swordian saga second   作:佐谷莢

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 ラディスロウ内。仲間達が戻ってきて、シャルティエ(オリジナル)の魔の手から逃れきって、緊張が解けてしまったのでしょう。
 久々にジューダスとシャルティエ(ソーディアン)との三人きりですが……
 日頃他人を寝かせまくっている弊害ですかね(てきとう)


第五十一戦——人も夢も儚いもの、ナイトメアだけは消えることもなく

 

 

 

 

 

 

「ハロルド!?」

「あら兄貴。早速だけどフィオレ返して。色々と聞かなきゃいけないことが……」

 

 つぶらなその瞳が作戦会議室を巡り、やがてフィオレの姿を認める。

 軍服姿に、帽子がない。眼帯は……おそらく関係ないだろう。

 彼女は数秒ほど動きを停止させたかと思うと、目の色を変えてフィオレへと迫った。

 

「正直に答えなさい! あんたにその格好をしろと言ったのは、誰!?」

「え~と……」

 

 態度を豹変させたハロルドの視線から逃れるように、フィオレの視線が流れていく。

 視線の先にいるのは、展開についていけずおろおろしているシャルティエだ。

 様々な仕事を任された際、軍服でなければ差し支える状況も多々あったがために支給されたものである。現在は帽子すらも、彼の管理下にあった。

 

「……シャルティエ、あんたなわけ?」

「は、ハロルドさん。何をそんなに怒って……」

「あんたにも話したでしょーが! この子は、自分にそっくりな人間がいると聞いてここへやってきたって! 何でよりによってフィオリオのコスプレなのよ、着やせしてるところまであの子そっくりだし……で、あんた帽子は?」

「顔を隠すなんて不敬だ、と少佐に没収されました」

 

 まるで見計らったかのような追い討ちに、ハロルドはそれこそ般若のような気迫をまとわせてシャルティエを睨んでいる。

 ──これで、最早彼がフィオレに絡んでくることもなかろう。

 今にも杖を振り上げて晶術をブッ放しそうな彼女の気を引くため、フィオレは口を開いた。

 シャルティエに下手な怪我をさせて、今後に影響を出すわけにはいかない。

 

「おかえりなさいませ、ハロルド。ところで、私に聞きたいこととは?」

「……あんたってさ。精霊が見えたり話ができたりすんの?」

 

 フィオレの問いに、ここへ来た理由を思い出したのだろう。気迫を唐突に消したハロルドは、声を潜ませるでもなくそう聞いた。

 彼らを精霊と呼ぶべきか否かを知らないフィオレには、こう答えるしかない。

 

「守護者……精霊結晶との意思疎通ならば」

「なるほど。じゃあちょっと前にベルクラントを迎撃したのは、あんたを通じてそいつらがやった、ってことでいいかしら」

 

 やはり彼女、フィオリオもまた彼らと意志を交わしていたのか。それが判明したのは、次なる彼らの会話を聞いてのことである。

 

「どういうことかね」

「司令も、フィオリオが変わった子だったことは知ってるでしょ。いっぺん精霊の助けを借りて、ベルクラントの攻撃を跳ね返して、空中都市の一部を落っことしたことがあったじゃない」

 

 それを聞くだに、あっちの方が実力はあったようだ。あるいは全ての守護者と契約、またはそれに準じるものがあったのか。

 その話に対し、大いに驚いたのは一同と、そして。

 

「そ、そんなことができるなら、どうして判った時点で総攻撃を仕掛けなかったんですか!」

「精霊達の望みはどちらかの勝利でも、戦争の早期終結でもない。これ以上地表を破壊されたくなかったから迎撃しただけで、それ以外に力を貸してくれないらしいわよ。あんたも同意見でしょ?」

「そうですね。少なくとも、天上側への総攻撃は手伝ってくれないと思います」

 

 ついでに、シャルティエが握っていた弱みがラディスロウの裏手にて迎撃を行っていたことだとさらりと明かしておく。

 その告白に、ハロルドは瞳を輝かせた。

 

「あらっ、やっぱりそうなのね。ベルクラントが起動したと思ったら、地上軍拠点付近で高密度の混合エネルギー射出を算出したの。地水風が均等で、炎だけが少なめだったけど」

 

 変な機械とやらでそこまで見通されていたとは。天才の名は、伊達ではない。

 それ以上の追及は避けて、フィオレは話の主導権を手繰り寄せた。

 

「それでハロルド、作戦に使用する飛行艇はいかがです?」

「ああ、後は設計通りに組めばできるわよ。明日完成は確実。私は最終調整をしなきゃいけないから、ちょっと仮眠を取ろうと思ってね」

 

 作戦はハロルド本人も参加するから、組み立てから最終調整まで手掛けるのは不可能だということだろう。

 行軍の疲労を示すかのように、彼女は大きく伸びをした。

 

「カイル達も休んでね。フィオレ、あんたまだ何か仕事、残してる?」

「いえ、今しがた請け負ったものは全て終わらせました」

「ん、上出来。あんたも休んで、その隈を取っておきなさい。格好も元に戻してくれると嬉しいわ」

 

 じゃあね~ん、とハロルドが会議室から出ていく。まるで嵐が去った後かのような安堵感にも似た雰囲気の中で、フィオレは小さく息を吐いた。

 

「それでは隊長の命に従い、私達も休養を頂きます。失礼しました」

 

 ベルクラント迎撃の件で何かを言われない内に、今度こそ会議室を後にする。

 フィオレに貸与されたのは、作戦会議室を出てすぐ近くにある、士官用の部屋だった。

 シャルティエによって種々様々な仕事を請け負っていた際、報告書を書く場所がないとシャルティエに相談したところ。自分のデスクを使えばいいと言い放ったシャルティエを押しのけて「この部屋を自由に使っていい」とイクティノスが鍵をくれたのである。

 

「しかし、よくこんな部屋ひとつもらえたな。使い走りの成果か?」

「……ここは、フィオリオ・ゲーティアとその兄が使っていた部屋なのだそうです。誰も使おうとしないから、自分が管理していたのだと少将は言っていました」

 

 部屋の両脇に寝台が置かれ、私物を管理するスペースが設置されている。中央には二人が同時に作業できるようなデスクがあるのだが、それだけだ。

 外套を脱いで椅子に引っかけたフィオレの呟きに、一同がぎょっとして部屋を見渡した。

 

「そ、それって、バルバトスが使ってた部屋……!?」

「そういうことでしょうか。ちなみに、私物の類は撤去されてました」

 

 収納されていた衝立を取り出して部屋の隅に設置、その向こう側へと姿を消す。しばらく布ずれの音が響き、やがて普段の格好に戻ったフィオレが出てきた。

 ただ、帽子を被っていないため違和感は消えない。

 片手間に束ねていた髪をまとめ直したフィオレは、気の進まない面持ちで扉へ向く。

 

「さて、私はシャルティエ少佐から帽子を返してもらいに行ってきます。皆は先に休んでいてください」

「あ、ああ。わかったよ」

 

 戸惑う一同に素知らぬふりで、フィオレは部屋を後にした。

 向かった先は、シャルティエとイクティノスの相部屋である。先程カーレルに呼び出されていた彼だが、もう戻っているだろうとの目測で訪ねてみたのだが。

 

「失礼します」

「……ああ。君か」

 

 残念なことに、部屋の中にいたのはイクティノスのみであった。

 訊けば、シャルティエはカーレルに呼び出されて以降戻ってきていないらしい。

 

「そうですか。ハロルドの手前帽子を返してもらおうと思ったのですが……まずは少佐を探してみます」

「ハロルド達が戻ったのか。首尾は?」

「明日にも移動手段が確保できるとのことです」

 

 これ以上仕事の邪魔をしてはいけないと退室しかける。

 そして、何故か呼び止められた。

 

「何か?」

「シャルティエのデスクにある、一番下の引き出しを開けてみてくれ」

 

 見やれば、彼の目はデスク上の機材、液晶画面に張りつけられている。必要な資料があるから、出してほしいということだろうか。

 他人の机の引き出しを開けるなどという行為は本来恥ずべきことと教えられているフィオレだが、頼まれごと、仕事ならば致し方ない。

 イクティノスの言葉に従い、一段目や二段目よりはるかに容量のある三段目の引き出しを開ける。

 

「あ」

 

 するとそこに資料らしいものはなく、一冊の分厚い本と見慣れたキャスケットが収まっていた。

 イクティノスを見やれば、彼は席についたままフィオレの挙動を見守っている。

 

「それを探していたんだろう。持っていくといい」

「でも……」

「シャルティエには私から伝えておく。彼の不機嫌よりはハロルドの機嫌を優先してほしい」

 

 まったくもってその通りである。

 イクティノスの言葉に頷いたフィオレが帽子を取り、シルフィスティアの依代が付随していることを確認してすっぽりと被った。

 

「ありがとうございました、少将。それでは失礼します」

「……ああ」

 

 液晶画面に見入ったままのイクティノスに頭を下げて、退室する。

 とはいえ、この移動中にシャルティエとはち合わせたら面倒なことこの上ない。急いで部屋に戻ろうとして、今まさに退室してきたジューダスを見つけた。

 

「……上手く取り戻せたんだな」

「こっそりと、ですがね。どうかしましたか?」

「入ればわかる」

 

 何かあったから出てきたのだろうに、それは冷たい。センサーにひっかからないよう扉の付近で聞き耳を立てれば、とある男女の会話が何となく聞きとれた。

 

「なんか、みんないなくなっちゃ……」

「……カイル。さっきのこと……」

 

 ──お取り込み中、か。

 もちろんこの状態で部屋に戻る勇気などなく、フィオレはすごすごと扉から離れた。

 

「ロニとナナリーは?」

「外の空気を吸ってくる、と言っていたな」

「そうですか」

 

 二人はそのまま仮眠室で休むのかな、と考えつつ、足を動かし始める。

 彼から特に異論がないことを確かめ、チャネリングを起動させた。

 

『しかし、シャルティエ。あなたもなかなか良い性格ですね』

『……うう』

『ソーディアンチームとはいえ、聖人の集まりでないことだけはわかっていましたが、まさかここまでとは』

『し、仕方ないでしょ! 若気の至りってよく言うでしょ、それに手柄の横取りは僕じゃなくて過去の僕……!』

『あなたの過去と今の人柄が知れて、大変参考になりました。私がされたことに対して、自分のことじゃないから関係ないと、そうおっしゃりたいわけで?』

『……ご、ゴメンナサイ……』

「その辺にしてやってくれ」

 

 そんなやりとりの間も、フィオレの足は進んでいく。ここ数日でラディスロウ内部を把握したのか、その足取りに迷いは無い。

 ジューダスの仲裁を取りあった様子はないが、フィオレは軽く微笑んだ。

 

「まあ、都合はよかったですよ。眠ると夢に見るから」

「……?」

 

 声音が、突如として下がる。ともすれば聞き流してしまいそうな違和感を、ジューダスもシャルティエも感じ取っていた。

 

『ゆ、夢?』

「お前が、夢のことを気にするなんて珍しいな。予知夢か?」

「いいえ、それはありえませんよ。なにしろ、スタンの最期なのですから」

 

 さらりと放たされたその一言で、フィオレの歩みが加速する。

 それまでそこいらを巡回していた兵士の姿が見えなくなってきたのと同時に、明らかな立ち入り禁止区域へと踏み込んだ。

 

『フィオレ……』

「やめろシャル。今は刺激するな」

 

 数少ない機会ではあったが、それでも彼は平静でない彼女の取り扱いを心得ていた。すなわち、嵐が通り過ぎるのを待つこと。

 本来ならば放っておくところ、目を離して何かしでかしても困ると、聞いてもいないシャルティエに言い張って。彼はただフィオレの後を追った。

 辿りついた先は、ラディスロウ最下層より尚下方の収納区画である。

 木箱が乱立する中、一部を動かして隠された扉を開いた彼女は、その身をするりと滑り込ませた。

 籠城される前にと扉をこじ開けたその先に、淡い光が視界をちらつく。辿りついたその先を見て、ジューダスは目を丸くした。

 地下に埋まっているはずのラディスロウ最下層で何が光っているのかと思えば。そこには一面に広がる水中の光景が広がっている。

 

「天地戦争初期、ラディスロウはベルクラントの砲撃を受け、一度は湖に沈んだそうです」

 

 時折横切る魚群、一瞬たりとも留まらぬ水の乱舞に見入ったまま、フィオレは呟くように告げた。

 ここが目的地であったらしく、膝を抱えて座りこんでいる。

 

「ですが破損は少なく、そもそも完全に沈んでいたわけでもないらしく。地上軍の改修を経て現在の形となるわけですが、今もまだ大半の部分が湖に沈んだまま。ここは、輸送艦であった頃の……観測室か、何かですかね」

 

 声の調子もまたすっかり落ち着いており、言葉をかけても問題ないと判断はできるが。その様子は、明らかに元気が無かった。

 身じろぎもせず正面を見つめるフィオレに、まずは雑談から始める。

 

「……まるで水の中、だな」

「怖いなら戻ることをお勧めします。私は頭が冷えるまで、こうしているから」

「誰もそんなことは言っていないだろうが」

 

 仮面を外し、その隣に何気なさを装って座る。その挙動で、フィオレは初めてジューダスの顔を見た。

 

「立ち去りませんか。機嫌が悪くなった女は面倒だと、公言していたあなたはどこに?」

「……僕を怒らせようとしているなら無駄だからやめるんだな。お前の手口なら、嫌というほど知っている」

「知っていたところで、あなたの沸点が低いことは変わらない」

 

 それでも、何が何でも彼をここから追い出そうと思っていないのか。フィオレは抱えていた膝を離して、仰向けに寝転んだ。

 その拍子に帽子が外れて、ころりと床を転がる。

 

「──スタンの最期を。あなたはご存じでしたか?」

「いいや。カイル達から聞くまでは知らなかった」

 

 唐突な、しかし想像はできたその問いに、ジューダスはかぶりを振った。

 彼とて初めから知っていたわけではない。しかし、エルレインによって夢に囚われた際、一同の身に何が起こっていたのか情報を共有した際それは聞き及んでいる、と。

 しかし。

 

「ただ……」

「ただ?」

「バルバトスの挙動から、おそらくはと予想はつけていた。あのスタンが好き好んで音信不通にはならないだろうと」

 

 フィオレとて、カイルから話を聞いて違和感を覚えていたはずだ。それなのに、時が流れて一同と過ごすうち、いつしかその事柄は記憶の彼方に置いてきてしまっていた。

 その理由は。

 

「……そう、ですよね。十分想定できることだった。そう思いたくなかったから、ですかね」

「お前がそう思うのなら、そうなんだろう」

 

 返事は無い。フィオレはただ、中空を見つめるのみだ。

 形こそ問答だが、間違いなく彼女は自分に言い聞かせるべく対話を続けている。

 

「大分スタンの死に囚われているな」

「自分でも驚いていますよ。他人の生死に、ここまで執着する自分がいたとはね」

 

 そんなことは百も承知であったようで、フィオレはあっさりとそれを認めた。

 ジューダスとしては現実を突きつけるつもりで言ったのだが、拍子抜けの返事である。

 そんな彼の内心など気にした風もなく、彼女は独白を続けた。

 

「大勢を殺してここへやってきた以上、大切な人の死だけを厭う資格などないことはわかっています。アレの存在が許し難いのも今更で、このことを知ってもすることは変わらない」

 

 それでも。頭では理解していても、心は納得していないのだ。

 少なからずそうであると、己の状態を結論付けている。

 心底困った様子で、彼女は嘆息した。

 

「ほんと、困りました」

「眠れないことがか」

「殺すだけじゃ足りない」

 

 八つ裂きにして粉微塵にして灰にしても。

 皮を剥いで肉を削いで骨をバラバラにして踏みにじろうとも。

 おそらくこの気持ちが収まることはないだろうと、腸が煮えくりかえってしかたがないとも、フィオレは零した。

 何の前振りもなく殺伐とした想いを吐露され、ジューダスは固まっている。

 そんな主に代わり、シャルティエは己の気持ちを隠すことなくごく自然に尋ねた。

 

『……怒り心頭なんだね。スタンのこと、そんなに好きだったの?』

「好き? 愛していたかという意味なら、否定します。そんな感情を覚えたことはない」

 

 そう。誰に誓うわけもないが、彼のことを男性として見たことはない。

 英雄と称えられた仲間達の中でも唯一殺されているから──しかも、子供を人質に取られて彼に成す術はなかった。義憤に駆られるのは当然でもある。

 けれど。

 

「特別な色眼鏡がかかっているのかもしれません」

『色眼鏡?』

「自分でも信じがたいことですが、私はスタンに憧れに近い感情を持っていました」

 

 世間を知らない田舎者。育ちがそうであったが故に惜しげもなく理想を口にし、それに向かってがむしゃらに駆けていく背中に。フィオレは常に憧憬を覚えていたと思う。

 現実を知らぬ言動に呆れても、時にとばっちりを受けても。常にその姿勢を崩さなかった彼に対し、眩しさを感じずにはいられなかった。

 まるで、太陽のようだと。

 後ろ暗い過去を持ち、隠し事を常とし、日陰の道を歩み続けてきたフィオレには直視ができなくて──妬ましくて。

 その一方で、どうか理想を体現してほしいと勝手に願い続けてきた自分もいる。己には到底できないそれを、叶えて欲しいとでも思っていたのだろうか。

 それが潰えてしまったから、彼の可能性を潰されてしまったから、ここまで囚われているのだろうか。

 ジューダスやシャルティエとの対話を通じて、底知れない悲哀と憤怒の正体を探ろうとしていたフィオレは、ふと我に返った。

 すっかりふてくされたシャルティエの念話によって。

 

『何? つまりは、私の太陽を奪ったあの男が許せないとか、そういうことなの?』

 

 ニュアンスがそこはかとなく変質させられた気がする。

 それをそのまま伝えても、彼の誤解が解けることはなかった。

 あるいは、それは誤解ではないのかもしれない。

 

『もう……あのねえ、スタンはカイルのお父さんなんだよ。ルーティの旦那さんなの!』

「そんなことは百も承知です」

『ああもう。スタンのことが好きで好きでしょーがないことはわかったよ! それで、坊ちゃんに何をしてほしいのさ?』

 

 ──いつからそんな話になったのだろうか。

 そもそもこの話の流れを遡り、ジューダスに弱音を零してしまったことから起因することを思い出す。

 頭を冷やそうとこの場へやってきて、ついてきた彼らに想いを吐露して。そこにいたことを良いことに、ついつい感情を思うままにぶつけてしまったように思う。

 それでもジューダスが付き合いかねて立ち去らなかったのは、それを勘繰ってのことなのだろうか。

 気を使わせてしまったかと、そのことだけを申し訳なく思いながら。己が心の奥底で彼に望んでいるだろう事柄を告白した。

 

「……ええと。私があれを目にして我を忘れてしまったら、ぶん殴ってでも目を覚まさせてください」

 

 バルバトスがスタンの仇である。この事実を知って筆舌しがたい悲憤を覚えてしまった以上、再びあの狼藉者とまみえて冷静に対処ができるのかどうか。

 そうあるよう努力はするし、何より平静失くしてまともに交戦などできはしない。

 だが、感情は時に理性をあっさり組伏せる。感情の高ぶりを必ずしも抑え込める自信のないフィオレは、己の暴走を抑えるようにと、ジューダスに依頼した。

 対する少年は、鼻を鳴らして了承の意を示している。

 

「ふん、いいだろう。常日頃の恨みを晴らす格好の機会だ」

「あなたぶん殴るという単語しか聞いてなかったでしょう」

 

 彼なりに元気づけてくれているのか、あるいは本気か。

 常日頃の恨みが何を指すものなのか、心当たりがあり過ぎて特定できないのも難だった。

 ここは前向きに前者だということにしておく。

 気が抜けたのか、ここのところ忌避していた睡魔がまとわりついた。

 噛み殺せない欠伸が漏れて、てのひらで口元を覆う。

 

「仮眠室、行きましょうか。今なら眠れる気がします」

 

 緩慢な動作で起き上がり、立ち上がろうとして。ジューダスに阻まれた。

 とろんと緩んだ色違いの瞳が、少年を映す。

 

「どうかしましたか?」

「……眠れる時に、寝ておいたほうがいい。今移動すれば目が冴えるぞ」

 

 瞼が重くなったようで、瞬きでそれに耐えながら、フィオレは逡巡を示した。

 

「でも」

「適当な時間で起こす。それから、移動すればいい」

 

 睡魔を振り払うように首を振りながら、それでも立ち上がろうとする。ジューダスが物理的に阻止にかかると、彼女は腕を少し引いただけで素直にそれに従った。

 そのまま、少年の胸の中へと倒れ込む。

 

「……!」

「──ごめん」

 

 思わず呑んだ息の音に気付いたのか。埋めていた胸から顔を上げ、腕をつっぱるようにして身を離す。もそもそと体勢を変えて、フィオレはごろんと床に寝そべった。

 程なくして、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 しばらくそれに聞き入って、おそるおそる息をついた。その時のことである。

 健やかだった寝息は、苦しげな呼吸に変わった。

 

「!?」

「ぅ……く……」

 

 安眠を取ろうと丸くなりかけていた体が、身じろぎを始める。助けを求めるようにぴんと伸びた手が、無意識だろう。床をひっかき始めた。

 慌ててその手を取り上げ、保護する。その瞬間、思わずジューダスはびくりと震えた。

 その手が、思いの他。柔らかく頼りない、女性の手であったから。

 

「ゃ……」

 

 いやいやをするように頭を振り、逃れようと緩慢ながら暴れる。解放すれば同じことを繰り返すことが容易に予測できた。

 それを留めようと無言で奮闘するも、この手の経験は一切ない彼に適切な対処法など知る由もない。

 最終的にジューダスはフィオレを包み込むように抑えていた。言葉として意味を成さないかすかな呻きを洩らしながらもがくも、熟睡しているためだろう。容易く抑え込めた。

 

「だ、め……やめて……逃げて、お願い……」

 

 夢が佳境へと入ったのか、不意にはっきりと悲痛な声で嘆願を呟く。無理にでも目覚めさせるべきか、睡眠中の夢に対するあらゆる知識を掘り起こした結果。

 

「──大丈夫だ」

 

 もがく体を強く抱きしめて、耳元で囁く。

 通常忘れるようになっているはずの夢を覚えているということは、その夢は当人が強く感情を動かされた内容である可能性が高い。

 感情が動くことによって「これは重要な情報である」と脳が反応し、記憶媒体に記録されてしまう。そして覚醒直後、夢の内容を無意識に反芻してしまい「目覚めた状態で考えた記憶」として朧だったはずの夢の内容が登録されてしまうのだとか。

 ならばその夢の内容を、違う記憶で上塗りしてしまえばいい。

 果たしてこれが有用なものなのか、そんなことすら考えずにジューダスは呼びかけ続けた。

 びくりと、腕の中の体が震える。不意に持ち上がった顔が戸惑いも露わに彼を見つめるも、少年は強引に自分の胸へ押し付けた。

 

「大丈夫だ。何も心配することはない」

「──」

 

 震えていた体が、不意に落ち着きを取り戻す。強張っていた痩躯から力が抜けたかと思うと、再び寝息が聞こえ始めた。

 そっと視線を落とす。彼の胸の中でフィオレは穏やかな眠りについていた。

 

『正解……か?』

『正解も正解、花丸です坊ちゃん。きっとフィオレも、坊ちゃんを見直しますよ』

『……覚えていられても、困る』

 

 心安らかに見える眠りを妨げぬようにか、囁くような風情でシャルティエが応じる。しかし彼は、ゆっくりと身を離そうとした主を前に我を忘れたようだ。

 

『あっ、駄目ですよ坊ちゃん! そのまま添い寝してあげなきゃ……!』

『馬鹿者!』

「……んぅ」

 

 どちらが原因やら、フィオレは敏感に反応していた。柳眉が歪み、騒音から逃れるようにごろりと寝がえりを打つ。結果としてジューダスから距離を置いた形になるが、安眠中の彼女が気にした様子はない。

 その安穏たる様を見て、思わず己の口元を抑えたジューダスは再び息をついた。

 

「……まったく、手のかかる奴だ」

 

 決して聞きつけられぬよう囁くように独りごち、マントをはずして彼女に提供する。

 意図的に距離を空けて、自らも横になった。

 悪夢に苛まれていた彼女を落ちつけたとあって、緊張と焦燥から解放された意識がまた、深淵へと導かれていく──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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