『シンオウ神話』を読む――講師:シュロ・トクジ
皆様、ご機嫌はいかがでしょうか。今夜は普段とは違い一般の、とはいえシンオウ神話についてある程度ご興味を持たれている紳士淑女の皆様を前にして講演せねばなりません。知性溢れる立ち居振る舞い、ウィットに富んだ語り口調、儂には少し荷が重たいような気も致します。多少の不手際もあるやもしれませんが、ご容赦下さい。回をまたぐにつれ減っていくことを願っております。
既に何度もお話ししております通り、儂にとってシンオウ神話程興味深く、また現代に密接に結びついているものはありません。本日はシンオウ神話体系の内の一つ、『シンオウしんわ』を例にとって講義を行います。
今回の講義では皆様と共に文脈を辿り、ある程度???の正体を推測することを目標としましょう。その過程で皆様は、恐らく当時のシンオウの人々が何を考えていたのかについて思いを馳せることになります。それでは早速ですが、『シンオウしんわ』の原文は以下の通りです。
"おこるな ??が くるぞ
かなしむな ??が ちかづいてくるぞ
よろこぶこと たのしむこと
あたりまえの せいかつ
それが しあわせ
そうすれば ??? サマの
しゅくふくが ある
というのが くちぐせ だ"
不明瞭な個所が三つあるのがお分かりになるかと思います。文脈で判断すると、その内一匹ないしは二匹が恐れられている存在であり、最後のものが人々に祝福を与える存在のようです。また「口癖だ」という部分もそうですが、怒りや悲しみ、喜びといった感情に関する言葉が使われていることにも注目して頂きたい。喜怒哀楽の内、喜と楽の二つは三匹目のポケモンに結びついていますが、怒と哀が分かれているのかにも目を配るとよいでしょう。
さて、案の定と言うべきでしょうか。これには先行研究が存在します。感情から連想される通り、やはり先行研究において有力なのは最後の???様をエムリットだと解する説です。また、異説には最初二回の???がダークライ、最後の???がクレセリアだと解するものも存在します。しかし、儂はそのどちらも退けたい。今回は先行研究に疑問を呈しつつ、より信憑性があると思われる点を結びながら考えていきます。
"おこるな ??が くるぞ/かなしむな ??が ちかづいてくるぞ"。先行研究においてダークライが当て嵌まるのではないか、と解されている二節です。ですが、儂としてはどうしても受け入れ難い。というのも、儂にとってこの二節はどうしてもこの解釈とは違う並列関係にあるように思われるからです。
ダークライ説もそうですが、基本的にこういったテクストは意味を取る為に研究者の脳内である程度扱いやすく改変されていることが殆どです。説明の為、まずは原文を二つのパターンで、このような形に書き換えさせていただきましょう。
"怒ったり、悲しんだりすると??が来る/近付いて来る"(ダークライ説)
"怒ると??が来る、悲しむと??が近付いて来る"(A説)
ダークライ説に対し、差し当たりA説と表記しました。いかがでしょう。儂としては、原文の意味は崩れていない、と信じたいところです。改変を加えた部分はそれほど多くはありません。二節の区切りをある程度緩めた程度と言えるでしょう。もしこの操作が許されるのであれば、さらに踏み込んでもよい。
"怒ったり、悲しんだりすると??が来る"(ダークライ説)
"怒ると??が来るし、悲しむと??が近付いて来る"(A説)
いかがでしょうか。現代的な言い回しにはなったが、どちらの改変も二節を一文に纏めただけ、と言いうるような微々たるものであり、文意とかけ離れていないように思える。しかし完成した文にダークライという語を当てはめると以下のようになります。
"怒ったり、悲しんだりするとダークライが来る"(ダークライ説)
"怒るとダークライが来るし、悲しむとダークライが近付いて来る"(A説)
上の文章は自然ですが、下の文章は不自然です。並立関係にある文章に同一の名詞を当てはめることは基本的に推奨されていません。ダークライ説は怒りや悲しみの感情自体が並立関係にあると見て、そこにダークライを結びつけたのだと考えられる。しかし、在り得るもう一つの並立関係を考えた際に完成する文は、同じ意味でも明らかにおかしいのです。また、来ると近付いて来るは意味合いとしては似通っていますが、短いシンオウ神話の中で言葉を削るのはあまり良い行為とは言い難い。そして言ってみれば、なぜ感情を契機としてダークライが動くのでしょう?
考える際は、"おこるな ??が くるぞ/かなしむな ??が ちかづいてくるぞ"という二節が、どのような意味合いを持つのかが重要です。ですが、これらの???がもし一匹のポケモンを指すとしたら、このような書き方をするでしょうか?確かに韻律や、強調表現の為にこのような書き方を取ったという可能性も存在するでしょう。しかし、今のところは退けても問題にはならないように思います。少なくとも儂の場合は、そこまでの説得力を感じません。
一方エムリット説ですが、そこから連想されるのがアグノム、ユクシーであることに異論はございますまい。不明な個所が三であるのに対し、ポケモンの数も三匹。整合性が保たれます。ポケモンの数が三匹であるということは、必然的にA説をとるということでもある。我々の前に残されているのは、怒り、悲しみ、喜びと楽しみ。アグノム、ユクシー、エムリット。これらがどのように対応するのかという、ある種パズルのような謎です。エムリット説を採用するならば、"そうすればエムリットさまの祝福がある"という一節が完成します。この場合、残るはユクシーとアグノムですが、不思議なのはアグノムの存在である。例えばユクシーは記憶を司っている。怒りや悲しみにまつわる記憶を消すことも可能でしょうから、どちらに当て嵌まってもおかしくはありません。しかし、アグノムは意思を司っている。意思は我々にとって比類なき重要性を誇ってはいますが、しかし怒りや悲しみに対し役割を持てない。あるいは、持ったとしても恐れられることはないのではないか、という疑念が残る。
すると、アグノムの位置はここではない。ではどこなのか――それが、最後の???なのではないでしょうか。エムリットは感情を司るポケモンであり、怒りも悲しみも、感情を消してしまえばそれでよい。ユクシーも前述の通りです。そしてアグノムは意思を祝福し、何かを決断する力を高める。もしこの仮説が正しければ、まさにこの『シンオウしんわ』がアグノムに関連する文献の少なさを補うものとなるかもしれません。
では、以上で本日の講義を終了します。いかがでしたか。下手な語りではありましたが、???の正体について多少は皆様と共に考えられたかと思います。少しでもシンオウ神話の、考えることの面白さを感じ取っていただければ、それに勝る喜びはありません。最後は少々駆け足になりましたが、それはこの部分を、ご自身でも考えていただきたいと思ってのことです。是非お配りした資料を基に、当時のシンオウの人々に思いを馳せてください。彼らと、パートナーの顔を思い浮かべながら。次回以降にはなりますが、皆様の考えなどもお聞かせください。恐らくは、昔の人々も、この話が語り継がれてゆくことを願っていたのですから。
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