ハロルドより預かった雪上走行試作機を操り、地上軍拠点へと帰還を目指す。
未来のソーディアンチーム及び一同がダイクロフトへ征ってから、丸一昼夜が過ぎた。フィオレはといえば、ハロルドの指令に則り脱走兵に適切な対処をとって試作機の試運転を行っている。
詳細は知らないが、カーレルからハロルドへ提供された彼らはダイクロフト内部図面作成班──つまり、怠慢で酒を飲みカードで遊んでいた連中だと思われる。ハロルドの新薬の実験台になるならいっそ……と思いきってしまった彼らに同情は覚えない。身から出た錆びというものだ。
脱走兵への適切な対処とは、問答無用の処刑を意味する。それにしても、証拠として両手の親指を持ち帰るためだけに切断しなければならないのは、気の重い作業だった。
首を持ち帰れと言われるよりは、大分ましだったが……
さておき。脱走兵との交戦よりもフィオレが心配していたのは試作機とやらのテストだった。
件のHRX-2型のように暴走したらどうしよう、と内心冷や汗をかいていたものの、自動操縦機能も通常運転もまったく問題はない。
箱型の本体は入ってしまえば氷点下にもなる外気は気にならない。トランクに積み込まれていた二人乗りが限度の原動機付き橇も操縦方法は難しくもなんともなく、風を切る速さは何とも爽快だった。
一通り動作を確認して、ついでにこっそりソルブライトを探して事情を話した上で依代を受け取り。
自動操縦状態で報告書を仕上げて、出来上がりを確認する。脱走兵の遺品は共同墓地に収めてあり、顛末も報告書として用意済みだ。
ハロルド専用倉庫に試作機を戻し、したためた報告書を提出するべくハロルドの研究室兼私室に立ち寄る。
さて、ハロルドから言いつけられた仕事は終わった。
リトラーに指示を仰ぐべく、作戦会議室を目指していると。
「!」
つい先日聞いたばかりの警告音が、突如としてラディスロウ内を揺さぶった。またベルクラントが使用されようとしているのだろうか。
ダイクロフトに彼らが強襲したから拠点の居場所が割れてしまったとは非常に考えにくいが、ありえないとも限らない。
一気に慌ただしくなったラディスロウ内、行き交う兵卒の間を縫うようにして作戦会議室へ乗り込めば、司令部周辺の人々が右往左往していた。
総司令たるリトラーその人はその中心で指示を、片手間に無線らしい機材を使ってやり取りを続けている。
「一体何が?」
「侵入者が確認された。一名だが、とんでもない手練れで手がつけられないらしい」
「陽動の可能性も高い。周辺の警戒も怠らぬよう──」
「しかし対処は!? このままではラディスロウへの侵入をも許してしまう!」
「兵卒は避難民の警護及び拠点周辺の警戒にあたらせろ。士官は侵入者の対応に当たれ。衛生兵は士官の後方支援を」
現在フィオレは、リトラーより求められて支給された女性衛生兵の軍服をまとっている。侵入者対応にあたっても問題はないだろう。
忙しそうなリトラーに敢えて指示をもらうでもなく、フィオレはラディスロウから出た。
一体どこから侵入者したのか。集結した士官達はラディスロウ裏手にて防戦中だった。
それにしても、たった一人で地上軍拠点に殴りこむとは。一体どんな命知らずかと、士官達の出撃する先を見やり──硬直を余儀なくされる。
交戦にあたり発生していた鬨の声が、断末魔へと切り替わった。足元の雪を己の血で染め、敗走する士官の背中に極厚の斧刃が迫る。
殴るように切りつけられ伏した士官を足裏に敷いて、寒色の長髪をなびかせた巨漢は勝ち誇ったように呵々大笑していた。
何か言っているようだが、それはここからでは聞こえない。
──冷静に、冷静に!
あの卑劣漢を遠くから目にしただけで、腹の底が煮えくり返る感覚がある。まともに交戦なぞすれば、どうなるかは想像に難くない。
天地戦争の立役者の大部分を担うソーディアンチーム、及びハロルド博士は不在だ。彼らを狙ってのことなら、拠点に現れた意味は無い。大いに笑ってやればいい。
ただ狙いが、残るリトラー総司令、そしてラディスロウ艦体そのものだとしたら。あるいは、フィオレの知らない重要な何か、誰か。
いずれにしても接触は避けられないだろう。最低でも死者、拠点に属する施設に被害を出してはならない。
冷静であろうとする意志、それと己がすべきことを見出して、深呼吸をして。フィオレは戦場へ繰り出した。
「え、衛生兵! 何をつっ立っている、早く負傷者を──」
「命よ、健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」
♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey
左の手を雪で埋まった地面へ押し付け、集めた
避難を始めた彼らが退いてゆくのを見計らって、フィオレは帽子を深くかぶり直した。
誰のものかも今はわからない、落ちていた盾と小型の戦鎚を手にして巨漢の元へゆっくりと歩み寄る。
譜歌によって背中の傷が癒え、快復した士官がその足裏から逃れ、戦略的撤退を果たした。
どんな心境で見逃したのか知らないが、重畳である。これで誰も、巻き込むことはない。
「──」
侵入者……バルバトス・ゲーティアが何かを言っている。
しかしフィオレには、彼が何を言っているのか理解することはできなかった。
帽子を深くかぶり直したがためのその顔を、表情を見ていない。発する言葉すらも理解することを拒絶したフィオレの耳には届かないのに。
怒りが、憎しみが、恨みが、体から沸騰して溢れていきそうになる。姿を確認して声を認識しただけで、悪夢が横切った。
何の反応を返さないフィオレに何を思ったか、携えていた戦斧が振りかざされる。
断頭台の刃が如く迫る厚刃に対して、フィオレは小型の戦鎚を振るった。
金属同士が激突する調べを残して、斧刃は動きを止める。フィオレにかすりもせずに、地面へ深々と潜り込んで。
「──!」
この斧が、彼を奪ったのだろうか。ふとそれを考えついただけで、息が苦しい。
何もかもをめちゃくちゃに壊したい衝動と、冷静であれと唱える理性もまた、フィオレの中で激突していた。
しかし追いすがらず、攻勢に転ずることもなく。フィオレはその場にとどまった。
使いなれぬ戦鎚で攻撃するとなればその間合いの短さから、相手に激突する勢いで接近しなければ攻撃は届かないだろう。今も異性恐怖症を患うフィオレに、それをする勇気は無い。
その恐怖が、暴走しようとする感情をせき止めて、理性に味方する。
不満があったのか疑問でもあったのか。バルバトスが何らかの言葉を発しているのはわかるのだが、未だ理解はできない。
再び、戦斧が空を切り裂く音がする。今度はすくい上げるような一撃を戦鎚で弾くも、追撃の蹴打が迫った。
携えていた盾を体に密着させる形で構え、迫る巨大な足に盾を接触面とする体当たりを敢行する。
全身を揺るがす衝撃が走るも、足一本に対して人一人分の全身。加えて、自分から当たりに行ったことで威力は多少なりとも殺されていた。
「獅子戦吼」
耐えきったところで軸足に獅子の面を象った闘気を放てば、巨漢はあっけなく遠ざかる。
追撃をしようか迷って、ふとその所作に気付いた。
先程フィオレを蹴りつけるべく出された足には短剣が突き刺さっており、それを引き抜いている。
獅子戦吼を使うに当たって確かに戦鎚を手放したが、左右の腰の双剣を抜いた覚えはない。しかし現実として、左の腰の剣は鞘のみ残されている。
まったくの無意識下で攻撃したことがないわけではなかったが、こんなにも追い詰められていない状況ではおそらく初めてだった。
フィオレの気持ちを、殺気を抑えこめずに洩れてしまった結果なのかもしれないが。
やがて短剣を投げ捨てたバルバトスは立ち上がったかと思うと、忌々しげに何かを叫んだ。
「──!」
「雷よ、迸れ」
雪を蹴散らして接敵を試みるバルバトスを一条の雷で牽制し、息をつく。
死傷者も施設に対する被害も出さないことは重要だが、いつまでもこの卑劣漢と一進一退ですらない攻防を繰り広げるわけにはいかない。
それがわかっていて、まるで時間を稼ぐかのように戦う理由。それは、一同並びに未来のソーディアンチームの帰還を待っていることにあった。
彼らがいるなら、間違いなく撃退はできる。相手方が引き際を間違えれば殺害に至るだろうが、それはそれで問題ないはずだ。もっとも、あの聖女がいる限りありえないことだろうが。
牽制されて激昂でもしたのか、何やら喚きながら振り回される戦斧を、体術を淡々と捌く。バルバトスから晶力の高まりを感知したところで、初めてフィオレは動いた。
「──!」
「母なる抱擁に覚えるは安寧──」
雪の下にて凍る大地から
迫る炎塊はひとひらの雪より儚く、結界に触れて次々と消滅した。
晶術は無効化され、接近戦では戦法が防衛に特化しているために一撃たりとも浴びせられない。
反撃は最小限、呼びかけに対する反応は零。
この事実は、着実にバルバトスを焦らせていた。同時に、フィオレには今の状況を積極的に変える気がないということも伝わっている。
それを意味するのは、時間稼ぎであるということも。
「……!」
非常に苛ついた様子で何かを叫んだ後、バルバトスの隣に突如として円球状の闇が出現する。
敵前逃亡をするならば安堵するところ、どうやら違うようだ。
笑みを深くしたバルバトスが黒球より取り出したもの。それは人間の女性だった。
菫より淡い色の髪はさらりとして長く、ベレーに似た帽子をかぶっている。白を基調とする軍服はフィオレのまとう女性衛生兵のものと酷似していた。か細い手首で光るブレスレットが、装飾品所持が許されない一般兵卒でないことを示している。
大人しく捕まっているあたり失神しているのだろうが、一体どこで捕まえてきたのだろう。
後ろから抱え込まれ、太い腕が細い首に回り顔が上がる。遠巻きに見ていた士官達からどよめきが走った。
いきなり人が虚空から現れた、ことだけではないようだ。
「衛生兵長……!?」
外野の言葉を聞きつけて、理解して。フィオレは弾かれたように爆笑していた。
静まり返ったラディスロウ裏手にて、場違いな笑い声が響いて消える。
「人質! 人質かあ、ははっ、馬鹿のひとつ覚えってやつか!」
息も絶え絶えになりながら、フィオレは腹を抱えるようにして荒く息つぎをしていた。
その挙動で帽子が落ちてしまうが、気にしている様子はない。
被っていた猫が逃げ、悪夢が鮮やかに蘇り、どす黒い怒りと昏い感情が理性の支配下から逃れた。
これには面食らったようでバルバトスも狼狽しているかのように見える。しかし、フィオレにとってそんなことはもうどうでもよかった。
部屋に置いてきた紫水が今、非常に恋しい。まずあの邪魔な『生きた盾』を取り上げなくては。
「──」
「聞こえねーな! この期に及んで、ぐちゃぐちゃ抜かしてんじゃねーよ!!」
女性とはいえ、人一人を抱えるバルバトスに素早く動けるはずもなく、あっさり接敵は許される。
彼女ごと斬りつけると見せかけて、双剣の片割れはその足を地面へ縫いつけた。転がっていた短剣を手に身を低くしたまま背後へ回り込む。
「人質は使わねえのか、ええ!?」
女性には当たらぬよう背中を斬りつけ、旗でも立てるかのように肩へ突き刺す。
目論み通り、女性を拘束する腕は緩んだ。その隙を逃さず、盾を顔面へ投げつけ怯ませたところで野太い腕を棒手裏剣で引っ掻き、拘束をこじ開けて。
衛生兵長と呼ばれていた女性を奪還し、巨体を蹴りつけるようにして間合いを取った。
口汚い罵声を聞かされても、頬に血飛沫が張り付いても、目覚める気配はない。再び盾として使われないのであれば、もう彼女に用事は無かった。
冷たい雪の布団効果における覚醒を期待して、その場に捨て置く。同時に、足の短剣を無事な腕で引き抜きにかかるバルバトスに、猛然と迫った。
「くらえっ!」
──軍属として行動する際において、紫水は見目がふざけているために携帯を見咎められている。軍服を支給されてから万一のためにと、拠点のあちこちで暗器の類を収拾していた。
物資の少ない拠点のこと、手に入ったのは古戦場で拾ってきたものが大半で非常に古びていたが、手入れの末に使えそうなものだけを外套に仕込んである。
引きちぎるように取り出されたのは、投擲用ナイフ三振り。
それらを投げつけられ、バルバトスはあっさりと戦斧で薙ぎ払っている。
「っ!」
それはフィオレにとって、想定済みの反応。薙ぎ払われたその瞬間、時間に差をつけて投擲されたそれは狙い違わずバルバトスの額ではぜ割れた。
形こそリキュールボトルの瓶だが、漂う匂いで中身が違うことを強く主張している。
馥郁たる、しかし鼻腔の奥をツンと刺激するこの香りは。
「!?」
「苦しめ! 泣いて喚いて、這いずり回って死ね!」
ソーサラーリング起動のち、現代から持ち込んだ純度の高いアルコールは速やかに化学反応を見せた。
すなわち、着火を。
「!」
業炎をまとう人間松明が、完成する。
髪、皮膚、肉の焦げる匂い。巨体は雪の上を転がるも、浴びせられたアルコールが起因し、なかなか火は消えない。
……こんな奴に。こんな奴なんかに、スタンは──!
血の上る頭が、更なる燃料投下を命じる。雪上でもがく人間松明を足蹴にしてアルコール入りのリキュールボトルを叩き割れば、炎は更に燃え上がった。
これだけじゃ、すまさない。
発生した炎の気配、
「炎帝に仕えし汝の吐息はたぎる溶岩の灼熱を越え、かくて全てを滅ぼさん!」
のたうち回るその姿を嫌々視界に入れて、フィオレは容赦なく追撃を放った。
展開した譜陣が巨体を囲い込む。地面から吹き出した灼熱は対象を蒸し焼き、発生した火焔の柱が渦となって断末魔をかき消した。
通常の人間ならば灰も残さない代物だが、果たしてあの巨漢は如何なる状態か。
譜陣より漏れ出た熱風が、周囲の雪を余すことなく水へ、あるいは大気へと姿を変える。
薄い霧が晴れ、その向こうの人影を認めて。その場にいる誰もが戦慄していた。
まったくの、無傷。バルバトスの現在の状況は、傍目から見てそれだった。それはおそらく本人にとってもそうだろう。
何故なら。
「──」
野太い腕が被服を探って放り出したもの。それは、砕けた鉱石の残骸だった。
持ち主が死に瀕した際、それまでの負傷を一手に引き受けて砕け散る奇跡の石──リバースドール。
それを見てフィオレは、唇を歪な形へ歪めている。
笑みの形へと。
今しがたのやり方はもう通じないだろうが、まだ生きているのだ。まだ戦える、憎しみをぶつけられる。もう一度、殺せる。
殺せなかったことを厭う気持ちはある。それ以上に、まだまだ収まる気配のない感情のやりどころを見出して。フィオレは何を告げるでもなく、隠し持っていた小剣を取り出した。
そこへ。
「フィオレ君、下がりたまえ! 一斉掃射!」
リトラーの声を聞き──正確には久々に人の声を解して、ハッと我に返る。
何を考えていたのだろう。
状況は振り出しですらない。如何にフィオレが無傷とはいえ疲労はあり、衛生兵長と呼ばれた女性が背後にいる。
人質に使ってきたということは、軍内であれ歴史においてであれ、重要な人物である可能性が高い。
フィオレがこの男とやりあっている間に仕込んだのだろう。リトラーの指揮のもと、周囲にずらりと配置された弓兵が引き絞っていた矢を放った。
今はここから離れるべきだ。流れ矢が彼女に被弾しないうちに。
飛び交う矢雨をいなすバルバトスから眼を背けて、未だ身動きひとつしない女性に駆け寄る。
この時、嫌悪感に逆らってでも眼を離すべきではなかった。それを、彼女はしばし後悔することになる。
「っ」
呼吸が正常であることを確かめ、女性を担ぎ上げたフィオレが戦線より戦略的撤退を図る。
しかし次の瞬間、突如として現れた闇の球状が二人をまとめて包み込んだ。
「なっ!?」
「くくく……この俺をコケにした礼を返そう、じっくりとな!」
ねとりとした、生理的に怖気の走る声を否応なしに聞かされて嫌悪に顔が歪む。
迫る腕に小剣を突き出すも、その感覚も意識も、闇に呑みこまれた。
バルちゃん大暴れにして大快挙──フィオレ誘拐に成功した模様です。
しかし、フィオレの誘拐というか連れ去りは過去リアラ、エルレイン、そして各守護者が成し遂げていることなのでそんなに凄いことではない……はず。
連れ去られた二人の運命や、如何に。