ありがとうございました。
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遂にこの時がきた。
朝起きてすぐ、自室を飛び出した。
長い廊下を走りながら、気持ちを抑え切れず今にも叫び出したくなりそうだった。
先を歩く整備班長の背中にドロップキックでも決めてやりたくなったが直前で気付かれたのでやめた。
それくらいに俺は浮かれていたのだ。
なぜなら今日は。
扶桑のご飯が朝から出るのだ。
整備中隊の作ったゴミカスみたいな思考停止オートミールじゃないだけでなく、今日は扶桑出身の土方くんが直接作る。
加えて扶桑からの補給が届いて間もない。
かつてない日本食が食べられる。
それを確信していたので俺は朝からテンションマックスだった。
定刻で規則を破っているわけではない。
久しぶりの限界に近い全力疾走だった。
廊下は長く、見通しはいい。
遮るものは何もなかった。
走ってる最中に自分でもわけのわからないことを口走った気もする。
仕方ないだろう、途中から既に懐かしいみそ汁の香りが廊下にまで漂っていた。
衝動が抑え切れなかったのだ。
まずはみそ汁を飲んでから白米か玄米かを頂くとしようかな。
滑り込んで食堂に入った。
先に中にいたビショップ軍曹を見て一番乗りではないことを理解した。
おはようございます。ビショップ軍曹。
軍曹も朝ごはんですか?
彼女は無言で首を何度も縦に振るだけだった。
朝に弱い子なのかな、と軍服の身なりを正してトレーを手に持った。
「少尉、おはようございます。
……早かったですね」
当たり前だよ。
久々の扶桑のご飯だ。
全部大盛りでお願いします。
土方二等水兵は困ったような顔をしながら茶碗に白米を盛ってくれた。
それを眺めていると彼の他に厨房に誰かがいることに気が付いた。
軍では見慣れない学生服の上から割烹着を着た少女が何かを焼いている。
宮藤軍曹、おはようございます。
「あっ、おはようございます。
……あの、えっと、お名前なんでしたっけ」
彼女は坂本少佐が連れて来た扶桑のウィッチだ。
聞いた話によると元々ウィッチではない普通の女学生であったがウィッチとしての潜在能力の高さと本人の意思もあり、501に迎えることとなった。
彼女もまた士官学校の出ではないためビショップ軍曹と同じ階級であるが、ウィッチとしての勉強もしていない。
何から何まで本当の新人である。
彼女が来て数日経つが、ここで会うとは思わなかった。
少尉で構いませんよ。
まだここへ来て間もないですし、名前や階級がわからないのは仕方ありません。
それより、もしかしなくても軍曹は扶桑の料理ができるんですか?
「得意とまではいかないですけど。
卵焼きを作ったので良かったら少尉さんも食べていって下さい」
はい!
ありがたく食べさせてもらいますね。
小皿に湯気の上がる卵焼きが乗った。
その湯気を胸一杯に吸い込みたくなる衝動に駆られる。
ほかほかの卵焼きだ。
スクランブルエッグとはまた違うしっかりした味付けなのは匂いだけでわかる。
その厚みと柔らかさは見ただけで涎が出そうになった。
それに加えて納豆まである。
白米のお代わりはできるかな。
みそ汁ももう一杯はほしい。
いつも通りの食堂の端に座り手を合わせた。
いただきます。
そこまで豪華ではないはずなのに、涙が出そうなほどに嬉しい。
土方くんが501にいる間は月1回で食べられていたが扶桑の食材がなくなりここ1年は食べられていなかった。
俺は今、猛烈に感激している。
冷える前に湯気の出る卵焼きを頬張った。
出汁の効いた卵の味がご飯を進ませる。
色の鮮やかなもう一つの卵焼きは砂糖の甘さが格別だった。
宮藤さん、素晴らしい出来栄えですよコレ!
得意じゃないって嘘でしょう。
私の朝食を毎日作ってほしいくらいですよ。
「ありがとうございますってえぇ! そんな、困ります!」
「あの人は私にも同じことを言ったことがあるので。
他意はありませんよ。
本当に毎日食べたいという意味です」
宮藤軍曹は料理が上手い、覚えておこう。
うまいうまい、と語彙喪失しながら食べていると整備班長や他の面々も食堂へやってきた。
食べながら聞いていると彼らの反応は様々だった。
しかしやはり納豆への評価は芳しくないようだ。
食文化の違いは大きいということだろう。
ご飯と一緒に食べるという発想もなさそうだ。
ごちそうさまでした。
食堂を出る前に緑茶飲むか。
急須に茶葉と湯を入れた。
茶葉が出るのを待っていると丁度リトヴャク中尉が朝食を食べているのが見えた。
周りがスプーンやフォークを使って食べている中、苦も無く箸で食べている。
夜間哨戒が終わった後なのか少し眠そうだった。
それを横目に緑茶を啜り飲み、食堂を出た。
さて、今日は忙しいぞ。
□
受話器を置いて大きく息を吐いた。
昼過ぎ、太陽が傾いてしばらく経っている。
予想はしていたが、別の基地からの電話が多かった。
新人のウィッチの話題は既に広まっているらしい。
宮藤軍曹は先日のネウロイ襲撃でストライカーユニットを初めて使用し飛行しただけでなく、坂本少佐と共にネウロイから赤城を守り切った。
ハルトマン中尉ですら初陣は墜落したと言っていた。
訓練なしで彼女の成し遂げたことがどれほどのことなのかがわかる。
ただ、電話先の彼らの目的はそれらのことではなかった。
確かに話の中には彼女を称賛する旨があったのは間違いないが、私用ではない。
ウィッチが増えたため彼らの基地に501のエースを異動させることが目的なのだろう。
誰も直接言いはしなかったが、わざわざ係を経由して俺に電話をかけてくるのはそれ以外にない。
ヴィルケ中佐へは司令部からの人事の電話であったり要請であったりいずれも重要な内容だ。
少なくとも俺の知っている中ではだが。
どの基地も優秀な人材の確保に必死なのだろう。
それか俺相手なら人材を抜き取れると舐めているか。
しかし他の基地の近況や新聞などメディアからの情報の真偽も話せることが多いため、俺としてはありがたい。
メディアの情報はブリタニア中の人間にネウロイ侵攻の不安を抑える反面、煽るようなものまである。
二極的な側面を既に持っていた。
メディアの情報を鵜呑みにするほど馬鹿ではないつもりだが、基地から出ることができないため近辺ならともかく遠くのことなどわかるはずもない。
他の基地の人間の世間話は大事な情報源でもあった。
宮藤軍曹の情報の出どころは司令部くらいなはずだが。
情報統制は行われていると思っているが、嗅ぎつけたメディアは数知れないだろう。
赤城は現在軍港で修復中だとか。
彼らから情報が流れている可能性もあるだろう。
宮藤軍曹は船員の命の恩人に相違ないから。
ああ、そういえば。
椅子から立ち上がって窓から基地を見下ろす。
塗装された長い滑走路を誰かが走っていた。
宮藤軍曹とビショップ軍曹だった。
先程から坂本少佐の声がここにまで聞こえてきている。
まだ数日なのだが宮藤軍曹は結構な機材ブレイカーであった。
だが彼女に必要なのは始末書を書くことでも事務仕事を覚えることでもない。
ネウロイと戦うことだ。
俺は俺のできることをする、それだけだった。
一飯の恩に比べるとこんなものは屁でもない。
坂本少佐に反省文はかなり書かされているそうだけど。
□
翌日の昼、なんと宮藤軍曹は昼食を作ってくれていた。
食堂の料理係と混じって一品だけであったが、ただひたすらに美味く懐かしかった。
彼女は天使かもしれない。
いつも通りの場所でいつもよりも気分良く食べていると、視線を感じた。
誰かが俺の方を見ている気がする。
目を合わすと絡まれると思い、姿も確認せずに最後に緑茶を飲み席を立った。
士官室で仕事を再開する時刻まで少し時間がある。
基地内をうろついて食後の運動としよう。
「おい」
食堂を出てすぐに呼び止められた。
感じた視線は彼女のものだった。
ユーティライネン少尉、どうかしましたか。
スオムス(フィンランド)空軍の軍服を着た少女が立っていた。
珍しい人に話しかけられたな、と思っていたが。
「来いよ、屋上へ行こうぜ」
不機嫌そうな顔つきで親指で上を指す様を見て、自分が何かをやらかしてしまったと確信した。
この基地はドーバー海峡の小島にある城を改造して軍用のものにしている。
元々景色の良い場所だ、基地となってもその景色は悪いものにはなっていなかった。
もしも戦争がなければここは観光スポットか文化財となっていたに違いない。
この屋上は最上階とは別の場所だが、さながらデートスポットか何かになっていたに違いない。
水平線に愛を誓い合うとか。
そんなことを胃を押さえつけながら考えていた。
どう考えても告白というよりも喧嘩前の呼び出しか何かだよ。
広くもなく狭くもない屋上、下には滑走路が見える。
喧嘩をして殴り合うくらいならば余裕でできる。
あ、あの、少尉。
私、何かやってしまったのでしょうか。
申し訳ないのですが、心当たりがなくて。
「お前、サーニャを誘惑しただろ」
してませんが。
「いや、した。
間違いない。
最近サーニャがお前のことをよく話すんだ。
夜食で餌付け紛いのことをするなんてやってくれるじゃないか」
あー、そのことか。
いえ、リトヴャク中尉とは夜間哨戒前に会うことがありまして。
たまに食事を共にしているだけなんですよ。
中尉に箸の持ち方を教えて以来、俺の仕事が長引いた時は夜食を共に食べるようになった。
それだけだ。
俺も彼女も無理に話すタイプではない。
話すとすればナイトウィッチや魔導波に対してだが、言ってみれば仕事の話の延長だ。
……たまに作ってくれる彼女の手料理はすごく美味いが。
「今視線を逸らしたな?
バルクホルンから聞いているぞ。
お前が目を逸らした時は何か心当たりがあるということだってな」
あの人なんてこと言いふらしてんだよ。
違いますよ、と言葉を返したが彼女の怒りは収まらなかった。
俺はユーティライネン少尉のことはあまり知らない。
リトヴャク中尉とは同じ寒冷地出身の仲間意識だろうか。
俺の知っていることはエイラ・イルマタル・ユーティライネンといえば名の知れたスオムスのウルトラエースということくらいだ。
固有魔法は――
「先に言っておくが、逃げようとしない方がいい。
動く前にわかるからな」
彼女の固有魔法は未来予知だ。
短期的な未来の先読みでネウロイの動きを把握し撃墜、あるいは攻撃を予知し回避している。
未来の可能性の可視化という認識をしているが真に理解できるのは使い手の彼女だけだろう。
派手ではないが、数ある固有魔法でも一際特殊でわかりやすく強い。
それより少尉。
もうそろそろ次の訓練の時間では。
えっと今日の午後は確か座学でしたよね。
「そんなことよりも今の方が大切だ」
畜生逃げられない。
それよりも弁明だ。
否定の言葉よりも彼女を諭す方がわかってもらえるはずだ。
でもどうすれば。
そうこうしている間に少尉に耳と尻尾が現れた。
屋上の手すりへと後退る。
俺は悪くないがこの子も悪いとは思えない。
どうすれば…いや、どうすればいいの?素直にわからないんだけど。
っていうか少尉、私はどうしたらいいんです?
「二度とサーニャを誘惑しないと誓ってもらう」
してないんだけど(怒)
でもこういうのは本人が満足すればいいことか。
わかりました。
二度とリトヴャク中尉を誘惑しません。
…これで許してもらえませんか。
「無理だな。
少尉はすぐにその場凌ぎの嘘を吐くと聞いているぞ。
ほらまた視線を逸らしたな?」
心当たりがありすぎて否定できない。
ならば。
ユーティライネン少尉、賭けをしませんか?
貴方が勝てばリトヴャク中尉を誘惑しないと約束しましょう。
「未来予知のできるわたしと賭けか。
余裕だな、面白いじゃないか。
どんな賭けだ?」
滑走路がここから見えるでしょう。
宮藤軍曹とビショップ軍曹がこれから滑走路を走るはずです。
どちらが速いかを当てるのはどうでしょう。
「……なるほどな、考えているじゃないか」
坂本少佐と二人の軍曹は座学ではなく体力づくりをするのは既に知っている。
予想通り下を見下ろせば軽いジョギングをしている二人が見えた。
これから全力疾走で滑走路の往復をするはずだ。
彼女のできる予知は短期的なもののはずだ。
時間のかかるものは無理なはず。
それでも彼女に分がある勝負だが。
どうぞ、私は貴女とは別の人に賭けましょう。
「言ったな。
後悔するなよ」
彼女は魔法力を集中させて位置に着いた二人を見た。
「宮藤だ」
なら私はビショップ軍曹に。
彼女の予知は確かに長期的なものは見れないかもしれないが、予知で見れる限界でどちらが先を走っているかわかる。
だから彼女の方に分があるのは当然だった。
別に負けてもいいのだが。
勝負をするというプロセスそのものに価値がある。
負けたら具体的にどうするかは彼女に決めてもらおう。
「あ、そういえば。
わたしが負けたら何をすればいいんだ?」
あー、そうですね。
貴女の要求に見合うものであればなんでもいいですよ。
「…絶対勝てよ、宮藤」
え、そんなに重い要求なのこれ。
冷や汗を流すが、賭けは始まった。
宮藤軍曹は軽快にスタートダッシュを決めたがビショップ軍曹はややもたついている。
ぶるんぶるんしよる。
俺と少尉はそれをガン見しながら見守った。
半周を終え、後は坂本少佐の元まで帰ってくるだけだったが最初の差がついたまま宮藤軍曹がリードしていた。
これは決まったかな。
そこで、差があることを目視したかったのか宮藤軍曹はチラリと後ろを見て、なぜか足を遅め、最終的にビショップ軍曹が勝った。
ここまでは聞こえないが坂本少佐がすごく怒ってるのがわかった。
「どうしてだあああああ!」
どうしてやろなぁ…
後で宮藤軍曹に聞いてみてもいいかもしれない。
しかしどうしようか。
勝ってしまったぞ。
少尉は大きくため息をしてから唸って悩みだした。
「待ってろ」
彼女は走って屋上から出て行った。
しばらくして肩で息をして少尉が帰ってきた。
「これを…やる!」
それは写真だった。
使い魔を使って黒狐の耳と尻尾を出してメイド服のような可愛らしい洋服をきた少尉が写っている。
ゴスロリというやつだろうか。
カチューシャまでしている。
化粧もしているのかもしれない。
そして表情は固い。
普段の彼女をあまり知らない俺であるが、彼女の性格的には多分かなり。
家宝にします。
「すんな!」
顔を真っ赤にして彼女は言った。
これはスオムスで撮った写真ですか?
「そうだ。
ここに来る少し前にねーちゃ…姉に撮ってもらった」
彼女のパーソナルデータには家族の情報までは載ってない。
そうか、彼女には姉がいたのか。
「スオムスの原隊から届いた手紙に同封されてたんだ。
絶対嫌がらせだ。
見せたくなかったけど賭けは賭けだからな」
なるほど。
リトヴャク中尉にはこれは?
「お前から見せたら地の果てまで追いかけてでも殺してやるからな」
こわ。
でもそれほどの要求だったのか。
考えたのですが、写真はお返しします。
その代わり今のまま変わりなく貴女やリトヴャク中尉と接したいのですが。
それに中尉とは貴女が考えているような間柄では確実にないので安心してください。
ただ夜まで軍務が長引いた時に夜間哨戒前の中尉と会うだけなんですよ。
どうにかそれで手を打てませんかね。
当初の予定とは違うが落としどころを探した結果のことだった。
持っている方がリスクがあるのではと思ったのは秘密だ。
「待てよ。それじゃ少尉の仕事が早く終わればサーニャと会わせずに済むのでは…?」
まぁ確かにそうなりますが。
「でもわたし、士官学校の勉強なんてやってないしなー。
…ちょっとは覚えるしかないか」
理由は知らないが、彼女は士官学校の勉強はしていない。
少尉の階級はそれほど彼女がスオムスで貢献してきたということかもしれない。
そうだ。
リトヴャク中尉は士官学校の教育を受けているはずなので。
先んじて彼女から学べば良いのではありませんか。
俺の仕事が減るかどうかは別として、彼女が意欲的になるのは悪いことではなかった。
表面上は問題も解決したし、良いこと尽くめじゃないか。
胸を撫で下ろしていると彼女はまだ思案顔だった。
結果的に彼女は見られたくない写真を俺に見せたのだ。
採算を合わせるために何かが必要だ。
しかし渡せるような俺の私物はほとんどないし。
ルッキーニ少尉からもらって自室の化粧箱で飼っている昆虫は男どもくらいしか反応しないだろう。
整備中隊の休憩室を教えれば俺だけは安息が得られるが。
失うものが、多すぎる。
私に手伝えることはありますか?
勉強以外でもできることがありましたら。
「そうだな。箸の使い方を教えてもらいたい。
サーニャも言っていた。
少尉の教え方はとてもわかりやすいと」
わかりました。
私で良ければ。
それこそ親しいリトヴャク中尉に頼めばいいと思ったが、親しい故に彼女の方から頼めなかったのかもしれない。
だからこそ俺を呼び出したのかもしれなかった。
素直だけど素直になり切れない、そんな印象を彼女に抱いた。
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