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軍用トラックに備え付けられている無線で整備兵が連絡を取る。
トラックの周りに囲うように501と国防市民軍、その外に村の住人が集まっていた。
着ぐるみを互いに引っ張り脱がせて俺とクロステルマン中尉もトラックの周りに集まった。非常時のために彼女も着ぐるみの下に軍服を着ていたようだ。
誤報であることを願っていた、きっと俺だけでなくこの場の全員が願っているかもしれない。
そんなことは今まで一度もなかったというのに。
無線を取る整備兵の顔つきが険しくなるに連れて、誤報ではないということが確信に変わった。
監視所からの入電、ネウロイが出現した。
レーダーによる探知された高度は14000、現在南東70kmの海上を飛行。
巨大ネウロイ4機と小型ネウロイからなる編隊がブリタニア本土へ接近中。
その後すぐに追加の報告が入電する。
海上で既にネウロイは2つに分かれ巨大3機がロンドンへ、残り1機はこちら側へ向かっている。
以前にもあったがネウロイにしては珍しい戦力の分断だ。
片方はロンドンだろうがこちらへは理由がわからない。
これまで意思の疎通が図れなかったネウロイがまさか親睦会のことを知っているはずもない。
中佐は古い採掘場があることが原因ではないかと推測したが確証はない。
ただ、ネウロイの目的を推理している時間はこれ以上なかった。
「ロンドンに向かったネウロイ本体は、私とバルクホルン、ハルトマン、それにエイラとサーニャの5名で殲滅します。
別動隊迎撃の指揮は、美緒、あなたに委ねます。
いいわね?」
こちらも戦力を分けることになった。
村側は坂本少佐、イェーガー大尉、クロステルマン中尉、ルッキーニ少尉、ビショップ軍曹、宮藤軍曹の6名、巨大ネウロイは1機だが小型の数が観測し切れていない。
それ故の配置だろう。
巨大ネウロイ3機を相手にするのは中佐たちでも厳しいかもしれない。
勝つか負けるかではなく、市街に被害を出さずに倒せるかどうか。
今回現れたネウロイは新種ではない、彼女らは奴らの攻撃パターンを知り尽くしている。
戦力は分断するが、バルクホルン大尉とハルトマン中尉なら瞬殺も難しくはない。
だがたった1機で港を火の海に変えるような相手だ、間に合わなければロンドンは地獄となるだろう。
ロンドンに常駐するウィッチや訓練生も場合によっては出撃することになるのかもしれない。
戦力が増えることは悪いことではないが、国防を任されている501としてはそれは避けたい。
大きな失態になるだろう。
「残念ながら、親睦会は中止です。
みなさんは防空壕に避難を」
国防市民軍も動き出した。
あちらも非常時の手筈は整っているらしく、足の悪い老人や子供を優先し防空壕のある教会へ移動するようだ。
ネウロイの攻撃に耐えられるほどの規模ではないはずだが、身を隠さなければ的になる。
有事の経験故かそれとも訓練の賜物か、慣れた動きをして頼りになる国防市民軍だが、不安が顔に張り付いているのが印象的だった。
「馬鹿げているとは思いませんかね?
これでロンドンに大きな被害が出れば、中佐さん、あなた、司令部だけじゃなくマスコミからも追及されますよ?」
「この村を見捨てて全機ロンドンに向かったら、あなたは誉めてくださったかしら?」
オーウェル氏は相変わらずだったがこの状況では彼も防空壕へ入らざるを得ないだろう。
これまでの取材で自身にも命の危険が迫っていることは村人よりも知っているはずだから。
親睦会で取材することが山ほどあったのだろう、国防市民軍に背を押されながらも彼の言葉は途切れることはなかった。
俺と現地に来ている整備兵は基地には戻らず、村で国防市民軍と共に避難誘導を行うことになっていた。これは予め決められていた。
周期的にネウロイの出現は予想していなかったが、501のほぼすべての活動はネウロイの出現を想定している。
基地にバルクホルン大尉らウィッチ数名を残しているのもそういった非常時のためだった。
想定通りにネウロイへの対応をすることになる。
今までの統計上であるのだが、海洋を渡れるネウロイは大群で来ることはまだない。
まだこの世界で人類が生き残っている理由の一つでもある。
内陸であれば四方八方からネウロイが攻めてくる可能性もある。これまでの撤退戦が地獄だったのはそれもある。
部隊を分けることになるのは想定外だが、ネウロイの数はまだ許容範囲内なのだろう。
大陸での戦いで許容の限界を彼女らは知っているだろうから。
その戦いを生き残った中佐らがそれだけ強いことの証明でもあるが。
部隊を分ける都合、俺や整備兵も臨機応変な対応をすることになるかもしれない。
ストライカーユニットを乗せた軍用トラックに彼女らの武器の弾薬が積んである。
村側の補給地点として機能できるだろう。
理想は海上で殲滅することだが。
トラックに乗り込む中佐らを敬礼して見送ろうとしていると背を引かれた。
振り向くと国防市民軍の引く手を振り払い、オーウェル氏が俺の服を掴んでいた。
「少尉、あんたとの話もまだ終わってない」
必死なその表情には焦燥感が見てとれる。
親睦会でのわざとらしい敬語もなくなっている。
そうですね。
ただ、まずは生き残ることが先決だ。
今回の親睦会は中止になりましたが、またの機会になるだけです。
死ねば全てが終わりになる。
貴方にも生きて為さなければならない役目があるでしょう。
いつまでも服を離さない彼の手を強引に振り解いた。
俺の言葉が癇に障ったのか、明らかに苛立った様子で今度は俺の胸倉を掴んだ。
「わが身可愛さに部下を犠牲にして、あんたはのうのうと今を生きている。
私には椅子に座っているだけの軍の老人どもとあんたが同じに見えて仕方がない。
それだけじゃない―――」
「待った」
オーウェル氏の言葉を遮ったのはガレット少尉だった。
「そこまでだ、オーウェルさん。
それは今この非常時に話すことですか?
今貴方がするべきことは取材ではなく避難し生き延びることだ」
胸倉を掴む手を握り締め解き、彼を引きずるように教会の方へ引っ張っていく。
オーウェル氏は痛い離せと藻掻くが彼が離すことはなかった。
ありがとうございます、ガレット少尉。
「貴方は貴方の役目を果たしてください。
まずは女子供、それに老人の避難を行いましょう」
国防市民軍と共に村を走った。
足取りは重くぎこちなかった。
それも撤退戦の後、散々に取り沙汰されたことだった。
俺の口からメディアにはあの港での詳細を答えていない。
俺の口から答えればどうあっても尾ひれがつくから。代弁したのは軍だった。
それは軍人としての自分の立場を守るためだった。
“それだけじゃない―――”
少女の命を道具のように扱ったと最初に解釈したのはどのメディアだったか。
それは俺自身が思ったことでもあった。
彼女の願いでもあった、だが、自分が生き残るためにやったことなのは間違いなかった。
無理でも手厚く処置を施すべきだったかもしれない。
少女が息を引き取るまで手を尽くし、見守ることが倫理的に正しかったのかもしれない。
あるいはもっと別に方法があったのかもしれない。
多くの正しいかわからない選択肢の中で、俺は少女を自分のために使った。
それが結果だった。
オーウェル氏が本題だと言っていたのはそのことだったのかもしれない。
死ねば全てが終わりになる。
そんな言葉、俺が軽々しく口にして良いはずがなかった。
□
避難誘導は程なくして完了した。
市民軍は足の不自由な老人や妊婦を背に乗せ、あるいは肩を貸して率先して移動させていた。俺もそれに加わった。
村にある数少ない車や馬車の荷車を移動させてバリケードを作った。
空からくるネウロイには無力だが、防空壕を破棄する場合の移動に身を隠せる何かが必要だから。
多くの村人が移動する姿を見て何度となく港で死んでいた市民たちの姿が脳裏を過り気分が悪くなった。
だが自身の気分など二の次だった。
二度とあの結果を繰り返してはならない。
全員を教会まで運び人数確認を国防市民軍が終わらせるのを確認し、整備兵たちと合流した。
彼らは村に持ってきたストライカーユニットでウィッチたちを先行して空へ上げるために別行動をとっていた。
それも完了したのだろう。
村の上空をイェーガー大尉とルッキーニ少尉、そして宮藤軍曹が旋回している。
基地に戻った坂本少佐たちと空で合流し次第、海上のネウロイと接敵するだろう。
やはりというか宮藤軍曹は基地でもないのに飛行を成功させていた。
滑走路代わりの広場は確かに離陸までに妨げるものは少ないが、訓練時の彼女なら501の滑走路でもたまに失敗する。
そのまま海に突っ込むこともあったが今回は本番一発成功だ。
彼女ももう立派に頼りになる戦力だった。
人数確認が終わり俺たちは軍用トラックで待機することになった。
備え付けられた通信機器で上空を飛ぶウィッチらと通信を繋ぐ。
『地上、聞こえるか』
無線から聞こえてきた声は先行して空へ上がったイェーガー大尉だった。
村でストライカーユニットの解説という出し物をしていた都合か魔導エンジンのチェックも誰よりも早く済んでいたらしい。
整備兵がトラックに備え付けられた無線から受話器を取り応答する。
現在通信は良好だった。
『しかし、折角の親睦会が台無しだ。
奴らに責任を取らせてやらないとな』
『パパッとやっつけたら、再開できない?』
『難しいだろうな』
続いて空へ上がったルッキーニ少尉が期待するように言葉を弾ませるが、イェーガー大尉に切り捨てられた。
できるかできないで言うならばこの戦闘次第で可能性はゼロではないが。
少なくとも今日再開する可能性はゼロと言ってもいいのかもしれない。
事後処理は俺たち大人に任せればいいが、指揮を執るヴィルケ中佐や坂本少佐は難しいだろう。
村人にかかるストレスもある。
親睦会を見るに彼らはウィッチたちを信用してくれているが、状況が長引けばパニックを起こしても不思議ではない。
彼女もそれが実現できないことだと予想していたのだろう、二言はなかった。
村人の避難が終わったことを伝えるとルッキーニ少尉は安堵したようなため息を吐いていたのが印象的だった。
この会話は基地の方にも伝わっている。
ヴィルケ中佐への情報の橋渡しはあちらが行っているだろう。
少しして基地から出てきた坂本少佐らと合流し彼女らは海上へ向かった。
ネウロイが村へ来るまでに海上で殲滅し切れば問題はない。
予定外のことがなければ殲滅し切れるだろう。
ただ、今回のネウロイは戦う前かららしからぬ行動をとっていた。
□
通信で彼女らの声が断片的に車内に響く。
射撃音と聞き慣れない爆発音が無線と車の外から聞こえてくる。
坂本少佐が負傷した。
巨大ネウロイに小型ネウロイが格納され、小型には自爆する機構が備わっていた。
軍刀により近接攻撃もする坂本少佐には天敵だった。
戦闘は続行できると連絡は入ったが、増え続ける小型ネウロイに宮藤軍曹の治癒魔法を施す余裕もないのだろう。
幾度も行われたネウロイらしい物量作戦だった。
見た目はこれまでのネウロイと同じで新機構が備わっている。
小型にはレーザーを撃つ機構が備わっていないのが救いだろうか。
もし備わっていれば彼女らは全滅していたかもしれない。
ネウロイ侵攻の最初期には新型ネウロイに文字通り初見殺しに遭った兵士やウィッチたちは数多い。
情報とはそれだけこちらが有利に立てるアドバンテージだった。
今回もそうなるかどうかの瀬戸際だ。
誰一人欠けず、彼女らが倒してくれることを祈るしかない。
トラックの窓を叩く音が聞こえたのはそんな時だった。
外にいたのはガレット少尉だった。
「失礼します。実は…」
一部の子供たちが防空壕の中にいないらしい。
人数を数えた後に出て行ったのだろうか。
子供故に危機感がないのか、あるいはそれほどまでに彼女らへの信頼があるのか。
きっとどちらもだろう。
海上での戦いは間もなく陸へ到達する。
数が増え続けている小型機がこの村に来るのも時間の問題だろう。
その前に見つけ出さなくてはならない。
ただ、この場を離れることは命令違反だった。
基地から指示が来る可能性は大いにある。
臨機応変に、そんな都合のいい言葉が過るが、
これにより501を離れることなる可能性はゼロではない。
ゼロではないが。
わかりました、私も捜索します。
この状況で整備兵ではない自分ができることはほとんどない。
基地からの指示は規定通り整備兵が担う。
『あんたはのうのうと今を生きている』
――そもそもの話、
この親睦会で自分がいること自体が余分だった。
□
子供たちの特徴を聞くとすぐにルッキーニ少尉を親分と慕っていた子供たちだとわかった。
もしかするとルッキーニ少尉の近くへ行っているのかもしれない。
巨大ネウロイは肉眼で目視できるがまだ遠い。
だが小型は村の近くの上空をすでに飛んでいた。
小型の方は村よりもまだウィッチたちを優先しているように見えるが、何がきっかけで村へ突撃をするかわからない。
もう猶予が残されていないことを自覚する。
できるかぎり身を隠しながら見晴らしの良い丘へ向かった。
丘に向かう道の途中で巨大ネウロイから一筋のレーザーが放たれた。
次いで一際大きな爆発音、近くで小型ネウロイが爆発したらしい。
何度も夢で見た地獄のイメージが脳裏を過った。
息を切らせて丘に着いた時にはすべてが終わっていた。
オーウェル氏と子供たちとルッキーニ少尉が丘の上に立っていた。
オーウェル氏がいたことは予想外だったが全員無事だった。
事の顛末はわからないが彼女が子供たちを救ったらしい。
彼女はこちらを一瞥し、すぐに丘を飛び立った。
悠長に話をしている場合でもない、急いで子供たちを移動させなければ。
巨大ネウロイに向かっていく彼女を横目に子供たちの元へ走り寄る。
素人目でもわかるほどにルッキーニ少尉のストライカーユニットが傷ついていたのが見えた。
硝煙に混じり飛行機雲でもない黒煙が上がっているのは決して見間違いではないだろう。
――怪我はありませんか。
丘の上で立ち尽くすオーウェル氏に声をかける。
子供たちを見るとルッキーニ少尉が飛んで行った方をずっと眺めていた。
戦闘はまだ続く、まずはこの場を離れなければ。
一番背の低い女の子を抱き上げ、子供たちを歩くように誘導する。
子供たちは渋ることなく付いてきてくれた。
オーウェル氏も言葉もなく移動に従ってくれている。
妙に素直に従ってくれる彼に違和感を覚えながらも移動を開始した。
「…笑ってた」
そんな彼が村へ戻る途中、口を開いた。
笑っていたとはルッキーニ少尉のことだろうか。
彼女は喜怒哀楽がはっきりしている。
501のウィッチの中で一番年相応に見えるのが彼女だろう。
「ネウロイの攻撃はよく知ってる。
あの光を浴びれば人は人じゃなくなる。
なのに、どうして」
ネウロイのレーザー兵器は人間ならばどの部位に当たっても死に至る。
あの港で、横一線に薙ぎ払われたレーザーで相当数の兵士が死んだ。
直撃により蒸発した者もいただろう。掠っただけでも死は必然だ。
大多数はレーザーにより破壊された兵器や建物に潰されるか、それらが溶けて超高温の中で藻掻き苦しみながら死んだ。溶鉱炉に手足を突っ込みながら死んだも同然だ。
あの港で幾人もの兵士がそうして亡くなっていた。
生存者を探す過程で何度もそれらを見た。夢にまで出てくる。
死んだことに気が付かないまま死ぬか、激痛に苛まれながら死ぬかという違いなだけだ。
瘴気による死者は更に多い。
どう答えるべきか悩んだが、すぐに自分の中でその答えが出た。
彼女は真の英雄だからですよ。
「……それは本気で言っているのか」
皮肉じゃない。
私たちではどれだけ逆立ちして頑張っても、彼女らの隣に立つことすら許されない。
そんな頼りない大人たちの代わりに戦うのがウィッチだ。
だけど、それだけじゃない。
彼女らは彼女らの信念のために戦っている。
ヴィルケ中佐が言っていた。
あの子がネウロイと戦うのは、守りたい家族と友達と、みんなが住む家のため。
だからこそ、彼女は笑うことができた。
その力でみんなを守るために。
私のような英雄気取りとは違う、真の英雄だ。
彼女は恐怖の感情が麻痺している、そうかもしれない。
シールドがあるから死なないというウィッチである驕りがある、そうかもしれない。
漠然とした理由も根拠もない自信がある、そうかもしれない。
以前までならそう思っていたかもしれない。
俺は特に、彼女らを子ども扱いしている節があるそうだ。
彼女らにとって失礼なことだが、間違いではない。
自分ならそうなるだろうから。
だが気が付いてしまった。
ルッキーニ少尉も今日までを戦い抜いてきたウィッチだった。
自分が笑顔でなければ、みんなが安心できないから。
彼女は自分のためだけではなく、他人のために笑顔になれる子だった。
それに気が付いてしまった。
少しでも気を緩ませれば死ぬ状況だ。
果たしてそれは、年相応と言えるのだろうか。
あと何度、彼女らを英雄と呼び死地へ送り込まなければならないのだろうか。
これでは英雄とはただの――
――あぁ、嫌な世の中だ。
「それにも素直に同意するよ」
村の入り口が見える。
ガレット少尉が安心したような顔つきでこちらに手を振っていた。
抱き上げていた女の子をガレット少尉に渡す。
背には乗せていなかったが首に回された手だけで呼吸が乱れていたところだ。
早めに合流できたのは運が良かった。
他の国防市民軍に連れられてオーウェル氏と子どもたちは防空壕へ戻って行った。
「少尉、良かった。
オーウェルさんも一緒だったんですね。
子供たちを見つけて下さりありがとうございました」
すぐに防空壕へ、ここも戦場になるでしょう。
私は行きます。
ネウロイが掃討された後でまた会いましょう。
「………どこに行くのですか?」
軍用トラックがありますので、そちらに戻りますが?
「そう、ですか。
――ご武運を」
生きなくてはならない。
俺が死ねばあの港で部下が戦ったことを知るものはいなくなる。
残るのは記録だけだ。
彼らが英雄と記される慰霊碑のような記録だけ。
きっとその時こそが彼らの命を真に踏み躙ることに他ならない。
いや、もう綺麗事は止めにしよう。
彼らの死は尊いものだと既に世間が証明している。
この感情は、もっとうす汚い浅はかなものだ。
俺が俺自身を許容できないから。
彼らを犠牲にして得たこの命が、意味あるものだということを、
俺はこれからも証明し続けなければならない。
生き続ける必要があり、戦い続ける必要がある、ただそれだけ。
俺は俺のできることをする、ただそれだけだった。
止まることなど許されない。
□
車のドアを開ける。
年季の入ったそれはいくら捻っても手ごたえがなかった。
天井のないオープンカーだというのに丁寧に鍵がかかっているようだ。
車は高価なものだから、所有している人はきっと村の権力者だろう。
村にある車は多くなかった。
村の有力者や村長のものか、街で商売をする仲介業者の所有するものに違いない。
屋根なしの車の中に踏み入る。
見ただけで速度の出せる車だとわかる程度には知識があるつもりだ。
剝き出しのバルブを見れば誰でもわかることであるが。
この時代の車のエンジンスタートはイグニッションキーだった。
現代と同じ技術であるが、はるかに簡素だ。
ハンドルの裏側を力ずくでこじ開けた。
エンジンスタートに鍵を用いるのは盗難対策の一つだ。
ただ現代のそれと違い、この時代の車は鍵なしでの点火はまだ容易い。
盗難対策に鍵を作ったが盗難対策を対策する盗賊団もいるくらいだから。
エンジンをかけて、そのまま車から出る。
村の近くを自爆する小型ネウロイが飛ぶようになった。
彼女らが空で戦闘するのもすでに目視できる。
村に入られるのは間もなくだろう。
少ししか時間が経っていないはずなのに、もう何時間もこうして待っているような錯覚がした。
心臓の鼓動が今までにないほど近くに感じる。
対空砲があればそれですべて済んだのだが、村にはそういった兵器があるのは報告がない。
彼女らが空で戦闘をしている、俺の持つ拳銃では気が付きもしないだろう。
ストライカーユニットの魔導エンジンの轟音、ネウロイの動力音、彼女らの銃器の射撃音、そして小型ネウロイの自爆の爆音。
今この空で響く音はこれがすべてだった。
地上の俺の出す音など空には届かないだろう。
車のエンジン音ならばと思ったが、村の中でする意味はない。
おそらくエンジン音ならば届くはずだ。
村の中に入った後であればそのまま海岸へと誘導ができるだろう。
都合の良いことに、今日この日この村の中央広場には滑走路が存在する。
遮るものが何もなく、一直線に中央のステージへ突っ込むことができる。
彼女らのような翼は俺にはないが、少なくとも走って放物線上に飛ぶことは可能なはずだ。
設営に使う梯子やステージに上がる台をあるだけステージへ立てかけた。
これは気休めだった。
十数人が踊れるくらいの広さと強度を持つステージであるが、耐えられるかどうか。
重量ならば耐えられるかもしれない。
ただ最高速に近い速さで突き進む車を受け止められるかどうか。
一秒も持たないかもしれない。
ステージに上がる前の傾斜さえ上ることができれば、一秒もかからないだろう。
だが放物線上に飛んで小型のネウロイに当たるかどうかは別だった。
魔法力を持たない車がぶつかるだけでネウロイを撃墜できるかどうかも別だ。
ただ、現状でとれる有効打はこれだけだった。
ネウロイがステージの先を飛ぶまで待つしかない。
結局のところ、俺にできることはないに等しかった。
状況は刻一刻と悪くなっている。
巨大ネウロイを先に撃墜しなければ状況は変わらないだろう。
それは彼女たちにしかできないことだ。
だからこそ自分のやるこの行動に状況を覆すほどの価値はない。
防空壕に近づく小型ネウロイたちの注意を引き付け、足止めになればそれでいい。
懸念は瘴気だ。
小型はレーザー兵器も持たず自爆する機構があるだけだが、瘴気は当然のように撒き散らしている。
巨大ネウロイのように広範囲に撒き散らすものではないが、頭上に小型ネウロイがいる状態が続けばそれだけで死ぬ要因になり得る。
だからこそ村に入られる前にネウロイを撃墜しなければならない。
瘴気を放出することを除けば奴らは空飛ぶ大型トラックと考えれば何も怖くない。
ああ、一つ忘れていた。
破壊されたネウロイの破片は瘴気と同様に人体に有害だ。
尤もそれはネウロイに限らず、爆発した機械の破片を体に受ければどうなるかなど言うまでもないことだが。
接触した状態で起爆すれば車に乗っている俺には絶対的な死が待っている。
――もしもネウロイが船を追いかけて港を出そうになれば、あらゆる手段を行使して注意を引き付けること。
あの港で俺が部下たちに出した命令がそれだった。
彼らはそれを忠実に遂行した。
これはあの港での続きだ。
最後の一人になった俺が何をすべきか。
答えはもう出ている。
広場の近くへネウロイが飛来するようになった。村に入られるのが秒読みに入ったと言える。
まだどのネウロイも民家の屋根よりも高く飛んでいる。
いくら頑張っても屋根より高く遠くへ飛ぶことは不可能だろう。
まだ待たなくてはならない。
状況が動いたのはその時だった。
村の外れから何かが立ち昇った。
『歓迎 ストライクウィッチーズ!』と書かれた垂れ幕が吊るされた小さな気球が幾つか上空へ飛んでいる。
俺や501は知らされていない。
村側が彼女らに対して用意した出し物だろう。
気球の間にはワイヤーのネットが張られていた。
小型ネウロイの何機かがひっかかり、集まったところを彼女らの銃で誘爆させていた。
ワイヤーの強度が如何程かはわからないが、立て続けに誘爆すれば持たないだろう。
気球は地上とのロープが切れ、空高く昇って海の方へ移動していった。
これまでの劣勢が傾いた。
自身の自爆する機構により小型ネウロイが目に見えて減っている。
彼女らが巨大ネウロイに集中できる機会が今まさに訪れていた。
ワイヤーに絡まって一機の小型ネウロイが村の外れへ落ちたのはその時だった。
墜落する音が聞こえる前に車へ乗り込んだ。
村に入られなかったのはこれ以上ない幸運だった。
住人の機転のお陰だ。
巨大ネウロイを倒すこの絶好の機会を逃す彼女らじゃない。
自分がやるべきことはただ一つ。
たとえ一秒でもこの機会を長引かせることだ。
広場から村の外れへ車を走らせた。
砂利を踏み草を掻き分けぐんと速度を上げて村の外れへ。
途中で村の方に逃げている最中の村人を見た。
もしかすると彼らが気球を上げたのだろうか。
村の外れでは既に国防市民軍が交戦していた。
小型ネウロイに銃弾を浴びせているようだ。
ただの小型一機とはいえネウロイはネウロイだ。
彼女らは簡単に倒しているが魔法力を持たない俺たちの武器では通用しない。
そもそも彼らに武器の支給はされていないはずだ。
猟銃や先の大戦でのアンティークだろう。
彼らも俺と同じだ。
大本である巨大ネウロイを倒す機会を少しでも長引かせるために戦っている。
瘴気でいつ死ぬかも知れないというのに。
墜落からか麦畑の地面に埋まっている小型ネウロイの姿を目視し、クラッチを切り替える。
離れろ、と言葉に出しても聞こえないことはわかり切っている。
代わりにアクセルを限界まで踏み込み、聞いたことのない悲鳴のようなエンジン音を辺りに轟かせた。
こちらを見て辺りから散っていく国防市民軍と入れ替わるようにネウロイ目掛けて突き進んだ。
ハンドルを握る指に力を込める。
自爆するなら直前に飛び降りても爆発に巻き込まれるだろう。
そもそもこれが有効打になるかすらわからない。
大きさから小型ネウロイは装甲が薄いはずだが、自分の考えている常識が通用する相手ではない。
それでも俺たちの使う豆鉄砲よりマシなはずだ。
少しでも威力が上がるように、最後までアクセルを踏み速度を上げ続けるしかない。
地面に埋まるネウロイとの距離が近付くごとに呼吸が乱れていくのがわかった。
指が震えてハンドルを放しそうになる。
煩わしくなるあまり、息を止めた。
車とネウロイが衝突した瞬間に視界が白く染まった。
同時に音も奪われる。
体全ての感覚が失われるような、意識を保っているはずなのに手放しているという自覚がある。
痛みを感じないのは良かったな、と一人でそう完結した。