海上ときたら、何かしら起こるのは、主人公であるが故でしょうか。
飛び込みで船に乗ること、三日目。
航路上ではそろそろデビルズ・リーフなる怪物騒ぎが発生した辺り──カルバレイス近辺の海になる。
つまり、フィオレのとってはアクアリムスを捜索する絶好のポイントだ。とはいえ、身一つで飛び込むわけにはいかない。そのため。
♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──
Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze
Va Rey Ze Toe, Nu Toe Luo Toe Qlor
Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey
Va Nu Va Rey, Va Nu Va Ze Rey
Qlor Luo Qlor Nu Toe Rey Qlor Luo Ze Rey Va
Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey──
初めてアクアリムスと接触を持ち、彼ら守護者を覚醒させるという大譜歌を奏でる。
毎日これだけを歌えばきっと怪しまれるだろうが、楽器を携え甲板のヘリに腰かけ、足元に空の行李を設置すれば、小銭目当てのさもしい吟遊詩人もどきの出来上がりである。
大譜歌はもともと喉の調整に使っていたもので、その後で本格的な演奏を行えば怪しむ者は皆無だ。
決まった時間帯に行うわけでもないのに、狭く娯楽のない船内だからだろう。おひねりは日が経つにつれ増える一方だ。
ちなみに仲間たちも周知の上で、様々なコメントが寄せられている。
カイルやリアラなどからは歌唱を耳にして感動した、すごいと素直な称賛をもらっているものの、ジューダスからは「さもしい真似はやめろ」とばっさり切り捨てられている。
ロニなどは楽器をどこに持っていたのか、尤もな疑問を抱いた後に「ま、フィオレシアさんには及ばねえな」などと厭味を吐かれた。
おかげでフィオレは腕が落ちたのだろうか、と純粋に悩んでいる。
どうもロニは「隻眼の歌姫」が奏でた歌曲をいくつか知っているらしく、彼女以外の人間がそれを歌うことを忌まわしく思っているようなのだ。
彼が大譜歌のことを知らなくて本当によかったと思っている。
初日、珍しくリクエストに応えて「隻眼の歌姫」が奏でた歌曲を演じた際、ナンパを中断してまで怒鳴りこんできた彼の形相はなかなか忘れられない。
幸い事の成り行きを知って怒りを抑えてくれはしたが、くどくどとお説教を垂れてきた。
「あのな。お前が何しようがそりゃ勝手なんだが、フィオレシアさんの歌を勝手に使うな。名曲なのはわかるが、勝手に歌われたらあの人が悲しむ」
多分どころか、そんなことは絶対にないと断言すら出来る。しかし、ロニといさかいを起こしたいわけではないので、素直に従っておいた。
ジューダスがこっそり笑っていたようだが、フィオレとて他人事ならやはり笑っていただろう。
何かと「隻眼の歌姫」を出し、比較してくるロニをうざいと思いつつ、本日も金稼ぎを兼ねた気分転換をしようと大譜歌を謡い終えて。
ふと感じた不穏な空気に、フィオレは何となく舳先を見やった。
『アクアリムスの、気配がする──』
ぼんやりとしたシルフィスティアの呟き直後、客船に唐突な震動が発生する。
咄嗟に手すりにしがみついたものの、甲板にいた乗船客は転倒者が多発していた。
彼らが船員の助けを借りて船内へ移動する最中、舳先からよく通る船員の銅鑼声が響く。
「主だぁっ! デビルズ・リーフの主だぁっ!」
「ヒィィィィ! お、おた、お助けぇ!! オイラ、まだ死にたくねえよぉ!」
「ガタガタ抜かすな! とにかく、船長に伝えてこい! ──それと、見張りの人数を増やせ! 船体に傷がないか調べろ、急げ!」
船員が慌ただしく動き始める中、フィオレは
混乱と、まず船の心配をしている船員の間を縫って舳先へ近寄る。
主の正体が何なのか、気になったというのもある。
しかし、フィオレが今最も気にしているのは、先ほど聞こえたシルフィスティアの呟きだった。
まるで寝ぼけているような朧な声だったが、寝言でないことは確実である。
デビルズ・リーフの主とやらは、舳先から九時の方向にその姿を見せた。
その姿は硬殻に覆われた蛇にも似ており、ヴァサーゴを彷彿とさせないでもないが形状はまるで違う。
眼鼻のようなものが見当たらず、触手じみた体の先端に口と思しき器官があるだけだ。
ヴァサーゴと同じく硬殻がつぎはぎで蛇のような動きを見せるものの、あからさまに柔らかな組織が露出するということはない。
ならば──
美味しくもないだろうに、それまで船体にかじりついていた三つ叉の首が、甲板のフィオレに気づいて鎌首をもたげる。
かまわず、フィオレは降り注ぐ陽光へ手を差し伸べた。
「遥か彼方の空へ我、招くは楽園を彩りし栄光。我が敵を葬り去れ、荒ぶる神の粛清を受けよ──アースガルズ・レイ!」
直視を許さぬ極光がデビルズ・リーフの主に迫り、超高熱の光が外殻も体組織もへだてなく灼いていく。
光が散った後に残るは、黒焦げになった三つ叉の首が甲板に転がるだけだった。
原形を留めている辺りに、流石主とまで呼ばれる魔物、といったところか。
そこに。
「お待たせ、フィオレ! ……って、あれ?」
「お待ち申し上げておりました。でもちょっと遅かったですね」
騒ぎを聞いて駆けつけた四人が甲板へ現れるも、海の主がまるで干からびたミミズのように転がっているのを見て驚くなり、武器を収めるなり反応は様々だ。
中でもリアラは、目を輝かせてフィオレに駆け寄っている。
「フィオレ、これ一人で倒したの?」
「海の主とか呼ばれている割に、あっけなかったですね」
ペンダントへ手をやっている彼女が、フィオレが英雄でないか確認しているわけではないことを祈る。
ロニはといえば、取り越し苦労であったというように首を振った。
「やれやれ、人騒がせだな。こっちは船員に『海の主に襲われて助かった船は一隻もない』とか抜かすから、沈没覚悟だったってのによ」
「襲われて助かった船がないにも関わらず、そんな逸話が伝わっているというのは不思議な話だがな」
「……?」
ジューダスの言うことに全面同意であるが、今のフィオレはそれどころではない。
突如として自らの視界をさらわれたフィオレは、返事のないシルフィスティアの意思に従わざるをえなかった。
風の視界は目まぐるしく船内を駆け巡る。
慌ただしく動く船員をすり抜け、風は船底の船倉へと辿りついた。
様々な積み荷が押し込まれていたであろうそこは水浸しとなり、木箱は破壊されていたりひっくり返っていたりとひどい有様だ。ただ、今はそれどころではない。
船倉が水浸しということは、船底に穴が空いているのだ。
どんなに小さな穴でも、そこから沈没の危険性は発生する。
アクアリムスとの接触が不可能な今、大海原に投げ出されて生存、生還は不可能に近い。
「おい、何をぼんやりして……」
「船底へ行きましょう。騙されたかもしれません」
唐突に駆けだしたフィオレが船内へ到達するよりも早く、アルジャーノン号は真下から突き上げられるような衝撃に襲われた。
丁度船内から飛び出した船員が、甲板で指示を出していた副船長に半泣きで報告する。
「大変です! 船底に、海の主が!!」
「何だと……!」
今しがた海の主が黒焦げにされたのを確かに見た副船長が唸るようにしながら、甲板に転がる魔物を見やった。
が、次の瞬間黒焦げのソレは海中へと引きずられ、甲板から姿を消す。
「まさか、今のは単なる陽動で本体は船を沈めようとしてやがるのか!?」
前言撤回、流石は海の主。頑丈なだけではなく知恵も働くときた。あるいは人の味をせしめて、より効率的に人を食う術を見つけてしまったのか。
何にせよ、とっとと現場へ向かうべきだとフィオレは素早く船内へ移動した。
先ほど見せられた光景通りに進み、階段を飛び降りるように下っていく。
乗客侵入禁止の綱を飛び越した先、船員が集まっているエリアを見つけた。
彼らは、一際巨大な階段の周りで何やら大騒ぎしている。その中には、乗船時に交渉した船長の姿もあった。
「少々よろしいですか?」
「この下に! 船倉に、船倉が、主に! 船倉が、主に、船倉が! あわわわ!」
とんでもないテンパりようだが、何が言いたいのかはわかった。
全速力で甲板から船底付近で移動してきたフィオレの後を追い、四人が追い付いてくる。
「フィ、フィオレ、って。やっぱり、足がすごく、速いのね……」
「お客さん、危険です! 船室へ避難「この下が船底で、海の主とやらがいるようです。行きましょう」
思い出したように退避勧告、否警告を発してくる船員に止められない内に階段を駆け下りる。
一息で下り立った先は海水で満たされ、すでに足首まで水没している。
が、今は浸水に驚いている場合ではない。散乱した貨物の下限に、巨大な海蛇の頭が垣間見えたからだ。
他一同も船倉の惨状に驚き、リアラなどは露骨に驚愕と嫌悪を示している。
「な、なんなの、これ!?」
「くそっ、こっちが本体か! まんまと一杯くわされたぜ!」
人の匂いに気付いたのだろう、残った尾と共に海の主が頭部をこちらへ向ける。
その巨体は完全に船底を貫通しており、倒せばレンズだけでなく船底に大穴が空くであろう今、ただの退治も撃退もためらわれた。
「このままじゃ、船がもたねえ! けど奴を倒しても穴から海水が……」
「考えているヒマはない……来るぞ!」
スペクタルズによって、この魔物の正体は海の主ことフォルネウスだと判明する。
頭と見せかけて敵の警戒を煽るという尾をちらつかせ、巨大な頭部は鎌首をもたげた。
中央にひとつ、左右にふたつある眼球がぎらりと光る。
そこへ唐突に、細長い何かが突き立った。
フィオレの棒手裏剣は、フォルネウスも巨体からして人で言う針サイズだ。とはいえ、眼球に針が刺さったら重症である。
驚きか痛みか、多分両方の理由でのけぞるフォルネウスの頭部へ更に棒手裏剣が飛来する。
狙い違わず全ての眼球を潰す最中、彼らとてただ眺めていたわけではない。
「雷神招!」
「牙連蒼破刃!」
雷の気配まとう斧槍でフォルネウスの巨大な頭部をロニが打ち据え、入れ替わるようにカイルがそこを切り刻む。
その脇でジューダスが尾をあしらい、リアラの合図で前衛三人は一斉に飛びのいた。
「いきます、バーンストライク!」
虚空に発生した巨大な火炎の塊が次々とフォルネウスに襲いかかり、海の主はぬめる皮膚を焦げつかせて咆哮した。
巨大な頭部がまるでハンマーのように叩きつけてくるも、眼球が潰れているせいで一同に害はない。
が、別の意味で危険だった。
「うわっ、やめろ! 穴が空いちまうじゃねえか!」
「早くとどめを刺さないと……」
とはいえ、狂ったように頭部をところかまわず叩きつけるフォルネウスに近寄るのは危険だ。しかし放っておけば、更に沈没の危機が高まる。
仕方なく、フィオレは無事な木箱の上によじ登るとレンズを手に取った。
道中、魔物との交戦で手に入れた、何の変哲もないレンズである。
威力は低いだろうが、これだけ弱っているなら大丈夫だろう。
「皆、水に濡れない場所に退避してください。巻き込まれても知りませんよ」
「一体何をしようって……」
階段の上に逃げ延びたロニのぼやきなど聞かず、フィオレは一同が海水に浸かっていないのを確かめて詠唱を始めた。
「天光満つるところに我はあり、黄泉の門開くところに汝あり」
「目をつぶって耳を塞げ!」
「出でよ神の雷──インデグネイション!」
咄嗟に放たれたジューダスの警告に一同が従うも、発生した落雷は塞いだ鼓膜に轟音を届け、閉ざした瞼の向こうに閃光を灼きつけた。
後に残ったのは、もはや原形を残さず丸太のような炭になったフォルネウス、かろうじて残る巨体からにじみ出る海水である。
「ただのレンズから、あんな晶力が引き出せるなんて……」
「まずいぞ! もう沈みかけてる!」
呆然と呟きを零すリアラの声をかき消す勢いで、ロニは眼をむいている。
その大穴の規模を前に、カイルは上階で声をかけた船員並みに慌てていた。
「ど、どうしよう!? えっと、水、水をかき出さないと……」
「バカ! そんなことしてもおっつかねえよ! とにかく、船室に残ってる人間を全員、甲板まで連れてくんだ!」
弟分をどやしつけて階段を駆け上がるロニに、カイルも続く。
瞬く間に船底の床へ溢れる海水に手をかざし、一人詠唱を続けるフィオレには、階段に佇む二人の会話が聞こえてきた。
「ど、どうすれば……」
「……何故、力を使わない?」
「えっ!?」
意味深なジューダスの唐突な一言は、リアラだけではなくフィオレをも驚かせた。
元々口数の少ない彼が、一見接点のなさそうな少女に話しかけたことだけではない。
レンズから現れたこと、英雄を必要とする詳細を尋ねても貝のように口を閉ざしてしまうリアラのことを、知っているかのようなジューダスの口ぶりに驚いたのだ。
彼もまた、隠し事をしているのだと確信する。
「お前の力なら、ここにいる人間を救うことができるはずだ」
「そんな……ムリよ! 今のわたしの力じゃ……」
対してリアラは、激しくかぶりを振って否定している。
ただしその否定は、彼の物言い全てに対して、ではない。「今のわたしの力」と言い切るあたり、相応する力を保有しているかのような。
尚も言い募ろうとしたリアラだったが、上階からの足音にはっ、と口をつぐんだ。
「何してるんだよ、三人とも……!」
「……白に染め上げられし、世界の果てを知る。セルキーネス・インブレイスエンド」
丁度詠唱が終わり、
巨大な氷塊はフォルネウスであった物体の上に飛来したかと思うと、そこを中心に海水を凍りつかせた。
一時的に浸水は収まるものの、崩れてしまった船のバランスは元に戻らない。
このままの状態を維持できたとしても、おそらく氷の重みで船は沈むだろう。
「さ、寒っ!」
「これで少しはましなはず。さ、私達も避難しましょう」
促して、今度こそ彼らを上階へ移動させる。
しかし当のフィオレはそれに続かず、凍りついたフォルネウスを見た。
シルフィスティアに言われるまでもなく、アクアリムスの気配を感じる。
だがあくまでそれだけで、左手の甲のレンズに反応はなく、アクアリムスの声も聞こえない。
たまりかねて、フィオレはとうとう声を出した。
「アクアリムス、いるんでしょう!? 私に力を貸してください、このままじゃ今度はドザエモンに……!」