(続き)
我々にはいま世界が見えている。さっき言ったように神話は世界観の表明です。古代の人は、世界を神話によって解釈しています。しかもシンオウ神話だと神が世界を創造して、その伝統を汲んだ組織がヒスイの共同体に重なっている。コンゴウ団とシンジュ団って名前なんですが、つまりアイデンティティなんですよ。
じゃあ我々のアイデンティティとはなんなのか。
これは答えるのが難しいんですね。みんな神話を信じてないんです。ここにいる人たちは大半が高等教育を受けてますからなおさらだと思いますよ。働いて生きていく上ではそれで十分だよ。でも、僕たち私たちにはアイデンティティが全くないんだっていうのも変な話ですよね、根本的に。じゃあなんで社会集団を形成できるのか分からない。そういう議論は昔からあったんです。それが広義の意味でのシンオウ神話に繋がってきます。
シンオウ神話というのは便宜上そういう風に言うんだけれど、誰が特定の作者だとかは言うことができない。この高度な神話はいかにしてあるのか。これが高度な神話だから、当然そうじゃない神話もありえます。
いくつか仮説があって、ある人がこういう話を作った。
二つグループがあるとします。ひとつは一般的にさほど強くないポケモンをトーテム化して、つまり祀ってね、高度な論理でその弱さを正当化しているグループ。もうひとつは圧倒的な力を持つポケモン、例えばバンギラスとか伝説のポケモンでもいいんですけど、それを畏れる単純な物語を持つグループ。
これが融合するとどうなるか、と考えてみる。すると強力な対象を高度な論理で崇めるグループになるんじゃないか、と考えた人がいる。上手くいくかは別ですよ。しかし可能性は否定できません。それはなぜか。歴史的にみると力の弱いグループは強いグループに服従せざるを得ないんですが、弱いグループも妙にタフな場合がある。アイデンティティを守ろうとする。でも、その時に力が弱いままだったらどうするか。弱いままでも守れる武器を開発するんですよ。つまりロジック、論理です。自然は弱肉強食ですから、自然から変化したわけです。自然の摂理には反するが、論理的には正しい。そのグループは自然から離れた物語の世界を発見したと言ってもいいんだ、と仮説の提唱者が言ってる。高度な物語の発見。
その一方で、自然の摂理には有無を言わせぬ迫力があります。その中で生き延びるために人間が使うのは数の論理、集団の力です。ポケモンも群れを作ってるじゃないかという反論があるかもしれませんが、仮説の提唱者は著作の中でそれを退けてます。なぜでしょう。
ポケモンには相性がありますから、天敵がいる。それを集まることによってマシにしよう、強いものに守ってもらおうというのがポケモンの群れの論理だとこの人は言ってるわけです。これは機械的な連帯だ。この応答には様々な批判がありますが、大多数のポケモンの群れが同じ種族というのは疑いありません。それに対して人間の方はどうなのか。人間が形成する群れは有機的だった。最初は機械的だったかもしれないが、ある時から有機的になった。ある時とはいつか。ポケモンと関係した時です。人間を媒介にして様々なポケモンが寄り集まることが可能になったので、それぞれ得意なことができるようになった。そして結果的にその媒介である人間が最も利益を得たんだ、ということを言ってます。様々なタイプを含んだ群れは脅威です。普通のポケモンの群れは弱点が決まってます。それを臨機応変に対応して、一網打尽にできる力を持つ群れが現れた。最近発見されたゲッコウガの希少な特性を群れの単位で行った、しかも能力も変化する。これはたまったものじゃない。人間はそういう力を使いました。これが人間の数の論理です。しかし役割分担には悪い面もある。俺は戦ってるのにあいつは土いじりしかしない、あの人は私の仕事に感謝の一つも言わないとか文句を言えるでしょ。力が正義って論理のままだと戦ってるやつが一番偉いことになるが、実態はそうではない。人間だけだと力が強い奴に文句言えませんよ。でもポケモンがパートナーだから、ポケモンが牙をむけば人間は何の問題にもならない。共同体だから生き延びたのであって誰が偉いとかではない、しかし今の価値観だと文句が出る。共同体の規模が大きくなり、軋轢が生まれだす。力が全身の末端まで行き届かなくなる。どっちが手を出しても簡単に破綻するからより強靭な構造が必要になります。歪みを解消しなければ、という時に出会うのがさっき説明した弱者の最終兵器、つまり物語の世界だと言われています。
もちろん生活は現代と大きく違いますよ。でも自然は今も弱肉強食です。人間の中にも変化しない部分が見つかります。それを「やはり全然違う」で終わらせていいんでしょうか。鋭い方なら気付いたと思うんですが、この仮説にはいくつか現代との共通点が見つかります。未だに解決していない問題もあります。そういう意味で言えば、道具が増えていっただけなんです。本質が変わっていないという保証はどこにあるのか、という問いは無意味です。変わる前を知らない訳ですから、本質が変わっていると言う為にも研究の必要がある。
シンオウ神話のポケモンは世界を成立させる神ですからね。それが時間と空間、人間の心を象徴しています。時間がない世界も空間がない世界も考えられないし、心がなければ世界を認識できない。ホウエン神話のポケモンは陸海空ですが、陸がなくても水タイプのポケモンは考えられるし、エスパータイプなんかは陸も海も必要としない種が存在するかもしれません。もちろん全ての、ちょっと友人、今学会でだいぶ偉い地位にいる人に何を言われるか分からないので"おそらく"全てのと言っておきますが、ポケモンはこの星がなければ生まれていなかった。でも考えることはできるんです。なぜ時間と空間、そして心は考えることができないのか?そもそも我々が考えるために必要な条件だからです。それがないと考えるという行為自体が成立しない。そういう次元があることを見抜いてたんですよ。この洞察は驚くべき深みを持っている、と私は思います。
こういう世界の見方を得ることは難しい。何が私を形作っているのか、これが自分に世界がどう見えているのかとダイレクトに繋がってきますよね。別に、他の学問じゃこうはいかない、という意味で今回の授業のシラバスを書いたわけではないんですよ。私はそれ以外の方面に才能がなかった、それだけのことなんです。シンオウ神話は非常に面白い形で、我々に今も何かを指示している。そういう形で神話というものを見ていきたい。神話っていうのは確かに作り話です。伝説も格は落ちますけど、本当に起こったかまだ怪しい。それを外から眺めて「昔の人はこんなものを信じていたのか」というのは、現代人としては正しいかもしれない。しかし、古代の人はそれをどう受け止めていたのか、それを見ている我々はどのような神話を信じ、神なき神話を生きているのか。そういうことを私は知りたい。私の手持ちにはケーシィがいます。それはどういうことなのか。なぜケーシィの手持ちに私がいるわけではないのか。ポケモンと人間のコミュニケーションとは何なのか。ポケモンバトルはどのような経緯で今のような形式に変わったのか。日常でそんなことを聞く人はいません。しかし私は気になる。どうやってそれを知ればいいか、日常的な言葉では難しい。明らかに作り物である神話がなぜ書かれたかというと、やはり神話という形でしか書けないものがあったからじゃないかと私は思います。なので今回は、私が長い間研究してきたシンオウ神話というのを使ってこの講座をやっていきます。
という話をしていきますが、この先どうなることでしょうね(笑)。
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