まさかフィオレが地上軍の軍人コスプレしているとは夢にも思わなかったでしょう。
地上軍拠点より、物質保管所は大体一日程度の距離がある。
滞りなくハロルドが望んだ「ガラクタ」を抱えて、一同が帰還したのは四日後のことだった。
「じゃあ私はさっそくマシンの製作に取り掛かるから。リトラー司令への報告、よろしくぅ!」
まるで面倒事を一同へ押し付けるように、部品を抱えて意気揚々と格納庫へ向かったハロルドの小さな背中を見送り。
言い知れない不安を抱えて、とにかく報告をしようとラディスロウへと向かう。
雪が敷きつめられ、ありあわせの木材等で造られた建物が居並ぶ拠点を歩く内、唐突にロニが巨大なため息をついた。
「ボロボロの物質保管所から帰ってきた先は、野郎ばっかの基地……なんかこう、潤いがねえよなぁ」
「うるおい?」
こんなに雪が豊富で湿気は有り余っているのに、とカイルは首を傾げている。
そのそっけない言葉に、彼は拳を作って力説を始めた。
「ここが戦場だってことはわかってる。だが……いや、だからこそ必要なモノってのがあるだろ?」
「必要なもの……?」
当たり前だがカイルにはピンとこない。ジューダスはただただ呆れているだけだ。
業を煮やしたロニがそのものズバリを言おうとして、半眼になった少女を前にしてどもった。
「そう、それは……!」
「それはなんだい?」
「いやだからその……ナ、ナナリーさん? どうして指をポキポキ鳴らしていらっしゃるのですか?」
「いやなに。あんたに足りないのは、マッサージなんじゃないかと思ってね!」
「待てナナリー! お前のそれは、マッサージじゃなくてただの関節技……!」
以下、ロニの野太い悲鳴で終わる。
無論のこと、ここは無人の荒野ではなく兵卒や士官、避難民の集う地上軍拠点である。盛大な痴話ゲンカは注目の的だった。
「痛ってー……」
「あんまりアホなこと抜かすと、今度はハチの巣にするよ!」
「へえへえ、わぁーったよ……おっ」
極められた関節をさすりさすり、ロニの目が彼方へ吸い寄せられる。
今度は何かと見やった矢先、ジューダスの目が丸くなった。
「おおっ、潤いがいた! やっぱいいよなあ、美人はいるだけで目の保養だ」
道端にて、兵卒とやりとりを交わす一人の女性がいる。
未踏の雪原に似た色合いの髪が和えかな風で揺れていた。
紫紺を基調とする貫頭衣に、軍服の意匠を反映させた外套を羽織っている。カイル達も幾度か見かけた、女性衛生兵の制服だ。
しかしその腰には、明らかにとってつけた剣帯に短剣が下げられている。左右のそれはけしてバランスを取るためではないだろう。
「あんた、言ったそばからアホなことを……「おっ、こっち見た!」
ナナリーの苦言をものともせず、ロニは興奮気味に、しかし格好つけて髪をかきあげている。
騒ぎを耳にしたか、あるいは違う理由か。ロニが目を付けた衛生兵と思しき女性は、兵卒との話を切り上げて一同を見やった。
端正な、それでいてあどけない印象の美人だ。切れ長でありながら垂れ気味の眼は愛らしく、美人特有の近寄りがたさがない。
そして、正面から見たその制服は機動性を重視していないのか雪国にしては露出が多かった。際立つのはその胸元で、サイズが合っていないのか豊かな胸の膨らみが覗いている。
次の瞬間、女性はおもむろに一同へと駆け寄ってきた。
「な、なんでこっちに?」
「あちゃー、やっちまったな。こりゃ責任を取って俺がお相手を」
鼻の下を伸ばしまくるロニをナナリーがどついている間にも、衛生兵は一同の元へと辿りついた。
その左手が持ち上がったかと思うと、こめかみの横で手刀が作られる。
「お疲れ様です。首尾はいかがでしょうか?」
まるで親しい間柄であったかのようにそれを尋ねられ、一同はもちろん動揺した。彼らにとって非常に聞き慣れた声に、ジューダスだけが眉を歪めている。
「しゅ、しゅび?」
「え、えっと。オレ達が何してきたか、知ってるの……?」
「勿論。ハロルドのお手伝いでしょう? そういえば、彼女がいませんが」
「あいつなら格納庫へ行った。それでお前、その格好はなんなんだ」
戸惑う面々を尻目に、一歩前へ出たジューダスが不躾にそれを尋ねる。
彼の態度が変わらないのはいつものことだが、その物言いは見知らぬ他人ではなく完全に知り合いに対するものだ。そして相手も、慣れた様子で鼻白む気配もない。
「これですか。あなた方がいない間にちょっとありましてね」
「おいジューダス、知り合いなのかよ!? てめえいつの間に……いや、そんなことより紹介を」
「……だそうだ。自己紹介してやれ」
ジューダスにそれを言われるより早く、女性はきょとんと瞳を瞬いた。その一瞬を経て、口元からああ、と言葉が漏れる。
「考えてみれば私、皆とこうして顔を合わせるのは久々ですね。改めて、フィオレンシア・ネビリムです」
胸に手を当て、片手は貫頭衣の裾をつまんで優雅な会釈をする。
たっぷり時間が過ぎ去った後、一同は再び注目を集めていた。
「「ええええっ!」」
「……他の連中は仕方ないとしてナナリー、お前は見たことがあるんじゃなかったのか」
「だ、だってっ、めが……」
衛生兵姿の美人──フィオレの眼の色は、双方ともに菫の色。これまで彼女が一度たりとも言葉を発さなかったのは、それに起因しているのだろう。
しかしただ一度、彼女の変装を見たジューダスだけはすぐにわかったというわけだ。
わずらわしそうなジューダスの視線を受け、フィオレは苦笑を浮かべて目元に手をやっている。
「ちょっとした変装ですよ。この眼は何かと人目を引くので」
小道具で誤魔化された瞳の色が、あらわになる。滅多に見られぬ人体の神秘に一同が魅入るもそこそこ、フィオレは取り出した眼帯で緋色の眼を覆ってしまった。
あ、と誰のものとも知れない声が零れる。
「ということは、飛空艇は製作中なのですね。で、皆はリトラー司令へご報告でしょうか」
「そういうことになる。お前は……確かカーレルの指揮下にいるんだったな」
「──ええ。雑務をちょこちょこと……丁度一段落したところです。御一緒しましょうか」
ロニが見惚れた美人がフィオレであるとわかり、動揺していた一同もこの頃には落ち着きを取り戻していた。
バツが悪そうにしているロニを尻目に、一同は物資保管所で起こったことを中心とする近況報告などをしている。
「大変だったんだよー。物資保管所、何か知らないけど毒ガスまみれでさぁ」
「ハロルドいわく、科学物質が漏れて有毒ガスを発生させているとか。あの時ほど、お前を置いてくるんじゃなかったと思ったことは無かったな」
確かに、フィオレはトラッシュマウンテンを巣食っていた毒性ガスを一時的にとはいえ中和した実績がある。物資保管所においても、同じことが期待されただろう。
「それにしても大丈夫なのかい? 確かハロルドから帽子取るなって言われてたんじゃ……」
「私も取りたくなかったのですが、こちらでも色々ありましてね」
「いやでも、こっちのほうがいいって。どうして隠すんだよ?」
言葉少なに会話を打ち止めるフィオレに、気を取り直したらしいロニが会話を繋げる。
しかしその内容は、あまりにも間の抜けたものだった。
「ロニったら、何言ってるの? フィオレが顔を隠しているのは、ジューダスと同じ理由じゃない」
「あ、ああ、そうだっけ……」
「それなんですよね。この時代で知ってる人なんていないから安心して取れると思ったけど……まさか同じ顔がいたなんて」
ポツリと呟かれたその言葉を尋ね返すよりも早く、フィオレはラディスロウの垂れ幕をくぐってゆく。
続くようにして入室すれば、作戦会議室にはリトラー、カーレルがいた。
「失礼します。皆、報告先にどうぞ」
そう言って、フィオレは二人に敬礼をしてから壁際へ待機している。
その言葉に甘えたカイルが一歩前へ踏み出すと、敬礼に軽く頷いていたリトラーは彼に目を向けた。
「おお、君たちか。首尾はどうだったかね?」
「必要な材料は揃いました。今ハロルドが組み立て作業に取り掛かったところです」
カイルの報告に、リトラーは満足そうに頷いている。ハロルドの仕事が終わるまで待機しているように、という彼の指示に、一同は小さく息をついた。
経験がないわけではないが、それでも慣れない雪中行軍はつらかったのだろう。
「仮眠室の場所は知っているかな?」
「リトラー総司令。私がお借りした部屋を使ってもかまいませんよね」
「そうだな、少々手狭だが、それでもいいのなら……ではフィオレ君、君の報告も頼む」
一同の案内はそれを終えてからにしてくれと促されて。フィオレは小さく頷いたかと思うと、改めて背筋を伸ばした。
「避難民たちの統計ですが──」
現在地上軍拠点で保護されている避難民の内訳を、彼らが置かれている現状をすらすらと並べていく。
手にした書類に一度たりとも視線をやらない限り、違う報告のものなのか。
「彼らの要望を是非にとのことで、まとめておきました。激しい自己主張が十割を占めています。提出はしますが、怖いもの見たさなら燃やして埋めるのが吉かと」
「……うむ。心遣いありがとう」
「以上で報告は終了です。カーレル中将、軍の備品横流しの件ですが……」
まとめるなら、その任務についている兵士達に怪しい動きは無かった。
おそらく部外者のフィオレがいくら見張ったところで現行犯は突き止められないと、実際の売買現場を先に突き止めたという。
「聞き込み中、配給品の存在を理由に品物を売ってもらえないと嘆く女性がいました。育ちざかりの子供達が、配給だけでは足りないと言って泣くそうなのです。その話を聞いた難民の一人が、女性を連れて裏路地へ入って行きました」
そこでフィオレは、横流しされた軍の備品を金銭で取引する闇商人を見つけた。
リヤカーに横流し品を溜め込み、引き換えに金銭を要求していた初老の男。顔は隠していなかったが、似せ書き等は作成しなかったそうだ。
「横流しの実態について調査せよとのことでしたので」
「……そうか」
「軍の備品をちょろまかした軍人崩れが、避難民に物資を売りつけていました。販売部が扱うものと同等の価格で、誰とも問わずに」
フィオレは未だに書類を抱えているが、それを彼に渡す気配はない。
極めて淡々と報告こそしているが、言わんとすることはきっとカーレルも察していることだろう。
「実を言うと、補給・販売課は私の管轄外なんだけど……」
「早いところ戦争、終わらせたいですね」
以上で報告は終了と締めくくり。一同を件の部屋に連れて行こうとして、リアラの一言がフィオレの足を止めた。
「フィオレ、その書類は?」
「シャルティエ少佐へ提出するものです」
カーレルの指揮下にいるフィオレが、リトラー司令や彼からの任務を請け負っているのはわかる。
しかし、どうしてシャルティエに報告するようなことがあるのかと、一同が首をひねる傍らカーレルが労いを口にした。
「いや、その必要はないよ。それは私が渡しておこう。皆と一緒に君も休んでくれ」
「わかりました。では、この報告を済ませたら休養を取らせていただきます」
カーレルの伸ばした腕から軽く逃れるようにしながら、フィオレは一同を促して会議室から出ていこうとした。
しかしそれは、難しい顔をした彼の苦言によって中止を余儀なくされる。
「そんなことをしたら、また雑事を押し付けられるよ。このところシャルティエが他の課から補佐を請け負ってるみたいだけど、八割方君がこなしているだろう?」
「……否定はしません」
「君にとっては様々な仕事に関われ、且つ器用にこなしてるからあまり苦にはなっていないみたいだけど。シャルティエがやっているのは単なる手柄の横取りだ。ほとんど睡眠を取っていないだろう?」
よく見れば、あらわになったフィオレの目元には隈が浮かんでいる。何となく気だるげに見えたのは、それに起因しているのだろう。
「部下の手柄は上司の手柄。昔からある大変有名な言葉です。でも、私が関わっているとよくお気づきで」
「手当たり次第回ってるみたいで、私のところにも報告書が回ってくるんだ。大体が君の字、でなければ字体が違うだけで書き方が同じなんだよ。気付かないほうがどうかしてる」
手柄が全部上司のものになっている。このこと自体は気にすることではない。歴史にフィオレのことを僅かにでも残すわけにはいかないのだ。
だったら、シャルティエが一時的にでも有能な人でした、という記述が残る方がマシというものである。
フィオレが気にしていないなら口を挟むまいとでも思っていたのか。カーレルはこの件について何も言ってこなかった。ここ数日の間は。
「あえて何も言わなかったけど、これから大事な作戦が控えているんだ。体調を万全にしてくれなきゃ、こっちが困る。ハロルドから君を預かっているのは、私なんだから」
「それは重々承知しています。お言葉ですが、一度請け負った以上報告まで済ませておくべきかと」
ここにきて、いいから休めという要求は凄まじかった。なだめてすかすような物言いは癖なのか、相手がフィオレだからなのか。あるいはハロルドが戻ってきたからか。
しかし、どれだけ注意されても中途半端はよくないと抗戦すれば、彼は一瞬の沈黙を挟んで嘆息した。
「……まあ、そうだね。私もそう思う」
まるで何かあきらめたかのように言い置き、踵を返す。
彼が向かったのは、部屋の隅に設置されている通信機器だった。
〔シャルティエ少佐、ピエール・ド・シャルティエ少佐! 至急、作戦会議室に来られたし!〕
何と彼は、艦内放送を使って彼を呼び出しにかかったのである。
普段、幹部職でありながら横柄さは微塵もなかった彼の行動に驚くも、カーレルはあっけらかんとしていた。
「カ、カーレル中将?」
「ん? 用事があるから呼び出して、何が悪いんだい?」
それは、彼本人にも用事が出来たから言っているのか。しかしそれにしても唐突過ぎる。
どうでもいいが、仮にシャルティエが艦内にいなかったらどうするつもりなのやら。
そこへ。
「失礼します。カーレル中将、何か?」
「ああ、ちょっとね。フィオレ君、お先にどうぞ」
存外早く現れた彼は、そこで初めてカイル達と共に佇むフィオレを見やった。
その目が明らかに、自分より目下を見る──見下したような目つきになっている。
「困るな。報告書は部屋まで持ってきてほしかったのに」
「──すみません」
一体この数日で何があったのか。シャルティエがフィオレに接する態度は、明らかに一変していた。
馴れ馴れしいというか横柄というか、良くも悪くも近しい人間としての態度である。
それをけして歓迎していないことを示すように、フィオレの顔立ちから表情が消えた。
恭しく報告書を差し出すも、補足の報告すら行おうとしない。
それを気にした様子もなく、シャルティエはその場で書類に目を通し、ぞんざいに頷いた。
「うん、ありがとう。じゃあ次は「ハロルドが帰還した、とのことです。指揮権を彼女に戻していただこうと思いまして」
シャルティエの眉が、はっきり歪む。
自分の口上が遮られたことか、フィオレが口にした内容か。
おそらくは両方だ。
「……ふーん。あのこと、話していい?」
「それは困ります」
「わかった。じゃあ指示じゃなくて、これはお願い。聞くか聞かないかは君に任せるよ」
シャルティエがフィオレの弱みを握り、正式な指揮下でもないのにこき使っている。そんな裏事情がはっきり浮き彫りになった。
言葉に詰まるというより、呆れて閉口、気持ち仏頂面になっているフィオレをちらちら見ながら、シャルティエが言葉を続けようとして。
「話というのはそれなんだ、少佐。あのこと、とは一体何なんだい?」
カーレルの言葉が、それを遮った。
聞きにくいことをすぱりと尋ねるカーレルに、シャルティエもフィオレも凍りつくもすぐに平静を取り戻している。
「彼女のプライベートに関することです。それは言えません」
このシャルティエの返答に対し、カーレルが何かを言うよりも早く。
小さく息をついたフィオレが、その言葉を否定した。
「……いいえ、大したことではありません。報告してくださってかまいませんよ、少佐」
あまりおおっぴらにしたいことではないが、それでも今の発言ではどのようにも誤解される。
彼にしてみれば、触れにくいことを強調するための方便だろう。しかしこれでは、天上軍のスパイや天上側に家族がいるなど、都合が悪すぎる解釈に取られてしまいがちだ。
加えて、この場にはリトラーという総司令がいるのだ。そんな風に疑われたら、せっかく軍内で動けるようになったのが仇になる。
一同に害が及ぶよりも早く、これ以上傷を広げないようにしなければ。
その見事な手の平の返しっぷりに、逆にシャルティエが慌てていた。
「へっ!?」
「ところで皆。外出中にベルクラントが活動していたことをご存じですか?」
その問いに、彼らは驚きをあらわにして首を横に振った。
詳しく話を聞けば、空に異常があったことは知っているものの、何が起こったのかは把握していないという。
たった一人を除いて。
「ハロルドがよ、変な機械弄って一人で納得してたな。何があったんだって聞いても『帰ってからフィオレに聞けばいい』の一点張りで……」
「私に、ですか。流石天才、何もかもお見通しなんですね……」
すんなりフィオレの名を出したということは、同じ特徴を持つフィオリオも守護者と何らかの関わりがあったのかもしれない。
彼女が承知の上ならば、隠すこともなかろうと。フィオレ自ら事の詳細を語ろうとして。
「たっだいまーっ!」
ぶわさっ、と垂れ布を大仰にかき上げる音と共に、小柄な人影が飛び込んできた。
濃い桃色の、寝起きを彷彿とさせるくせっ毛。華奢で小柄な、それでいて特徴的な出で立ち。
少女めいた高い声の持ち主は、勿論ハロルド・ベルセリオスその人だった。
※衛生兵の軍服は、アトワイトが着用しているものを参考にしています。衛生兵長の彼女が割と肌色多いから、あれが正規の着方であると信じて。