〇月△日
こちらに来る前に、知り合いから今年のカロスは赤い恰好をした変な人がいっぱいいると告げられていた。だが、いざ着いてみたら、実にいい人の多いこと! 変な人はたくさんいようと基本的にどうでもいいのだが、いい人が多いのはやはり嬉しいものだ。万一そういった『変な人』に出会っても、ケーシィがそばにいて、一通りの注意をしていれば、カロスで身が危険にさらされることはないだろう。さらされるにしてもその時は"私のような人間ではどうすることもできない大災害に巻き込まれる"というくらいであって、こちらも問題ではない。私は老い先短いのだ、かかってこんかい、である。
もう十回近くカロスの空気を体験しているため、おのぼりさんのように格別感動しすぎることもなくなった。変な人が本当に居れば遠出して見物しに行くのだが、と思ってもみたが、やはり見渡す限りいい人である。変な人を見たかったなあ、と少し残念に思う。しかし、それならそれなりの楽しみ方はあるものだ。門番にチップを握らせる。何もいやらしいことはなく、こういった文化が根付いているのである。ジャローダが模られた豪奢にきらめくパルファム宮殿の門を通り抜け、庭に出た。中心の噴水からはこんこんと水が噴き出し、ひんやりした空気が肌に感じられる。広々とした庭を悠然と歩き、品のいいマダムやジェントルマンと、剪定のことで談笑する。トリミアンの鳴き声が聞こえ、少年少女がそれを追いかけている。ヨワシ雲が流れる。涼やかな空気に愛でられ、美しさの頂を誇る青葉を見て、次こそは流星の滝に行くぞと意志する。
『いし』について、ずっと考えている。それを素描すべく訪れたホウエン地方のことも。『いし』とは意志なのだろうか。これまではあえてこの表記を採用してきたが、もしかすると意思なのかもしれない。大体、恐ろしい神話において記憶や感情は名前を出して描写されているのに、『いし』はと言うと、動けなくなり何もできなくなる、としか書かれていない。はっきり書いていてくれれば、と何度思ったことであろう。助手などは、もともとは古代語なのだから、意思と意志の区別などせずに、古代の語義に沿って考えてみてはどうですか、と提案してくれた。そのため、今回は仮に『wille*1』という言葉を充てることにする。それにしても、このような文脈依存的な理解の仕方では、すべてがいかがわしい。多分人間の言葉は、この摩訶不思議な『いし』を語るのに適していないのだろう。記憶と感情の整理はある程度ついた(少なくともそのように思われる)のに、漠然と把握していたはずの『いし』を問い直した瞬間に得体のしれないものになってしまう。しかも、その得体のしれないものの正体をつかみかけている、という感覚があるのが一番わからない。
神話の記述によれば、ポケモンを傷つけた後、willeはもはやない。だが、その他の物、すなわち記憶と感情は、はたして残っているのだろうか。それを掴もうにも、手は虚空をつかむだけである。反省してみるに、willeは消えてしまったと語るとき、われわれはただ行動におけるwilleが消えて、何もできなくなると言っているだけなのだ。だが、記憶か感情のどちらかが消えた際に、我々はその行動から何が消えたのか判別することができるが、willeの場合、そのようなことはできない。心の内面で、何が起こっているのか。それを判別することは至難の業である。実は、何もできなくなるという記述に、willeが消えたという保証はない。古代の人々にか、それとも私にかは知らないが、ここには明らかな錯覚があるように思う。
マダムやジェントルマンとの談笑を終えると、その時丁度子供たちがトリミアンを抱えて宮殿へ入っていくのが見えた。それも見届けた後は、庭にいた音楽師の語りをぼんやり聞いていた。折からの強風が庭の枝を揺らして、花火が打ちあがった。視界に閃光がうがたれ、腹の底に轟音がひびく。私は「ああ、そうなのだ」と心の中で呟いた。私は花火を見ることを意志しただろうかと自問したが、決してそうではないことを確認した。私はただ単に「花火を見た」のであって、それとは別に「花火を見ようと意志した」わけではなかった。ここにwilleは介在しているだろうか。willeが無ければ何もできなくなるとは、どのような意味なのだろうか。
旅音楽師にいくらかのチップを払った。少し払い過ぎたか、もしかして旦那、爵位をお持ちだったりしませんか、と尋ねられた。そんなことはないです、と答えたところ、バトルシャトーという場所を教えてもらう。夜になり肌寒くなったので宮殿を出た。宮殿に明かりが灯り、ジャローダが模られた金色の門は、昼間とはまた違った輝きを見せている。そろそろホテルに戻らねばならない。帰りに温かい飲み物でも買おうと思っていたが、そうだ、ここには自販機がないのだった。懐手して帰ろうと思ったが、どうにも腰のホルダーにつけたボールに手が当たる。仕方がないので、ケーシィを湯たんぽ代わりにして帰ることにした。少しだけ嫌そうな顔をしたケーシィを抱きかかえながら、たまにはそんなのもいい、と思った。皆さんもお手持ちのポケモンを抱きかかえてみてはいかがだろうか。新たな発見があるかもしれない。それか腰をいわすか、のどちらかである。ちなみに私は両方で、翌日腰がとても痛かった。湿布だらけである。イテテ。
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