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――ウィッチ養成学校卒の新人、ですか。
なるほど。
いえ、資料はまだ届いておりませんが。
ヴィルケ中佐は会議のため、不在です。
はい、到着次第確認させていただきます。
確認ですが、ビショップ家といえば第一次の。
…なるほど、それは将来有望だ。
いえ、ご助力ありがとうございます。
…私の狙撃は、いえ、必要であれば。
がしゃり、と受話器を置いて電話を切った。
司令部からの電話だった。
ブリタニアから一人、新人のウィッチを寄越すという内容だ。
高名なウィッチの家柄で、養成学校でも将来を期待されていたとか。
諸々の手続きを含めると彼女が501に到着するのは来週以降になる。
役割は狙撃手、501に送られてくる彼女の使用予定の武器はボーイズMk.I対装甲ライフル。
電話口の彼からも熱意のある言葉をもらった。
俺がネウロイを撃墜したことを称賛する内容だった。
少女の命を使い果たして得られた俺の唯一の戦果。
これまで何度となく称賛を受けたが嬉しいと思ったことは一度もない。
批難されたこともある、むしろその方が俺は納得できた。
今回も皮肉かと思ったが、少なくとも電話口の彼は真面目に話していた。
であればその称賛を素直に受け取るのが礼儀である。
ただ狙撃の指導であれば俺ではなく、ウィッチであり戦闘隊長であり、魔眼を持っている坂本大尉が適任だ。
彼女ももうすぐ扶桑から帰ってくる予定だ。
少なくとも新人を寄越した誰かはきちんと理解しているようだった。
□
窓から空を見ると既に赤らみ、間もなく日の入りの時刻だった。
「少尉、いらっしゃいますか。
ペリーヌ・クロステルマン中尉です」
先程届いた新人のレジュメを確認していると、来室があった。
青いガリア空軍の軍服を着た少女が入ってくる。
本名はピエレッテ=アンリエット・クロステルマン中尉、本人も周りもペリーヌと呼んでいる。
問題児が多いと言われている501であるが、彼女はかなりの優等生だ。
どうぞ。
クロステルマン中尉、何かありましたか。
「補給物資に対する稟議案です。
中佐はまだお戻りになられておりませんので、代理の少尉に」
ありがとうございます。
預からせていただきます。
「では、失礼致します」
書類を渡すと彼女は踵を返した。
他のウィッチも彼女みたいにきっちりしてくれると嬉しいのだが。
いや、でもそれだと調子が狂うか。
「少尉、最近眠っていらっしゃいますか?
以前よりも顔色が悪いような気がします」
言うべきかどうか迷ったのか、退室する直前にまた振り返り、彼女は言った。
自覚はなかったがそんなに顔色が悪いのかな。
お気遣いありがとうございます、なるべく睡眠時間を多くしているつもりですが、眠りが浅いようでつい起きてしまいまして。
「それならば就寝前にカモミールティを飲むことをおすすめします」
そうですね。
今度飲んでみます。
そういえば、次回の補給では扶桑の茶葉がいくつか入ってくるそうです。
緑茶は独特の苦みはありますが、結構おいしいですよ。
まだ飲んだことがないのであれば中尉もいかがでしょうか。
きらり、と彼女の掛けている眼鏡が光った気がした。
「それは楽しみですわ!
坂本大尉のお国の茶葉…ああ、きっと素晴らしい味が――
私も大尉の隣で――」
うっとりした顔つきで彼女はトリップし始めた。
今日は入り方が特に早かったな、坂本大尉と離れて長いからか、彼女に必要な大尉成分が欠如しているらしい。
今回は長くなりそうなので、それを横目に彼女の持ってきた書類に目を通させてもらう。
周知の事実であるが、クロステルマン中尉は坂本大尉ガチ勢である。
坂本大尉が言うことは何でもきくし、坂本大尉絡みのことはどんなことでも大抵肯定する。
501部隊設立時からいるメンバーの一人であるが、彼女は坂本大尉が見つけ出した。
俺はその詳細は知らないのだが、色々あって大尉に懐き、気が付けば信奉者みたいになっていたらしい。
「はっ! 取り乱しました。
ええと、そう! 少尉のお顔が悪い。
…ではなくて!」
トリップの反動がすごい。
まぁ、それはさておき、顔色が悪いのは原因はわかっているがどうしようもない。
カウンセリングがこの時代にあるかどうかは知らないが、受けるならば他の部隊に受けるべき人物が幾人もいるであろう。
彼女の言葉を返すようで悪いのだが。
女性に対して失礼だと思いますが、中尉も少し疲れ気味ではありませんか。
最近根を詰めて訓練をしているのでは?
「無理はしておりません」
どうしようもないことに関して言うならば、彼女は俺以上のはずだ。
彼女はガリア陥落の際に家族を失っている。
ガリア空軍にはブリタニアに渡ってすぐに志願したらしい。
ネウロイへの憎しみはおそらく部隊の誰よりも強いものだろう。
それ故に501でのガリア奪還にかなり意欲的な人物だ。
彼女は初期から俺に対して割と友好的だ。
しっかり仕事をしてるから、という当たり前の理由で。
比較対象が、
平時ぐうたらしている規則嫌いの犬とか、
許可なく自分でストライカーユニットを弄っている兎とか、
さぼりは減ったがよく備品を壊したりなくしたりする猫とか。
そこだけを見るなら評価が高いのは頷ける。
ネウロイと相対した時は彼女らの評価が真逆に変わるだろうが。
そうだ、言っておくか。
早いか遅いかの違いだ。
クロステルマン中尉、実は新人が1名入隊することが決まりました。
ウィッチ養成学校卒で軍での実務経験はありませんが、貴重な狙撃手です。
「そうですか。それは素晴らしいことですわ」
嬉しそうに彼女は言ったが、表情は次第に暗くなった。
「しかし、今の時期に新人ですか。
一体いつになればガリア奪還は成るのでしょうか。
それに、このままでは坂本大尉はあがりを迎えてしまいます」
確かに。
時間が経てば不利なのはこちらですね。
ことの詳細は知らされてはいませんが、中佐が基地を出られたのはその件かもしれません。
最近の彼女はガリア奪還の長期化に焦りと不満が貯まり続けている。
その焦りで彼女が他者を傷付けてしまうのではないか。
食堂でも彼女が他のウィッチに対して突っかかっているのを見たことがある。
主に兎と猫に。
ストッパーの坂本大尉がいない今が一番危険な時期かもしれない。
貴族故にか彼女の怒り方は理性的でかつ、上品なもの(個人的主観)であるが、今の悪循環の中ではどうなるかわからない。
その正しさを空回りさせたくはない。
ガリア奪還は俺の全てでもあるのだから。
□
翌日の午後。
早い時間に仕事が一区切りできた。
ヴィルケ中佐が会議のため不在なので彼女に渡す書類は貯まるが、俺のできる仕事はそこで止まる。
彼女が帰ってきてから忙しくなりそうだ。
以前までと同じなら帰ってくるのは夕方か夜辺りだろう。
連絡は入るはず。
いい時間だしその前に休憩しよう。
分けた書類を引き出しに入れて、机の上にペン立て以外はなくして、椅子から立った。
仕事を行う士官室ではたばこは吸わないため、備え付けられていた吸い殻入れは部屋の隅で飾りとなっている。
昔からその場所は俺のたばこ置き場でもあった。
無意識に手を伸ばしかけたが、ルッキーニ少尉の顔が浮かんで、そのまま部屋を出た。
考えながら歩いているとハンガーを通りかかった。
この時間でも整備中隊は忙しく働いている。
午前の飛行訓練が終わった後で彼女らが使用したストライカーユニットを整備しているからだ。
彼らの仕事はいつでも万全の状態で彼女らを空へ飛ばすことだ。
ユニットの予備はそこまで多くはないが、部品に関しては量も質も供給が安定している。
遠目で若い整備員が整備用のストライカーユニットを部品単位で分解してオーバーホールを行っているのが見えた。
彼の班なのか周りの人員はそれの手順を観察したり、タイマーで時間を測定したりしている。
分解からの仕上がりと精度、それに要した時間をチェックしている。
クルトから聞いた話ではこれも訓練であり、更に上位の技術者になるための勉強のようなものらしい。
因みにイェーガー中尉も部分的に専門知識は持っている。
自身のストライカーユニットに改造を施しはするが、彼らと気軽に話せてユニットのことで意見を言い合えるのは彼女くらいだ。
基地内の誰とでも軽快に話せるという点において、俺が望んでいる501の理想に一番近いのはもしかすると彼女かもしれない。
邪魔にならない程度にハンガーを回って外に出た。
□
結局最後に辿り着いたのは食堂だった。
厨房は静かなものだった。
夜の仕込みにはまだ早いのか、担当者はいないようだ。
落ち着くから来たのではない、今まで休憩の度にたばこを吸っていた反動か口元が寂しくて、つい何かをつまみたくて来たのだ。
調理棚を開けて使ってもよさそうな何かを探す。
お菓子類はここにはない。
もしもあるならば毎回某ゴミ屋敷の住人が両手いっぱいにそれらを抱えてひきこもるだろう。
実際あったので制限された。
501に嗜好品がより多く届くからといって、それを軽んじてはいけないのだ(戒め)
あったのはコーヒーや紅茶のティーバッグ一式だった。
現代にあるような小袋のものと見た目はそれほど変わりないが、味は良くない。
実家が関わっている嗜好品の一つだがブリタニアでの人気は手軽さくらいである。
その手軽さから501でも使っている。
かなりの量が棚の中に置いてあった。
適当に一つそれを手に取る。
コーヒーはともかく、紅茶を飲むのは久しぶりだ。
生憎、現代でもお茶には造詣が深くなかった。
ただのお湯を飲むならば、苦みのあるインスタントコーヒーや紅茶を飲むといったくらいだ。
俺は専ら清涼飲料しか飲まなかったから。
それを手に取ったまま、湯を沸かす。
どんな味なんだろうなと想像しながらティーバッグを眺めていると、クロステルマン中尉の言葉を思い出した。
取り出してからで悪いと思ったが、ティーバッグを戻し、カモミールのそれを探した。
なかった。
がーんだな、出鼻を挫かれた。
そうこうしている間に湯が沸いた。
火を止めてどうしようか考えていると、ハーブティという名前に目に留まった。
ハーブとは特定の薬草を指しているものではない。
体に良いとされる薬草の総称だったはずだ。
この時代には消費期限や原材料名の記載はなかったが、もしかするとこういうブレンドされた物の中にカモミールが含まれているかもしれない。
手に取ってポットに入れて、湯を注いだ。
それを行ってから、こういう淹れ方にも作法があったはずだと思い出した。
まぁ飲めればいいか。
ポットとカップを持って食堂の窓際に座った。
丁度日の当たる時間で日差しが気持ちいい。
ハーブの独特な香りが食堂に漂って、カップに注いだ。
確か啜る音を出すのはダメだったはず。
火傷に気を付けながら一口飲んだ。
まっず。
思わず呟いた。
思ってたのと違う。
香りと味が合致していない気がする。
たばこの口寂しさに食堂へ来たが、求めていたのはこれじゃない。
良薬口に苦しは言葉の通りのようだ。
なみなみ淹れたからポットにはあと五杯くらい残っている。淹れ過ぎた。
薄いくせにハーブの味が強く残っている、なんで。
しかし折角作ったし、別のを作り直している時間もない。
ティーバッグを入れたままのため、時間が経つにつれハーブのなんともいえない苦みが更に濃くなっていく。
今更取り出すのも億劫だ。
さっさと飲み切ろう。
火傷しそうになりながらもガンガン飲み進めて、なんとか胃袋に収まった。
飲み切れたことに安心したのか、それとも茶の効果か、眠気は出た。
違う、単純に腹が張ったからだ。
今寝るわけにはいかない、休憩は終わりだ。
□
日が落ちてしばらく。
夕食も終わり、何事もなく一日が終わりそうだった。
近辺にネウロイの出現もない。
穏やかな一日だった。
ヴィルケ中佐はまだ戻っていない。
が、そろそろ連絡がきてもおかしくはない。
受話器の前で待機して待とうと自分の椅子に座り直したところで、
「少尉、いらっしゃいますか。
ペリーヌ・クロステルマン中尉です」
どうぞ。
クロステルマン中尉、何かありましたか。
来室があった。
ペリーヌさんだった。
タイミング的に訓練の報告書あたりだろうか。
予想通り、青いガリア空軍の服の傍らに何かの書類が見えた。
昨日と同じく預かる。
社交辞令で軽く話をして、いつもの通りそのまま退室するはずだったのだが。
ああ、そうだった。
今日の休憩で早速お茶を飲んでみましたよ。
カモミールはなかったので、ハーブティを。
やはり独特の苦みがありましたが、体に良いですし、これからもたまに飲んでみます。
会話の弾みでそれを口にした。
ぴくり、と眉が動くのを見た。
「少尉、もしやお茶の淹れ方をご存じないのですか」
彼女の口調が強くなった気がした。
少し面を食らう。
「どうなのですか」
し、知りません。
「そうなのですか。
…盲点でしたわ」
ごめんなさいと無意識に口に出すところだったが飲み込んだ。
怒っているわけではないらしい、意外だといったところだろうか。
――ああ、そういうことか。
私の家は確かに嗜好品を取り扱っていますが、私はそれを学ぶ前に士官学校へ入りましたから。
ある程度は自前の知識はありますが、どれも半端なので。
「そう、なのですか。
申し訳ありません、勝手な想像で少尉は嗜好品全般に精通しているのかと思っておりました。
ですが、ならば教えるまでのこと」
謝ってもらうほどのことではないが。
聞けばどうやら彼女は俺がカモミールの花からお茶を淹れられるくらいのスキルがあると思っていたらしい。
俺が嗜好品で持っている知識は大体が前世のものだ。
実家で教わる前に祖父に頼み込んで士官学校へ入ったから。
既に20を超える弟や妹ならば確実に把握しているだろう。
嗜好品の使い方を知らずして取り扱えるはずもない。
「良いですか、ハーブティの淹れ方はまず、ポットに熱湯を入れて―――」
人差し指を指示棒のように振るいながら彼女は口早に説明を始めた。
とりあえず話をきちんと聞く。
幸いにも机の前である。
メモを取る用意は既にできていた。
彼女が言うにはお茶の淹れ方は淹れる物によって変わるそうだ。
ポットとカップに熱湯を注ぎ、温めるのも良いとされる。
ティーバッグでは茶葉の出方を阻害するため、501でおいしく飲むのであればそれから出してしまうのも手だと言われた。
もしかすると、彼女は食堂にある茶葉は一通り嗜んでいるのかもしれない。
お茶の研究でもしているのか、と思うくらいの知識量だ。
滑るようにメモ用の要らない紙が文字で埋まっていく。
「お茶がもしも口に合わないのであれば、合うように調整するのです。
はちみつやミルクもここにはありますので。
いつか、花を使うきちんとしたカモミールティをごちそうしますわ」
そう言って彼女は締め括った。
それはもしかすると、彼女の趣味かもしれなかった。
ガリア貴族らしい造詣の深さであったが、501に来てそれが深まったのかもしれない。
貴族というものは学校にいた頃から知っていたが、少なくとも彼女は俺の知る貴族とは違うらしい。
ありがとうございます、中尉。
明日から、おいしいお茶が楽しめそうです。
知らなかった彼女の一面を見た気がして、うれしくなった。
4ページくらいメモを消費したけど。
士官室の電話が鳴ったのはその時だった。
どうやらヴィルケ中佐が帰投したらしい。
出迎えのために部屋を発った。
□
滑走路に輸送機が停まった。
カールスラント空軍のJu52だ。
降りてきたいつもと変わらないヴィルケ中佐の姿を見て一安心する。
お疲れ様です、中佐。
会議は如何でしたか。
「ネウロイの出現が不定期になりつつあるという旨でした。
でも、私たちのやることは変わらないわ」
今まで週に一度あるかのネウロイの出現だったが、ここのところ各地で頻発してきているらしい。
注意勧告のために中佐を会議に召喚したのか。
ガリア陥落時のような大規模侵攻の予兆かもしれない。
「そういえば、少尉。
私に何か、伝えたいことはあるかしら?」
伝えたいことですか。
ああそうだ、新人が一名配属されることになりました。
ブリタニアのウィッチ養成学校卒で軍での実務経験はありませんが。
狙撃手です。
後ほど、明日にでも資料の確認をお願いします。
「報告は受けていました。確かビショップ家の。
とても喜ばしいことだわ。
歓迎会も催さないと」
ご存じでしたか、と相槌を打った。
夜も深くなる時間帯だった。
彼女に渡す資料もすべて明日にして、すぐに解散して中佐と別れた。
ヴィルケ中佐はどう見てもいつも通りであったが、俺は違和感を覚えた。
その違和感はすぐに氷解した。
経緯がどうあれ、俺はマロニー大将の計画に加担したのだ。
俺は、彼女らを裏切っている。
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