〇月△日
空港で一晩を明かした。ホウエン経由でシンオウに行く予定だったのが、西側一帯が大日照り、東側一帯が豪雨という異常気象で、綿密に立てていた計画の全てがおじゃんになる。伝説のポケモンが甦りつつあるとのニュースを他の乗客が固唾を飲んで見守る中、儂は一人静かにシンオウで検証する予定だった仮説の書かれた原稿をハンドシュレッダーにかけることにした。ホウエンに寄るのだから流星の滝に行きたい、という要望を国際警察に却下され唇を噛みながら、それでもシンオウに行けるのだからと自分を宥めても、結局それもできなくなってしまう。なぜかは知らないが、いつもこうである。儂はいつも大事な目的地に行けずにいるのだ。
ホウエンでいえば、フエンタウンのロープウェーにも乗ることができなかった。旅館の温泉で疲れを癒し、たまに入ってくる火山地帯のポケモンの姿を眺めて酒をちびちびやるところまでは最高だったのだが、さあロープウェーに乗るぞ、というところでチケットを見せようとすると、どこかで無くしたのか見つからない。結局係員の方に探すのを手伝ってもらい、乗る予定だった便が出発した頃にようやく発見する。皆さんの計らいで次の便に乗せてもらえることになったものの、運悪く火山活動が活発化し、結局先程のものが最終便になってしまったのである。ムロタウンに行こうとしたこともあったのだが、ハギの船がちょうど故障しており部品交換が必要だというので、結局行けずじまいであった。
まだまだある。ライモンではカナワタウンに行こうとするもバッフロンの群れが線路を通過していたために運休。ふらりと訪れたしゅぎょうのいわやは落石により通行止め(現在は撤去されているそうだが)、カントーではナナシマのアスカナ遺跡を調査するためシーギャロップハイスピード号に乗るも、船酔いで一人調査班からの連絡を待つ羽目になってしまった。老人ぼけではなく、若い頃からこうなのである。ポプラさんがまだ大人のお姉さんと呼ぶにふさわしい年齢であったころ、ターフタウンへ地上絵を見に行った時も、付近でダイマックスしたポケモンが出たというので取りやめにした。こういうわけで、儂は基本的に、まともなフィールドワークをあきらめている。そのくせ、環境的にはひどいとしか言いようのないキッサキ神殿の内部にはケーシィ一匹と忍び込むのだから、我ながら変な人間である。こうして振り返ってみると、このような主題で連載を持てているのが不思議でしょうがない。
一瞬光が差し込み、少し遅れてドサイドンのいびきにも似たごろごろという音が聞こえてくる。窓の外を見ても代り映えのしない豪雨。低く暗雲が垂れ込めており、切り刻まれた原稿は湿気っている。腰と膝がひどく痛むので、あえていったん立ち上がり、体を動かすことにした。長く座っていた影響か、体中の骨がミシミシと音を立てているような気がする。単にこの痛みを癒すだけの伝説のポケモンもいれば、このような豪雨を降らせるポケモンもいるのだから、全く凄まじいものだ。
伝説のポケモンには様々な種別があり、ここホウエンで異常気象を引き起こしているグラードン・カイオーガについて記されているものは、神話学的分類でいえば『素朴実在論的世界起源神話』と呼ばれるグループに属する。字面では難しそうに見えるかもしれないが、なんのことはない。素朴実在論とは自分の目に見えたものがそのまま実在すると信じるような態度のこと、より具体的に言えばモンスターボールを見て「ここにモンスターボールがある」とする態度のことである。ところで素朴というと、なんだか頭の弱いイメージを持つ方も多いだろう。純真といえば印象も変わるだろうが、しかし実態が変わるわけではない。さて、ではなぜこの態度は素朴などと呼ばれているのか(ただ実在論と呼べばよいではないか!)。これにはもちろん理由がある。
例えばイッシュ地方での話だが、モンスターボールに見えていたものが実はタマゲタケで、胞子を引っ掛けられた、というようなことがよくある。そういった時のことを考えると、この態度はまだまだミジュクだと言わざるをえまい。素朴実在論的態度をとるならば、モンスターボールそっくりなタマゲタケを「これはモンスターボールそっくりなタマゲタケかもしれない」と疑うことは難しいだろうからである。いーや、それは見る目がないからだね、と反論する方もいらっしゃるかもしれないが、それではこの画像を見ていただきたい(図1)。
どうだろう。この画像は皆さんにはモノクロに見えただろうが、実は一部のとりポケモンだとか、コンパンだけが認識できるような色で刷られているのだ。いやいや、コンパンやとりポケモンに見えているような色ではなくて、我々の見ているモノクロの写真こそこの写真の"本当の色"なのだ、という人も中にはいらっしゃるかもしれないが、その人も我々に見えている色が本当の色だという証拠を提示することはできないだろう。ただ自分にはこう見える、としか言いようがないのである。このように我々の認識能力には限りがあるのだが、素朴実在論はそのことを省みない態度であり、ゆえに素朴なのだと言うことができよう。
その点、シンオウ神話は世界を物と心という要素で考えている。ホウエンの伝説を下げるという訳では断じて無いが、しかし物を認識する心の枠組みを規定したこと、その枠組みを『時間』と『空間』の二要素にしたことといい、見事なものである。誰も問題としない所まで深く追求し、世界の核心に迫るその姿勢が垣間見える時、改めて古代の人々への尊敬の念が湧き上がってくる。無論そのような意味では、この豪雨と向こう側の大日照りの中、懸命に生きて壁画を遺した古代ホウエンの人々とて例外ではない。シンオウの神々は概して人間に害を及ぼすことはないが、こちらの神々は違う。この素朴さは自然を畏れる——畏れざるをえない状況下にあった——人々の生き方を如実に表している。神話とは、ただ単に文化的成熟の度合いを表すだけではないのである。
豪雨は未だ降り続き、いよいよ一階に浸水してきたとのことだが、緊迫感はありつつも誰も必要以上に慌てる様子がない。自らのポケモンを信頼しているのか、理由は分からないが、人間にはやはり古代から受け継がれてきた人間なりの逞しさというものが備わっているようだ。しかし、今回は普段よりも分かりやすく説明を提供できた気がする。儂も成長してきたのではないだろうか!
追記:どうも通信環境が悪いようで、原稿を送ることができません(小分けにしても同様でした)。この文章はなぜか繋がったPoketterのDM?という機能で送信しているものなのですが、もし受信できたのであれば文末に掲載をお願いいたします。儂は国際警察の方に無理を言って流星の滝におりますので、何か急用がありましたらそちらまでお願いします……とはいえ、どうせ送信できないでしょうから、一言だけ。流星の滝、サイコーーーーーーーー!編集部のあほー。まぬけ。儂はシガナちゃんの実家にお邪魔して、ゆっくりと伝承について伺っちゃってるもんね。あなたも全く人と会わず、資料も読まず、カンヅメで原稿書いてみなさいよ。できないよ、そんなこと。実はこの文章も、さっきのが送信エラーになったの確認してから打ってるもんね。というわけで、儂は楽しくやってまーす!ワハハ。(原文ママ)
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