シュロの神話学的旅日記   作:加藤ブドウ糖液糖

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25.風邪っぴき療養日記/ガラルにて

〇月☆日

 

 案の定風邪をひいてしまった。窓から見えるのも曇り空ばかりで、先日の美しさは見る影もない。千年続くとは、こういったつまらない日に対する感動を千年抱き続けることでもあり、長い時間の中では感動を成立させる一瞬も忘れ去られてしまうだろう。ホテルのサービスは快適で、マクロコスモスの方々とフーディンには感謝してもしきれないほどであるが、やはりローズ委員長への疑問の念は強まっていく。ニュース番組を見ると、各悪の組織のトップの姿が突然確認できなくなったとの報道。普段ならば目を見開くところではあるが、今は頭が働かない。慣れないことをしても疲れるだけと思い、続けてシンオウ神話の世界観について考えることにした。

 『シンオウむかしばなし その1』を見つめると、ギラティナが歴史から消えた理由について、思い当たる部分がある。『トバリのしんわ』とは、一方で、功利主義的な契約を結びなおすという面を持ち、他方で、『シンオウむかしばなし その1』の証明かつ否定であるという気がする。ギラティナという要素が入り込んでいる影響か、それとも老人ボケなのか、神話のヴィジョンは霞んでいる。*1しかし、それでも、分かることはある。

 『トバリのしんわ』には、次のように書かれている。"剣を手に入れた若者がいた/それで食べ物となるポケモンを/むやみやたらと捕らえまくった/余ったので捨ててしまった/次の年何も捕れなかった"。科学的にこれを解剖するならば、これは乱獲による個体数の減少による一時的な飢饉ということになるであろう。だが、神話学的には少々違った説明を要する。喉の痛みを感じたところで、フーディンがエネココアを淹れてくれた。少しpoketterを覗きつつ、お気に入りの音楽を聴いて小休止することにする。最近は『クララにクラクラァ』という曲をよく聞いている。多分売れないだろうが……儂はまぁ、非常に好きである。皆さんも買ってみてはいかがだろうか。ちょっとばかり値が張るけど。

 

 さて、"余ったので捨ててしまった"という節が"骨をきれいにきれいにして"という節の否定になることは最早自明であり、"次の年何も獲れなかった"という節において「ポケモンが肉体をつけて戻ってこなかった」ことが証明される。だが、これだけならば我々は再び輪廻思想に立ち返り、骨を洗って戻りの洞窟へと流せばよいはずであろう。即ち、ギラティナが消える必要は無かったのではないか、という問いが残る。でも、現にギラティナは長い間姿を消していた。

 この点で重要になるのは『トバリのしんわ』の二面性である。社会的な合意形成を果たす神話に、二つ以上の明確な意味を込めることは難しい。契約の必要性により、世界観は客観的な生と死の対立、即ちディアルガ・パルキアとギラティナの対立から主観的な生の内側の対立、即ちディアルガとパルキアの対立へと移ろう。契約的な面を残す以上、神話は必然的に生の内側へと焦点を当てざるを得なかったのであろう。では、ギラティナはどうなるのか?ここに、輪廻のうちに芽生えていたギラティナに対する暴れ者/死のイメージが蘇る。ギラティナは、おおむねこのような経緯で排除されたのではないだろうか。

 我ながらすっきりと纏まったと思いフーディンに原稿を見てもらおうとするも、CDのメロディーラインに対する抗議で忙しそうだったので取りやめた。かくして『シンオウむかしばなし その1』は『トバリのしんわ』に結び付き、世界観は古代呪術的自然主義から理性主義へ、儂の体調も風邪から快方へと変遷していくのである。そうであればいいのだが。

*1
風邪をひいてるからでした!いやあ、申し訳ありません。てへへ

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