬間、セイバーを追い縋って飛来する蒼き猛獣。頭蓋を破壊せんと狙う先制の槍を辛うじて弾けば、クー・フーリンもまたカウンターテーブルに降り立ち、見合う姿勢へ移行した。

 

 一瞬の停滞。狭々しいテーブルの上を舞台に、ジリジリと間合いを図り合う。

 何が何やらわからぬままにも、この憩いの場が戦場へ変わってしまったことを理解した店内の人々が、慌てて頭を低く伏せた瞬間。

 

「——シィッ!!」

 

 鋭い吐息。込められる力。クー・フーリンの全身が爆発にも似て躍動する。

 

 尋常ならざる暴威を撒き散らす、紅の槍。

 それは極小なる深紅の台風だった。

 竜巻を模すように、円を描き振り回される槍。わずか数秒のうちに、幾千の斬撃が繰り出された。

 

 紛れもない死の暴風。

 巻き込まれた人間にとってなによりも幸運だったのは、彼らが立っていた場所が背の高いカウンターの上だったことだろう。

 身を低くした彼らの頭上を舐めるように過ぎ去った死の暴風は、店の半ばより上を完全に消しとばした。

 

 切り裂かれ、粉微塵となった瓦礫を吹き飛ばしながら、二つの影が再び道路に躍り出る。

 竜巻の如き刃の奔流さえも、セイバーを殺すには至らなかった。

 

 まばらに通る車を飛び石のように足場にしながら、幾度も宙を舞いつつ争い合う二人。

 中空で身を捩り、痛烈な斬撃を叩き込むセイバー。防御してなお弾き飛ばされたランサーは並木をへし折りながら衝撃を殺し、再び道路に降り立った。

 

 追うようにしてセイバーもまた降り立つ。

 その姿は血に塗れ、全身に無数の切り傷を負っていた。肌が剥がれ、肉が削がれ、骨の白さえ見えている。痛々しい体。けれども、致命傷は未だ一つとしてない。ルーンが瞬けば、速やかに全ての傷が消え去った。

 

「仕切り直しだな」

 

 クー・フーリンは言って、槍を手放した。紅のそれが光の粒子となって掻き消える。

 

「剣比べと行こうや、伊達男」

 

 掲げられた手に、光が満ちる。

 

「来い、クルージーン」

 

 

「『——イエス、マイマスター』」

 

 

 クー・フーリンの呼びかけに、彼方より凛と響く貴女の声が返る。

 

 瞬間——雷鳴、轟く。

 刹那の閃光。掲げられた手の内に、銀色の雷が降り注いだ。

 

 その内から現れたるは、一振りの剣。

 柄頭に宝石が埋め込まれた、見事な装飾の銀の柄。美しい彫金の十字の鍔。その先より伸びる、光り輝く耿々の刃。それは鋼の煌めきではない。

 それは刀身自体が光そのもので構成された、神秘の剣。

 それは握る戦士の名誉に相応しき、神話の名剣。名を——

 

「クルージーン・カサド・ヒャン……」

 

 硬き頭の鋼、または硬き頭のその硬きを示す名。類稀なるしなやかさと、比類なき切れ味を持つ光の剣。クー・フーリンが持つ無数の武具の中でも、特に名高きそれである。

 

「知っていたか、我が剣の名を」

「知るともさ、アイルランド最大の英雄。貴殿がその剣で何を切り裂いたかも」

 

 かつて。

 クー・フーリンは耐え難き怒りを以ってその剣を振るい、三つの丘を切り裂いた逸話を持つ。

 ならばそれは、正真正銘の貴い幻想に他ならぬ。

 

「『勤勉ですね、オーディンの子。そう、私こそクルージーン・カサド・ヒャン。硬き頭のその硬きを示す幻想の剣。戦士の中の戦士、英雄の中の英雄たるクー・フーリンに振われ、三つの丘を切り裂いた刃』」

 

 再び。

 麗しき、貴女の声が響く。それは驚くべきことに、クー・フーリンの手元——光り輝く剣自身から響いていた。

 

「……ほう、神秘の剣とは聞き及んでいたが、よもや知恵ある武具(インテリジェンス・ウェポン)であるとは」

 

 それは神秘の中の神秘。生きた幻想の中でも特級の特級。真なる竜種に匹敵。あるいは凌駕する究極の幻想種の一つ。

 擬似人格を転写された魔術礼装などとは訳が違う。古の妖精、あるいは名を失い零落した神霊がその姿を鋼に変えた、生ける武具だ。

 

 伝承に曰く。クー・フーリンは、世にも珍しき言葉を話す剣を持つという。クルージーン・カサド・ヒャンは、まさしくそれであった。

 

「『イエス。まさしく私は妖精の剣(インテリジェンス・ウェポン)。あなたが私を見る目には敬意が宿っている。それは正しいと私は告げましょう。あなたも我が主に及ばぬまでも良い戦士だ。良い戦士は良い武器を持ち、また良い武器を見抜き、良い武器を敬うものだ』」

「お褒めに預かり恐悦至極とでもいうべきか?」

「真面目に取り合うなよ、セイバー。こいつは際限なく調子に乗るんだ。いつまでもしゃべらせていては興が削がれる」

「『何を言うのですか、クー・フーリン。私と言う至上の武器を知りて敬う良き戦士ですよ。あなたも私の素晴らしさを伝えるべき場面ではありませんか?』」

「黙れよクルージーン。ペラペラと喋り、戦に水を刺すのが名剣の仕事か?」

 

 クー・フーリンの声が冷える。細められた目。凍える視線がクルージーンを射抜いた。

 剣如きが戦の邪魔立てをしようなどと頭が高いにもほどがある。苛立つ声で問えば、クルージーンは慌てて弁明した。

 

「『ノー。剣の仕事はその敵の血で身を染めること。クー・フーリン、失礼を。興奮してしまったようです。けれどどうか許して欲しい。あなたがこの身を握ることを、私は常に望んでいた。だと言うのにもかかわらず、華やかなりし戦の気配に、あなたの手には槍ばかり。よもや私を価値なき剣と断じたかと恐れていたのです』」

「はっ、嫉妬する剣とは傲慢なことで。心配はいらん。お前の出番が来たぞ。そら、お望みの戦だ。相手は極上の英雄。殺しても死なぬ不死の偉丈夫。類稀なる好敵手だ。くれぐれも、本気を出せよクルージーン。今宵、新たな神話が築かれる」

「『イエス、クー・フーリン。言われるまでもなく。私はこの上なく昂っています。戦いに次ぐ戦いを。ああとも、古き幻想すぎ去し当代にて、されどこれほどまでの戦に恵まれる。ああ、クー・フーリン。あなたは運命に愛されている』」

「違いねぇ。……そら、開戦だ!」

 

 差し迫る翠玉の大剣。袈裟斬りに振り下ろされるそれを光の剣が見事に受け流す。

 舞い散る燐光。光の火花。

 鮮やかに、舞うが如く。クー・フーリンは剣を振る。

 

「シィッ!」

 

 炯然、迸る光の刀身。

 あまりにも鋭い太刀筋。瞬く間に三度閃光が煌めいた。

 キンと高い音がして、二つの刃が防がれる。けれども一筋が紙一重で守りを抜いて、セイバーの右頬を浅く裂いた。

 だらりと垂れる血。次いで、右方の街路樹が崩れ落ちた。

 

 ゆっくりと、見せつけるように。斜めに走る、まるでもともとその形であったかのように滑らかな切り口に合わせて、ずるりと滑り落ちてゆく木の残骸。

 三つの丘を切り裂いたクルージーン。なるほど、その切れ味は本物だ。

 

「早さ比べか、悪くない」

 

 言って、セイバーは半身になり、顔の横に刃を構える。先端を正面に向けたそれは、雄牛の構え、あるいは霞の構えに似た、上段の構え。

 対するクー・フーリンは剣を片手で持った。横腹に刃をつけるような、変則の脇構え。片手を遊ばせるのはオガムを警戒させるためか。

 

 一瞬の硬直。後、煌めくは幾千の剣閃。

 瞬きの間すらもなく、英雄共の剣が交差する。

 震えるほどの剣気。魂さえも打ち砕くほどに猛り狂うそれ。

 

 光の刃が夜を切り裂く。闇を照らす幻想の極光。振り撒かれる光の乱反射は死と同義。剣閃。残光。砕ける光の破片すらも刃である。触れれば骨まで絶たれるそれをけれども完璧に捌き切ってみせるセイバー。

 

 ひゅう、と口笛が漏れた。たまらないな。クー・フーリンは思う。

 己の全力の攻勢を、こうも容易くいなしてみせるか。

 

 避け、躱し、撃ち合い、いなし、一筋の傷さえ負わずに防ぎ切った。瞠目に値する技量だ。こと剣に限れば、己が養父たるフェルグスさえをも超えるだろう。

 ——いや。あれが使うのはもはや剣ではないが。

 などと、懐かしい記憶を思う。

 刹那の攻防の内には、得てして思考は冴え渡る。激闘であればあるほどに、澄み渡る思考は一秒を切り刻み、時にこうして、感傷を思うことさえ許してくれる。

 

 だが。

 

「——おおっ!!」

 

 今はそれさえも余分の澱み。望む強敵との大いなる戦いだ。今この時だけを全身全霊で味わいたい。

 クー・フーリンは雄叫びをあげ、さらに剣を振るう速度を増す。

 

 ——全霊の一刀。

 血中に宿る神性が励起する。刹那の膨張。英雄の光がごく僅かに、けれども確かに額からほとばしり、宝玉の瞳が太陽の輝きを宿す。

 爆発する筋肉。しなやかにして強靭なる腱が引き絞られ、全身に充つるエネルギーが集約された。

 

 一瞬の静。後、赫灼の動。

 

 無限に切り刻まれた刹那の中を、それでもなお目にも止まらぬ速度で裂いてゆく光の奔流。

 ——見よ、その絶技。千京分の一秒の誤差さえもなく、ほとんど同時に放たれた八つの斬撃は、まるで花開く花弁のように。

 この上なく美しく、そして恐ろしい神域の技。

 全方位より迫る刃は一つ一つが幾千億の死を宿す。

 

 逃れえぬ飽和攻撃。

 けれどそれでも足りぬのだろう? クー・フーリンは思う。この程度で死ぬ男ならば、とっくの昔に殺しているとも。ならば、どう切り抜ける。さあ、見せてみろ——!

 

「我が剣——砕くこと能わず」

 

 啖呵を切って、セイバーが気炎を上げる。

 英雄よ、お前の見立ては正しいとも。だが足りぬ。それでもまだ足りぬのだ。

 この程度で殺し得ぬ。ああとも当然。しかしならばなぜ、切り抜けてみせろなどと大言壮語が吐けたものか。

 

 切り抜けねばならぬのはお前だろうよ、クー・フーリン。

 

「おおおおおおお!!!!」

 

 雄叫び。そして、迎撃の一刀。

 かくも精密に、一切の逃げ場なく展開された神域の八つ光。精細、流麗、巧緻の極み。なんとも見事な技だろうさ。だが、それはあまりに靭さがたらぬ。

 

 咆哮する竜の心臓。吐き出される息吹は竜の炎。溶け落ちる鉄よりもなお熱く迸る肉体が、限界を超えた大力を生み出す。巌の骨さえ軋み上がる筋肉の躍動。高らかと振り上げられた翠玉の大剣が、雪崩の如くに振り下ろされる。

 

 刮目せよ、アイルランドの光の御子。アルスターの勇者。英雄が焦がれし英雄よ。真の剣とはこういうものだ——!

 

 一刀、全断。

 

 迫り来る光の開花を、けれども繊細に過ぎると嗤い、一刀に斬り伏せる。剛剣の極地。王者を超えた覇者の一撃。

 

 砕け散る光の破片を吹き飛ばしながら、迫り来る、剣の王。

 

「受けて見せろ!」

 

 光さえ穿つ、貫きの剣。ビルさえ砕いた破滅の一撃。

 真正面から、心臓へと向かう翠玉の刃。

 攻め手が受け手へ。瞬く間の転換。

 

 全霊を尽くした一撃を、予想を超えて真正面から打ち破られたクー・フーリンには、防御の術などありはしない。

 ——そう、クー・フーリンには。

 

「『——カシ、サンザシ、イチイの木。茨の鎧。死の内の生。朽ち果てる枝のその芽吹き。白き女神よ、その手の内より逃げ去ることを赦し給え』」

 

 紡がれる、聖なる守護の詩。

 クー・フーリンに出来ずとも、その右手には絶世の名剣。ただ切るのみの鈍とは訳が違う。

 物言う口はなんのためか。古くは畏くも神の座にありし妖精の剣なれば、戦においては神聖なりし詩を吟じ、担い手の死地を切り開く。

 

 紡がれる麗しの声。光の刀身に大樹のオガムの祝詞が浮かんだ。神秘の言霊が響き渡れば、現象が呼応する。

 差し込まれるは枝の守護。

 心の臓を貫かんと迫る大剣の鋒を包むように、虚空よりイチイの枝が生い茂る。

 母のように強く、女神の如く嫋やかに咲いたそれは、刃を嗜めるように絡めとり、死に至る一撃を紙一重で止めて見せた。

 

「『戯れが過ぎます、クー・フーリン』」

「そう言うなよクルージーン。死の淵を踊る瞬間こそ戦士の誉れだ」

 

 クー・フーリンは楽しげに言って、クルージーンを構え直す。

 

「頼りにしてるぜ相棒。この死線を乗り越えるにはお前が必要だ」

「『口説き文句がお上手だ。仕方ありませんね、クー・フーリン。ああとも、あなたはそういう英雄(ひと)だ。血と屍が横たわる戦女神の褥にて、死と殺戮とさえ閨を共にしてみせる。その睦言を、誰よりも近くで聞かせてもらいましょう』」

 

 言葉を交わし終え、再び死地へと駆け込むクー・フーリン。戦いはどこまでも苛烈に、加速度的に激しさを増してゆく。

 聖杯戦争。その幕開けを告げる戦いは、未だ、終わることなく。

 賛歌のごとくに、月へと捧げられていた。


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