絶賛別行動中。ファンダリアに残された皆はもちろん大騒ぎ。
フィオレはフィオレで、命の恩人の部屋に押し込みかけて睡眠強盗なうで心の中だけ修羅場中。
そして、リアラは。
翌朝のこと。漢部屋には眠りこけるカイル、すでに身支度を整えたジューダス、伸びをするロニの姿があった。
「ん~、もう朝か。ついさっき、寝たと思ったんだが……」
そこへ、乱暴なノックと共に鍵のかかっていない扉を押し開ける音がする。
それは緋色のツインテールに、フィオレから借りた外套を羽織るナナリーの姿だった。
「よぉ、ナナリー。……二人はまだ寝てるのか?」
「いなくなっちまった……」
「なに?」
押し殺すようなその声音に、ジューダスが尋ね返す。それには答えず、ナナリーはカイルの眠る寝台へ駆け寄った。
「カイル! 起きなよ、カイル!」
「……ふあ? ああ、おはよ……」
「ほら、ボケッとしない! 急いで起きな!」
カイルの寝起きは最悪だと知っていながら、彼を起こしにかかるナナリーの剣幕は尋常と程遠い。
その様子にロニが再び事情を尋ねれば、ナナリーはようやく問題そのものを語った。
「二人が、リアラとフィオレがいないんだよ!」
リアラがいない。それは何よりも強力な目ざましになったらしく、カイルはがばりと起き上がった。
ジューダスが更なる詳細を尋ねれば、彼女は落ち着きを取り戻さないまま事実を語ろうとしている。
「あたしが起きたら、もういなかったんだよ! ずっと探したんだけど……」
「お、おい、落ちつけよ。どっか散歩に行ってるだけかもしれないだろ? 特にフィオレなんて気まぐれなところがあるから、荷物一式持ち歩いてたって不思議は」
「違うんだよ! そうじゃなくって……」
ここでナナリーは、ようやく自分の持っていた羊皮紙の存在を思い出したらしい。それを突き出せば、横合いからジューダスがそれを取り上げた。
「あいつの字だな。『リアラがいないので探してきます』……」
「ここに書いてある時間にリアラがいなくなって、フィオレが探しに出たってことか。でもまだいないってことは……」
そこで再び、部屋の扉が叩かれる。
誰もが一瞬「お騒がせしました」と現れるフィオレと、連れられたリアラの姿を想像したものの。残念ながら現れたのは武装した兵士の姿だった。
「失礼します。陛下よりお話があると、至急謁見の間までご足労願います」
「──わかりました。すぐに参りますと、ウッドロウさ……陛下にお伝えください」
誰ひとりとして返答しないのを、仕方なくロニが進み出て返事を寄越す。そうすることで兵士を立ち去らせたあと、ナナリーはロニにくってかかった。
「ちょっと、ロニ! 放っとくってのかい!?」
「そんなわけねーだろうが。先にウッドロウさんのところに行ってるだけかもしれないし、探すにしても事情を話して手を借りる方が早い」
前者の可能性は限りなく低いものの、後者はどうにか納得し、一同は謁見の間へと急いだ。
城内は襲撃の痕の修復に全力が注がれており、カイル達はその邪魔とならないよう通路を通り抜けた。
謁見の間へ続く階段を登れば、幾分顔色の良くなったウッドロウが玉座に座り、十数人の騎士が控えている。
四人が玉座を前に整列したところで、ウッドロウは玉座から立ちあがった。
「すまないな、わざわざ呼びたてて。例のレンズの件だが……」
「あの、その前に……」
「馬鹿カイル、こういうときは……」
「──陛下。実は今朝方より、仲間の行方が知れないのです」
単刀直入に聞こうとするカイル、それを止めるロニ。二人を押しのけて用件を切り出したのは、ジューダスだった。
これまで何ら変わりなかった口調の変貌に、一同の誰もが驚愕を現している。
「行方が知れない?」
「一人はリアラ、一人はフィオレ。すでに仲間の一人が捜索に出ましたが、手がかりは深夜二人が部屋を出たということだけ」
だから探索に人手を貸してほしい、と彼が願い出ようとしたところで。
ウッドロウの言葉に遮られた。
「ふむ……誰か、二人の姿らしきものを見たと報告を受けた者はいないか」
「──陛下。私の部下に、それらしき人物を見たとの報告をした者がおります。その者を呼び立ててもよろしいでしょうか?」
ウッドロウの許可を得て、発言をした騎士の従者が脱兎の勢いで謁見の間から去っていく。すぐに戻ってきた従者が連れてきたのは、入って日の浅いと思われる兵士だった。
「あの、隊長。私に何か……」
「昨晩の見回りで見かけたという、人影の話をもう一度話してくれ」
「は、はあ……あの、単なる見間違えかもしれませんが……」
兵士が語ったのは、崩れた時計塔の見回りをした際見かけたという二つの人影の話である。
曲者かと思いきやどうも奇妙な印象を持ち、そのまま観察していたらしい。
「一人は淡い桃色のワンピース姿の少女、もう一人は帽子を深く被り箒を手にした細身の姿で、言い合いをしていたようなのです」
「言い合い?」
「何分、離れた場所で忍んでいたため詳細はわかりませんが、少女が何やら興奮していて、帽子の方がそれをなだめていたようなのですが……」
特徴を聞く限りは二人の特徴と合致している。
最終的にどうなったのかを尋ねれば、兵士は変にしどろもどろになって報告した。
「……その……少女は結局落ち着きを取り戻さぬまま、帽子の方に抱きついたかと思うと……発光を確認しました」
「まさか、そのまま姿が消えたのか?」
「はい。光がなくなったかと思えば二人の姿は忽然としてなく、夢でも見たのかと思い詳しい報告はしなかったのですが……」
「わかった。ありがとう」
国王陛下直々に声をかけられ、見ていて恥ずかしくなるくらい舞い上がる兵士をその上司が退出させている。
不可思議な話に騎士たちが報告した兵士の頭を疑うより早く、ウッドロウは考え込む一同に声をかけた。
「このような証言があったが、どう思うね」
「それって……」
「あの女にしては信じられん失態だが、間違いないだろう。リアラを止め損ねたどころか、転移に巻き込まれたな」
イラつきを隠そうともせず、最悪だと吐き捨てるジューダスに驚きながらも、ロニが話の続きを促した。
「巻き込まれたっつーか、リアラが巻き込んだっつーか……無謀すぎるぜ。多分アイグレッテだよな? 周り中敵だらけじゃねえか」
「以前フィオレは、逆上したフォルトゥナの攻撃を凌いで見せた。もしかしたらそれをアテにしているのかもしれんが……」
「それにしたって、限度ってもんがあるだろ! 早いとこ行かないと……カイル!」
──カルビオラでの記憶が蘇り、即答できずにいたカイルが悩む頃。
目を覚ましたフィオレは、己の居場所に気付いてめまいを起こしていた。
「なんで、フィリアの部屋に」
リアラの姿も、部屋の主の姿もない。内装は以前、フィリアを担ぎこんだ際にちらりと見たそのまま。
騒ぎを起こしたのはついこの間だというのに、ため息をつきかけたフィオレは次の瞬間、息を呑んだ。
唐突にガチャリと扉が開いたかと思うと、聖典を抱えた女司祭が入ってきたのである。正確には戻ってきた、か。
新緑色のおさげに珊瑚の髪留め、丸眼鏡をかけた女性神官──間違いなくフィリアだ。
無論のこと、彼女は床に座り込んでいたフィオレを見て目を丸くしている。その唇が言葉を発するより早く、フィオレはフィリアに飛びかかった。
「きゃ──んぐ」
「お静かに」
なんでこんな居直り強盗みたいな真似を、と心中で運の悪さを嘆きつつ、フィリアの口を塞いで羽交い絞めにする。
当然暴れる彼女の首を絞めて失神させることがどうしてもできず、フィオレは後頭部で部屋の明かりを落とした。
「!?」
「──その荒ぶる心に、安らかな深淵を」
発生した闇から
寝入る彼女を以前と同じように寝台へ寝かせ、一息つく。
今回はキャスケットをかぶっていたから、顔は見られていない。更に眠らせたことから、夢か何かと勘違いしてくれることを全力で祈る。
目を覚ます前にさっさと移動しようとして、フィオレは立ち止まった。
まずはリアラとの合流だが、当てどなく探すなどどれだけ時間がかかることやら。
それに、この姿で神殿内をうろつけば、すぐに見とがめられる危険性が高かった。
効率よく少女を探す方法──シルフィスティアに力を借りることと、そして。
「Rey Ze Luo Qlor Toe Nu Va Rey。望むのは、あなたの姿」
体内の
春に芽を出す若葉色の髪、女性らしいふっくらとした体つき、愛らしい丸眼鏡の似合う顔が今は真剣な顔つきで姿見をのぞきこんでいる。
──やはり、今のフィリアの姿を借りることはできない様子である。鏡の中にいるのは、フィオレが良く知る十八年前のフィリアの姿だ。自身よりはましだろう。
ふたつの三つ編みを作って、変装用の眼鏡をかけてそそくさとフィリアの部屋を出る。
「三界を流浪せし旅人よ、流転を好む天空の支配者よ。汝の眼を耳を借り受けん」
現在フィオレは、十八年前のフィリアの体をそのまま模写しているため、念話は使えないし守護者達に力も借りにくい。フィオレ固有の譜術が使えるのは、ひとえにフィリアがクレメンテのソーディアンマスターとして研鑽を積んだからに他ならない。
リアラの姿は、以前バルバトスと交戦した大聖堂で見つけることができた。
すでに単身エルレインと接触してしまったのか、その姿は青くぼんやりとした結界に閉じ込められている。
危害こそ加えられていない様子だが、放置しておいていいわけがない。
誰かに見咎められる内にと素早く聖堂へ移動し、扉を開こうとするも、ガチャリと阻まれる。鍵がかけられているようだ。
「あの、フィリア司祭。如何なされましたか?」
神官だろうか、通りがかったらしい青年の声が後ろからかけられる。
十八年前のフィリアの顔を見て何か思われても困ると、フィオレは扉に手をかけたまま応対した。
「聖堂へ入りたいのですが、開かないのです」
「今はエルレイン様が祈りを捧げておいでです。司祭は先程礼拝を終えられたのでは……」
「落し物をしてしまって、探したかったのですけれど。それなら仕方ありませんわね」
わたくしはここで待つことにします、という言葉に対し、ありがたいことに青年はあっさり信じてくれた。
無論、有言実行はありえない。青年の姿が廊下の向こうへ消えたところで扉の前に膝をつき、鍵開けを敢行する。
──フィリアが重度の不器用でなくてよかった。
幸い扉の構造は複雑でなく、難なく扉は開いている。
「誰!?」
「──お静かに」
フィリアがさっき礼拝したということは、リアラはついさっき囚われたということか。
そんなことを考えながら、薄暗い聖堂に入り込み、そっと扉を閉める。
エルレインが礼拝をしていると言った割に、聖堂内にはリアラだけしかいないように見えた。
暗がりが多いだけに何が潜んでいるかもしれないが、慣れない姿の借姿形成中はあまり勘が働かない。そこまで気は配れなかった。
ともかくそのまま──借姿形成は解かず、紫水は手にしたままゆっくりと閉じ込められているリアラに近づいていく。
「……フィリア、さん?」
「お尋ねしたいのはわたくしの方です。どうしてリアラさんがここに……閉じ込められているのですか?」
紫水を手にしているのは見えているだろうに、リアラから放たれた言葉をあえて否定しないことにした。
暗いことに警戒している素振りを見せ、ゆっくりと少女へ歩み寄る。
少女を囚われの身にしているのは、近づいたところで正体がわかるわけでもない、青い光の膜のような、ドーム状の結界だ。
何か、解除のヒントはないかときょろきょろ見回していた、その時。
「……よい、ガープ。眠らせろ」
眼前のリアラから妙に低い女の声が発せられ、ぎょっとして少女を見やる。
見たこともない冷たい瞳を認めた直後、横合いからの冷たい風にフィオレは思わず飛び退った。
刃物が宙を斬る。そんな音がして、暗がりから現れたのは葡萄酒色の髪を後ろへ撫でつけた神団騎士と思しき男だった。何処かで見たと思ったら、ハイデルベルグ城謁見の間でロニを吹き飛ばした男である。
今の奇襲でフィオレ扮するフィリアを仕留めたと思いこんでいたのか、幸いなことに追撃はなかった。
「何っ……!」
「曲者!」
この言葉、本来は自身に向けられるべき言葉なのだが正当防衛ということにしておこう。
ひょっとしたらフィリアと面識があったかもしれないこの男に、暗がりで誰だかわからなかったという言い訳を考えつつ鞘入りの紫水を振り回す。
「馬鹿な、フィリア・フィリスといえば四英雄の中でも最弱。ソーディアンを手にして初めて参戦したような者に、私の奇襲を察知できるわけが……!」
「ブツクサと、何を失礼な! 隙ありですわ!」
振り回したと見せかけた紫水で急所めがけて刺突を見舞う。
避けたせいで体勢が大きく崩れたところ、こめかみを狙い一撃入れてやれば、ガープはばったりと倒れ伏した。
くるりとリアラを見やれば、彼女は結界などなかったかのようにずいと足を動かしている。
少女の華奢な体が結界より外へ出た瞬間。淡い桃色のワンピースはぞろりとした裾、たっぷりとした袖の神官服へ、その他さまざまなものがエルレインのものへとなり変わる。
一見、それに驚いた風を示していると。
「あなたは、フィリア司祭ではありませんね」
おそらく初めて対峙するエルレインは、至極冷ややかにそれを言った。
その目は、芝居を打つフィオレを嘲笑っているように見える。
「不思議なことをおっしゃるのですね。では、何者とお思いですの?」
「……我らとは相容れぬ者。星の守護者に遣われし、偽りの命を抱く者」
正体までお見通しらしい。そもそも、閉じ込められたリアラに彼女が扮している時から誘われている可能性を考えていなかったわけではないが。
とはいえ、それならぐだぐだ言い逃れても時間の無駄だろう。
「──ご承知なら、お話は早いですわ。リアラさんは、どこですか?」
「フィ……フィオレ、なの?」
エルレインの視線がつい、と動く。その先の暗がりにいたのは、祭壇付近に佇む、やはり結界に閉じ込められた少女だ。
まだ演技は必要だ。もし増援を呼ばれても多勢に無勢とならないように。神殿内にしてアタモニ神団の長という、彼女の立場を有利に使われないために。
三つ編みをほどいて眼鏡をしまう。このまま戦闘へ移行する危険性は低くない。
「リアラ、無事ですか?」
「え、ええ……あの、本当にフィオレなの?」
「──これでわかっただろう。これが、守護者を騙る者達の手先だ。何一つとして確かなものはなく、それでいてもっともらしいことを並べ立てる。この者に頼ろうとも、救いの道はない」
彼女達、フォルトゥナとエルレインの間で何らかの伝達がされたのか。まともに会って会話したのはこれが初めてだというのに、えらいけなされようである。
元々フォルトゥナから何か吹き込まれていたのか、あるいは──
『こいつだ』
不意に聞こえた脳裏の声は、シルフィスティアのものだった。
緊迫したような、押し殺すような声音はまるで、聞かれることを恐れるように囁く。
『ボクの眷属をたぶらかしたのは』
『私の聖域を海の主に襲わせたのも』
『我が眷族を惑わせたのも──』
シルフィスティアだけではない。これまで被害に遭ったと思われる守護者二柱も、戦慄したように囁いた。
てっきりフォルトゥナの仕業とばかり思っていたが、守護者達無力化計画はエルレインが行っていたことだったのか。
考えてみれば、フォルトゥナが降臨したのはこれから十年後のことである。今存在しないはずの彼女に、そんな器用な真似ができるはずもない。守護者をいじめている暇があるなら、人々の救済に精を出すはずだ。
──ああ。精を出した結果エルレイン、そしてリアラが創造されて今日に至るのかもしれない。
「リアラ……目を覚ませ。お前はこの者にたぶらかされているのだ。この者は今も、お前を欺いている」
「確かに私は、全てを彼女に明かしていない。黙っていることも沢山あります。けれど……それとこれとは別種の問題であるはずです」
リアラが身動きを封じられているのは、看過できない。しかし冷静に考えて、エルレインが悪戯にリアラを傷つける理由はないのだ。あえて見ないことにして、フィオレはあくまでエルレインと向き合っていた。
それまでリアラを見つめていた切れ長の瞳が、ちらりとフィオレを──フィリアの扮装を解かないその姿を見やる。
「そのような詭弁に誤魔化される私ではない」
「人は全てをさらして生きていけるほど強くない。私もその範疇に入ります」
フォルトゥナと違って、話は耳に入れていたらしい。それを聞いて、エルレインの口元は三日月を描いた。
それはフォルトゥナが、リアラに向けて浮かべた聖母の如き笑みに似ていて、まったく別種のもの。
どうしようもない愚者に相対しているかのような、蔑みと嘲りを混ぜたものだった。
「……人、だと? 偽りの生にしがみつく罪深き亡者が、世迷い事を」
「私を人じゃないと抜かしますか。ではなんだと、輝きの聖女様はおっしゃるので?」
「守護者共は、我らのような強大な力を持つ存在が人と深く関わることに苦渋を示した。ならば、彼らに代行者として選定された貴様は、なんだ?」
──そう、来たか。
一言も返せないフィオレに、エルレインの口上は続いた。まるで、追い詰めるかのようにねっとりとした物言いである。
「彼らと意志を交わし、聖域に招かれ、その身に依代すら宿す。守護者のことは抜きにしても、貴様自身本来人には扱えぬ異能をはらんでいるではないか」
『惑わされないで、フィオレ! ボク達が君と接触したのは、彼女が君を招いたのはそんな理由じゃ……』
「人の形はしていても、その本質はあまりにも遠い。お前は自らがどのように製造されたのか、知っているのか? そのようなモノが、自らは人であるなどと……あまりにもおこがましい。そのようなモノに、神の愛が賜われるものか」
──最後のソレだけは心底どうでもいいが、やたらめったら心の琴線に触れるものがあるのは何故だろう。
シルフィスティアの言葉が途切れたのは、エルレインが何かをしたのか、それとも続く言葉がなかったのか。
「なかなか効果的な精神攻撃ですが、まずあなたには人がなんたるかをご教授いただく必要がありますね」
「何?」
「では、自分は人だと言い張る亡霊を諭していただきましょう。人間とは何なのか。何を持っていれば、どのような存在であれば人なのか。亡霊は何をもっていないから人ではないのかを」
フィオレの想像通り、エルレインは何一つ答えようとしなかった。
当然だ。この答えは、考える頭があればあるだけ無限に存在する。それでいて、導き出された答えに正解も不正解もない。
「答えられませんか。人類を絶対幸福に導く神の遣いのくせに、人の本質なんか何も知らないんですね」
「──人とは。神によって救われるべき、儚く、哀れで、愛おしい存在だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それは神様から見た人という存在でしょう。人間は神のお人形じゃありません。私の見解は、心を持ち、感情を持ち、思考する生物です。血肉製の体を動かし、呼吸することで心臓を動かし、食することで機能を維持している。何より、判断することができる生物です。だから私は自分が人だと断定しているんです。あなたにどうこう言われたところで、揺るがない」
一応素直に聞いていたらしいエルレインの柳眉が歪む。しかしそれに関しては特に反論もないらしく、言葉はない。
フォルトゥナの時と同じことにならなければいいがと、内心懸念していたフィオレは小さく息をついた。
「話が逸れましたね。私の要求はひとつです。リアラを返してください」
「そうはいかぬ。これ以上聖女を毒されてなるものか」
「二人は違う道を歩んでいるのでしょう。それはフォルトゥナも言っていたはず。リアラを軟禁して、あなたに何の意味があるのです」
「軽々しく神の名を口にするな、亡者の分際で!」
それまで昏倒していたガープがいきなり立ち上がり、ロニに振るった長刀を叩きつけてくる。
エルレインとの対話にそこまで集中していなかったため、どうにか反応したフィオレは一撃を凌いだ。
この言いぐさ、事情に通じていたことはおろか、狸寝入りしていたことは確実だろう。
「死んだフリですか。騎士の名が泣いていますよ」
「当の昔に生を終えた亡者にどうあざけられようと、負け犬の遠吠えにしか聞こえんな」
「祭司長を護る者が、ただ話しているだけの相手に斬りかかるなんて不敬にもほどがあります。まるで彼女が言い負かされそうなところを誤魔化しているようではありませんか」
「わ、私は神の名を呼び捨てる不敬者に粛清を……」
「それはそれ、これはこれ。さあアタモニ神団の長様、お答えをお聞かせください」
さあこれで横やりは入らなくなった。入ったとすればエルレインに対して面子が立たない。エルレインが命じても、十分対応は可能だ。
いきなり話を振られても、エルレインは小揺るぎもしなかった。
「知れたこと。これより、フォルトゥナ降臨の儀を取り行う。完全な神が降臨すればその瞬間私達の役目も終わる。私はそれに、リアラを立ち合わせようとしただけ」
──フォルトゥナは、カルビオラに降臨したのではなかっただろうか。
少し前まで滞在していた十年後を思い返して、はたと気づく。
エルレインによるフォルトゥナ降臨には、明らかな矛盾がある。いうなれば、それは子が母を生むようなもの、フォルトゥナによって生まれたエルレインが彼女を降臨させるというのはおかしな話なのだ。
「フィオレ、エルレインを止めて! エルレインは、ハイデルベルグから奪ったレンズを使って完全なフォルトゥナを降臨させようとしているの!」
「……完全な、フォルトゥナ?」
なるほど。フォルトゥナは放っておいてもその内現れるが、そのフォルトゥナが完全な力をもってして神と在れるよう小細工をするつもりなのか。
それこそ、守護者達が恐れていた事態だ。
「あなたを斬れば話は早いでしょうが……」
「! エルレイン様には、指一本触れさせぬ!」
「まずは忠犬が相手ですか」
フォルトゥナに言ったことを繰り返す気は毛頭なく、あちらもフィオレを穢れた亡者と見下している以上、素直な話し合いは望めない。それでも一応、フィオレは宣言した。
「彼女の意志に基づき、リアラは返してもらいます。ついでにフォルトゥナの降臨は断固阻止。さあ、二人で力を合わせてかかってきなさい」
「貴様のような亡霊風情、エルレイン様のお手を煩わせるまでもない。この剣のサビに……!」
「できるもんならやってみなさい」
初めから今に至るまでピリピリしていたガープが、抜刀を見てその殺意を膨らませる。
しかし、抜刀と見せかけてブン投げられた紫水を叩き落としている間に、彼はあっさりフィオレの接近を許していた。
「くっ!」
「まー、無理でしょうけど」
紫水の鞘、箒部位にて顔面を殴られ、両手が顔を覆う。長刀は取り落としたばかり、隙だらけの体を遠慮なくしばいて、彼は今度こそ失神した。
沈黙した神団騎士を顧みず、トドメを刺す暇も惜しんでエルレインを見据える。自分の護衛が無力化されたにも頓着せず、彼女は虚空へ両腕を差し上げていた。
ガープとやりあうフィオレに何もしてこなかったということは、有言実行──フォルトゥナの降臨だろうか。
そうはいかないと紫水を回収したフィオレがエルレインへと迫る。
果たして聖女に刃による物理攻撃が効くのか甚だ疑わしいが、リアラだって包丁で指を切ったことがあるのだ。
とにかくその集中を断つべく、紫水を振り上げた、矢先のこと。
「──その身をもって思い知れ」
直後。フィオレの目の前は真っ暗になった。