「では授業を終わります。次の時間は体育ですので、着替え終えた人は体育館へ移動して下さい」
先生の言葉を合図に、僕たちは動き始める。
女子は着替えを持って更衣室へ、男子はそれが終わるまで雑談をしたり、着替える準備をしたりして待っていた。
そうして1分後、女子は全員移動を終わらせ、男子は着替え始める。
いつもだったらそのはずだった……、しかし――
「むにゃぁ……」
乃木さんが、まだ寝ていた。
皆起こそうとはしているけど、強くは出れないといった様子だった。
「仕方ない……よね」
僕は、意を決して乃木さんに近づく。
声をかけるだけだと起きそうにないし、仕方なく揺すって起こすことにした。
なんだか緊張するし、皆が見てる前で恥ずかしさもある。
だけど、このままだと僕を含めて男子全員が授業に遅れてしまう。それだけは絶対に避けたかった。
ただ肩を揺するだけ。簡単なことだ。
そう自分に言い聞かせて、僕は乃木さんの肩に手を置いた。そして――
「乃木さーん起きてー」
「……んっ、あれぇ……どうしたの〜?」
乃木さんが目を覚ました。だけど寝ぼけているのか、目をこすりながら回りを見渡している。そんな中、一番近くにいた僕と目が合った。
「山本……くん?」
乃木さんがこちらをじっと見つめる、それが何だか恥ずかしくなり、僕はつい視線をそらしてしまった。
「あっ、えっと、乃木さん……あのね」
だけどまずは、目の前の問題を解決しなければならない。
そう思った僕は、今の状況を乃木さんへと説明した。
「今は休憩時間なんだけど、次は体育で……だから早く着替えないと間に合わないよ?」
首をかしげてこっちを見ている。そんな乃木さんの頭の上には、はてなマークが浮かんでいるように見えた。
しかし、そんな状態は長く続くこともなく、少しして、その意味を理解してもらえたみたいだ。
「え……? あっ……」
その顔が、少しずつ赤くなっていく。そして――
「ご、ごめんなさ〜い!!!」
乃木さんはいつも寝てばかりいる。だから、この出来事は、僕にとって衝撃だった、
初めて目があって、初めて名前をよんでもらった。
そして、初めて彼女の顔が赤くなる所が目に止まった。
はじめての事ばかりが起こったせいか、僕は緊張で心臓のドキドキが止まらなかった。
そんな中、乃木さんが慌てた様に走って教室をでていく。
気付けば僕は、乃木さんの後ろ姿を目で追いかけていた。
「あれ……?」
そして、だからこそ気づけたのかもしれない。
乃木さんが、何も持っていないことに。
「乃木さん!体操服忘れてない!?」
乃木さんの机を見ると、そこには体操服を入れた袋がぶら下がっていた。
勝手に触るのを悪いと思いつつも、僕はそれを持って急いで廊下に出る。だけど、すでに乃木さんの姿は見えなくなってしまっていた。
「届けないとまずいよね……」
乃木さんに着替えを届ける、つまり僕はそれだけ着替える時間がなくなり、遅刻をする可能性が高まるという事だ。
それなのに僕は、乃木さんの着替えを優先しようとしていた。
自分より他人を優先したいとか、そういう考えではない気がする。
とりあえず今は時間がないため、思考を片隅に追いやり、僕は急いで乃木さんを追いかけた。
「えっと、確か女子の更衣室は……」
女子更衣室の場所を思い出しながら向かっていると、ちょうど引き返してくる乃木さんの姿が見えた。
こちらに向かってくる速度は速く、何か目的のあるように見えた。
着替えを忘れていたことに気づいたのだろう、そう思って僕は安心する。
「よかったぁ」
僕はそのまま、こちらに向かってくる乃木さんへと着替えを渡そうとした。
しかし――
「山本くーん、さっきはありがと~~!!!」
そう言って僕が来た方向へと走っていった。
「え、え?」
なんで? そう思った。
僕に気づかなかったわけでもないし、多分着替えが無いことにも気づいているはずだ。でなければわざわざ教室に戻っていくわけがない。
「あ、もしかして」
そこで僕は、ある一つの仮説に思い至った。
「僕が持ってることに気づいてなかった……」
どちらにせよ乃木さんに着替えを渡さなければならないため、僕は急いで教室に行ったであろう乃木さんを追いかけた。
僕が教室へとたどり着いた頃、中から乃木さんの声が聞こえてきた。
「ない、どこいっちゃんたんだろ~」
「あぁ……やっぱりそうだった……」
僕は教室に入り、今だこちらに気づいていない乃木さんへと声をかける。
「乃木さん、はい、これ」
「あ! 私の体操服! ありがと~」
そう言って乃木さんの足が教室の外に向いた。多分更衣室に戻ろうとしているんだろう。
忙しい人だとは思うが、授業開始のタイムリミットが近づいているため仕方ないと思えた。
「うーん……」
そんな中、僕は考える。
今から更衣室に向かって、そこから着替えて体育館に移動していては、絶対に間に合わない……気がする。
「どうしたの~?」
僕の唸っている声が聞こえたのか、乃木さんはこちらへ振り返っていた。
「早くしないと遅れちゃうよ~?」
僕がいつまでたっても動かないためか、乃木さんが痺れを切らし言う。
「そのことなんだけど、多分ここから更衣室で着替えると間に合わないよね」
「う~ん、急いでもちょっと間に合わないかもね~、だけど仕方ないと思うよ?」
「それで、さ、一緒にここで着替えない?」
「「…………」」
時間が止まった。
というのは、こういうことを言うのかもしれない。
そんなことを考えてしまっていた。
「……えっと」
最初に口を開いたのは、乃木さんだった、
先程の笑顔はどこへ行ったのやら、固まった表情でこちらを見ている。
それに対して僕は、慌てて訂正しようと口を開く。
「ご、ごめん乃木さん、やっぱ忘れ――」
「じゃ、じゃあ着替えよっか!」
「――ていい……え!?」
こうして僕と乃木さんは、二人で着替え始めた。
「ね、ねぇ乃木さん、なんかごめんね、こんなことになっちゃって」
「いいよいいよ~、私が寝ちゃってたのが原因だからね~、むしろ私が山本くんを巻き込んじゃったしね~」
僕達は、お互いに謝った後、着替えは着々と進めていった。
「乃木さん、そろそろこっちは着替え終わるけど、そっちは大丈夫そう?」
「うん、こっちももう少しなんよ~」
そうして二人は無事着替えを終了させた。
「じゃ、じゃあ行こっか」
「うん……えへへ、なんだか照れるんよ~」
そう言って笑い合う僕達だった。
――――――――――
僕達は、体育館へと向かっていた。だけどそんな中、僕は息切れを起こしてしまっていた。
「ごめ、ん、乃木さん、先、行って、て……」
本来ならこの距離で疲れるはずはなかった。
だけど現に僕はこうして体力の限界を迎えようとしている。なんでかはわからない。
流石に乃木さんに申し訳ないから、先に行ってもらいたかったんだけど……
「遅刻するなら連帯責任なんよ、待ってるよ~」
そう言って、僕が回復するのを待ってくれている。
正直情けなかった。
「い、や……行こう」
だから僕は、重い足をなんとか動かして、体育館へと急いだ。
――――――――――
「はぁ、はぁ、……ま、まに、あった……の……?」
僕達が体育館へと足を入れた瞬間、チャイムが鳴った。まさに間一髪といったところであった。
「うん! 山本くんの頑張りのおかげだよ~ってあぶない!?」
友樹は間に合ったことがわかった瞬間、床に倒れそうになった。
そんな僕の身体を、乃木さんが受け止める。
「あはは……なさけ、ないなぁ……」
結局情けない行動をしてしまった僕は、ちょっとだけ沈んでいた。
「そんなことないんよ~、私のために色々してくれたもん」
乃木さんはそのまま、僕を抱きしめた。
「の、乃木さん、僕汗かいちゃってるから……」
口ではそう言ってみるものの、僕自身は離れようとする意思は無かった。
激しい運動をした後のため体温が上昇している中、乃木さんの体温を全身で感じる。しかしそれを不快には思うことはなく、むしろ心地いいとさえ感じてしまう。
「えへへ、ぎゅ~」
疲れが無くなっていく、そんな不思議な感覚になる。
心臓の鼓動が徐々に落ち着きを取り戻していく。
「まあ、とりあえず……間に合ってよかったね」
「うん、ありがとう、山本くん!」
「おーい、二人とも、遅かった……な?」
「「あっ……」」
時間が止まった。
というのは、こういうことを言うのかもしれない。
今度の僕は、そんなことを考えている余裕は僕にはなかった。
先生は、混乱していた。
それはそうだ。時間ぎりぎりでやってきた生徒二人が、何故か抱き合っているのだ。
「うーん……とりあえず遅刻もしてないし何も問題はない……が、まさか二人がなぁ……」
どういう意味かはわからないけど、とりあえず怒ってはいなさそうなため一安心……かな?。
「まぁなんだ、落ち着いたら来てくれ」
先生はそう言って、僕の前から姿を消した。
そして僕はというと――
「乃木さん、本当にごめん!!!」
「あ、あはは~、こっちこそごめんね」
その後会話はなくなり、気まずい空気となる。
だけどそんな中、乃木さんの口元が少しだけ緩んでいた気がした。
それから少しして、二人は先生に今日の授業について聞いた。
今日はドッジボールを行うらしい。四チームに分けられており、僕と乃木さんは別チームだった。
「あっ、山本、ちょっとこっち来てくれ」
そうして自分のチームへと移動する際、なんでか先生に呼び止められた。
「ちょっと話があるんだ」
どうやら二人だけで話があるらしく、乃木さんを先に行かせた後、先生のところへ向かった。
「なんですか?」
「さっきの件なんだがな……」
それを聞いた瞬間、僕はどう答えるか考える。やましいことがあるわけではないけど、事実を言うのは恥ずかしい、そう思ってしまったからだ。
だけどそんな心配をよそに、先生は話しを進めていた。
「俺としては、二人を応援したい、二人とも積極的に人の和に入る方じゃなかったからな、先生としては嬉しい限りだ」
先生の言葉に、僕は理解が追い付いていなかった。てっきり先程の行動の意味を尋ねられると思っていたからだ。
「だけどな、乃木は、『乃木家』の娘だ。その意味をよく考えないであいつと関係を続けると、後悔するかもしれない。だから、それだけは覚えておいてほしい」
その言葉を聞いて、僕は言葉を失っていた。
乃木さんが自分とは違う世界にいることを認識させられてしまった。
乃木家について知らなかったわけじゃない。だけど、普段の乃木さんを見て、そういうことを感じたことがなかった。それを今日、教えられた。
「……山本、ごめんな」
そうして話は終わり、僕はそのまま試合に出た
僕は試合に集中できず、先ほどの先生との会話について考えていた。
「乃木家……身分の差……後悔……」
それらの言葉が頭の中をぐるぐる駆け巡っている。
自分でもわからなくなっていた。
ただわかっていることは、僕と乃木さんは違うということ。
乃木さんは別世界の人間で、乃木さんから見れば僕は平凡なただの小学生で……
「もう……乃木さんとは――」
「やっと当てれたんよ~」
だんだんと気分が暗く、落ちていってしまう中、乃木さんの声が聞こえた。その声に、つい、目を向けてしまう。
目線の先では喜んている園子の姿が見えた。
とても楽しそうだった。だけど、その姿を見るたびに、余計に辛くなってしまう。なんで辛くなっているのかはわからなかった。
これがさっき先生が言っていた、『後悔』なんだろうか。
そう思ってしまう。
「いや……今は試合に――」
このままではいけないと、とりあえず意識を変えるため、目の前の試合に意識を戻した。もしかしたら何かに
没頭すれば、この辛い気持ちがなくなるかもしれない、そう思った。
しかし――
急激に大きくなっていく、ボールの姿、一瞬でそれは視界を埋め尽くし、気づいた時には、僕は強い衝撃とともに後ろに倒れていた。
友樹が息切れを起こした理由について
・園子に着替えを届けに行く過程で、かなりの距離を移動したから
・単に度重なる緊張で心臓ばくばくだったから
乃木が疲れてない理由は、運動神経に天と地の差があるからです
体育の先生はモブキャラの予定でしたが、なんかすごく重要な立ち位置になっちゃってます。