また同室になってる……しかし最早、まったくこれっぽっちもキニシナイ二人。色気のかけらもありゃしない。
そんなことはさておき、作中では「輝きの聖女」と称されるエルレイン。
ちらっとお目見えです。
瞬く間に巨竜へと姿を変えた飛竜の背に揺られ、あっという間にハーメンツヴァレーを後にする。
人気のない海岸に降ろしてもらい、眼前のアイグレッテ、その奥にそびえるストレイライズ神殿を前に、フィオレは気になっていたことを尋ねた。
「ジューダス、その……三半規管に異変は?」
「別に酔ってない。変な気は回すな」
「わかりました。ところで今、知識の塔に一般人は入れないのですか?」
「……長が違う人間になったからな。階級ひとつ取っても、大司教や司教という地位は消えた。ストレイライズ大神殿も十八年前の騒乱をきっかけに大規模な改築がなされている。大神殿の敷地内にある知識の塔へ、信者でもない人間が立ち入れない可能性が高い」
この後、フィオレは彼の推測が正しかったことを知る。
聖都と称されるアイグレッテは、クレスタやダリルシェイドとはうって変わって賑やかな街だった。
決して歴史ある街とはいえないのに、それだけ神殿に訪れる人々が多いということなのか。
「元は壊滅したハーメンツ、アルメイダの住民がストレイライズ神殿を頼って、その保護に困った神殿が集落の作成を許可したのが発端だ。都市として機能しなくなったダリルシェイドから流れてきた人々も集い、更に他国の人間も押し寄せ……最終的にこうなった」
「その割にはごちゃごちゃしていませんね」
「神殿が管理しているからな。元は神殿の土地だった森を開いて更地にし、これまでにも区画整理が行われているだろう」
つまるところ、この街のどこかでフィオレは倒れていたことになるのか。
ハーメンツヴァレーからおよそ一日──驚異的な早さでアイグレッテに到達した二人は、さっそく知識の塔へ入れないかを試みた。だが。
「信者であったとしても、一般人は礼拝の日以外入れないぞ」
「神殿に入れずとも、知識の塔で探したい文献があるのですが」
「知識の塔は神殿の敷地内にある。同じことだ。最も、顔を隠すような輩を通すわけにはいかんが」
考えてみれば尤もな話である。
見切りをつけて、フィオレはあっさりと改装工事中らしいストレイライズ大神殿へ通じる大扉から離れた。
広場を抜けて、港に通じるという道の手前に休憩所があるのを見て立ち寄る。
話すだけなら道端に立ち止まればいいものの、行き交う人が多すぎて立ち話も迷惑になってしまいそうだから人ごみは怖い。
「予想通り入ることはかなわなかったが、どうする? あの程度の連中なら、お布施と称してレンズをちらつかせればあるいは……」
「……いえ、それは最終手段にしましょう。どの道顔はさらせません。しばらくはこの街に留まりたいと思います。私はあなたのようにこの世界について詳しくありませんから、とりあえずは世界の情勢について認識していこうかと」
そして、ジューダスやあのバルバトスとかいう巨漢を蘇らせたという「エルレイン」についての情報もほしい。
守護者達が眠っていたとはいえ、彼らの力を封じた「敵対勢力」のことは把握してしかるべきだ。
目的が決まれば、行動もすぐ決まる。
巡礼者や観光客向けにだろう、無数に建つ宿屋をいくつも回り、ようやくツインの部屋を三日ほど確保することに成功した。
残念ながら宿としては一人でも多くの客を入れたいため、こちらの要望を通すには倍ほどの追加料金が発生するのだ。
「……ぼったくりもいいところだ」
「出そうと思えば出せますけど、節約はするにこしたことはありませんからね」
オベロン社がなくなってしまったために、レンズを換金する手段──恒常的に路銀を得る手段がなくなった。
神殿に寄付すれば優先的に「奇跡」が施されるらしいが、今のところフィオレが望む奇跡は「生まれ故郷に帰る」こと。施せるとも思っていないし、仮に可能だったとしても、守護者達との約束を今更反故することはできない。
最後にジルクリスト邸に寄った際、スノーフリアで失った巨額の路銀を補充しようと「隻眼の歌姫」に贈られた大量の宝飾品を持ち出している。換金すれば金銭的に困ることはない。
色々あって疲れたから休む、というジューダスと別れて、フィオレは早速街へと繰り出した。
昼間の内に大通りはもちろんのこと、路地もくまなく歩き回り。時に怪しげな露天の居並ぶ裏通り、更には施しを受けられない巡礼者の果てであろう人々がたむろするその場所を通り抜けて、街の地理をくまなく知る。
やがて陽が落ち、グランドバザールと呼ばれる区画の店が順々に店じまいを始める頃。適当な居酒屋などを巡る予定だったフィオレは、見事にその予定を潰された。
流石聖都と呼ばれるだけであるのか、アイグレッテには夜遊びをするような歓楽街がない。
フィオレが初めてこの街に訪れたせい、というのもあるだろうが、それでもたったの三軒しか見つけることができなかった。
出来ることはしておこうと、店内に入ってみるも、酒類の品揃えは街の規模と比較してひどい。
お上りさんの風情を漂わせて尋ねれば、アイグレッテは治安を乱す要素を毛嫌いする風習があるのだという。
酒を飲んで犯罪や暴力事件を犯した輩に酒類を提供した店はあっという間に潰され、今では店主が把握しているだけでも五軒ほどしか営業が許可されていないらしい。
「だから、ウチはお客さんでも出すのは三杯だけって決まってるんだ。ボトルも、自宅で悪酔いされても困るから販売してない」
人もまばらな店内、カウンターを陣取って適当に注文していたフィオレは、その一言で次の店に移るきっかけができた。
所在が分かった三軒、更に店主から聞き出した他二軒を回ってみるも結果は変わらず。
どこも廃業を恐れて、店側から「節度ある飲酒量」を設定しているらしい。
通りで、度数の低い
「お客さん、もう呑んでるね? 悪いけど、一杯しか出せないよ」
これを皮切りに、アイグレッテに関する光と影の部分が見え始めた。そして、「輝きの聖女」と呼ばれるエルレインの存在も。
ストレイライズ大神殿の膝元、ダリルシェイドに代わる旧セインガルド地方最大の都市。
主都と呼んでも違和感なきその在り様は、栄華を極めていると称していいだろう。
人々の交流は活発で、訪れる巡礼者たちによって地元の人々の生活は潤う。
その巡礼者を送迎するシステムも神殿によって完備されているようだし、人々に信仰心があるせいで誰かが裕福になり過ぎるということもない。
お布施によって富んだ神殿は、民間では着手しがたいサービス──巡礼者の送迎や聖都の教育、福祉などを行うことで還元している。
まさに金は天下の回りもの、実に見事で、綺麗な経済がここには存在する。
が、その恩恵が弱者に向けられることはない。
くるくると順調に回る水車に何かを投げ込もうものなら途端に弾かれてしまうように、赤貧にあえぐ者達はただ放置されている。
どれだけ敬虔な信者でも、見返りを期待する浅はかな「なんちゃって」信者でも、出すものさえ出せば神殿の扱いは同じ。
というか、払えば払うほど厚遇されるシステムらしいのだ。
神聖な神殿とはいえ、運営するは所詮人の子。
弱者に救いの手を差し伸べないのは如何なものかと思っても、その姿勢にフィオレ個人からの文句はない。
けして、正しい行い──本来神殿が行うべき事柄ではないとは思うが。
そして、守護者の言う敵対勢力側に属するであろうエルレイン。
彼女はジューダスが言っていた通り現在のアタモニ神団の長にして「輝きの聖女」と呼ばれている。
人々の前で奇跡を発現し、信者獲得に一役も二役も買っているらしい。
住民たちが彼女を賛美するその姿勢は実に熱狂的で、アタモニというかエルレイン本人が崇め奉られているような気がしてならない。
彼女が起こす奇跡を大がかりな詐欺ではないか、と疑う旅人が数人いた気がするが、ほとんどは称賛するばかりだった。
ジューダスが言っていた通り、実際に不治の病を癒してもらった人間もまた多くアイグレッテに移住しており、財産のほとんどを神殿に納めて慎ましい生活を送っているのだという。
よもやそういった人々があのような浮浪者になっていくのではないかと調べてみたが、最低限の衣食住は神殿によって管理されているようだ。
結局は、生来の不運でも人生の落後者でも、何も寄越さない弱者に施しは授けられないということか。
権利を主張する前に義務を果たせ。その時初めて、権利を主張する資格が発生する。
国に属する国民の場合は納税で、神殿が国として機能するここアイグレッテでは、お布施こそが義務となるのだろう。
だからこそ、文句を言う権利などフィオレにはないのだが……あのフィリアがいる神団とは思えない世知辛さだ。
神殿の在り方に対して関わりを持つことなく、グレバムが事件を起こす以前のように引きこもり……もとい、研究と祈りを捧げる日々を送っているだけなのかもしれないが。
このように、アイグレッテという街に対して独自の解釈を深めていく最中の、知識の塔へ潜入できないかと調査は続けている。
一応こっそりと神殿の敷地内に入り込む手段は見つけた。
が、見張りの衛兵に巡回の衛兵というコンボではそうそう無茶はできない。
たかだか文献調査に人殺しなど割に合わないし、フィリアと顔を合わせようものならそれこそ眼にも充てられない。
例えば安息日だとか、衛兵を総動員するような事態が起これば話は別なのだが……
などと思っていた矢先。その都合のよい出来事が発生した。
とある日の午後。
酒類同様、争いを呼ぶ武具の種類も少ないこの街で、裏通りの怪しげな露天で新たな武器を求めるか、あるいはもう少し我慢するか。
散策もせず部屋で物思いにふけっていたその時のこと。
ふと窓の外が騒がしくなった。見やれば、眼下の広場に大勢の人々が集まりつつある。
二人が取った宿は、アイグレッテ門前町と呼ばれる区画だ。中央に広場を、その奥にストレイライズ大神殿に通じる大扉が据えられている。
当初は路銀節約のため最低ランクの宿を取ろうとしたところ、すでに満室だとのこと。
そのため、広場を前にした高級ホテル、しかも見晴らしのいい上階のツインをあてがわれてしまったのだ。
一体何が始まるのかと、観音開きの窓を開いて文字通り高見の見物を始める。
窓を開いたその時、どよめく人々のざわめきが室内へとなだれ込み、シャルティエの手入れをしていたジューダスが顔をしかめた。
「……野次馬か。物好きだな」
「さっきから見てると、神団の騎士やら衛兵やらが出張ってきているんですよね。これはひょっとして、ひょっとすると……」
フィオレが見つけた抜け道の先に佇む見張りも巡回の衛兵も、この騒ぎに駆り出されているかもしれない。
興味津々で広場を見下ろすフィオレに何を思ったか、ジューダスはシャルティエを机に置いたかと思うと窓辺までやってきた。
「確かに、神殿の人間が出張ってきているな。これはおそらく奇跡の行使だろう」
「奇跡って、輝きの聖女のアレですか。信者ゲット大作戦」
「後は、詐欺ではないかと疑う連中を黙らせるため、そして十分な寄付を収めた不治の病を抱えた連中が一定数に達した時だな。おそらくはあの一団が、今回の患者たちだ」
袖口から桃色のフリルがのぞくという、実に個性的な意匠が悪目立ちする腕が彼方を指す。
少年の指の先には車椅子に座った少年に付き添う母親、白い杖を携えた老人に付き添う家族など、どこかしら不自由を抱えた人々が期待と不安を抱えた表情を浮かべて待機していた。
やがてフィオレの予想とは反して、人々の待ち望んだ姿はアイグレッテ・グランドバザール方面から現れた。
てっきり神殿の鐘をカランコロンと鳴らし、さながら生き神のように大扉の向こうから仰々しく現れるかと思っていたのだが。
姿恰好も仰々しくはあるがそこまで華美なものでもないし、供も護衛らしい二人の騎士しか連れていない。どこかに出かけていたのだろうか。
ざわめきがまるで、漣のように引いていく。
群衆の眼前に姿を現したのは、想像以上に若く美しい女性だった。
まるで稀代の名工が精魂こめて彫り上げた彫刻に、本当に魂を吹き込んだような印象である。
鼻筋の通った顔立ちに切れ長の瞳。薄い栗色の髪は三つ編みにして腰の位置まで下がっており、洗うのにかなりの労力が必要と見た。
引きずらざるを得ない、ぞろりとした裾の長い特殊な神官服に、透かし飾りも繊細な丈の長い帽子が揺れる。
人々の前に進み出た聖女は厳かに何かを呟いた。
『この街の人々に、偉大なる神アタモニの祝福があらんことを……!』
シルフィスティアの耳を借りれば、実に物静かな声音が脳裏に響く。
途端、掲げた聖女の右手に輝きが灯り、それは収束したかと思うと圧力に耐えかねたように散った。
光は患者一団を祝福するかのように降り注ぎ、そこかしこで歓声が上がる。
「おお、不思議じゃ! 三十年来見えんかったワシの眼に光が……!」
「わぁ~い、お母さん! ほらっ、ボク歩ける、歩けるよっ!」
白い杖を捨て家族と抱き合う老人、おもむろに立ち上がってその場に跳ねてみせる車椅子の少年。
他にも、担架に寝かされていた男性がむっくりと起き上がる、顔面に包帯を巻いていた女性がおもむろに顔をさらし、手鏡でまじまじと自分の顔を見る、など喜びの声は絶えない。
「どうだ? 奇跡を目の当たりにしての、感想は」
「アトワイトの上級晶術と一体何がどう違うのか、説明がほしいですね」
残念ながら、フィオレにとって今しがたの奇跡は、奇跡の内に入らなかった。
何故なら彼女が行使したのは「失われた機能の復活」であって、無から有を生み出す奇跡ではない。
常人には十分奇跡かもしれないが、今のが奇跡などとちゃんちゃらおかしい。
シルフィスティアの力を使って間近からその姿を観察すれば首元に一風変わったレンズがのぞいているし、晶力が働いた感覚もあった。
威力が桁違いに増幅されている晶術と何が違うのか、理解に苦しむ。
ともあれ、神殿の偉い人間、それもトップがこうして往来に姿を現しているのだ。警備も今なら、手薄である可能性が高い。
「ジューダス。ちょっと出かけてきますね」
「どこへ行く気だ」
「今なら知識の塔へ潜入できそうな気がしますので、この隙にこっそりと。フィリアには見つからないよう、心がけますから」
奇跡の行使も終わり、今や輝きの聖女は患者達一人一人に声をかけている。
ぐずぐずしていたら彼女は神殿へ戻ってしまい、また警備は厳重なものへと戻るだろう。
そこへ。
「待て、僕も行く」
シャルティエを厚手の布に包み背中に負ったジューダスが、剣帯だけを身に付けて同行を申し出た。
何が目的で、なのかを尋ねてみる。
「あの神殿内にどうやって侵入するのか、興味がある」
どうやら単なる興味本位らしいが、邪魔さえしなければどうでもいい。
人が密集している広場を避け、大通りを抜け、アイグレッテ・グランドバザールの区画へ移動する。
「ちくしょー、俺も行きたかったのに……店長め!」
などと抜かしている店番のいる衣料品店や、不用心にも空っぽになっている露店をすり抜けて、徐々に元から人気のない区画へと向かう。
フィオレが向かっているのは、通称倉庫街と呼ばれる店舗用の倉庫がずらりと並んだ区画だ。
ただ倉庫が漫然と並んでいるわけではない。すぐ傍に船着き場があり、港から仕入れた荷を海と川を使ってここへ直接運ぶことができるのである。
『なんか、神殿から遠ざかっていく気がするけど』
『距離的にはね。この辺り、十八年前はストレイライズの森が広がっていたでしょう。私はここで発見されたから、何か手がかりみたいなものはないかと神殿にいた頃は大分歩き回ったんですよ』
その時に、ストレイライズ神殿へと通じる遺跡を発見したのだと、フィオレはその入り口を示した。
船着き場のすぐ傍、小高い丘の根元をえぐるような穴が開いている。
慣れた様子で歩みを進めたフィオレは、入ってすぐの燭台にソーサラーリングで明かりを灯した。
「階段になっています。足を踏み外さないように」
そこは石造りの通路で、奥からひんやりとした空気が流れてくる。
フィオレの先導で通路を道なりに進む内、二人は文字の彫られた石板が床一面に敷き詰められた、だだっ広い空間に出た。
これまでいくつもの十字路に直面しても、眼前に階段が現れても無視してまっすぐ進んできたフィオレの足が止まる。
「どうやら、先客がいらっしゃるようで。この道を使って、誰かが神殿に入り込んだみたいですね」
『何でまた?』
シャルティエの質問に、フィオレは腕を上げて対岸を指した。
石板が敷かれていない対岸の先には通路があるものの、淡く輝く壁が存在している。
「私がここへ初めて訪れた時と同じ状態になっています。一度あの封印を解いて先へ進んだら、また封印が復活していましたから」
ため息をついて石板を一瞥したかと思うと、フィオレはおもむろに一枚の石板の上に立った。
その瞬間石板は白く発光し、それを確かめて次々と石板の上を移動していく。
「他の石板は踏まないでくださいね」
その言葉に従うジューダスと共に、対岸まで到達する。
封印の前へ立つと、淡い輝きを放つ壁はとある単語を浮かべて音もなく消滅した。
「Destiny……?」
「古代語でしたっけ。『運命』には逆らえないなんて、なかなか洒落が効いてますね」
どことなく自嘲的な響きを残して、なおもフィオレは足を進める。
進んだ先は巨大なレンズを模したレプリカと、地上へ通じるだろう階段があった。
「ここを人が通ると、この模造品が反応してあの封印が復活するんです。こちら側から戻れば、自動的に解けますが」
言った傍からフィオレが通り抜け、レプリカレンズがきらりと光る。おそらくこれで、再封印が施されたのだろう。
一顧だにせず階段を上がったフィオレだったが、身を沈めて辺りをうかがうようにしている。
「いつもならあの辺りに見張りがいるのですが……いません、ね」
二人が出たのは神殿内部の端──蔦が這い苔に覆われた遺跡の一部が名残を残す一角である。
神殿関係者、あるいは見学者が入り込めないようにだろう。わざわざ段差を作り人一人がようやく通り抜けられる出入り口に誰の姿もなかった。
それどころか、周囲一帯を見回しても人っ子一人いない。
やはりエルレインが出張っているからだろうと決めつけて、フィオレは堂々と歩き始めた。
「ここは大聖堂だな。通常は高位の神官しか立ち入ることが許されない場所だが……」
「知識の塔はどこです?」
「……噴水脇の建物だ」
無駄知識を披露するジューダスの言葉をぶった切り、すっかり改築されて面影もない知識の塔へ足を踏み入れる。
本当に幸いなことに施錠はされておらず、司書による本棚ごとの分類も変わらず、やはり人の気配はない。
これなら目的の文献もすぐに見つかるかと思いきや。
「……ない」
天地戦争関連の本を探すも、何故かその本棚の冊量が圧倒的に少なく、残されていた資料にはマイナーな特殊部隊の存在や地上軍の旗艦として使用されていたラディスロウなる輸送艦のことなど、興味深いが今のフィオレにはどうでもいい内容の書物ばかりである。
他の本棚に紛れているのかと探すも、神の眼を巡る騒乱において二人の黒幕のことやら、「神の眼を巡る騒乱の真実」と題された小説やら、やはりどうでもいいものばかりだ。
そのおかげであのヒューゴ氏が神の眼を手に入れて何をしたのか、具体的なことはわかったが最早過去の話。知ったところで意味はない。
それにしても、天地戦争時代の資料や十八年前の騒乱に関する資料が少なすぎる。
確かに十八年前の騒乱の発端はここの大司祭にあり、いくら知識の塔でも禁忌扱いなのかもしれないが、それでは天地戦争に関する資料の少なさが説明できない……
しかしフィオレの疑問は、地理に関する書物を手に取っていたジューダスによって綺麗に晴れた。
「天地戦争と神の眼を巡る騒乱に関連した資料なら、ハイデルベルグへ移送された」
「!?」
ジューダスを見やれば、彼は手にした書物を書架に戻して腕を組んだ。
仮面のせいで分かりづらいが若干、半眼になっているような気がする。
「現在ハイデルベルグには『英雄門』と呼ばれる資料館があり、十八年前の騒乱に関する記念館を兼ねている。知識の塔で保管されていた資料、並びにヒューゴの屋敷から接収されていた資料もな。初めに目的を言ってくれれば、無駄足を踏むこともなかったんだが」
「……そうですね。お詫びに、何故それをご存じなのかは聞かないことにします」
実に壮大な寄り道だった気がするが、結果的に「エルレイン」のことはわかったのだ。その情報を手に入れるための対価だと思えば、けして無駄足ではない。
ハイデルベルグというか、ファンダリアへ行く用事はもともとあったからいいとして。
問題は土地を訪れる順序。現在どのような航路が存在するのかまだ調べていないため、それがわからないことには予定が立てられない。
「アイグレッテへ戻りましょうか。目的の資料がない以上、長居は無用です」
踵を返して、知識の塔を後にする。
来た道をそのまま戻ろうと、大聖堂付近へ差し掛かった時のこと。
「!?」
その違和感は、唐突に視界へ飛び込んできた。
入るときは固く閉ざされていたはずの聖堂が、大きく開け放たれている。
それだけなら、エルレイン及び多数の神殿関係者が戻ってきたのかと急いで遺跡に戻っていた。
だが、それだけではなく。開け放たれた聖堂からは実に不快な──しかし嗅ぎ慣れた匂いが漂ってきたのだ。
更に剣戟やらくぐもった悲鳴、晶力の働きまで感知できる。明らかな異常事態だ。
神聖な神殿内で騒ぎが起きているというのに、誰一人として駆け付けるどころか姿を現さない辺りが、更なる異常さを醸し出している。
何を感じ取ったか、珍しくジューダスが率先して大聖堂へと駆けつけた。その後に続くように、フィオレもまた大聖堂へ走る。
だだっ広い空間、礼拝の日は信者がずらりと並ぶであろう質素な木製の長椅子、司祭が立ち説法を説く祭壇。
あるのは鉄錆び臭い空気と、眼前の惨状だった。