シュロの神話学的旅日記   作:加藤ブドウ糖液糖

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情緒不安定回です


7.早とちりにご用心/キンセツにて

〇月△日

 

 左足の人差し指にできた小さなかさぶたを気にしていたら、いつの間にやら後輪がキンセツシティはずれの滑走路に接触し、機内がガタリと上下に揺れた。着いたか、と思い目線をあげて窓外に広がるホウエンの景色をじっくりと眺め、屋上の鉄塔にまで視線が行き着くと、その上に黒い豆粒のような影が見える。人だ!両手を広げて危うい足場に立っている。あの高さから落ちてはひとたまりもないだろうが、大丈夫なのだろうか。不意に、自殺、という二文字が頭をよぎった。いかんと思い、年齢に痛む膝を宥めながら、急いで空港を出た。

 数週間前にオダマキ君から、時間があれば研究所に来てほしいというメールが届いた。添付されていた映像を見れば二人の子供が三匹のポケモンと共に戯れており、取っ組み合って泥んこになり、勉強もせずに駆けっこに夢中になる姿が映し出されていた。ニョロゾの子はニョロゾで、どうやらオダマキ君はこの二人の子供にほとほと手を焼いているようだ。そんな用で儂を呼びつけないでほしいが、思いがけない機会と穏やかな陽気に誘われ、こうしてふとホウエンにやって来た。ビバ、ホウエンという気持ちであった。

 やんちゃな子供の教育と、流星の滝で発見された貴重な資料を調査するのが元々の目的であるが、突然思いがけない目的が増えてしまった。自殺目的かどうかは分からないが、とにかく止めねば。急いで捕まえたおんぼろのタクシーはものすごい騒音を発し、車両は縦横にがたがた揺れ続け、車内は恐ろしいほどの埃が舞っていた。とても鉄塔の側まで乗っていられず、運転手に言ってまだ誰もいない道端で降りた。小銭を払う時間も惜しかったため、多めに払ってそのまま走った。

 膝がじんじん痛み、息が切れて苦しい。汗で髪の毛がじっとりと湿り、頭皮に纏わりつく。ヒルズに駆け込めば、前かがみになってどうにか呼吸を整えることができた。そして、階段を駆け上って屋上へ走る。もう飛び降りているかもしれないとも思ったが、なんとか間に合った。もし飛び降りていたら、近隣住民の悲鳴なり何なりが聞こえるはずである。ホウエンの住民のほとんどは、自殺者を見て悲鳴を上げぬような精神の持ち主ではないのだから、当然のことだ。

 屋上には警備員と他にも何人か一般人が居たが、その全員が鉄塔にいる人物を全く無視して思い思いに行動していた。ひどく驚きながら人々を観察すると、彼ら彼女らは何の心配も抱いておらず、全てが平和であり日常であり、それどころかほほえましい光景でさえあるかのように、時々鉄塔の方に目線をやる程度にとどめている。儂も改めて鉄塔の方に目を向けると、そこにいたのはヒワマキシティのジムリーダーであるナギ氏であった。なんだか心配になって、近くにいたくたびれた老人に話を伺うと、彼女はどうやら風を感じているとのことである。この街の人ではないようだから、勘違いするのも当然だ、と彼は語った。

 ナギ氏本人にも話しかけ、なぜ鉄塔に上っているのかを聞いてみた。概ね老人が語ってくれた通りであったが、危なくはないのか、と尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。なんでも、自分が風と調和している限り、この鉄塔から落ちるなんてことはあり得ません、ということらしい。大空と一体になっている限りは。この一言に、儂はジムリーダーとしての矜持と、美学を感じた。皆さん、キンセツシティの屋上でナギ氏を見つけても焦らないでくださいね。

 さて、その後はあのくたびれた老人のことが気にかかり、彼がなぜここにいるのかについても色々と話を伺った。面白かったが省略させていただく。ここには到底書くことのできないものであったためだ。夕暮れに佇む彼の姿には人生の哀愁があった、とだけ書いておく。話の内にテッセン氏の名前も出てきた。すごい話を聞いてしまい、人間とポケモンの心に対する興味を一層深くする。まことに、誤魔化しようのない人間の自然な態度であった。ジムリーダーというのは本当に、面白い人間が多いのだなあ。

 

 ところで、「面白い」と思えるのも、ひとえに我々が心を持っているからだ。前回は古代の記憶について(不完全ながら)儂の考えを書いたが、今回は古代の感情について考える。古代の記憶は、それだけでは我々が思い出す記憶として成り立ってはいない。ただ時間と空間という視点から謎に包まれた世界が開け、そしてそのままに記憶されるというだけである。世界はまだ具体的な名前や特性を持っておらず、あるがままにある。

 だからと言って一部の怪しげなサイキッカーが言うように、そのような世界こそ真理に近いのだ、などということもなかろう。時間、空間という形式を取り払うことができていないのに、そんなことを言うのは気が早いんじゃないかなあ、といつも思っている。体験しないと分からないこともあるのかもしれないが、体験してしまうと分からないことも、また、あるのではないか。

 世界は、記憶を判断することによってはじめて鮮明に認識される。そして、古代の感情は、この段階の認識機能のことを指している、と考えられはしないだろうか。つまり、時間空間の記憶を判断するものとしての感情、である。注意してほしいのは、この場合、感情という言葉は喜怒哀楽とその周辺ではなく、ありとあらゆる判断のことを表す、ということである。つまり、これは我々が思う"感情"とは正反対の、論理的関係、知性として考えねばならない。

 それはどのように働くのか。それは記憶を論理的認識――Aがある、Aがない、AはBである、だとかの――関係に当てはめ、認識する。その中身は、感情によって判断がなされた記憶の内にあるものと、感情とに分かれる。こうして世界が切り分けられる。たとえば、混沌の一部にたんパンこぞうという名前が与えられ、彼の体が縁どられる。オニスズメは紅白の球体を避けようと努める。なぜなら、この少年の力を試すためである……という認識は、この段階において可能になるのである。

 感情において、我々はようやく世界を単純な世界として認識することが可能になる。儂が解釈する古代においては、感情がなければ、オニスズメはオニスズメではなく、時空の中の何物でもない。そして、いよいよ意志において、我々の知る一つの精神が完成されることになる。

 

 キャンプをしてもよかったが、今日はコトキタウンのポケモンセンターに泊まることにした。素朴な建造物がぽつぽつと並んでいる。灯り少ない町の花を、月の光がやさしく照らしている。キンセツならば見えなかったであろう控えめに輝く星が美しい。スバメが飛んでいくのを見て、無性に虚しくなった。

 こういった自然に触れると、儂がことことと考えてきたその全てが、根本的な錯覚に基づいたもののような気がする。ポケモンと心を通わせることに比べて、こちらはほとんど無意味な営みである。だから、儂が死んだらこの分野が跡形もなく消滅し、その分ポケモンリーグが盛り上がり、子供はこぞってポケモンマスターを目指せばいい。儂の死体もそこら辺に転がしておけばいい。いや、流石に言い過ぎた。ほどほどに研究が進み、誰かの役に立てばいいが。ポケモンセンターに戻って、何も飲まずに寝た。かなり疲れていたようだ。

 

 

 

 

 




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