ジューダスとお別れかと思ったら、そんなことは無い模様です。
知識の塔へと立ち入り、先ほどジューダスが立っていた地理に関する書物が収められた書架へと赴く。そこで一冊──騒乱後、世界中の地理がどのように変異したのか記された書物を、背中へ押し込んだ。
間違っても窃盗ではない。ただ借りていくだけだ。いつ返すかは、未定だが。
ふと外を見やれば、エルレインによる街頭パフォーマンスは終わったようだ。彼女を中心に、神殿関係者と思しき一団が大神殿へ続く参道を歩いている。
早いところ撤収しなければ、待っているのは面倒ごと。
大急ぎでフィリアの私室へと戻り、扉を僅かに開いて中の様子を伺う。
誰かに何かを語りかけるフィリアの声は至極穏やかで、あの外傷における影響は一切感じられない。
『只今戻りましたが、ジューダス。いますか?』
「遅いぞ。一体何をしていた」
ほっと胸を撫で下ろすのもそこそこ、不機嫌な声音がフィリアの声に割り込んで、耳朶に侵入してくる。
妙に近いその声に視線を巡らせれば、彼は扉のすぐ傍で壁に背を預けていた。
仮面をしているとはいえ、彼女の前に堂々居られるとは。なかなか肝が太くなったものだ。
……と、思ったのだが。
「いつこちらに気をやるか、気が気じゃなかったぞ。おまけにうっすら意識があったのか、開口一番にお前の歌のことを聞いてくるし……」
「普通に考えれば、あれから十八年も経っているのでしょう? 同じ顔が現れたところで、他人の空似と考えるのが関の山でしょうに」
ひそひそと会話を交わすうち、カイル達の方も何やかやと話がまとまっていく。
カイル曰く、レンズから出てきた女の子にしてフィオレを英雄呼ばわりした少女「リアラ」はカイル達を仲間にすることにしたらしい。
大方フィリアが焚きつけたのだろう、ほぼ一方的にリアラの仲間になると宣言したカイル。
話運びについていけなかったロニが厭味ったらしく──しかし冗談めかして「仲間」であることを強調し、そんなやりとりにリアラは声を上げて笑っている。
ようやく年相応の笑顔を見せた少女に和むこともなく、自分の注目が集まることを避けたのだろう。
頃合いを見て、ジューダスはするりと室外へ出てきた。
「そうそう。神団関係者が続々と戻りつつあります。見咎められる前にずらかりましょう」
「同感だ」
「あれっ、ジューダス? ちょっと待──」
室内から聞こえる少年の制止に耳を貸さず、ジューダスはさっさと来た道を戻っていく。
背中に仕込んだ書物を落とさないよう細心の注意を払っていたフィオレだったが、その足は遺跡を出た倉庫街で止まった。
「待ってよ、二人とも!」
全速力で駆けてきたのだろう。肩で息をするカイルに突進されかねない勢いで追いつかれ、フィオレはその場に立ち止まった。
万が一にでも書物を落として破損するわけにはいかないのだ。
借り物ということもそうだし、ジューダスに見つかったらどんなお小言、皮肉を抜かされることか。
「さっさと行っちゃうなんてひどいよ! 助けてもらったお礼も、まだ言ってないのにさ」
「礼などいらん。偶然通りかかったから気まぐれに助けた、それだけだ」
行動を共にしていた、というよりは彼が行動する理由を作ったフィオレからすれば、そのまんますぎる解答だ。
だが、傍から聞くとかなり無理がある。
その証拠に、カイルはジューダスに駆け寄るなり首を振って否定した。
「どうやったらあんなとこに偶然通りかかれるのさ! 助けに来てくれたに決まってるよ」
「……そう思いたかったら勝手にしろ。じゃあな」
そこはフィオレに釈明させればいいものを、彼は誤解するしかない一言を堂々放った。
おそらく無駄な時間を取られたくないというのが本音だろうが、つくづく誤解されるのが好きな御仁である。まさか、そう誤解することを狙って言ったわけでもなかろうが。
しかし、その明らかな別離の一言をはいそうですか、とカイルが受け入れるわけもなく。
「待ってったら! ジューダスはどうして、オレたちのことを助けてくれるの?」
「お前たちを見ていると、危なっかしくてイライラするからだ」
「それじゃあさ、ジューダスも一緒に来ればいいんだよ!」
追ってきた時点で予想できていたが、どうも彼はジューダスを仲間に引き入れる魂胆があるらしい。
この間に、関係ないフィオレにはとっとと先を急ぐという選択肢もなくはないが、あまりに不義理かな、ということでやめておく。
そういえばスタンも、置かれた立場と性格から大分邪見にされていたはずだが。それでも数少ない男性陣ということで、距離を縮めようと奮闘していた。
彼の息子である由縁か、はたまたルーティの実弟であるジューダスに、わずかな近親感を無意識に感じ取ったのか。
カイルのことは何となくしか知らないが、両方違っていることを祈る。
とにもかくにも、ジューダスの返答で今後のことはすべて決まると言っていいだろう。
「なに?」
「遠くでジーッと見てるから、イライラするんだよ。近くにいれば、そんなこともないし。それにフィリアさんだって言ってたじゃん。リアラには仲間が必要だって。だから、ジューダスも……ジューダス?」
「……やめておけ。僕を仲間にすると、ロクでもないことになるぞ」
まるっきり見当違いなカイルの言葉を黙って聞いていたかと思うと、彼はふいっ、と顔をそむけた。
一見拒絶しているように見えるが、ジューダスの意思は明らかになっていない。
どちらかといえば過去のトラウマ──「仲間を裏切った」ことに対して同じことをしてしまう、それを恐れて自ら身を引いているように見える。
そんな事情などもちろん知らないカイルは、無邪気に聞き返した。
「ロクでもないことって?」
そこで一瞬、ジューダスから困ったような視線が送られてくる。
まさか過去の所業を話せと促しているわけではなかろうが、助け舟を切望している印象はあった。
『茶々しか言いませんよ。あなたがどうすることを望んでいるのか、わからないのですから』
「……話す必要はない」
静観の意思を伝えれば、彼は実に苦し紛れにそう答えた。
意味深な一言で疑問を持たせた以上、説明責任が発生したのは気のせいだろうか。
「ロクでもないこと、ねえ……おいフィオレ、お前そーゆー目にあったことはあるのか?」
「──そうですねー。心当たりはあります」
行き詰まりがちな会話の最中、ジューダスを仲間にすること自体に異論はないのか。
ロニにそれを尋ねられ、フィオレは正直に答えた。
それに対して、ロニはもちろんそれの詳細を尋ねに来る。
気のせいか、ジューダスの表情に影がかかっている気がした。
「おいおい、マジかよ」
「ジューダスと一緒に歩くと目立つんですよね、仮面が。注目の的で影口叩かれるわ、因縁つけられるわ。金がほしいなら物乞いでもすればいいのに」
リオンならまだしも、「ジューダス」と行動を共にしてこうむった「ロクでもないこと」などこれ以外にはない。
実際のところ、無意味に目立つことを厭うフィオレには大変「ロクでもないこと」なのだが。
それを聞いたロニは目を点にして、カイルに至っては大口開けて笑い飛ばしている。
「あははっ、なーんだ! ロクでもないって、そんなのへっちゃらだよ。英雄たるもの、向かう困難は全部切り抜けなきゃね!」
「おい、そういうことでは……「決まり、決まり! よろしくね、ジューダス!」
「それではね、ジューダス。色々お世話になりました」
ほぼなし崩しにジューダスが彼ら一行に加わることが決定する。ただし、多分強制的ではない。
何故なら。
「別に嫌ではないのでしょう? 誘われた時もきっぱり拒絶はしなかったのだし。さしあたって用事がなかったのなら、ただ私にくっついて漫然と時を過ごすよりはずっと有意義だと思いますよ」
「フィオレ……」
「えーっ!? フィオレは一緒に来てくれないの?」
ジューダスとはセットだという解釈だったのだろう。
フィオレとて彼らの行く先に興味がないわけではないが、好奇心だけでそれを優先させるには許されない事情があった。
「すみませんカイル。私には目的がありまして、これまでジューダスには付き合わせていただけなんです」
「目的って?」
「行かなきゃならない場所があるんです。あなた方がどこへ向かうのかは知りませんが、方向が同じでないと同行はできません」
そこでふと、思い出したかのようにカイルはリアラを見やった。
「そういえばリアラ。これからどこへ行くのか、あてはあるの?」
「ひとつだけあるわ。まだ会ってない英雄……ハイデルベルグのウッドロウ王よ」
「四英雄のひとり、英雄王ウッドロウ王か。確かに、スタンさんと並んで最も英雄と呼ぶにふさわしい人だな」
「とするとファンダリア……ハイデルベルグか。お前確か、英雄門に用事があるとか言ってたな」
早々に旅路への同行を認めたジューダスが、わざとらしくフィオレの目的の一部を呟く。
残念なことに、彼らはそれを聞き逃しはしなかった。
ただ、フィオレにとって同行を快しとしない懸案は、それだけではない。
「英雄門て、ハイデルベルグに設立された記念館のことだよな? 少し前に知識の塔から、ごっそり資料が運び出された……」
「そうなの? それなら、方向は同じだよね」
「それと。私と行動を共にすれば、必ず危険にさらされます。それでも構わないのなら」
ジューダスの抽象的な忠告とは違う、明らかな警告がさらりと告げられる。
まず反応したのはロニだった。
「どういうこったよ、そりゃ」
「私はあの、バルバトスとかいう男に追われているんです」
あの男のこともそうだが、もし偶然にも彼らを守護者達の探索に巻き込んでしまったとしたら。
シルフィスティアの時のように、たぶらかされたそれぞれの眷族に襲われる危険がある。それに無断で巻き込んでしまうのも、心苦しかった。
巨漢の名を出され、交戦時の記憶が蘇ったのだろう。三者の表情が、一様に引き締まる。
「そういや、そんな感じのことを言ってたな。一体何が……いや。そもそもあの男は何モンだ?」
「それは私も知りたい。私には、どうしてあれにつけ狙われているかもわからないのですから」
「──それは、あなたが英雄だから、ではないのですか?」
沈みがちだった空気を切り裂いたのは、ペンダントトップに手を添えるリアラだった。
それを聞くなりカイルの顔色が変わるも、少女は一切気が付いていない。
「何故そう思うのですか?」
「あの男はフィリアさんに、英雄という存在に強く執着していました。カイルの言葉にも強く反応していたから、間違いないと思います。あなたは以前、英雄ではないと言ったけれどあの男と対等に……いいえ、もう少しで勝つところだった。だから……」
「あなたはどのような戦いをも制する者こそが英雄だと思うのですか? 少なくとも、私はそれだけしか能がない人間を英雄などとは思わない」
殊のほか冷たくなってしまった言葉に、リアラは軽く身をすくませた。
先ほどの怒りが収まっていない影響かと、急いで取りつくろう。
「まあ、あの男が力こそ全て、という単純極まりない考えを持つならば、そうなのかもしれませんね。話が逸れてしまいましたが、それでも構わないのですか?」
「俺はカイルの意見を尊重する。ジューダスは別に構わねえよな、今まで一緒にいたんだから。リアラは……」
「わたしは、仲間になってほしいと思います。困難を招くのは多分、私も同じだから」
ここで、フィオレは初めて少女の首元に下がったペンダントをまじまじと見た。
赤いリボンによって留められた、風変わりなレンズをトップにしたペンダント。
どこかで見たことがあるような気がすると思ったら、エルレインが司祭服の下につけていたものと酷似していた。
単なる偶然か、あるいはそこに何か事実が隠されているのか。
それを勘ぐるよりも早く、カイルの言葉によって思考は散らされた。
「それこそ望むところさ! 言ったろ、英雄は困難を恐れないって。それに、オレが英雄になったらあいつは嫌でもオレを倒しに来るよ。同じことさ!」
先ほど殺されかけていた人間の台詞とは思えないお気楽さである。
一体どんな育て方をしたのやらと考えて、すぐにやめた。
子供という生き物は、親の背中を見て育つものらしいから。
「なら、決まりですね。ここからファンダリアへ行くには……」
「東にあるアイグレッテ港で定期船を使って、スノーフリア港だな」
「船旅かあ……」
そうと決まれば、速やかに行動を起こす必要がある。
なにせ、神殿で発生した騒ぎの痕跡に関して一切の事後処理をしていないのだ。フィリアに期待はできないし、下手をすれば港を封鎖される恐れがあった。
旅支度を整え、各自確保していた宿を引き払う。
未だ神殿の異変を知らず、奇跡の余韻に浸る平和で呑気な街から出立した。
海岸線沿いの彼方に認識できる港を目指して歩く。
それまで男性陣の会話を聞いてはその漫才じみたやりとりに笑みを零し、時折物思いにふけるかのように海岸の漣を見やっていたリアラが不意にフィオレへ話しかけてきた。
「あの……フィオレ、さん。ちょっと聞きた、お聞きしたいんです、けど」
「とりあえず敬語を無理に使う理由を私がお聞きしたいものです。特別理由がないなら、話しやすい形でどうぞ」
「え!? あ……あのね。フィオレって、フィリアさんと知り合い、なの?」
言い直したことについては追及しないで、フィオレは即答した。
とはいえ、周囲に気を配ることは忘れていない。
「ええ。とはいえど、彼女が私のことを覚えているかどうかはわかりませんが」
「でも、フィリアさんはフィオレの歌を聴いたことがあったみたいよ。なんだかすごく、さみしそうにしてた」
「……大変光栄なことです」
そこでぶっつりと、会話は途切れた。
それをどうにか繋げようとしたのか、リアラは数瞬を置いて再び口を開いている。
「えっと……フィリアさんとはどうやって知り合ったの? やっぱり、悩みを聞いてもらったとか?」
「知り合ったというか、私は彼女に命を救ってもらったことがあるんです」
嘘は言っていない。それどころか、これはまぎれもない事実である。
驚愕をあらわにするリアラ、そしてなんとなく聞き耳を立てていただろう男性陣の反応を十分楽しんで、フィオレは初めてリアラを見やった。
小柄な少女の目線は、ジューダスよりも低い位置にある。
「フィリアが傷つけられて、私がバルバトスを口汚く罵ったから、不思議に思ったのでしょう?」
「う、うん……」
「お見苦しいところを見せてしまいましたね。怒りで我をなくすなんて、久々でした。でも私にとってフィリアは、それだけ大事な人なんです」
だから早々、あのような状態にはならないと誓ってみせて。
フィオレはそれとなく先行するジューダスへと歩み寄った。
「相変わらず、誤魔化すのが上手いな」
「あなたが不器用すぎるだけです。ところで、定期船のことなんですけど……」
アイグレッテで調達した世界地図を手に、航路についてジューダスと長話を始めたフィオレを、リアラはじっと見つめている。
そのたおやかな指先はペンダントトップのレンズに触れており、あれ以来彼女に対してレンズが反応を示していない。
リアラのレンズは、フィオレが左手の甲に宿したレンズに反応した。
初の接触でそれに気付いたフィオレが、二度とそうならないよう己のレンズが宿す未知なるエネルギーの気配を抑え込んでいることに、少女は気づいていない。
やがて半日ほどの行程を経て、一同はアイグレッテ港へ到着した。
倉庫街に船着き場があったせいか、荷の上げ下ろしのような作業はなく、魚の水揚げも時期ではないのか今は行われていない。
代わりに、巡礼の行き帰りであろう人々の姿が多く見られた。
「ウッドロウ王って、どんな人なんだろう!?」
初めての船旅と言っていたが、浮かれているのだろうか。
はしゃぐカイルが急にそんなことを言い出した。彼は彼で、英雄王と呼ばれる人間に会えるのを楽しみにしているのだろう。
反対に、リアラの表情は実に深刻で、不安の色が濃い。
「ま、英雄王と呼ばれるほどの方だ。ただ者じゃないのは確かだな」
「今度こそ、本物の英雄だといいのだけれど……」
まるでフィリアが本物でないような言いぐさである。彼女が英雄か否かは、フィオレにも答えかねるが。
英雄を切望する少女にカイルが複雑そうな表情を浮かべるも、次なるジューダスの一言でその影は消えた。
「会えばわかることだ。それより、チケットを買わなくていいのか?」
「あ、すっかり忘れてた! 早いとこ、買いに行こうぜ」
本来ならアイグレッテの定期船紹介所で予約、あるいは巡礼を決めた時点で往復チケットを手に入れるものらしい。
いきなりスノーフリア行きの船の前、乗船客を整理していた船員にチケットをくれと言ったカイル並びに一同は、非常に居心地の悪い思いを味わった。
船員は船長を呼び、船長は何とも渋い顔で帳面をめくっている。
「このアルジャーノン号にも、一応船室の空きがないことはないが……」
「本当!? じゃあそれを……」
「ただ、最高級のロイヤルスイートルームだよ。定員は四名だけど、乗船料を人数分払うなら売らないこともない」
またこのパターンか、とうんざりしながらも、一応値段を尋ねる。
それを聞き、すでに交渉役をフィオレとジューダスに委ねていたカイルが大声を張り上げた。
「ごっ、5000ガルド!?」
「おいおい、ぼったくりにも程があんだろ」
「本来はスノーフリアで契約書を交わして、往復の費用が一人2000ガルドなんだ。これでも片道分なんだよ」
途方に暮れたような顔で自分の財布の中を覗こうとするカイルをさておき、フィオレはひょいと片手を突き出した。
親指をわずかにずらせば、人差し指との間に挟まったガルド札がずらりと並ぶ。
「!?」
「カイル、その程度の額でガタガタ抜かさない。お金で解決なんてあまり好みませんが、これから正規の手続きをするのも手間ですから。立て替えておきますので、後で返してください」
すかさず1000ガルドを押し付けてきたジューダスからは徴収し、度肝を抜かれたらしい船長からチケットを受け取って、船員に船室の所在を尋ねた。
船長の気が変わらない内に一同を引き連れて移動する。
急遽手配した船室は、最高級と言っていただけのグレードはあった。
「ひ、広~い……」
「浴室、居間、化粧室に寝室……高いだけはありますね」
船室とは思えないほど広々とした空間を見て回り、フィオレは感嘆の吐息をついた。
使用頻度が極めて少ないのか、使いこまれた感じはなくどの調度品も新品に近い。
現に今、腰を下ろすソファなどクッションがまったく潰れておらず、ともすれば弾かれてしまいそうなほどの弾力が残っている。
「わたし、こんな豪華なお部屋、初めて……」
「もう二度とないと思いますから、堪能してください。あなたにとってはのんびりもしていられないでしょうけど、後は船任せ、ひたすら時間を潰すだけですから」
「うん!」
荷物を置いたリアラは、さっそくソファに乗り込んでぽよん、と弾かれている。
カイルなどは歓声すら上げて部屋中を見て回っているし、この時ばかりは兄貴分も一緒になってはしゃいでいた。
「ねえロニ、このお風呂動物の顔からお湯が出るよ!」
「お! この部屋ルームサービスあるのか! やっぱ高い部屋は違うな!」
ジューダスはといえば、「ガキ共め」と呟きつつ、一人掛けのソファをちゃっかり占拠している。
とりあえずは数日間、広いが個人のプライベートは無きに等しい室内で共同生活を強いられるのだ。
決めるべきことは決めてしまおうと、フィオレは全員を居間に集めた。
「寝床のことですが、寝室は二つあってもダブルベッドがひとつずつなんですよ。必ず誰かがソファで寝なければならないのですが、カイルとロニはダブルベッドでいいですよね」
「あ? ああ。かまわねえが……」
「で、ジューダス。正規の金額を支払っているあなたには悪いのですが、私としてはリアラに寝室を譲りたいんですけど」
「僕に異論はない」
「では決定。寝室のひとつはカイルとロニ、もうひとつはリアラが使い、私とジューダスは長椅子を使うと」
幸い長椅子は二つ、もし使えなかったとしても絨毯の毛足は長い。地面の上に比べれば十分な寝床だった。
次に部屋の使い方について話し合おうとして、ロニの言葉に邪魔される。
「おいおい、いいのか? てっきり船賃立て替えた分、ソファ使えって言ってくるかと思ったのに」
「貸しについてはその内、頼みのひとつも聞いていただきます。だから気にしないでください」
「でも……」
「私は他人と寝床を共にしたくありません。かといってリアラと交代したら、彼女がジューダスと同じ部屋になってしまうので」
何も起こりはしないと思うが、火のないところに煙は立たぬ。
李下に冠を正さずという言葉があるように、事故が起こりやすい環境を作るのはよくないことだ。これが一番いい配置のはずである。
しかし、異論を唱えたのはロニだけではなかった。
「だったら、わたしがソファで寝るからジューダスと一緒にダブルベッド使えば」
「風邪引くでしょうから却下です。それと、男女の同衾はしかるべき関係になってからですよ」
「同感だ」
フィオレにとっては当然の結論であるし、ジューダスも短く同意を示している。
ところが、カイルを除いた二人は驚愕をあらわとした。明らかに戸惑った様子である。
「え? しかるべき関係って、二人とも恋人同士じゃ……」
リアラの他意なき一言に、ジューダスは目をむいて過剰反応を示した。
仮面の奥の顔は、わかりにくいがかなり赤い。
「だ! 誰がこんな女なんかと、こ、こ、恋人になんかっ」
「そうですよリアラ。ジューダスの理想はかなり高いんですから。それに私にだって、選ぶ権利というものがあります」
とりあえず、妙にテンションを上げてしまったジューダスに落ち着くよう促して。フィオレは部屋に完備されたティーセットを手に取った。
持参したミントティーを淹れ、人数分淹れてから一口すする。
「大方、宿で相部屋だったからそう思ったのでしょう。連れだしツインなんだから構わないだろう、と宿側からゴリ押しされたんです。私とジューダスの関係は協力者、あるいは戦友以外の何物でもありません。だから、同じ部屋で眠れてもダブルベッドは使えないんです」
淡々とした説明を重ねるも、ジューダスの過剰反応のせいだろう。
二人とも心から納得したようには全然見えない。
ジューダスの取り乱しっぷりが珍しかったのか、二人してちらちら彼を見やっては思いだしたように納得した素振りを示している。
「あ、ああそうだ。船内では各々、自由行動でいいよな?」
「それは構いませんが、鍵が四つしかないんです。鍵を持たない人は締め出しをくうかもしれませんが」
「そうか? んじゃ、俺が辞退しておくよ。今夜は戻らねーかもしれねーから。そいじゃ」
出港の合図である汽笛の音を聞きつけて、ロニがいそいそと室外へと赴く。
それにカイルが目的を尋ねると、彼はもったいぶりつつも答えた。
「カイル。お前はまだ知らないだろうから教えといてやる。旅というものは、人を開放的な気分にさせるものだ」
「うんうん」
「行きずりの恋人たち、ただ一度の逢瀬……」
何となく先が読めてきたにつき、フィオレはおもむろにリアラの耳を塞いだ。
彼女は慌てているものの、外す気はない。
同じく彼が何を言わんとしているのかわかったらしいジューダスがジト目で見やる先、ロニの熱い口上は止まらなかった。
「だが、次がないからこそ恋の炎は激しく燃え上がるんだ! わかるか?」
「……つまりロニは、ナンパをしに行くんだね」
いつものことなのか、カイルはカイルで冷静だ。
だが、すっかりその気になっているロニはさっぱり気づいていない。
「そんな顔すんなよ。それに開放的な気分にさせるってのはあながち間違ってないと思うぜ」
ここでロニはカイルに歩み寄り、何事かを囁いた。
一体何を吹き込まれたやら、カイルは妙に焦ったような声音になっている。
「おっ、オレは別にそんなんじゃ!」
「ま、お前にはお前のやり方があるか。んじゃな!」
レッツナンパとばかり、意気揚々と部屋から出ていくロニの背中を見送って。ジューダスもまた立ち上がった。
「……まったく。ところかまわず、騒がしいヤツだ」
「あれ? ジューダスも行っちゃうの?」
「一人で考え事がしたい。ついてくるなよ」
フィオレが机上に並べていた、凝った装飾つきの鍵を手に取り、マントを翻して出ていく。
その声音には苛立ちじみたものがにじんでいて。それが船酔いの初期症状なのか単にまだ先ほどの名残があるのか、とにかくフィオレはやっとリアラの耳を開放した。
「私も、ちょっと船内を見てきます。それではね」
鍵を取り、何故か顔を赤くしたカイル、素直に見送ってくれるリアラに背を向けて船内散策へと赴く。
絶えず揺れる床、耳をすませばちゃぷんちゃぷんと船体に波が当たる音が聞こえてきた。
久々のような、そうでもないような。
海上を旅する船の調べを聴きながら、フィオレはまず甲板を目指した。