〇月×日
リーグ前のポケモンセンターに泊まった。チャンピオンロードを抜けたヴェテラン達の間に一人だけ冴えない老人が挟まっている光景は、外から見ると大変奇妙だったと思う。早朝、散歩にでも出ようかとセンターを出ると、クリムガンやバッフロンなど鍛え抜かれた面子がトレーニングに励んでおり、今更ながらリーグとは軽々しく来て良いところではないのかもしれない、と感じた。気まずい。アポはとっているので、勿論ギーマ氏には会うのだが。
リーグの控室のデザインからも、四天王の性格はある程度察することができるだろう。ギーマ氏の場合は、赤と黒を基調にした、全体的に優雅な部屋であった。促されるままソファーに腰掛け、『あくタイプ』という分類方法の納得いかない点について話し込む。全体的に面白い議論だったが、その時、話の流れでついうっかり「いやあギーマさん、儂の書くエッセーはどうも"悪"文のようでしてな、最近は分かりやすい文章を書こうと思っているのです」と口を滑らせてしまった。どういうことか、と聞かれて事情を話すとひどく怒られる。なんでも、ギーマ氏としてはコアな層に向けて脇目も振らずにひたすら語り掛ける姿を「よい」と思っていたそうである。確かにギャンブラーらしい見方だ、と思う。
そんな評価をいただいていたとは恐悦至極だが、しかし儂の決意もかなり固まりつつあった。首を横に振る。どうせ書けないと思うよ、と言われるも、「いえ、分かりやすい文を書かなければいけない事情があるのです」。その後はしばらく押し問答が続き、やがて儂が「時間も押しているでしょう」と切り出すと、ギーマ氏は「だからきみが折れてくれれば話は早いんだけどね」と返す。一進一退の攻防だったが、儂が立ち上がって挨拶を済ませようとすると、突如彼がにやりと笑う。「本当にこの部屋を出ていいのかい?」
大変嫌な予感がしたが、ここまでくると儂も引くわけにはいかなかったのである。ドアノブに手をかけた。とある言葉が聞こえてくる。心地いい低音の揺らぎが耳に入った瞬間、儂は急いで席に座りなおした。皆さんには何のことか分からないだろうが、次のような言葉だ。即ち、「賭博、隕石、ハリケーン」!
結局、今回だけは分かりやすく書くことに挑戦してみる、ということに決まった。一応チャンスが与えられたということになるだろうか。しかし、板挟みである。儂はどうすればよいのだろうか?儂はいちおう神話学者だから、神話に板挟みという場面がないか考えてみることにしよう。
『はじまりのはなし』はダブルミーニングなのではないか、と思い始めた。即ち、宇宙の起源と心の起源を同時に語っているのではないだろうかと。これはある意味で板挟みの状況にあると言える。なぜなら、普通は心を持つ我々の側から見た世界を神話に描写するはずだからである。つまり、我々―客観的世界の神話という単純な対立図式にならなければならない。ところがダブルミーニングであった場合『はじまりのはなし』は少し複雑で、我々は我々の見た世界を神話に描写すると同時に、世界の中で生まれる我々をも描写しなければならない。客観的世界—神話—我々、これは骨の折れる作業である。
実際に議論してみよう。世界に存在する人間やポケモンは、実は心の中の観念にすぎないのではないか、と疑ったことがない人は少ないであろう。普通の意味ではそれはあり得ない。そういう考えも、実際は外界に存在する一人間(あるいはポケモン)が抱いたものにすぎないからだ。でも、その批判だって、それが理解されるときには『それを理解する心』の中の出来事でしかなくなるのではないだろうか。だが、その考えだって実際には外界に存在する一人間の……これでは無限後退になってしまう。シンオウ神話がこの両者を並立させなければならないとすると、正しく板挟みの状態にある、と言えるだろう。普通の意味では、どちらかの時点で後退をぶつっと切って、はい、これが世界ですよと提出するしか道はないように思える。
だが、『はじまりのはなし』は独自の方法でこれを拒む。まず、我々がサイコパワーで宇宙の全体を見ているところを想像してみるとしよう(これは例であって実際にあったであろうことではない。神話学でうかつに例を出さないのはこれをいちいち説明するのが面倒だからであり、かといって説明しなければ考古学になってしまうためだ)。しかし、我々は宇宙の中にいるじゃないか。これでは先ほどと同じになってしまう!そこでシンオウ神話は、一旦自分がこの現実で見る宇宙の中に居ると仮定し、それを達成した瞬間に、その宇宙を現実の世界と同じようなものとして――つまり、現実そっくりのミニチュアを大きくするように捉え――自分が見ている宇宙の方を消すという方法をとる。そして心と宇宙を重ねるための原理として、時間と空間を採用する、というわけである。
グラードン・カイオーガ、レシラム・ゼクロム等の伝説は全て自分が経験できる世界のみを表すと言ってもよい。だが、シンオウ神話は時空という概念を媒介にして自分があたかもこの世界の外に立ったかのような視点をとる。しかし、決して立っているわけではない。このことを鑑みるに、唯一アルセウスだけが経験できる世界を超え、その外から我々が経験できる世界の成り立ちと仕組みを調べることが可能な超越的存在なのだろう。
話を儂のことに戻すが、板挟みにはこういう解決方法があるらしいということが分かった。これで解決、ということになれば嬉しいと思いつつ、推敲のためにもう一度書いた文章を読み直してみる。なるほど、儂はどうやら、賭けに負けたらしい。分かりやすく書くことは不可能なようである。来月からはおとなしく思索に耽ることにしようと考え、トレーナーズスクールで晴れて教師になったらしいチェレン君に手紙を出し、空港に向かった。
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