〇月□日
ポケモンリーグの控室でシキミさんに会い原稿を見てもらったが、曰く「わたしも駆け出しなので、詳しいことは分からないんですけど……でもでも、自分がいいと思えるものを書けばきっと伝わると思いますよ!」とのこと(発言はそのまま)。これを聞いて儂は「ああ、そうか」と安心すると共に、どこか絶望的な気分になった。自分がいいと思えるものを書く。なるほど、これほどシキミさんの温かい人柄と横溢する才能とがよく表れた言葉があるだろうか。自分がいいと思えるものを書こうとしても、いや書こうとすればするほど、自分のスタイルが崩れてしまう人がいることは、これまでの長い歴史が示すとおりであるのに。
シキミさんは確実に善意で発している。しかし、実はこういう言葉ほど響かないものはないと思う。なぜなら、うまくいかなかった人はそもそもこのようなことを語れる立場にいないからであり、うまくいった人は才能があったか運がよかったかのどちらかだ、と見なされてしまうためであろう。そして、実際シキミさんには恐ろしい程の才能があるのだから、彼女には分からない才能が乏しいゆえの悩みというものは存在するであろう。
実際、自分がいいと思えるものを書くより重要なことは限りなくある。例えば、読者に通じる言語の選択であり、読者が見やすい表示の方式であり、括弧の使い方である。そもそも「いい」という評価も公共性を帯びているのだから、漠然とした「よさ」を追い求めてしまった時点で、スタイルはすぐさま崩壊への路を辿るのだ……と、ここまで考えたところでハッとした。時間にして二秒にも満たないが、ここまで鮮やかに答えが示されるとは思っていなかった。
どういうことかというと、儂が神話について何かを語るとき、この時のシキミさんと同じ立場に立っているのだ。しかもそのことに気付きながら、懇切丁寧に説明することを拒否していたのである。それをぬけぬけと「わかりやすい文章を書きたい」と言うのだから、このような皮肉を言われるのもよく分かるというものだろう。少々涙目になりながら、感動しつつお礼を言った。ありがたいことである。*1
さらに追記:帯と序文を書かせていただいた。とても面白いミステリで、誰が犯人なのかぞくぞくしながら読ませていただいた。稀有な読書体験であった。ぜひお買い求めを。コオリッポ・ライブラリーから出版されているので、ぜひお買い求めを!
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