ラディスロウ内のどこか。
フィオレは相変わらず辛口で辛辣です。夢の中の逢瀬で頭の中が色ボケてるからどうしようもない。
ダイクロフトへの強襲には、まさかのおいてけぼり、なのですが。
それどころではない事態が、待ち受けています。
翌朝のこと。
目覚めたフィオレはぼんやりと、己が見た夢に浸っていた。
「えへへ」
彼が夢の中に現れたのは、随分と久しいことである。
かつて人目を忍んで睦みあっていた記憶が思い起こされただけなのだが、非常に鮮明でリアリティ溢れるものだった。
まだ体には抱きしめられ、頭を撫でてもらった感覚が残っている。
ふとそこで、彼女は自身に掛けられたマントの存在に気付いた。
起こすに起こせなかったのだろうか。ジューダスもまた一晩をここで過ごしたようで、眠りについたままだ。
うっすらと罪悪感を覚えながら、それでも夢の余韻を未練がましく手繰り寄せる。
ジューダスにマントを返して、ぼんやりと宙に視線を漂わせていると。
『……あのー。おはよう、フィオレ』
『はい。おはようございます』
そうこうしている間に、シャルティエが目を覚ましたようだ。
そのまま主を起こしにかかると思われたが、彼はおずおずと話しかけてきた。
『ねえ、聞いていい? 何にやけてるのさ』
『幸せな夢を見たのですよ』
シャルティエが起きた以上、ジューダスがいつ目を覚ましても不思議ではない。
緩む口元を引き締めるべく顔全体の筋肉を揉みほぐすようにしていると、夢の内容についてシャルティエが突っ込んできた。
『夢って、君悪夢に悩んでなかったっけ? よほどいい夢だったんだね』
『ええ。ニヤニヤするくらいにはね』
『どんな夢? 坊ちゃんは出てきた?』
『ジューダスが出てきたら、いい夢じゃありませんよ』
その一言で、聞き出す気満々だったシャルティエの勢いが萎む。
以降何を訊ねるでもなく完全に口を噤んでしまったが、彼の気の浮き沈みが激しいのは今に始まったことではない。
彼に代わってジューダスを起こしにかかり、立ち入り禁止の区域から、そしてラディスロウからも出た。
「ほとんど埋まっていますけど、ダイクロフトへ大量の兵士を送り込むなんてこの艦にしか不可能でしょうね」
「……そういうことをでかい声で言うな」
雪と氷の入り混じる湖の冷水で顔を洗い、その足でラディスロウから少し離れた格納庫へ向かう。
天上から少しでも目をつけられる要素を減らすため、だろう。格納庫は地下施設の一部にあった。
防空壕のような作りをした、頼りない垂れ幕をくぐって階段を降りていく。
一体どのようにしてこれだけの空間を作りあげたのか。地下とは思えないほど広大な空間の中、奥まった場所にそれはあった。
果たしてこれに飛行が可能なのか、首を傾げざるをえない、不格好なフォルムをしている。
少し離れた場所には、これぞ飛空艇と思わせる機体が転がっているものの、中身はすかすかだ。物資不足の現在、これを戦争中に完成させるのは難しいのだろう。
そして、ハロルドはというと。
「飛べ~飛べ~ロケット~♪ 燃料吹き出し、火を上げて~♪」
非常に独特な音程で自らを鼓舞、周囲のモチベーションを激しく削りながら手元を動かしていた。
「お早うございます、ハロルド」
「ん、お早う? もうそんな時間なのね」
これだけで、彼女がどれだけ作業を続けていたのかがよくわかる。
早朝どころか、深夜から作業に取り掛かっていたのだろう。
「首尾はいかがですか?」
「愚問ね。最終調整オールオッケーよん。今すぐにでも出立可能だわ」
でもその前に作戦の確認をするから行くわよ、と、ハロルドに促され、ラディスロウへと向かう。
しかし彼女はまだ誰もいない作戦会議室を抜けて、食堂へと向かってしまった。
「腹が減っては戦はできぬ、って誰が言った言葉だったかしら?」
「その格言がこの時代に存在していたことに驚いています」
一兵卒だろうが将校だろうが平等に配給されたそれは、薄っぺらい塩漬けの肉とバサバサになった硬いパンである。この時代へ至るまでの道中、ナナリーの手料理を始めとし、食べ物には比較的恵まれていた二人は感想を避けて機械的に口へ運ぶも、ハロルドはどこかうきうきした様子でパクついていた。
外見における幼さは戦時中による栄養不足が反映しているのかもしれないと思っていたが、彼女の様子が良好なのは喜ばしいことである。
「さあて、それじゃ作戦会議室に……」
「ところでハロルド。カイル達はいいんですか?」
意気揚々とフィオレの腕を掴んで歩き出すハロルドにそれを訊ねる。
それを口にした瞬間、ハロルドの雰囲気が一変した。
「……そうね」
「ハロルド?」
「私は先に作戦室へ行ってるから。早めに連れてきて」
フィオレの腕をするりと離し、彼女はすたすた歩き去った。
小さな背中が妙に寂しげだったのは、気のせいだろうか。
「……私、変なこと言いました?」
「さあな。とにかく行くぞ」
ほとんど徹夜でテンションがおかしなことになっているのかもしれない。
その態度を何となく気に掛けながらも、ジューダスと共に彼らを起こしにかかる。
いつ戻ってきたのやら。部屋の床にはロニとカイルが、ひとつの寝台でリアラとナナリーが眠っている。もうひとつ寝台はあるものの、特注サイズにつきバルバトスが使っていたものと思しき代物だったせいか、使用をためらった模様だ。
「朝ですよー」
三人は軽く呼びかけ、ぬくぬくの毛布をはぎ取ることで問題なく目は覚ました。やはり難敵は、天然寝坊助の血を色濃く受け継いだカイルに他ならない。
つねろうがひっぱたこうが蹴飛ばそうが毛布を奪おうが、一向に効果はなかった。
「リアラ。こうなったら王子様ならぬお姫様のキスで起こしてあげてください」
「え、ええっ!」
「嫌ですか。じゃあ定番通り王子様のチュウで……ジューダス」
「あほか!」
「ならもう兄貴の接吻でいいでしょう。ロニ!」
「し、しょーがねーな。カイルのためだ。いくぞ!」
「フィオレ、冗談はよしな。馬鹿が本気にするだろ!」
すったもんだの騒ぎの末、一同の朝食を取りに行きがてら氷柱を取りに行き、あてがう作戦に出る。
スタンの目も覚ましたこの方法は、無事通用した。
「……うわっ、冷たっ!」
結果として彼はどうにか目を覚ましたものの、随分時間を使ってしまった。
一同をせかして作戦会議室へと赴く。一歩足を踏み入れた瞬間、しなる鞭のような怒声が響いた。
「遅いわよ! 早めに、って言ったでしょ!」
「ご、ごめ、ハロルド……」
「申し訳ありません、隊長。カイル・デュナミス、ロニ・デュナミス、ナナリー・フレッチ、リアラ、ジューダス、フィオレ。只今参上しました」
しどろもどろと謝ろうとするカイルを押しのけて、頭を垂れて謝罪報告をする。
ハロルドは鼻を鳴らして一同を自分の後ろへ並ばせるも、それ以上の苦言はなかった。
「人員もそろったところで、作戦の最終確認を行う。始めてくれ、ディムロス」
「はい。本作戦は──」
リトラーに促され、ディムロスが語ったのは作戦の概要、そして詳細だった。
ハロルドの飛行艇によって、救出対象の地区にある格納庫へ強制着陸──ダイクロフトへ盛大に侵入するらしい。それから二手にわかれてそれぞれの任務を遂行するというもの。
ディムロス率いる未来のソーディアンチームはベルクラント開発チーム及びクレメンテ、アトワイト両氏の救出。ハロルド率いる工兵隊は主に敵の撹乱を担当するそうだ。
具体的には未来のソーディアンチームの支援──この地区を統括する制御室を乗っ取り他地区から切り離し、更にはダイクロフトの全機能停止が求められるそうな。
「ダイクロフトがマヒしているスキをついて合流、脱出ポッドでラディスロウへ帰還する」
「あの……ハロルドさんのマシンは、帰りは使えないんですか?」
作戦の説明がひと段落したところで、シャルティエ少佐が最もな質問を繰り出した。
それでなくても敵方の脱出ポッドを奪って帰還に利用するなど、不安要素盛り沢山だろう。
しかし、ハロルドはあっけらかんと肯定してみせた。
「ああ、強襲用にってことだったから、片道しか想定してないのよ。それに脱出ポッド奪えば、今開発中の飛空艇にいくらか部品を流用できるかもだし」
何故だろう。片道用に設定した理由の大半が、後者に集中しているような気がするのは。
物資不足も燃料不足もあって往復に耐えられないことは、十分予想できるのだが。
更に、この問題もあった。
「帰りにも使うとなれば、敵に破壊されないよう守備人員を割かなくてはいけなくなる。少数精鋭で突入するこの作戦で、これ以上の兵力分散は愚行だろう」
「そういうことだ。諸君らに配った図面にもあるように──」
すでにテーブルに広げられていた図面から、格納庫の場所、救出対象たる彼らが囚われているであろう区画、更に制御室の場所が強調されている。
制御室へ向かうルートを指し、ディムロスはハロルドを見やった。
「こちらはハロルド、お前の管轄だ。護衛の人員は……」
「もちろん、カイル達よ。かまわないでしょ?」
「了解した……以上だ。質問は?」
ほんの一瞬、沈黙が会議室を包み込む。一同を見回して口を開こうとしたディムロスが、不意に一点を凝視した。
その先に、片手を上げたリトラーがいる。
「司令?」
「ハロルド君。フィオレ君を待機させるわけにはいかないか?」
リトラーによる提案に、彼女はきょとんと瞳を瞬かせて彼を見上げた。
実にいぶかしげな声が、会議室に響く。
「……ただでさえ少ないのに、更に減らせってこと?」
「不足に思う気持ちはわかるが、現状を考えてくれ。少数精鋭であるが故に、この作戦が始まれば拠点はもぬけのカラになる」
「大丈夫よ。総司令がいれば敵なんていないでしょ」
ケロッとした顔で、ハロルドがそこはかとない拒否を告げる。しかしそこで引き下がる司令でもなかった。
「そういうことではないんだ」
「不安ならディムロスとかイクティノスとかの副官を貸してもらえばいいじゃない! 何ならシャルティエ、あんた残ってもいいわよ。不安なんでしょ」
「いや、ハロルドさん……」
「この数日間の出来事をカーレルから聞いているだろう」
「こき使われてたから休ませろっての? フィオレが総司令にそんなこと頼むとは思えないわ。頼んだところで却下よ! 直属上司をすっ飛ばすなんていい度胸してるじゃない」
「そのようなことはないが、それだけではない。君も承知であるはずだ」
「だからって、留守番ばっかりじゃフィオレが可哀そうよ。あんたも、待機は飽きたでしょ?」
言い募るハロルド、火の粉を払うシャルティエ、食い下がるリトラー。とうとうハロルドはフィオレへ話を振ってきた。
何を期待したのかは知らないが、フィオレとしては軍人としてあるべき言葉しか発する気は無い。
「……ハロルド。私個人の意見よりかは、大将の意見に従ってしかるべきです」
「!?」
「あなたの護衛ならもう一人抜いてもいいくらいですし、私が地上に残るべきとするご意見は、明確な理由に基づくものでしょう」
曲がりなりにも彼らと道中を共にして、それに気付かないほどの能天気ではないはず。
フィオレを残さなければならない理由として、ダイクロフトに強襲を受けた天上側が報復にベルクラントを起動させるかもしれない。その照準が地上軍拠点であろうがなかろうが、危険性がある以上は対抗策がほしいのだろう。
その辺りについて反論はないものの、ハロルドはとんでもないことを言ってのけた。
「じゃああんたは、私がダイクロフトでおっ死んでも後悔しないでよね」
「しません。あなたは必ず、皆と共にご帰還を果たされます」
きっぱりと断言され、ハロルドは返す言葉をなくしたかのようにふてくされている。
沈黙を経て、彼女は拗ねたようにそっぽを向いた。
「……あー、もう。フィオレ、あんたには地上にいてもらうわ。ただし待機じゃないわよ。人員を遊ばせとく余裕なんかないんだからね!」
「「「!?」」」
ハロルドが自分の意見を曲げた。そのことに未来のソーディアンマスター達が戦慄するものの、彼女は鼻にもひっかけていない。
「兄貴のところからもらった人員が五名ほど、行方知れずになっているの。基地からの脱走が確認されているから、脱走兵として適切に扱ってちょうだい。足として私の雪上走行試作機を貸してあげるから、テストをお願いね。その結果を報告書にまとめること」
脱走兵の潜伏場所やら試作機の扱い方については研究室に書類がある、とまで告げ。ハロルドはおもむろにリトラーを見やった。
「それが終わったら、ラディスロウまで帰還。リトラー総司令の指示に従うこと。これでいいでしょ?」
「うむ。柔軟な判断を感謝する」
「けど、これ以上は減らさないからね」
「……やはり、無理ですか」
内心が思わず零れたようで、ハロルドに聞きつけられる。彼女は実に面白いものでも見つけたような顔で「ジューダスに残ってほしいのか」と尋ねてくるも、否定はしない。
絶えず胸がしめつけられるような、息苦しい感覚。虫の知らせじみた胸騒ぎを覚えるのは、これが初めてではない。
これまでこの感覚が起こって何もなかったこと──特にフィオレの身が無事だったことは一度としてないのだから。
とはいえ、こんな不幸の知らせをこれより作戦行動に入る彼らに言うべきではなかった。
「あら、素直ね。そういう話じゃないの?」
「ハロルド風に言うなら、女の勘というやつです。でもまあ、あなたの無事が最優先ですから」
己の身に何か起こるという予感があるからこそ、ハロルドともソーディアンチームとも離れておきたいと考える。危険から遠ざけるという観点なら、やはり仲間達の誰であれ残ってもらうわけにはいかない。
「……なによ、意味深ねえ」
「私はなんにも言ってませんよ?」
話し合いが無事まとまったところで、再びディムロスが一同を見回した。
「今回の作戦は必ず成功させなくてはならない。何があってもだ。よろしく頼むぞ、みんな!」
「会議はこれまでだ。各員、格納庫にて集合せよ。健闘を期待している」
席についていた一同が一様に出て聞くのを、ハロルドは立ち止まって眺めている。
上官を置いて移動するわけにもいかず立ち往生していると、やがてリトラーまでもが格納庫へ行ってしまった。
そこで一息、ハロルドがため息をついている。
「……ディムロスの奴。兄さんの言う通り、ホントに余裕ないみたいね」
「え? でもディムロスさん、すごく堂々としてたけど……」
「いつもの言葉が出てないのよ」
彼の人となりを知らない人間からすれば、軍人としてあるべき姿しか見えなかった。
しかしハロルドはそのことで、彼の焦りが気にかかるようだ。
「いつもの言葉?」
「そ。あいつは作戦前に必ず部下にこう言うのよ。「生きて帰ってこい」って」
「へえ……部下思いのいい人じゃないか」
ナナリーの言葉に同意を示しつつも、ハロルドはやれやれと言わんばかりに肩をすくめている。彼女なりにディムロスのことを憂えているのだろう。
「でも今日は言わなかった。他人のことが目に入らないなんて、らしくないわ」
「そうだったのか……」
さて格納庫に向かおうかと、一同もまたラディスロウを出る。作戦会議室へ行くと決まった時点で装備等は整えたため、問題は無い。
携帯していたダイクロフトの見取り図をジューダスに手渡していると、ハロルドが話しかけてきた。
「済んだことは仕方ないからフィオレ、脱走兵の処理と試作機の試運転、よろしくね」
「かしこまりました。ところでハロルド、あの飛行艇はどうやって飛ぶんです? 羽根がないし、垂直に飛ぶにしても形状に疑問だらけですが」
「飛ぶというより跳ぶからね。ま、あんたは発射を外側から見られるんだし、せいぜい唖然とするがいいわ」
その物言いに一同の誰もが不安を感じずにはいられない。ハロルド本人も搭乗するのだから死ぬほどの目には合わないだろうが、この不安は見事的中することとなる。
一同を見送った直後のこと。
本来ありえない軌道を描いてダイクロフトに到達するどころか、天に召されそうな勢いで空へ吸い込まれていく飛行艇を。
確かに飛ぶというより跳んでいった飛行艇にフィオレが合掌して見送るのは、ほんの僅かな先の話である。