〇月□日
普段なら、あんなことがあった、こんなことがあったと思い出しながら順序だてて原稿を書いていくのだが、昨日今日と〆切に追われており、何か起こる度にここに書き留める、というなんとも不格好な形式になっている。もうやりくりがかえんぐるまだ。こういう文章を書き続けていると毎回書く内容のバランスを考えるのだが、私は政治や国際情勢の話を極力しないことに決めているので(そんな話をしたらあっという間にやけど状態になって気絶確定である)、書ける内容は自身のごく身近な範囲の日常生活だけということになる。それも甚だ乏しいので、旅をしていてもたちまちネタが尽きてしまう。何より、身近に起こった面白い出来事を書くだけならばもっと適任がいるはずである(例:マサキ、マサキ、マサキ)。
さて、スカル団の下っ端が、私が借りた部屋の扉をノックして、ボスの部屋に来るよう伝えに来た。屋根を伝って部屋に行く途中になぜこんなグループに所属しているのか聞くと、なんでもこの下っ端は島巡りに失敗し、ならばと一念発起して受けたタマムシ大学の試験にも失敗したそうだ。「なんでこうなったんスカね。自分はこう思ってるんすけど、センセはどう思いまスカ」と訴えるから「私にはわからない」と答えた。そりゃそうだ、分かるはずがない。今、私が濡れた屋根で足を滑らせたとしても、「それはなぜか」が分からないのと同様である。雨で滑りやすくなっていたから、私が高齢であったから、慣れない土地で浮かれていたからと答えることはできようが、その全てはたんに可能性の話であり、"なぜ数ある可能性の中から実際にこうなってしまったのか"を、我々が知ることはない。原因は複合的であり、現実は偶然的なのだ。しいて言うならば全ては神の気まぐれであり、このことは意志と行為との微妙な関係にも当てはまる。
このように現実の複雑さに比べれば、スカル団というコミュニティはまだまだ健全で、かわいいものである。カリスマ的指導者が団体を一つに纏め上げるのは恐るべき独裁の端緒だが、スカル団の下っ端はたんなるボスの手足ではなく一個人であり、一個人が傷ついた心を通わせてグループを形成しているというのは本当に自然な態度だ。もう感動に似たものさえ覚える。タマムシ大学に落ちたという彼の手を借り、ちゃっかりおすすめの参考書として私が書いたものを教え、どうにか屋根を伝い、窓から身を縮めて入り込む。割れた窓ガラスが雷光を反射し、暗い通路を真っ白に染め上げた。服の襟を整え、咳払いをして扉の前に立つ。合言葉を答えてもらえば、さて、ご対面である。
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