□
501へ配属された頃と比べると彼女らとは比較的話すようになったと思う。
とはいえ自分から話しかけることはほぼなく、あったとしても軍務関係だというのは変わらない。
彼女らとは意図して距離を置いていたが、元々接する機会は多かったのだと改めて気付かされた。
カールスラント組は同じ国の出ということもあり、言語の壁もなく元々話す方ではあったが、あの三人以外で最も会話が多くなったのは意外にもクロステルマン中尉だった。
きっかけはなんだったか、比較対象が比較対象(犬・兎・猫)だったからかもしれない。彼女との話の半分は軍務についてだ。
何度か中尉にも伝えたが、彼女らはネウロイとの戦いが本分であるから現状に問題はない、それが戦えない自分の仕事でもあるわけだ。
しかし彼女はそう思ってはいないらしい。
全てができて普通の軍人だというのは確かにその通りだった。
彼女とは良好な関係を築けている、と思う、たぶん、メイビー。
彼女との会話のもう半分は坂本少佐で構築されているため、自信があまりない。
ペリーヌ・クロステルマン中尉は坂本美緒少佐の信奉者である。
少佐がやることは絶対に賛同するし、彼女との会話に少佐を引き合いに出せば無茶苦茶な理屈でもとりあえず納得する。
俺自身も坂本少佐には普段から世話になっている。彼女は頼りになる上官の一人である。
クロステルマン中尉くらいに突き抜ける子がいると、たまに坂本少佐の心労も気になったりする。
ヴィルケ中佐は疲労やストレスが溜まると雰囲気でわかるようになったが坂本少佐はわからない。
彼女の腹の内はどうなっているのだろうか。
最近の坂本少佐は新人育成を担当しているので宮藤軍曹とビショップ軍曹に付きっきりだ。
特に宮藤軍曹は彼女が直接扶桑皇国(日本)からスカウトしてきたこともあり、分け隔てない付き合いをしている彼女でも特別な立ち位置にあるのだろう。
中尉はそれを察して、ことあるごとに彼女に突っかかるのだ。
決して少佐は軍曹だけを特別扱いしているわけではないが、言葉にすると難しいが少佐のそれはおそらく責任感からくるものだろう。
仕事の都合、書面で宮藤軍曹のパーソナルデータを確認したが軍属ではない一般家庭の出だった。
父親があの宮藤一郎氏であるということを除けば、ごくごく普通の女学生である。補足するならばウィッチの家系だということくらいか。
だからこそ少佐は彼女を気に掛けるのだろう。
彼女に何かあれば彼女の家族は父だけでなくその娘までも戦争で失うことになるのだから。
選んだのは宮藤軍曹だが、この道へ誘ったのは他ならない少佐だ。
話を戻すとクロステルマン中尉は理由がどうあれ坂本少佐による宮藤軍曹への扱いが気に食わないのだろう。
羨ましいのだろうか、いや、羨ましいのだろう。
うーん、羨ましいんだろうなぁ。
食堂で宮藤軍曹を豆狸と髪の毛を逆立てながら声を荒げる彼女の姿を、離れたテーブルで茶を啜りながら眺めてそう思った。
もはや見慣れた風景だ。
整備中隊の面々も特に気にすることなく各々の会話を楽しんで食事を摂っている。
ガリア空軍の軍服を見るとふいにあの少女を思い出す。
背もあの少女と近いのだ、クロステルマン中尉は。
年が近いのだから当然かもしれないが。
彼女があの少女のことを知っているかは聞いたこともない。
聞けば何かが変わるわけでもないし、知っているなら知っているで気まずいだけだから。
できれば、知り合いでなければ良いのにな。
そこまで考えて内心自分を笑った。
どうやら自分は彼女らに嫌われたくないらしい。
実家から手紙で軍への大きな資金援助を行ったのを知ったのはそんな平和な一コマの中でだった。
その知らせは検閲済みとなっていなかった。
それがどういうことなのか、わからないほど愚かではない。
□
親睦会から数日、宮藤軍曹の治癒魔法で傷を治してもらったこともあり、その翌日から快調だった。
三日間の謹慎で自室から出ない日々が続いていたがむしろ三日で済んだことを喜ぶべきだろう。
ヴィルケ中佐は怖かった。
普段のにこやかな笑みは見惚れるほどであるが、その蟀谷に浮き出る青筋はその矛先が俺でなくとも怖かった。
笑顔のまま青筋を浮かび上がらせる人間を俺はまだ彼女しか知らない。
今回はそれがこちらに向いたわけだが。
直前にバルクホルン大尉にしたことと同じことをすると。
『それは少佐から教わったのかしら??』
一瞬矛先が揺らいだ。
近くでお茶を飲んでいた坂本少佐が咽る。
ジャパニーズ土下座であるがこの世界では日本は存在せず、扶桑ズ土下座である。
土下座の文化はあったがカールスラント人の俺が知っていることに疑問を持たれた。
坂本少佐は確かに親睦会の件は黙ってくれていたが、新聞に載るとなると黙るわけにはいかなかった。
彼女自身が言ったことだが、然るべき罰則が必要になるわけだ。
知らなかったのかと中佐から少佐へ詰問があったことは確かめるまでもないが。
――扶桑の文化に興味があったため独自に調べました。
それで矛先は再び俺へ向けられたわけだが。
結果として謹慎三日と相成った。
確かに俺を親睦会に参加するように誘ったのは彼女だがそれを気にしているのだろうか。
上っ面だけの謹慎期間だったがヴィルケ中佐なりに俺へ休む時間をくれたと受け取った。
□
謹慎が解ける前から溶けるような夏の暑さが始まっているわけであるが、夏の風物詩である怪談の時期が来たようだ。
というのも、昨日から501で妙な噂が広がっている。
夜が深まった時間帯に基地内で物音が聞こえるとか。
複数人の整備兵がその音を聞いたこともあり気のせいではないらしいが。
風で煽られた鉄パイプやら部品やらが倒れただけだと思っている。
彼らはそれをポルターガイストだの幽霊だのと噂立てているわけだ。
魔女がいるのだから幽霊もいるかもしれない。
憑依事件のこともあるし、特定の時期だけ自分の体調が悪くなる不明の現象もある。
あらゆる超常現象はこの世界では存在するのだと仮定して立ち回るべきだろう。
ただ、もしも誰かが良からぬことをしているのであれば、早急に対処しなければならない。
各員の書類はしっかりと鍵を閉めているため、機密は守られると思うが、鍵を開ける術を持つ者であれば気が付かない間に抜き取られている可能性もある。
盗賊団がこの基地を狙っているかもしれない。
こんなご時世であるが金がなければ豊かになれないのは共通している。
そんなことをして人生が豊かになるかどうかはまた別の話だが。
それよりも考えたくはないが、マロニー大将の部下が忍び込んでいるという可能性だ。
最近マロニー大将の周りで色々な噂が出てきている。
その中の一つに技術者やそれに関する情報を集めているというものがある。
ウィッチを使わない兵器を作るという目的と魔導エンジンの技術者や情報にどういう意味があるのかわからないが、噂になる程度のことをしているのだろう。
リスクが高いが俺一人で確かめるべきか。
俺の巡回の当番はまだまだ先の話だが、今日の担当者と会わないようにできるだろうか。見つかれば当然俺が怪しまれる。
この基地の警備はウィッチを除く501の中から兵士が二名選ばれ交代で行われている。
日の終わりに点検という名のチェック業務は行われているし、夜間哨戒に出るリトヴャク中尉や他のウィッチに合わせて夜間担当者も整備中隊の中から交代で数名出ている。
ただウィッチ専用とはいえ銃火器を扱っているのだから相応の警備は必要だった。
そういった警備に関しては部隊運営の課題の一つとなっている。
中央や他の基地のやり方と同じようにすべきだとも思うが、この部隊自体が過去に例があまりない多国籍な部隊だ。
規律を含め、柔軟な対応ができるようにしたい、とはヴィルケ中佐の言葉だ。
もちろんそれを上に認めさせるように立ち回らなければならないが。
例えばその人員をどこから何人出すのか、など。
各員できれば仕事は増やしたくない、かといって人が増えればまた別の問題も出てくる。
楽をしたいのはあらゆる時代を含め世界共通である。
余談であるが、お菓子の搬入を規制していなかった頃、夜の食堂や倉庫には大体ハルトマン中尉が出没していた。
折を見て今夜あたり巡回するしかないか。
書類の山を片付けながらそう結論した。
ふと、顔を上げる。物音がしたからだ。
午後の士官室はがらんとしている。
俺しか使っていないのだから当たり前なのであるが。
日が傾き始め、外からは整備中の彼女らのストライカーユニットのエンジン音が聞こえる。
部屋の中まで暑さを感じるが、この基地の元となった城の造りは暑さを防いでくれるものだった。
汗は流れるが我慢できないほどでは決してない。
辺りを見回す。
士官室には俺以外に誰もいない。
窓から薄い風が部屋の中へ入り、開きっぱなしのドアから出ていく。
人の気配はない。
たまに部屋に来て寝ているハルトマン中尉なら、今は基地から近い海岸で訓練中だ。向こうで水着でも着て日光浴しながら寝ているだろう。
座ったまま士官室を一望し、何もないことを確認してからまた書類の山と向き合う。
風が吹いたのが物音のように聞こえただけだろう。
少し疲れてきているか、と休憩のために席を立とうとした時だった。
サイレンが基地内に鳴り響く。
ネウロイが来た。
予測よりも二日ほど早い。
不定期にも慣れてきたなと走って外へ向かった。
□
501のすべての活動はネウロイ襲撃を想定している。
故に彼女らの訓練が基地の外で行われている場合でも円滑な動きができる。
ハンガーに無線機と地図を木箱に並べ、簡易な指揮所が設営された。
敵ネウロイは既に内陸に入っている。
事態は緊急を要する。
外に隣接しストライカーユニットを装着できるこの場所が海岸から走って帰ってくる彼女らの負担が少ないと判断された。
訓練地である海岸にも岩場に無線所が設置され坂本少佐は既に使用したそうだ。
敵ネウロイは一機だということは判明している。
発見が遅れたのはレーダー網を搔い潜ったかららしい、これにはいくつか要因がある。
この年代のブリタニア(イギリス)のレーダーはマイクロ波だ。
マイクロ波の形式は同じではないがこれは現代でも使用されている。
電波を送信し物体の反射波を受信し、探知が成立する。
本来敵国同士で戦争し合っていた各国が共通の敵(ネウロイ)に協力していることから技術の発展速度はおそらく元の世界よりも早い。
資源の問題もあるがこのままいけば10年早く現代の技術に追い付くのかもしれない。
問題はネウロイ側が既にそれを上回っている可能性が高いということだ。
あちらの技術力は現代を遥かに超えている、はずなのだ。
少なくともこちらが探知にレーダーを使っているということは理解しているだろう。
レーダーは送った反射波を拾わなければ探知が成立しない。
その仕様から反射を受信機へ送らせないステルス兵器があるならば接近してくるまでその存在に気が付けない。
ネウロイほどの技術力ならば完全ステルス兵器がいつか来るのではないか、ネウロイほどの跳躍した技術力でも完全ステルスは不可能なのか、そんな懸念が生まれた。
来れば俺たちは眠ることすら許されなくなるだろう。ブリタニア陥落は秒読みとなるかもしれない。
今回のネウロイはその類か、それとも受信する前に圧倒的な速度でこちらへ向かってきている超高速型かのどちらかではないか。
自然環境の影響もあるが最近のこの辺りは快晴が続いている。
もし前者ならばと思うと眩暈がする。
ヴィルケ中佐はまだ到着していない。
ハンガーから海岸の方に目を見やる。
イェーガー大尉がこちらへ走ってきているのが見えた。彼女が先頭だ。
ここからでも見える彼女らの姿は全員水着だ。
十代半ばの彼女らであるが目に毒な娘もいる。
イェーガー大尉は最早凶器のそれだった。
舌を強く噛んで頭を振った。
整備班長は既にイェーガー大尉の武器とストライカーユニットを出し終えていた。
ご武運を、と整備班と共に敬礼をして彼女が水着のまま空へ飛び立つのを見送った。
その次に宮藤軍曹とビショップ軍曹の姿が。
同様に彼女らも水着のまま各々のストライカーユニットと武器を手に基地を飛び立った。
同様に敬礼して見送る。
宮藤軍曹はともかく、ビショップ軍曹は顔を真っ赤にしていたのが印象的だった。
更に強く舌を噛んだ。
横を見るとハンガーにいる男どもはみんな唇を噛み締めて各々の仕事をしている。
そこはかとない一体感を感じた。
続々と後ろを走っていたウィッチたちが水着のまま飛び立っていく。
坂本少佐とヴィルケ中佐が到着したのはその時だった。
設営した指揮所へ走ってきた彼女らの姿を見て改めて舌を噛む。
ヴィルケ中佐は女性らしい水着でそれはそれで目に毒だが、坂本少佐は……もっとヤバイ。
思考が開始される前に舌を噛んで頭の回転を止めさせた。
これ以上は舌を噛み切るかもしれない。
必死の様相で走ってくる彼女らを見て心の中で自分を叱責する。
今はそんなことを考えている場合ではない。
もう内陸に入られている。既に時間がないのだ。
気持ちはすぐに切り替わった。
「地図はあるか!?」
既に広げています。
お二人とも、こちらへ。
ヴィルケ中佐と坂本少佐はここから指揮を執ることが決まっていた。
既に内陸へ入られたと通信が入っていたこともあり、地図は予め出していた。
司令部からの通信で情報が追加される。
今回のネウロイは超高速型だった。ステルス機でなくて安心しているが、油断は一切できない。
木箱の上に広げられた地図の元へ二人は走ってきた。
インカムは既に全ウィッチが使っている。
ヴィルケ中佐と坂本少佐がインカムを通して先陣を切るイェーガー大尉と連絡を交わす。
超高速型の進行は今のところ直線のみだが、その先にはロンドンがある。
「直ちに、単機先行せよ!
シャーリー、お前のスピードを見せてやれ!」
『了解!』
坂本少佐はまず最初にイェーガー大尉へと指示を出し、順に他のウィッチへとインカムを通して指示を出している。
超高速型が一機だがこれから増えるとも限らない。
内部に小型ネウロイがいる可能性も考慮するべきだろうか。
先行しているイェーガー大尉が追い付き足止めをしている間に集結するのが堅実か。
攻撃を行えばネウロイはイェーガー大尉を無視することはできないだろう。
加えて彼女の固有魔法は速度を上げる超加速だ、元々先行するには適している。
ヴィルケ中佐と坂本少佐がそのように話しているのを後ろで控えて聞いていると、
「シャーリー、行っちゃった~」
息を切らしてルッキーニ少尉がハンガーまで戻ってきた。
足の速い彼女が最後尾とは。ここまで一番遠い位置だったのかもしれない。
ストライカーユニットで空を飛ぶわけでもなく彼女はハンガーをうろうろしていた。
どうしたのかな、と声をかけようとすると彼女は顔を青くした様子で呟いた。
「……まさか、あのままなのかな?」
直前の言動からイェーガー大尉のことを言っているのは明白だ。
猛烈に嫌な予感がした。
「何が、あのままなんだ?」
腰に手を当てた坂本少佐が問いただす。
「えっとね、昨夜あたし、シャーリーのストライカーユニットをね……あ、あの……何でも……ないです」
「続けなさ~い、フランチェスカ・ルッキーニ少尉、うふふふ」
位置が悪かった。
ルッキーニ少尉は坂本少佐に腕を掴まれ逃げられない状態にある。
その反対側の手を引きつった笑みを浮かべるヴィルケ中佐に抑えられた。
いけない、ヴィルケ中佐が早くも爆発しそうだ。
言葉もなく泣きそうな顔でこちらを見上げられたが助けられるわけもない。
一つだけアドバイスを彼女に伝えた。
歯を食いしばっておいた方がいいですよ。
聞いたことのないようなげんこつの音がハンガーに響いた。
言うまでもないが、壊れた状態のストライカーユニットを使用すれば飛行中に動きを止める可能性がある。
爆発や火でも付けば足を失う危険もある。
イェーガー大尉のストライカーユニットは彼女自身が手を加えているため、整備班も違和感を感じながらもそういう調整なのだと判断したらしい。
普段の十割増しくらいで少尉は二人から怒られていた。
彼女はハンガーの隅でギャン泣きしていた。
□
結果を先に言うとイェーガー大尉は無事だった。
それどころか彼女一人で超高速型ネウロイを打ち破ったそうだ。しかも突進で。
その後ですぐにストライカーユニットは全壊、テムズ河で海面に叩きつけられる直前に後続の宮藤軍曹とビショップ軍曹が間に合い怪我もなかった。
一歩間違えれば死ぬところだったのは間違いないだろうが、結果的に何もなくて本当に良かった。
医務室で目を覚ましたイェーガー大尉もルッキーニ少尉に怒ることもなく気にするなとどこか満足気に話していた。
どうやらルッキーニ少尉が彼女のストライカーユニットを壊したお陰で普段よりもスピードが出たらしい。
音速を突破したとか。
生身で突破すれば間違いなく体は持たないだろう、魔法力の成せる御業というべきだろうか。バラバラになったのはネウロイの方だったわけだ。
世界で初めて音速を超えたのはロケットエンジンの機体で奇しくも同じ名前を持つイェーガー氏だったはずだ。
まだ何年か先の話だと思うが、ネウロイのいるこの世界で同じ偉業が起きるとは思えない。
彼女には悪いが公式記録としては残せないかもしれない。上にどう説明すればいいんだ。再現性も取れないし。
ルッキーニ少尉の頭とヴィルケ中佐の胃にこれ以上ダメージを与えてはならない(戒め)
今後イェーガー大尉のストライカーユニットの調整も整備中隊との連携を強くしていかなければならないだろう。
今回のようなことは二度と起こしてはならないが、同じ状況で整備兵と大尉の間でやり取りがなければ二度目があるかもしれないからだ。
現場案件ではなくヒヤリハットというやつだろうか。
なるべく大尉にも整備中隊にも負担を増やさない方向にもっていきたいとは整備班長の言葉だ。
ハンガーのことに口を出す立場ではないが、話し合うだけならばタダである。
大尉がヴィルケ中佐にまで稟議を持っていく前に大尉や整備中隊とで話し合うつもりだ。主に最小限の労力にするために。
思いつくのはイェーガー大尉と整備中隊のダブルチェックだが、今まで一人でやってきた分、効率は良くないらしい。
面倒な手順を少しでも減らすためにできることはないか。
労力を減らすという点において、幸いにも俺はその手のやり方は得意だった。
仕事を増やしつつ労力を変えないためのやり口はリーマンだった俺は磨かれている。
現代でも同じだが、楽に仕事をしていく上で大切なのは上司を納得させることだ。
上司に言われるがままに仕事をしていけば給料は変わらないのに仕事が二倍にも三倍にも増える可能性はゼロではないからだ(遠い目)
過去の稟議の事例を持ち出してヴィルケ中佐のストレスにならないように言葉でバトルしよう。
ヴィルケ中佐の顔色が少しでも悪くなれば即座に折れますので対戦よろしくお願いします。
まぁ戦うのは大尉なんだけどね。
その日の夜、そう思いながら彼らと話し合う草案も軍務と並行して練っていたのだが。
ふと、物音がしたので顔を上げた。
夜も深まってきた、士官室の電気はまだ点いているが部屋の外は真っ暗だ。
士官室にはやはり誰もいない。
いろんな意味で張り詰めた午後を過ごしたからか、感覚が過敏になっているようだ。
そろそろ部屋の電気を落としてランプに変えるべきだろうか。
それとも今日はもう切り上げて明日に備えるべきか。
どさり、と机の上に積んでいた書類が落ちた。
顔を上げた時に机を揺らしてしまったのだろう。
ため息を一つ吐いて拾い集める。
落ちた書類は出現したネウロイについてまとめた資料だった。
これに今回出現したネウロイを追加するのだが、それは後日になる。
ネウロイか、と短く呟いて資料を片付け、鍵の開いている引き出しから本を取り出す。
これは個人的に書いているメモ書き、所謂自由帳だった。
彼女らはこれと同じ意匠のものを航空日誌として使っているらしい。
これは501に来た時に半ば強引にバルクホルン大尉から渡された物だった。
以前にネウロイのことを書いていたことを今回資料を見て思い出した。
日誌はすべてが日本語で、それも左書きで書いている。
プライベートの物だからということもあるが、これは自分を忘れないためだった。
この世界での日々が長いからだ、事実、日本での日々は遠い昔だ。
あれだけ鮮明だった日本での生活(思い出)は、もう断片的にしか思い出せなくなっている。
雑学や自分が興味のあることはきっかけさえあればまだ思い出せる。娯楽については得意だった。
いつか、どうやっても日本のことを思い出せなくなる時が来るだろう。
自分が日本にいたことすらわからなくなる時が来るかもしれない。
それだけは嫌だった。
だからこそ日本語で書く、扶桑ではまだ右書きだが現代の日本は左書きだ。
その文字を読むと自分がまだ日本のことを忘れていないという自信が出るから。
中頃のページにネウロイのことを書いていた。
ざっと書かれた内容に目を通す。
我ながら絵心のないネウロイの絵も添えてあることに苦笑いする。
自分の主観で、ありのままの感想や想像を書いていた。
――ネウロイの機体の数や海を渡れない特性は資源の加工に時間がかかっているためだと認識している。
海を渡れないのは機体に何か無視できない影響があると見て間違いないだろう。
レーザー兵器を作ることや海越えはそれ相応に資源と時間が必要なのだろう。
ネウロイの巣と言われるネウロイが出てくる場所がある。
それは陥落した大陸各地に点在している、そこが量産拠点なのだろう。
ネウロイ量産のために時間を要すること、それ故の出現周期だ。
これは確信を持って言えるが、奴らはガリア陥落時のような大侵攻のために少しずつネウロイの数を蓄えているはずだ。
だから小刻みにしか侵攻して来ない。
こんなことは俺でなくとも考えついている人は多いだろう。その通りなのかはわからないが。
今日のことを書いていると部屋をノックする音が聞こえた。
暑さ対策のためにドアは空いている、見れば坂本少佐が入り口に立っていた。
坂本少佐?
こんな時間にどうなされたのですか。
「基地内で幽霊だのポルターガイストだの騒がれていることは知っているか。
その件で基地内の巡回をしているところだ。既に今日の担当者とは話をつけた。
こちらに何か問題はないか?」
…そういえば俺も巡回するつもりだったことを忘れていた。
ネウロイの襲撃があってすっかり頭の外に押し出されていた。
しかし少佐自ら、それも単身で巡回か。
従兵の土方君あたりが同行すると思っていた。
彼の場合、少佐に休んでもらい自分が行くと言い出しそうなものだが。
「問題でもあったのか?」
いえ、何も問題はありません。
その噂についてはこちらでも把握しておりました。
実は私も時間があれば巡回をするつもりでしたが。
「む、軍務に集中していたのなら邪魔して悪かった。
遅くまで精が出るな、少尉」
ありがとうございます。
といっても今日はもう切り上げるつもりでして。
日誌を机の中に入れて鍵を閉めた。
書類も別の大きな引き出しに紐で止めて仕分けする。もちろん鍵も。
すぐに机の上はペン立て以外に物がなくなった。
手慣れたものだな、と少佐は苦笑した。
「丁度良かった。
この後少し時間は取れるか?
一人でも十分だと思っていたが見落としもある、二人で見て回らないか」
□
ランプを片手に深夜の基地内を歩く。
この時間は誰も廊下を出歩いておらず寝静まった基地内を少佐と二人で歩いた。
…反射的に同意してしまった。
断らないというスタンスを貫いただけだが、少し後悔がある。
この巡回で成果が出ないことを祈りながら歩いている。
既に歩き始めて数分が経とうとしていた。
その間互いに最小限の言葉しか話していない。
無口ではないが寡黙なリトヴャク中尉となら居心地の良さを感じていたかもしれないが、普段からよく話しよく笑う少佐の場合はただただ気まずかった。
雑談しながら歩くのも巡回としては不適切かもしれないが、空気が次第に重くなっているのは気のせいだろうか。
ランプの淡い火の光に照らされた坂本少佐を横目で伺う。
いつも彼女は前を歩く立場だったので隣同士で歩いて改めて思う。
彼女の身長はウィッチの中では高い方だった。
俺が無駄に背が高いだけだが、横に並ぶと頭一つ分背の低い彼女は凛とした佇まいで廊下の奥の闇を睨んでいた。
何か会話のネタはないかな、と考えを巡らしていると唐突に今日の彼女の姿がフラッシュバックした。
――この真面目な顔でスクール水着は反則だな。
思い出してしまった。
扶桑の水練・海岸訓練用に支給されている訓練服は現代で言うところのスクール水着なのである。
現代で学生が水泳の授業で使っているアレだ。
基地の売店でも水着は売られているが今日の訓練では坂本少佐と宮藤軍曹は支給された扶桑の訓練服を着用していた。
宮藤軍曹は年相応だろう。事実微笑ましく見えた。
坂本少佐はウィッチの中で最高齢だ。女子大生の年齢だ。
もう大人と言ってもいいだろう。
別に現代でも彼女の年齢でスクール水着は問題ではない、犯罪でもない。
公共の水場では凄まじく目立つだろうけども。子供の目に毒だと通報する人もいるかもしれない。
実際この世界の人間は何も感じない、そういう服なのだなというくらいだろう。ファッキュー世界倫理観
思い出した少佐のスクール水着姿を頭を振って振り払う。
「どうした?」
いえ、なんでもないです(早口)
そういえば少佐、以前から気になっていたのですが、普段は片目では不便ではないのですか?
咄嗟に別の話を出した。
彼女のトレードマークにもなっている眼帯だが、日常生活で片目はやはり不便ではないのか。
彼女の魔眼は固有魔法が発現したその日から通常の目に戻すことができないらしい。
だから彼女は日常的に眼帯を着用していた。
「この目とももう長い付き合いだ。
あまりにも慣れ過ぎて最早何が不便なのかとも感じないさ。
反対に、戦場でこの目を使う時こそ不便だと感じることもある。
やはり見え過ぎるのでな」
切り替えができないことは知っていましたが、見え過ぎる、ですか。
常に遠眼鏡を使っているということですか?
「そうだ。
空で魔眼を使う場合は、少しの振動で驚くほど視界が揺れるし、
地上でも空でも平衡感覚がしばらく悪くなることもある。
それらにももう慣れたが、昔はこの目に振り回されてばかりだった」
人間の脳には目に写った視覚情報を処理する機構がある。
この場合は脳の処理が魔眼の性能に追い付いていないのだろうか。
いや、瞬時に処理できないということだろう。
知ってはいたが改めて聞くと彼女の魔眼は想像以上にすごい物のようだ。
「コアを見るのは更に酷い、魔法力の消費も相応に多い」
通常では見えない物を見ているのですからそうなるのでしょう。
魔眼の使用後の反動は脳の正常な反応です。
少佐の魔眼は素晴らしい物だとはわかってはいましたが、人間が扱うには強すぎるのでしょう。
少佐の魔眼は超視力に加えてネウロイのコアを見ることができる。
固有魔法で魔眼を発現させているウィッチは多くない、コアまで見れる魔眼は坂本少佐以外に俺は会ったことがない。
おそらく片手で数えられるくらいの人数だろう。
物体を透過させるのかそれとも別の原理なのか。
脳にかなりの負荷がかかるのは間違いないだろう。
坂本 美緒少佐はここ第501統合戦闘航空団の戦闘隊長だ。
扶桑皇国(日本)出身のウィッチでここでは最高齢の19歳。
例のごとく俺はウィッチとは距離を置いているため、軍務以外での彼女がどういう人なのかはあまりわかっていない。上官であるならば尚更だ。
ただこんな俺でも分け隔てなく接してくれているのは理解しているつもりだ。
部隊内での取り決めに基づき、彼女らの訓練や演習の他、近隣地域への対応に雑多な電話対応に器物破損や銃器紛失倉庫おやつ泥棒の度にヴィルケ中佐に渡す書類を作成する俺を何度か労ってくれた、それだけで中央の上官たちよりも評価が高い。
ヴィルケ中佐や土方君など、周りの人間に対する反応から鑑みた所感は人たらしだ。もちろん悪い意味ではない。
彼女は厳しくはっきりとものを言う人であるが、突き放した態度は滅多にとらない。下の者を慮る態度は言葉の端々から伝わるそうな。
クロステルマン中尉は極端な例だが、土方君を始めとする扶桑からの彼女の従兵たちを見る限り、彼女の人となりの良さが伺える。
坂本少佐とは501設立にあたりヴィルケ中佐から紹介されたのが初対面だった。
風評が最悪だった俺に真っ直ぐに握手の手を差し出してくれたことを覚えている。
すぐにメッキが剥がれたハルトマン中尉とは違い、彼女は一貫として真面目な人間のままだ。裏表がないともいう。
会う前に彼女の戦歴を閲覧する機会があったのだが、長く戦場にいたこともあり怖い人なのかもしれないと思っていた、それは杞憂だった。
俺の見た彼女の戦歴は遣欧艦隊リバウ航空隊のものだ。
多大な貢献をもたらした彼女を含む扶桑海軍の三人はリバウの三羽鳥と呼ばれているそうだ。
軍刀を使って戦うことも多くサムライという通り名まで持っている。
そういう風に呼ばれているのは実際に聞いたことないけど。
ハルトマン中尉のような昼戦最強のウィッチの一人とはまた異なる、謂わば最優のウィッチの一人だ。
作戦の指揮能力、現場での指揮判断、加えてネウロイのコアを見抜く魔眼は早期撃墜だけでなく、新型に対しても有利に働く。
素人の俺でもその有効性がわかるくらいだ。
彼女一人で一体何人分の役割となるだろうか。
「それに、もう少しでこの目が使えなくなると思うと、感慨深いものがある」
ウィッチは20歳前後で魔法力が急激に衰える、それは既に周知された常識だった。
彼女ほどの人材が一年足らずでそうなるのだと思うと残念でならない。
501での核を担う彼女を失うことは部隊の存続に関わるだろう。
この一年が、501でのガリア奪還の最後となるのではないか。
俺の予想だが、ヴィルケ中佐も焦り始めている。
彼女の人脈で中央の情報を集めているのも関係しているに違いない。
上の連中が嫌味で言うような手柄が目的ではない。
坂本少佐という柱を維持したままでなければきっとガリアへは攻め入れないだろうから。
代用の利かないウィッチの中でも彼女は更に特別な存在だから。
この一年が勝負です。
私も私のできることに注力する所存です。
「ああ、期待している。
…先日の親睦会は助けられたな」
為すべきことを為したまでです。
それに一番の功績は私ではなく国防市民軍の機転でしょう。
気球にワイヤーを張って絡めるとは、私では考えつきませんでした。
オーウェル氏の力添えもある、国防市民軍を動く後押ししたのは彼だ。
あの短時間でワイヤーを作るのは村人の協力もあったに違いない。
あの新聞は軍にとっては面白くなかったかもしれないが、ブリタニアに生きる人々を勇気付ける内容となった。
宮藤軍曹やビショップ軍曹のような新兵も活躍したのだ。
各地に配属された新兵や中央の訓練生にも発破をかけることになったかもしれない。
「少尉、今後、似たような状況になった場合に親睦会と同じ行動を取ることができるか?」
はい。
貴女方に比べれば私の力など、たかが知れていますが。
「そうか」
少佐の無感情な短い言葉を最後に、他に口にすることもなく、要所を歩き回った。
物音や呻き声があったとされるハンガーには今日の出撃後の整備とチェックで整備兵たちが徹夜で仕事をしている。
少佐は彼らを労い感謝しているのを隣で見ていた。
その後はやはり何もなく、後は食堂を経由して士官室で解散しようと歩き進めていると、坂本少佐が立ち止まった。
「気付いたか?」
はい、誰か走って行きましたね。
ランプがあるとはいえ夜で視界が悪く、昼間よりも一段と静かだからか、音に対して敏感になっている。
地面に耳を当てなくても地面が振動する音はわずかに伝わってきた。
音は次第に小さくなっていく。
遠のいているということだ。
外へ出たのか上の階へ上がったのかはわからないが。
場所は廊下の角の先、食堂付近。
食堂は食料の搬入の都合で基地の端に作られている。
食堂から出てきたとみて間違いないだろう。
坂本少佐は眼帯に手を当てている。
使うわけではないだろうが、おそらく彼女にとっての臨戦態勢がそれなのだろうか。
彼女の手を煩わせるわけにはいかない。
人間相手なら俺の出番だ。
少佐、後を追いますか。
「いや、相手が複数の場合は危険だ。
今は見送ろう。
出て行った食堂に何かがあるかもしれない、確認するぞ。
少尉、明かりを消してくれ」
その言葉に頷いてランプを消し、ゆっくりと歩く。
月明りだけが光源だが、月の満ち欠けにより今日は薄い光しか差していない。
誰かが出て行ったであろう食堂にたどり着く、銃を抜いて中を伺う。
やはり電気を点けなければ誰がいるかは判断できない。
厨房の方からは何やら煮立つ音と異様な香りが漂っていた。
リスクを覚悟で電気を点けるか、と少佐の方を見ると。
「どうやら人はいないらしい。
明かりを点けてみるか。
少尉は食堂の外を警戒してくれ、誰かが帰って来るかもしれない」
少佐、わかるのですか、この暗闇で?
まさか魔眼を?
「いや、ちょっとした小技のようなものだ」
何かの魔法を使ったのだろうか、魔眼を使ったわけではないそうだが。
考えるより先に頷いて外を警戒する。
食堂の電気が点いてしばらく時間が経つ。
「少尉、もう大丈夫だ。
謎はすべて解けた」
坂本少佐が何やら名探偵みたいなことを言うので厨房の中に入る。
一つの鍋とその周りに様々な食材と調味料が散乱していた。
火を消しているのにゴボゴボと鍋は音を立てていた。
甘いようなしょっぱいような酸いような臭いが出てきている。
和と洋がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさったような臭い。
厨房全体を観察する。
鍋の外にはいくつかの箱と食材が置いてあった。調理棚も開けられたままのものがちらほら見える。
塩漬け豚(ウィンナーもどき)にザワークラウト(キャベツの漬物)、バター、砂糖、ヨーグルト、塩、パスタ、紅茶(茶葉)、重曹、酢、ケチャップ、ソース、胡椒、片栗粉。
思わず手で鼻を覆う。
これは?
まさかこれら全てがこの中に?
「おそらくな。
どうやら侵入者というわけではないらしい。
私の考えが正しいなら犯人は現場に戻ってくるだろう」
首を傾げていると厨房に誰かが来るのがわかった。
「なんで明かりが点いてるんだ?」
眠そうに眼を擦りながらイェーガー大尉が厨房に来た。
手には豆缶を持っていた。
まさか彼女がこの惨状を?
鼻を覆っている俺と腕を組んで仁王立ちしている坂本少佐を見て大尉は踵を返す。
脱兎という言葉が彼女ほど合う人間はいないだろう。
予め使い魔を使っていた坂本少佐の方が速かったわけであるが。
「どうして…」
イェーガー大尉は厨房に正座をさせられた。
すぐにまた誰かが厨房へやってくる。
「なぜ明かりが」
やってきたのはまさかのバルクホルン大尉。
俺と坂本少佐と地面に正座するイェーガー大尉を見て目を白黒させている。
坂本少佐はイェーガー大尉の隣を指差すと彼女は苦い顔をしながら正座した。
「くっ、少尉、このことはハルトマンに言うなよ」
そういえば彼女は以前ハルトマン中尉に夜にお菓子を食べるなと注意していたな。
ハルトマン中尉が士官室にまでやってきて愚痴を零していたのを思い出す。
そっすね、と短く答えると食い気味で彼女は言葉を続けた。
「言うなよ、絶対に言うんじゃないぞ!」
「自爆の天才か?」
イェーガー大尉がおどけるように言うと二人は罵り合いを始めた。
これで何かあった時にこのネタを使って大尉から逃げることができる。
一か月は持つだろう。
あまり調子に乗ると彼女の手が滑って物理的に凹まされるかもしれないが。
「坂本少佐!? これは一体何事ですの!?」
最後にやってきたのはクロステルマン中尉だった。
とりあえず正座するようにと少佐が言うと彼女もすぐに従った。
心なしか嬉しそうだ。
いや、普通にすごく、嬉しそうだ。
彼女にとって致命的なミスかもしれないが、何かを天秤にかけて今の状況が優ったのだろう。
クロステルマン中尉は無敵だ。
「あと一人くらいは来ると思ったが中々来ないな。
野生の勘で危機を察知したか、それとも既に逃げた後か」
出て行った誰かは残った材料で判断できてしまう。
坂本少佐はもう誰が来たか当たりは付けているらしい。
事の顛末はこうだ。
・イェーガー大尉が夜食を作るために厨房へ来て足りない材料を食糧庫へ取りに出る。
・バルクホルン大尉が同じく夜食を作るために来てたりない材料を食糧庫へ取りに出る。
・同様にクロステルマン中尉も来て途中で自室へ戻る。彼女は夜食ではなく料理の練習らしい。
それらが明かりを点けない暗闇の中で行われたのだ。
この場にはいないがもう一人くらいはいるだろう。
互いがこの厨房で料理をしていることを知らなかったことになるが。
「奇跡だな。
打合せをしていないだろうな?」
三人は首を強く横に振った。
奇跡的に誰も会わなかったのだろう。
各々の作ろうとした料理を鍋に入れて煮詰められたわけだ。
パスタを誰が用意したかは簡単に想像できる。
このパスタは彼女のためにヴィルケ中佐が作りおきしたものでもある。
日に二度のげんこつは許してあげてほしいが。
三人とも火を点けていないそうなので、誰かがこれに火を点けて止めたということになる。
せめて彼女が今この場に居合わせたらどうにかできたかもしれないが。
イェーガー大尉は塩漬け豚を、バルクホルン大尉がザワークラウトを、クロステルマン中尉がバター、砂糖、ヨーグルトを同じ鍋の中に入れた。
もうこの時点で悲惨だが。
まさかルッキーニ少尉が残りを全部入れたのだろうか。
少佐は三人に消灯下での調理を金輪際止めるように言い渡し、厨房の掃除を命じた。
俺と少佐はそれが終わるのを食堂の方に移動して待つことになった。
三人とも眠そうになりながら事に当たっている。
火事にならなくて良かった、とだけ思っておこう。
少佐、先ほどの小技というのは、もしや使い魔のことですか?
「そうだ。
使い魔にもよるが、その契約者であるウィッチは言葉を交わさずともある程度意思疎通ができる。
少尉には見えないように仮に侵入者がいた場合も見つかることはないだろう。
相手がウィッチでなければな」
なるほど、と少佐の隣を見るが影も形もない。
少佐が何もないところに手を置いているようにも見える。
変な気分だ、いるとわかっているのに見えないとは。
確か少佐の使い魔はドーベルマンだったか。
現代では軍用犬や盲導犬としても活躍している。
大体、このくらいの背丈だろうか。
なんとなく少佐の隣に座り込んで手を差し出してみる。
掌に温かいぬくもりが乗りかかった。
見えないがおそらく少佐の使い魔の手が乗っているのだろう。
使い魔相手でもお手が成立したということだ。
姿が見えないからか掌の感触に不思議な気持ちになる。
見えない手をなぞり、下から首回りを掻いてやる。
短い毛波なのだろうか、しょりしょりと指に硬い毛波の感触が伝わる。
結構大きめの犬だ。
見えないのが惜しくなる。
「初耳だぞ。
触れるのか少尉」
はい?
「ウィッチ以外には見えず触れもしないと思っていたが」
見えないですが、はっきりと感触がありますが?
「見えない者には触れずに透けるはずだが」
確かにウィッチしか見ることができないということは周知の事実だが、触れるかどうかは知らなかった。
「そういう人間もいるということか。
会ったことはないが見える人間もいると聞く。
なんというか、中途半端だな」
少佐がいつもと同じで力強く笑った。
俺は苦笑いした。
□
少しして厨房を片付けて解散となった。
夜もかなり深くなった。
バルクホルン大尉たちは眠そうに目を擦りながら各自の部屋に戻って行った。
「いつまでそうしているつもりだ?」
呆れたような声色で彼女は言った。
俺は坂本少佐の使い魔を撫でまわしていた。
姿は見えないがこの短い直毛の感触が堪らないのだ。
「明らかに撫で慣れているな。
本当に見えてないのか?」
ペットショップやカフェでよく犬猫は撫でていたんですよね。
見えずともこの魂が覚えています。
「そ、そうか。
そろそろ放してやってくれ、気持ち良さそうだが一応気高い精霊だからな」
一応、という言葉を強調して俺の手の先に彼女は言った。
名残惜しいが手を放す。
堪能した。
姿は見えないので手を離すと本当にどこにいるかわからなくなる。
巡回はそれから間もなく終わり、厨房以外に問題はなかった。
今日は異常がなかっただけかもしれないが。
少佐、お疲れ様でした。
「少尉にも苦労をかけたな」
社交辞令のやりとりをして別れることになった。
色々と密度の濃い巡回だった。
毎回こうだと疲れるが、たまには良いかもしれない。
「少尉」
部屋へ戻ろうと踵を返すと少佐がそう言った。
振り返って面と向かう。
「私がここを去っても501は続いていく。
少尉はウィッチではないが、ウィッチではないが故に誰よりもここに残れる人間になるだろう。
何がお前をそうまで突き動かすのか、私は知らないが。
生き急がないことだ。
戦場で幾人も見てきた。私もそうならないとは言えないが」
長く戦場にいた彼女だからこその言葉かもしれない。
親睦会で麦畑に落ちたネウロイを最後に倒してくれたのは坂本少佐だった。
状況からどこまで俺のことを察したのかはわからない。
ただ、考えていること全てを見透かされたような気持ちになる。
不思議と悪い気分にはならなかった。
直接口に出したわけではないが、彼女なりに自分を気遣ってくれていることはわかる。
同時に彼女自身の不安もわかってしまった。
初めて彼女の腹の内がわかった気がする。
わかりました、と答えたかったが口には出せなかった。
少なくとも今の彼女に軽々と嘘は言いたくないから。
少佐は俺の肩を叩いて去って行った。
彼女の背中を俺はずっと眺めていることしかできなかった。
誰もいなくなった廊下で一人、立ち尽くす。
彼女の信頼は俺の身の丈に合わない。
きっと彼女は俺がマロニー大将の計画に加担していることを知らないのだろう。
疑いもしていないのかもしれない。
だが資金が動いた後の今、もう彼女らの側に戻ることなどできない。
もしもマロニー大将が501を潰して自分の計画を遂行するならば、俺は彼の側に付かなければならないだろう。
ガリア奪還を達成できる側につく、今は501がそれに最も近い場所なだけだ。
ガリア奪還は俺の全てだ。
だが、それは本当に彼女らを裏切ってまで為すことなのか。
その時が来たら、どんな顔をして彼女らと向き合えばいいのだろうか。
少なくとも、坂本少佐の顔を俺は直視できないだろう。
否、誰一人として顔を向き合わせる勇気はない。
取り返しの付かない後悔だけが自分の中に渦巻いていた。
レーダー回りが難しすぎる。それを読み解くだけで何日も使えるくらいにハマるのも事実ですが。