□
え、髪を切れ、ですか?
いつものように書類仕事をしていると。
バルクホルン大尉が珍しく軍務以外の話を切り出してきた。
「ああそうだ。
少尉、鏡は毎日見ているのか。
目の下に隈もできているし、髪もこの部隊が設立してからかなり長くなっている。
ここには髪に関して規律はないが、気分転換には良いだろう」
マジか。
この人、俺に対して日常的な話できたんだ。
今日はもしかしたら空から槍でも降るのではないだろうか。
いや、というよりもそれほど俺の面が気持ち悪いってことか。
「……なんだ。何か文句でもあるのか。
私でも非番や定期休暇があれば休んでいる。
少尉も休めと言っているのだ」
唖然としているとそれを見てか彼女は眉間に皺を寄せて俺を睨んだ。
ウィッチとそれ以外の軍人の定期休暇は中身が同じではないが、俺にも休みはある。
もちろん休んでいないわけではないが、基地からは出ない。
殴られそうだから断れないし、そもそも断る理由もない、確かに良い機会だ。
わかりました。
床屋、行って参ります。
あ、いや、呼べば来てくれるのかな。
軍付属の人がいたりとか。
「今はいない。
街に行ってこい」
それに私一人で出歩いてはいけませんよね。
「必要なら下を連れて行けばいいが。
申請書を作って上官に渡せばいい。
お前の上官は誰だ?」
ヴィルケ中佐やバルクホルン大尉でありますが。
「なら今すぐ作って私に渡せ。
……私が中佐に渡す」
二度手m痛い!
□
「で、私が呼ばれたわけですか」
すまんなクルト。
どうせなら知り合いの方が気が楽なんだ。
これも仕事と思って我慢してくれ。
「別に嫌なわけではないですよ。
車も運転できますので適任でしたでしょうし。
ですが私は整備班なのですが」
501整備中隊も軍属で階級がもちろんある。
彼は伍長で昇進試験をパスすれば更に上にいける。
俺が少尉のままでいる間に随分階級を飛んできたものだ。
まぁあちらは最高位があるのだが。
「少尉、そろそろロンドンに入りますが、どの床屋なんです?」
なんだっけ。
確か申請したらその後で指定されたんだ。
軍が贔屓している床屋とかあるのかな。
それにしてもロンドンは久々だな。
紙に記された床屋を彼に伝えて車を走らせた。
かの都市の象徴であるビッグベンをぼんやりと車の中から眺め、曇り空だなとどうでもいいことを考えた。
車を降りると湿り気のある臭いが鼻についた。
雨が降り出しそうだ。
伍長を車内で待たせて中に入る。
なんの変哲もない床屋だった。
お待ちしておりました、と床屋の店員は恭しく頭を下げた。
どんな髪型がいいか今更考え始めた、そういえばこういう場合は固定だったっけ。
席に座ってケープを取り付け、店員に任せた。
彼は何を言うこともなく、てきぱきと髪を切り始めた。
髪を切るハサミの音が店内に響く。
外はどうやら雨が降り出したようだ。
速い雨脚の音も合わさって眠気を誘う。
今ならば普段と違い極上の睡眠を貪れる、と目を閉じた。
誰かが店内に入ってきたのはそんな時だった。
硬い靴の音が近付いてきた。
誰だ、と鏡を見て背後を確認するとブリタニア空軍の男が数名鏡に映った。
「ごきげんよう、少尉。
直接会うのは久しぶりだ」
最後にコートを着た誰かが鏡に映った。
その他にも数名が店内へ入ってくる音が聞こえた。
マロニー大将ではありませんか。
お久しぶりであります。
このような姿で失礼致します。
「良い。
丁度私も髪を切ろうとしていたところだ。
貴官もこれはプライベートだろう。
畏まらなくてもいい。
いや、同じ日に同じ店を利用するとは、珍しいこともあったものだ」
白々しく彼は俺の隣へ腰かけた。
伍長はどうなった。
ちゃんと車で待機しているだろうか。
俺とは別の店員が大将にケープを取り付けた。
髪を切る音が再開される。
「久しぶりのロンドンはどうだね。
実に活気に溢れた街だろう。
生憎今日は雨が降っているが」
はい。
この街を守るために軍属へ身を置いていると思うと、更に精進せねばと――
「そうだ。
我々にはこの街を守る義務がある。
それだけでなく、ガリアやカールスラントを奪還しなければならない。
これは使命だ」
俺の言葉を遮って彼は言葉を続けた。
「だが、国防を担うのも、他国を奪還するのも、現状では最善手がウィッチしかいない」
そりゃ、ウィッチの魔法力を付与した攻撃しか有効打を与えにくいからな。
軍艦の主砲で撃滅するという力技もあるが。
「ウィッチも20歳を超えれば魔法力は落ち、ただの人間となる。
しかしネウロイとの戦闘は長期戦だ。
10年足らずで使い物にならなくなり、肝心な時にあがりを迎える。
それに対して憤りを感じたことはないかね。
君の部隊では、ほら、問題児が多いじゃないか」
そうですね。
確かに、彼女らは不安定だ。
まだ成熟していない精神で戦場に出されるのですから。
そのために勉強や訓練があり、学校があるわけですが。
代われるものならば男が代わってあげたいくらいですね。
代われるものなら。
「おお、貴官もそう思うかね。
そこでだ、少尉。
君に個人的な話があるのだが」
わかりました。
協力致しましょう。
「…それは嬉しいが、話を聞かないのかね?」
予想していましたので。
軍部に嗜好品の供給も増えてきましたし。
実家の資金も余裕が出てきている時期です。
来るならそろそろかな、と。
そもそも、こんな場で話してよいことなのですか。
「ああ、そんなことか。
それに関しては問題ない。
彼らも軍属だ」
まぁ指定されたからそうではないかと思っていた。
バルクホルン大尉は関わっていないだろう。
俺が休暇の申請を出したから先まわりができたのだろう。
この店自体が大将の息のかかっているとは。
「事情があってね。
あまり軍内部では話したくないのだよ。
極秘裏の作戦なのでね」
……なるほど。
「私も人材を集めるのに必死でね。
動こうにも動けなかった。
だがそれも今日までだ。
開発の目途が立ったのだよ。
後は君次第だ」
なんのですか、と鏡越しに彼の目に問いかける。
「ウィッチを必要としない新たな戦力だ。
協力してくれるね、少尉?」
□
「少尉、ご無事でしたか」
車に戻ると伍長が口早にそう言った。
「マロニー大将ですよね、さっきの。
何があったのですか」
偶然同じ店を利用しただけだ。
緊張して失禁しそうだった。
もしかして俺が何かしでかしたんじゃないかとひやひやしたが、そんなことはなかったぜ。
「……そうですか。
基地に戻りますか?」
ああ、頼む。
ロンドンの街はあまり好きじゃない。
煙ったくて気分が悪くなりそうだ。
伍長は何かを言おうと口を開きかけたが、俺がルームミラー越しに睨むと何も言わずに口を閉じた。
ああ、早く戦争が終わればな。
□
基地に帰ってから諸手続きを終え、自室のベッドに寝転がった。
マロニー大将の話が頭から離れない。
落ち着かないな。
折角の休暇はまだ続いている。
今日は確か、ウィッチたちは座学の時間だったな。
だったら会わないだろうし、歩くか。
たばこの箱を片手に外に出た。
廊下を下って外に出てドーバー海峡が一望できる場所に来た。
この時間は人気がなく、日当たりもいいのだが。
風が強すぎて、たばこの火が点けられない。
体で風を遮って火を点ける。
危うく火傷をしそうになりながら煙をふかした。
腰を下ろして日差しを体に受けながら、空を見上げた。
ロンドンは雨が降っていたのに、ここは日の光が見えている。
気持ちのいい日だ。
そんな雑多な感想を抱いてから、これからのことを考えた。
確かにマロニー大将の言う通り、これからのネウロイとの戦いにおいてウィッチ以外にも戦力と言える駒を手に入れるのは必要なことだと思う。
彼でなくともその他にも同様のことを考えている将校は必ずいるだろう。
俺が手を貸さなくても彼ならば資金を調達していたはずだ。
だが俺は手を貸した。
既に共犯だ。
彼の破滅は俺自身の破滅に直結する。
だけど仕方がないだろう?
あの状況で拒否すれば確実に殺されていた。
俺はまだ死にたくないから。
思えばこれはダイナモ作戦で生き残ってから決まっていた道筋だ。
ならもう、突き進むしかない。
マロニー大将はヴィルケ中佐には話すなと釘を刺した。
どう考えても違法なやり方で開発を進めているに違いない。
その詳細は明かしてはくれなかったが。
ただそれには莫大な資金と時間がかかるらしい。
鏡越しに見ただけだったが、彼の私兵はとても従順だった。
それもそのはず、彼の勧誘は俺でも納得のいくものだった。
みんな思っているのだ。
女性の、それも成人していない子供を戦場で戦わせるわけにはいかないと。
ネウロイが現れる前までは男性が戦っていたのだから。国同士で。
大将自身はウィッチの存在自体を快く思っていないことは俺でもわかる。
だからこそ、彼のその勧誘は手段であって本意ではない。
そのことは彼の私兵もわかっているだろう。
話せばおそらくクルトも協力したかもしれない。
彼が軍属になったのは、ヴィルケ中佐だけを戦場へ立たせるのに負い目を感じていたからだ。
結果的に彼女の負担が減ればと考えれば間違いなく協力するだろう。
だが俺は話さなかった。
なぜか。
結局のところ、俺は
「何してるのー?」
日差しを遮られて、我に返った。
たばこの火はとっくに鎮火していて、煙も何も出ていない。
結構な時間が経っていた。
顔を上げれば見覚えのある女の子の姿があった。
これからのことを考えていたのですよ。
ところでルッキーニ少尉。
今日は座学では?
「えぇー、だって…」
つまんないし、と彼女は声を小さくしながら言った。
また抜け出してきたのか。
つまらないのはわかる。
501部隊の問題児の一人、フランチェスカ・ルッキーニ少尉。
ロマーニャ(イタリア)出身のウィッチでこの部隊では最年少にあたる。
目を通したパーソナルデータでは10歳でスカウトされるが基地の脱走などもともと問題行動が多かった。
そのためか、こちらの増員要請ですぐにここへ配属となった。今は11歳だったかな。
元居たところでは規律が厳しかったそうだが、ここは新設部隊というのもあり割と自由が利いている。
あちらにいた頃よりも問題行動は格段に減っていると坂本大尉は言っていた。
加えて特筆するのであれば、彼女は戦闘の天才である。
訓練によるものもあるだろうが、射撃に関してはずば抜けた技術力を持っている。
彼女をうまく制御することができれば、部隊のガリア奪還の貢献度はより高いものになるだろう。
重火器をなくしたり捨てたりと叫び声を上げたくなるようなことをして度々俺の胃に穴を開けてくる。
同じく問題児のイェーガー中尉と方向性は違うが双璧を為している。
気が合うのか中尉と一緒にいる時が多く、問題行動は減っているがそれでも今回のような授業のさぼりは頻発している。
まぁ、言ってしまえばまだ精神が未熟なお子様だということだ。
俺も元居た世界の同じ年頃はただの鼻垂れのクソガキだったしな。
中二病は黒歴史だ。
遊びたい盛りなのはわかっている。
矯正して無理やり従えるのは正しいことであるが、それは俺の役目じゃない。
かといって無視するわけにはいかないな。
少尉。座って寝るだけでもいいですし、戻りましょう。
「や」
ぶんぶんと彼女は首を横に振る。
俺はどうすればいい、坂本大尉。
想像の中の坂本大尉は何も答えてはくれない。
「これなに?」
気が付けば彼女は俺の持っているたばこの箱を握り締めていた。
大人がたばこを吸っていたのは知っているはずだ。
俺手製の紙たばこが珍しいだけだろう。
それは紙たばこ、君が使うにはまだ早い。
大人の嗜好品だ。
「しこーひん?」
ええっと、なんと言えばいいか。
お菓子とか娯楽品みたいな、と言えば確実に嫌な結末になるだろう。
精神的に疲れた大人が使う、薬みたいなものです。
「疲れてるの?」
え、まぁ、はい。
「眠っちゃえばいいのに」
正論だな畜生。
睡眠を摂ることは正しい。
それでも俺がたばこを吸うのは、ただ愛煙家というわけではなく逃げである。
それはそれとして。
返してほしいのですけども?
あと早く勉強して下さい。
「えぇ~」
彼女は軽業師のように飛び上がって俺から距離を置いた。
あ、これはまさか。
「捕まえられたらいいよ!」
きゃっはーと両手を広げて走り去った。
面倒くさいことになった。
まぁたばこくらいならいいか。
いや、でも教育に明らかに害をなすだろうな。
結構な大ごとでは?
基地の中、火器類のある場所でたばこなんてご法度だが、不祥事があれば外でも禁煙になる可能性がある。
それに吸われていなくても、火器類の近くでたばこが散乱しているのが見つかったらどうなるだろうか。
…由々しき事態では?
「どーしたのー! 追いかけて来ないのー!
お尻さーん!」
既に十数m近く離れてしまったがこの基地の外周は結構広い。
声はまだまだ通る。
やれやれ。
ん?
少尉ー、お尻さんって私のことー?
小走りしながら先を走る彼女に声をかける。
今日まで仕事以外のことであまり彼女とは話したことはなかったが、お尻さんとは俺のことだろうか。
「いっつも殴られてるし、いっつも尻に敷かれてるから!」
まてや。
それってバルクホルン大尉に俺が、だよな。
全然違いますけど。
たまーーーーに殴られてはいるが、尻に敷かれているわけでは決してない。
「えー違うのー? みんなそう思ってるよー?」
みんな!?
待って少尉!
違うから詳しく話して!
「えへへー、捕まえてごらーん」
基地の外周を彼女と俺は走った。
子供にしてはやはり素早い。
だが大人と子供では歩幅が違う。
徐々に追いつき始める。
さぁ!たばこを返してください少尉!
私も軍の人間です。
これでも体は人並み以上には鍛えていたんですよ!
あと、呼び名を訂正してほしい!
デスクワークだけが仕事ではなく、毎回訓練もしっかりしているつもりだ。
あと少しで手が届くところで彼女の頭に耳が生え、尻尾が生えた。
また距離が引き離される。
マジか、こんな追いかけっこに使い魔まで使うか。
しかし俺の尊厳がかかっている、逃がすかァ!
叫び声を上げながら普段絶対にしないような全力疾走で走る。
まだまだ彼女は余裕綽々だったが、あとちょっとだというところで彼女は飛び上がった。
くるりと宙返りして背後へ。
それに急ブレーキをかけて両手を広げて飛び、彼女の背を掴んだ。
バランスはないようなものだったが彼女が俺の下敷きにならないようにはできた。
俺の背中で地面を軽く滑走する。
「捕まっちゃった」
怪我はないですよね、と彼女を立たせた。
特に傷はなかった。
ホッと胸を撫でおろす。
さ、座学に戻りましょう。
あと私の呼び名を改めて下さい。
不満げな声を上げて彼女は俺の背におぶさった。
運んでくれということだろうか。
まぁそれで座学を受けてくれるのなら安いものだ。
「ねぇ、どうしてずっと敬語なの?」
お互い走った道を引き返していると彼女がふいに話を振った。
ずっとというわけではなかったが、大体のウィッチと話すときは敬語だ。
ウィッチはみんな、20歳になるまでに階級がどんどん上がってすぐに私よりも上になるので、敬語で通しているのですよ。
まぁシステムが違うのでそんなことしなくてもいいかもしれないのですが。
何かを話すにしても、敬語だと便利なんです。
上官ならもっときちんと畏まりますが。
自分なりの大人の礼節ってことにしておいてください。
その返答に彼女は納得がいったのかいかなかったのか。
首に手を回したまま、背中で足をバタバタ振り始めた。
どこまでも彼女は子供だった。
こんな子供を戦場に放り出すのか。
心苦しくなる。
基地内に入ったところで、気が付く。
自分が想像以上に手汗をかいていることに。
大丈夫、と背に乗る彼女が心配そうに肩を叩いた。
背負ったまま両膝を地面についた。
どうしたのか。
自分自身でもわからなかった。
まさか病気か。
息が上がる。
呼吸が上手くできない。
少尉が背から降りて正面から俺の肩を揺する。
大丈夫、と彼女に声をかけて。
意識が暗転した。
□
赤く燃える港の街並み、霧のような黒い瘴気が視界を遮る。
地面にはもがき苦しんで死んだ誰かの姿がある。
体が半分焼け焦げて消失した誰かの姿がある。
足の踏み場がないほどに、それらが散乱していた。
空には黒いネウロイが一機、飛んでいる。
そこは地獄だった。
当たり前のようにあった命が損なわれている。
当たり前のように享受できた日常が損なわれていた。
呆然と立ち尽くしていると、港の西側から光が漏れ出た。
青白い光は瘴気を払うようにあたりを照らす。
西の丘で青白い何かがこちらを照らしていた。
そこへ向かうためには、死体でできた道を進まなくてはならない。
背に重みを感じた。
何かが背に乗っている。
首には誰かのひしゃげた片手が回されて、ロープの先が俺の手に巻き付いていた。
あの丘に行かなくては。
無意識に足を踏み出していた。
誰かの死体を踏み歩く。
その度に聞いたこともないような絶叫が耳を貫いた。
誰かの断末魔は一歩踏み出す度に俺の足を竦ませた。
だけど、あの丘に行かなくては。
『少尉、本作戦の我々の役目は犠牲だ』
誰かの声が聞こえた。
親身になってくれていた誰かの声だ。
俺が尊敬していた誰か。
忘れたくてもあの声が頭から離れてくれない。
立ち止まった。
何が正しかったのか、何が間違いだったのか。
わからなくなった。
ただ、死にたくなかった。
気が付けば小銃を握っていた。
□
目を覚ます。
備え付けのバケツに喉までせり上がっていたものをぶちまけた。
久々にきつい夢を見た。
息を整えて、体を起こす。
朝飯は要らないな。
顔を洗おう。
立ち上がろうとすると、視界の端に誰かがいた。
「大丈夫?」
見覚えのある子供。
少尉がなぜ俺の部屋に。
先ほどまでの出来事を思い出した。
すぐにバケツに蓋をした。
酸い臭いがするのに彼女は嫌がらずに再度、同じことを聞いた。
大丈夫です。
変な夢を見て寝ゲロとは。
やっぱりたばこなんて吸うもんじゃないですね。
「たばこのせいなの?」
そうですとも。
たばこは気分を良くしますが、体は悪くしますので。
もう大丈夫です少尉、それよりも今は何時ですか?
「もう夜だ」
ドアに背もたれをして、イェーガー中尉が立っていた。
そうですか。
結構長い時間寝てしまったな。
あ、もしかして私をこの部屋に運んでくれたのって中尉だったりします?
それに対して彼女はバルクホルンじゃあるまいし、と大きく息を吐いた。
「整備班のカールスラント人だ。
そいつが運んで連れてきた。
ルッキーニ、行こう。
少尉はもう大丈夫そうだ」
「わかった。
じゃあね、少尉」
扉を開けて、彼女らは出て行った。
去り際に。
「そうそう、一つだけ訂正するよ。
少尉はバルクホルンの尻に連いていくだけのようなヘタレ野郎じゃあなさそうだ。
こいつを捕まえたのは見事だった。
教室から見ていたよ」
……どうも。
お尻さんってもしかして中尉が言い出したのか。
まぁ訂正できたなら別にいいか。
安心したらどっと疲れが出てきたな。
もうひと眠りするか。
布団に再び横になろうとしたが、バケツから酸い臭いが漏れてきたので直ちに片付けた。
あとシャワー。
首の周りと背中を洗っていると血が出た。
無意識の内に強く擦り過ぎたらしい。
□
翌日、欠伸を噛み殺しながら部屋を出ると、
部屋の前にかぶと虫が置いてあった。
なんだ、と思って部屋の窓から外へ逃がす。
士官室で書類仕事をやっているとヴィルケ中佐がやってきて、ルッキーニ少尉が朝から自発的に勉強や訓練をしていると言った。
もしかしたら俺が倒れたりゲロを吐いたのに責任を感じているのかもしれない。
「彼女がネウロイと戦うのは守りたい家族と友達と、みんなが住む家のため。
もしかしたら守りたいものの中に、貴方も入ったのかもしれないわね。
少なくとも、貴方が苦労していることは伝わったんじゃないかしら」
そうですか。
何か特別なことをしたつもりではないのですが。
「人との繋がりは個人ではわかりにくいものよ。
あの子は良い意味で純粋だから、一緒に遊んだのも要因かもしれないわね」
かぶと虫が部屋の前にあったのですが。
「……この前イェーガー中尉も嫌がっていたわね」
猫か?
猫か。
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