シンオウ考古学研究会基調講演――シュロ・トクジ教授
ご紹介に預かりましたシュロです。普段はエンジュ大学で神話や伝承の研究ですね、これを行なっております。本日は、私の専門である神話学という分野の成立と、その展望に関して少しお話しさせていただきます。
さて、シンオウ神話に関しては、既にして興味深い様々な考察が存在しています。考古学はもちろんのこと、ポケモンの生態や、さらに掘れば社会学的、地政学的観点から考察したものさえあるんですね。素晴らしい。これらは新しい視点を供給してくれるため、我々のような研究者にとって、常に、非常に興味深いものであり続けていることと思います。
しかし、これほど様々な見地の存在は、逆に言うと謎も生むわけですね。即ち、これほどたくさんある主張の、どれが本当にシンオウ神話で語られていること、シンオウ神話が語ろうとしたことなのでしょう?まあ、どれも本当の部分があり、どれも間違っているがあると答えるのが適切であろうことは疑えません。でも、それのどこが。どれのどこが本当で、どこが間違いなんだ。今までの資料を探してみるに、総合的な考察は今のところなさそうです。
総合的な考察とはなんでしょう。考えてみれば、複数の意味を持つ何かについて考察するなら、それぞれがどの程度の深さまで食い込んでいるのかというメタな、上位の考察も必要とされるのではないでしょうか。複数の見地があり、集合し、それぞれがある部分で一致し、すれ違い、離れていく。例えば、考古学的に全てを説明する仮説と、携帯獣学的に全てを説明する仮説が存在したとしましょう。どちらか一方が完全に正しく、どちらか一方が完全に間違っていると言うことは稀です。いえ、あり得ない。そう言っても良い。無論、この二つを比べた際に考古学の優位は疑うべくもないのですが、というのも考古学は携帯獣学をも利用して総合的に歴史に切り込んでいく学問ですから……しかし、まだ不十分な箇所は残されています。例え神話が昔の人々の間でどういう文化で話されていたかが解明されても、その神話が何を意味するのかは分からない。神話学というのは、伝承の研究において、そこを補完する学問領域と言っても差し支えないかと。補完ですから、えっと、儂は支部長みたいなものですかね。シンオウ考古学会神話学支部支部長、ということに……なるんでしょうかね?はみ出しものかな。考古学と歴史学の隠し子って名乗ってもいいんですけど。まあ、そのー、ね。基調講演であんまりふざけると若い子に悪いのでやめておきましょう。一般公演とは訳が違うので。
気を取り直して、神話学が考古学を補完する方法ですが、これは主にシンオウ神話における個々のエピソードが持つ影響力の大きさを軸に学説を調整していく、というものです。こちらとしてはシンオウ神話に関する考古学的考察に異論はありませんが、その構造はさしてフラクタルではないように思われるので。フラクタルというのは適切ではないかもしれませんけど、全体と一部が自己相似になっていないというような意味合いですね。つまり、ある関係を考古学的にうまいこと説明できるからと言って、それを神話全体に当てはめるのはちょっとアブナイんじゃない?ということです。ここまでは普通の意見でしょう。
しかし、ここがシンオウ神話の面白いところだと思うのですが、重要なのは上記の関係と同様に「神話同士の衝突/融合等々に関するメタ―関係」をシンオウ神話全体に当てはめてしまうのもまた危ないということです。どういうことか?危険な修辞になるかもしれませんが、再び例示を試みることにしましょう。メタ関係――またまた考古学と携帯獣学を比べてみます。一つの伝承は考古学的に説明できる。もう一方の伝承は携帯獣学的に説明できる。ここで立ち止まって考えてみると、あることに思い至る人がいます。これらの伝承の関係は、考古学と携帯獣学の関係に似ているはずだ、つまりこの二つを比べれば、シンオウ神話の伝承全体がどのように関係しているのかが分かるのではないか、と。これは確かに、考古学という枠組み、携帯獣学と言う枠組みから外部へと抜け出しているように見えますし、より大きな観点から捉えていると言えるでしょう。ところが、シンオウ神話はそのような見方さえも拒むように思われます。シンオウ神話のそれぞれの伝承を比較した際に見られる違いは、他の伝承と同じように違っているわけではありません。地政学的に見れば同じでも、思想史的に見れば違うかもしれない。逆もまた然りでしょう。先ほどの体系でさえ、一致が見られる場所は実のところ氷山の一角でしかないとも言えましょう。
勿論、このような考察方法も、一番初めに述べたように、単体でも十分に興味深く、常に新しいものです。とはいえ、隣接項からボトムアップする考察方法では何がどこまで正しいのかを求めることは非常に難しいのではないかと、そのように思われる。
ではどのようにすればいいのか。どのような考察方法をとれば、本当にシンオウ神話で語られたことを解明できるのでしょうか。その答えは、おそらくですが、体系化されたシンオウ神話の内的連関を紐解くことにあります。継いで接いだ外部との関係ではなく、整然とした内部へと潜り込むことに。いえ、内部が整然としていると決まったわけではありませんし、どちらかと言えばとっ散らかっていそうな予感はしますが。それでも筋を辿ると言うのはアリだと考えられます。
神話学とは即ち、欠けていた神話に対する哲学的考察を補うものである。と。
内的連関を把握し、シンオウ神話を既存の学問とは全く異質な一つの体系として見ること。神話体系の根幹をなす部分を見抜き、そこで初めて外的連関を見出しトップダウン型に舵を切ることは、ボトムアップ型の考察が出切りつつある今にしか出来ないことであろうと、儂は考えています。
えー……あ、一つ欠点があるとすれば、新しい情報が出た際に揺らぎやすい研究方法ではあるんでね。ま、新しい情報が仮説を裏付ける物であればよし。そうでなくても、研究が新鮮な気持ちでできると考えれば悪い物でもないでしょう。だって、実のところ楽しみでもあるんですよ。全く新しい、今までの研究を根底から覆すような資料が出てきたとして、今の儂がまたイチからシンオウ神話を研究したらどんな結論が出るのか、というのは。
ちょっと喋りすぎましたかね。では、以上で基調講演を終了させていただきます。ご質問のある方は、どうぞ挙手を――
新情報が出て今までの考察の間違いが判明しつつあるんですが、どうにかしながら更新していきたいとは思っています。月一くらいを目安に、気長にお待ちください。なにせ連載されてるのは『月刊文藝ラプラス』なんですから!
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