〇月△日
前回の連載の後ひどい目にあったが、儂は切り替えが早いので有名である。というわけで、再びガラルに来た。国際警察の方々は別件で流星の滝に滞在するらしく、儂は比較的安全な地方にいるよう勧められている。引きこもってるナウ、である。ナウ。この言葉も覚えた。儂もインフルエンサーの仲間入りというわけだ。
先の対談も中々の反響があったようで、見知らぬ人から声を掛けられることもあった。ありがたいことなのだが、今は理由こそ言えないものの、その心労がたたり外を出歩こうという気も起きない。ローズ氏から頂いたカードがあるためマクロコスモス系列の補助は殆ど全て受けることができるというのも相まって、諸々のことがいやになり、ずっとホテルに閉じこもっている。ちなみに、編集部に叱られ落ち込んでいるからではない。
上記以外、もちろんガラルに来た目的などない。少なくとも儂が目的などを持っても、その通りになることはないと感じているからだ。それにしても、恩知らずなことを言うようだが、なぜローズ委員長が千年後の話などできるのか不思議で仕方が無い。何回言っているんだと思われるだろうが、儂は不思議に思うことは考えなければ気が済まない性分だ。それほどまでにガラルのことを思っているのだなあ、と感嘆はするが、どうもそれだけではなさそうである。ここ最近では、儂はいかなるところでもいかなる場合でも「自分はもうすぐ死ぬ」という思いが頭から離れない。ゆえにささやかな望みとして、儂は自分ができる限りのよいことをしたと確信して――それが誤りであっても、少なくともそう思い込みながら――願わくば、儂がもはや成し遂げられないことを若い世代が成し遂げつつあるのを確認しながら死にたいのであるが、おそらくローズ委員長にもそのような思いがあるのだろう。
ところで、自分の成し遂げた仕事が他者に害悪を齎すと知ってしまった時点で、このような逝き方は不可能になってしまう。だから、このような死を達成するためには、生きている内に他者の魂に最大限配慮して仕事を成し遂げなければなるまい、というのが常識的見解であろう。だが、実のところ全く逆のことも言えはしないだろうか。他者の魂を自分の世界から全く排除して仕事を成し遂げることによっても、この死は達成できるのだ、と。実際には全く違った結果に導かれていようと、「他者は気付いていなくとも、私は間違いなく良いことをした。そして私が死んだ後、他者はきっと私の仕事の重要性に気付くだろう」と信じるだけで、その死は達成できてしまう。もちろん、人生は自分の生涯が果たしてどちらであったのかに気付かせる暇も与えず、淡々と過ぎていく。道に迷い、死ぬ。それなのに、どうしてこのような人生が、世界が生まれたのだろうか?古代シンオウにおいて、このような問いに答えるのが『はじまりのはなし』に連なる文献群である。
ところが、『はじまりのはなし』において提示された世界像は不完全なものであることが近年の研究において判明しつつある。ギラティナという第三のポケモンが存在するらしいのである。その衝撃は落ち着いてからしばらく経つのだが、儂は未だ伝承と従来の文献が収斂する解釈を明瞭に見ることが出来ないでいる。"やぶれたせかい"とこの世界の関連性、ギラティナの追放という現在に伝わるまでに変化したに違いない物語を乗り越え、可能な限り真実を見据えたいものだ。しかし、今日は憂鬱で考える気力もない。
無気力なままでふっとホテルの窓から街並みを覗いてみると、もう夜に差し掛かっていた。ドーブルが筆で払ったような赤紫の雲が、星空の緞帳を下ろしながら流れている。艶めいた黒壁のブティックから飛び出した光は、歩道の石畳に降り注いでいた。翼を広げたアーマーガア像を取り囲む夕闇を溶かしたような噴水に街の様々な灯りが反射している。くすんだ金色の文字盤を背景に二十時三十分を指す時計塔が、泣きたくなるほど美しい。
一瞬、この光景を永遠に、という考えが頭をよぎった。とはいえ、やはりそれは間違っているのだ。儂はまた考えねばならないし、ガラルはきっと変わらねばならない。こう思えるのも激動の他地方から遠く離れていることが理由なのだから、老人の戯れ言と言っても差し支えないのではあるが、それでも変わらねばならない。
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