本来ジューダスは、地下水道を抜けるとさくさくどっかへ行ってしまうのですが。
フィオレがぶっ倒れたので、拾ってくれたもようです。
びくっ、と体が一度、震える。
至極不安定な体勢を強いられており、慌てて姿勢を固定するべく手に触れたものへしがみつく。
よくよく見てみればそれは漆黒の背中で、ふわふわのマントの向こう側には細い背中と硬質な棒状がくくりつけられていた。
「……起きたのか?」
「!」
リオン!?
口から滑り出そうになるその名をどうにか押し留める。
ジューダスの前にはそれぞれロニとカイルが先行しており、状況は掴み切れなかった。
「……えっと、ここは……?」
「クレスタ近郊だ」
「えっ!?」
大慌てでジューダスの背中から飛び降り、周囲を見回す。強張っていた身体を急に動かしたことで痛みが走るものの、それどころではない。
太陽は落ち切り、世界の天井は星々に覆われている。
深夜につき詳細は不明だが、星の位置で現在地がダリルシェイド近辺でないことだけはわかった。
「く、クレスタって……」
「俺たちの家があるところさ」
客員剣士時代でもあまり行った覚えはないが、小規模だが平和でのどかな街だった気がする。
カイルたちはともかくとして、どうして推定リオンがそんなところへ行こうとしているのかがわからない。
しかしそれを尋ねるよりも先に、カイルが口を開いた。
「デュナミス孤児院ってところなんだけど、そこで俺の母さんが院長をやっててさ」
「聞いて驚け、フィオレ? こいつのお母様こそ、かつて世界に空を取り戻した四英雄、ルーティ・カトレットその人なんだぜ」
「……!」
声こそ抑えたものの、鋭く息を呑んでしまったことは隠せない。
カイルをまじまじ見つめると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「どしたの、フィオレ? オレの顔になんかついてる?」
「……眉毛と目玉と瞼と鼻と口がついてますね」
「はっは~ん。さてはお前、言葉も出せないくらい驚いたんだろ? まあ気持ちは察するぜ」
確かに驚いた。否定できないくらい驚いた。
しかし、彼の想像する驚きとはまったく別種のものだ。
あのルーティが現在、最低でも一人の母親をやっている。その事実に、フィオレは固まらざるをえなかった。
「え……と。時にカイル、あなたのお父様は……」
「ご想像通り、四英雄がリーダー、スタン・エルロンさ!」
このどこかで見たことあるような少年はスタンの血を引いている。だからあんな、既視感を覚えたのだ。
納得して、フィオレは好奇心のままに質問を続けた。
「つまり、カイルのご両親はあの二人……の、英雄なのですね。お父様は、御息災で?」
「父さんは、オレが小さい頃旅に出たらしくて……今どうしてるかは、わかんないや」
音信不通? 消息がわからない?
あの、おつむはゆるいが年相応の礼儀正しさと、溢れんばかりの思いやりを持っていたスタンが?
彼の言いぐさからして、一度たりとも便りはないようだ。
時の流れにさらされたものは変化を余儀なくされている。
それをよく知るフィオレでも、気になるものは気になった。
時間はスタンすらも変えてしまったのか、はたまた旅先で不幸に見舞われたか。
……第三の可能性であることを祈る。
喧嘩別れした挙句、ルーティがまだ真実を告げていないだけかもしれない。それはそれで嫌だが。
「すみません、立ち入ったことを」
「ううん、いいんだ。気にしないで」
訪れた沈黙を、いち早く破ったのはフィオレ自身だった。
そういえば、と話題を切り換える形で誰ともなしに尋ねる。
「何でクレスタに? カイルやロニはわかりますが、ジューダスや私まで……」
「あー、実はだなフィオレ。こいつは気絶してるお前をテゴメにしようと」
テゴメ=手篭め。
人を力ずくで押さえ付けたりして自由を奪うこと。
女性を力づくで犯し弄ぶこと。要は、強姦のこと。
「だから、誤解だ! 誰がこんな女に手を出すか!」
そんなことはわかりきっている。しかし、ロニは何の事実を基にそんなことを言い出したのか。
真っ赤になって否定するジューダスから話を聞くに、彼はダリルシェイド近辺にて倒れたフィオレを保護してくれようとしたらしい。
しかし、それをロニが大反対したそうな。
「……意外に紳士ですね。私がどんな目に遭おうと、あなたの知ったことではないでしょうに」
「俺を何だと思ってるんだよお前は。女が危うい目に遭っているってのに、助けようとしない奴は男じゃねえ!」
「ご高説ありがとうございます。彼の名誉のために明言しますが、一応知り合いです。仮面被ってるし名乗りもしないから人違いかと思って、初対面を装っていましたが」
しかし、それまで何を言われても動じなかったジューダスが狼狽しまくり、それが逆に怪しいと言い切られ。彼は身の潔白を証明するがため、クレスタへの同道を選択した。
それがここに至るまでの過程だという。
「それで、今からでもダリルシェイドに戻るか? 戻るなら護衛を引き受けてもいい」
「お前、まだあきらめてないのかよ」
「貴様は黙ってろ。……どうする」
フィオレに尋ねる形ではあるが、そう言う彼が一番戻りたそうだ。
あれから十八年が経過した今であっても、ルーティのいるクレスタに近寄りたくないという心情は理解できるのだが。
しばしの沈黙の後、フィオレは小さくかぶりを振った。
「いえ……私はクレスタで宿を取ることにします。夜間の長時間移動は危険ですし、今日は……疲れました」
それは確かに肉体的なものを伴ってはいるが、今現在置かれている状況が把握できないことによる精神的なものが大きかった。
この、
が、今はそれがないどころか、正体不明の男に追われているという、早急に解決を迫られる問題があるのだ。
とはいえ、一度にやれることには限度がある。地道に取り組んでいくしかない。
ある程度予想していたのか、ジューダスはただ閉口している。
「無理して付き合わなくてもいいですよ」
「……いや。気にしなくていい」
彼がそう言うのならば、甘えさせてもらう。
ジューダスとの話はついた。今度は、彼ら二人だ。
小さく息をついて、フィオレはカイル、ロニの名を呼んだ。
「それよりか、お二人にはご迷惑をおかけました。謝罪させてください」
深く頭を下げるフィオレに、二人は慌てて首を横に振っている。
本当に意外だ。
カイルはともかく、フィオレのことを快く思っていなかったロニは文句をたらたら抜かすと思っていたのだが。
「そんなこと! それにオレ達、結局君のこと護れなかったし……」
「でもそのせいで、あなた方が遅くなったことを責められるのも心苦しい。ルーティ……院長さんにも、一言謝らせてください」
ジューダスに咎めるような視線を寄越されても、フィオレは相手にしなかった。
十八年という月日を経たルーティに興味があったこともある。できればスタンにも会いたかったが、叶わないなら仕方ない。
「そいつは嬉しいな。なんせルーティさんのビンタは強烈だから……」
成人男性の言葉とは思えない一言だが、彼女による教育の結果なら、あまりにも、らしい。
十八年前の騒乱が関係しているのか。あるいは今が夜中だからか。
記憶の薄いクレスタは、まったく違う街に……否、村に見えた。
石畳が地面になり、傍に流れる小川から引き入れた水路が流れ、小さな畑が点在している。実に牧歌的に見えるのは、「ド田舎」と称されるリーネ村出身のスタンがいたことを思わせた。
実際に彼がここに滞在したのは、どのくらいかもわからないが……
「そこの宿屋の傍にある階段を上って……」
カイルらの先導を経て大きな橋を渡った先に、件の孤児院がある。
そこいらの民家と比較して大規模ではあるが、それゆえに劣化の激しい建物だった。
中の灯火が、窓を通じて光を洩らす。
帰らぬ息子たちの身を案じてか、それとも怒りのあまりにか、とにかく起きていることは確実だろう。
凄まじい倹約家だった彼女が、十八年で贅沢を覚えたとは思いたくない。
「ルーティさん、まだ起きてるみたいだな……」
十五年前はさぞ新しかっただろう扉を叩く。
返事が聞こえたと同時に、フィオレは扉を開けていた。
扉の向こうにいたのは、いきなり開いた扉か、あるいは奇妙な訪問者にか。いぶかしげな表情をたたえる黒髪の女性──ルーティ・カトレットの姿だった。
当時の激しい露出はなりをひそめ、白い布をパレオのように腰に巻きつけている。
あれから十八年経っているはずだから、彼女はすでに三十路であるはずなのだがそんな気配は微塵にもない。
以前よりずっと大人びた面立ちをしているものの、間違いなく彼女はルーティだった。
そんな当たり前のことを脳裏で考えながらも、フィオレはその場で帽子を取り、一礼した。
背後で、ジューダスが息を鋭く呑む音が聞こえる。
「こんばんは、ルーティ……さん」
お初にお目にかかります、とは言えない。
彼女とは、初対面ではないのだから。
「突然の訪問をお許しください。実はお宅のロニとカイルのこと、なのですが……」
フィオレの顔を見て、大きくつり上がり気味の目を見開く。背後の彼らを示して、硬直していたルーティがやっと一度、目を瞬かせた。
「え、あ、あの子達が、何か?」
「彼らは、私が暴漢に襲われているところを助けてくださったのです。結果として帰宅が遅くなってしまったことをお詫びさせてください。大切な息子さん達を厄介事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「ああ、そうだったの……わかったわ。今回はまあ、人助けってことで、許してあげる」
それまで腹立たしさと困惑が入り混じっていたルーティの顔に、笑みが宿る。
それを見て、ほぅっと安心したようなため息が背後から聞こえてきた。きっと、ロニとカイルだろう。
場が和んだことを確認して、フィオレは帽子を深く、被り直した。
「夜分遅く、恐れ入りました。あなたがどうか、ご健勝でありますよう……」
「今から宿を取るの? 泊まっていけばいいのに」
「これ以上のご迷惑はかけられません。それでは」
「あ」
呑気なカイルの一言を却下し、背を向ける。ルーティが何か言ったような気がしたが、扉はあっさりと閉められた。
正確に言うなら、閉めたのはフィオレではない。
扉のすぐ傍に待機していたジューダスが、立ち止まりかけていたフィオレの手を引いて素早く閉めたのだ。
その眼は鋭く、明らかな非難を示している。
「どういうつもりだ。ルーティに素顔を見せるなど……「それは私の台詞です。どういうつもりで……いいえ。どういうつもりだったのですか」
途端、ジューダスは二の句を失った。
顔を見せたのは、そうしなければ暴漢に襲われた、などと言ったところで信じてもらえなかったかもしれないということ。
そして、帽子を取らないとは礼儀知らずだと彼女の機嫌を損ねる危険性があったからしたまでのことである。
それ以外の意図は一切ない。それに。
「もう二度と、お会いすることもないでしょうしね」
「……」
とにかく、人の家の庭先で話し込むのは危険だ。ジューダスに手招きして、フィオレは孤児院からそっと離れた。