swordian saga second   作:佐谷莢

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 引き続きラディスロウ。
 バルバトスからの贈り物は、惨劇を彷彿とさせるものでした。
 捜すのか、捜さないのか。すったもんだの挙句に、現れた守護者が望んだものとは。


第五十五戦——闇との契りが混沌へ導く。呪縛が絡みつく絶望の淵へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 音を立てて、投影機のスリットからレンズが吐き出される。

 ほとんど同時にぺたんと音を立てて、ハロルドはその場に座り込んだ。

 

「は、ハロルド!?」

「……総司令。私はまた、壊れたあの子の目を見なきゃいけないの?」

「ハロルド君、フィオレ君はフィオリオ君ではない。彼女の実力は知っているだろう。早々簡単には……」

「簡単には殺されなくても、息してりゃいいってもんじゃないわ! 何もされないわけないじゃない……状況は、絶望的だわ」

 

 蒼ざめたその顔が俯いたかと思うと、よろ、と立ち上がる。

 ハロルドはそのまま、何の挨拶もなくふらふらと作戦会議室から出て行こうとした。

 そこへ。

 

「失礼します、総司令……うわっ!」

 

 出て行こうとするハロルド、入ろうとしたカーレルがぶつかりそうになって、彼は妹を抱きとめた。

 まるで反応がないハロルドにカーレルが注意しようとして、その顔色を見た途端に言葉を詰まらせている。

 

「ハロルド君、あの場で黙っていたのは……」

「わかってるわよ。私の研究が最終段階に入った今、変に動揺されて支障が出たら困るでしょ。お気遣いどーも!」

「ハロルド、司令に向かって……」

「兄貴は黙って。何か勘違いしてるみたいだけど司令、私は一度たりともあの子をフィオリオと重ねたことはないわ! フィオリオは、私があの穴へ放り込んだんだから!」

 

 半ば喚くように言い捨て、ハロルドは今度こそ作戦会議室を飛び出した。

 押しのけられたカーレルは、やりとりを初めから聞いていたわけでもなかろうにどこか痛ましげな表情を浮かべている。

 

「ハロルド!?」

「追いかけよう!」

 

 事情こそよくわからずとも、放っておいていいわけがない。ラディスロウの出入り口ではなく、内部へ向かう扉から勢いよく飛び出したハロルドを追い、一同は走った。

 ラディスロウ内を巡回していた兵士によれば、肩を怒らせ大股で私室のある方向へ向かったという。

 かつて彼女の許可を得て入った区画へ向かえば、研究室を兼ねた私室の扉はもちろん閉ざされていた。

 ノックをして声をかけるも、反応はない。

 とうとう痺れを切らしたジューダスが扉の前に立った。

 

「ハロルド。入るぞ」

 

 センサーが反応し、扉はあっけなく開く。どうやら施錠の類はされていなかったようだ。

 おっかなびっくり踏み入れば、部屋の主は奥の丸っこい寝台の上にいた。

 寝ているわけでもなければ、突っ伏しているわけでもない。

 総司令に嫌みを連打し、実の兄を押しのけて飛び出した天才科学者は、寝台に寝転がって一心不乱に何かを読んでいる。

 

「ハロルド……」

「ちょい待ち。もうすぐ終わるから」

 

 おずおずとしたリアラの問いかけに、ハロルドはあっけらかんと書類から目を離すことなく応対している。

 ほどなくして、ハロルドはむっくりと起き上がった。

 一同を見やるその目に、先程までの険はない。

 

「にしてもあんたら、落ち着いてるわね。仲間が攫われたってのに」

「攫われたのがフィオレだからな。あいつなら、バルバトスを出し抜いて自力で戻るくらいはやってのける。多少様子がおかしかったことに、不安材料はあるが」

 

 他の一同とて、細部は違えど似たような意見だった。

 単純な実力においても、頭の回転も有する知識も、一同の誰よりも優れていると。

 それを聞いて、ハロルドは心なしか目を細めた。

 

「……カイル。だけどアトワイトは助けに行くべきだっていうの?」

「当たり前だろ! フィオレと違ってアトワイトさんは戦えないんだから、それに……」

「アトワイトはソーディアンチームに抜擢された一人、多少なりとも交戦経験があるから、あんたの理屈で言えば救助の必要はないわ。自力で何とかしてもらって、帰還を待てばいい。あんた言ってることがチグハグよ。落ち着きなさい」

「だけど、フィオレとアトワイトさんは……」

「くどい。他人には仲間を助けに行けって言うのに、自分の仲間にそうしない人間の言うことなんか誰が聞くの。まあ、あんたがフィオレのことを仲間だなんて思っていないなら、話は別だけど」

 

 意見の矛盾を諭されて、カイルがぐっと言葉に詰まる。

 そこへ、珍しくジューダスの助け舟がやってきた。

 

「それは、お前があいつのことをよく知らんからだ。あんな奴のことなんか、心配するだけ時間の無駄──」

「同じことだわ。私がフィオレのことを知らないと同時に、あんた達はアトワイトのことを知らない。更に言うなら、あんたはフィオレのことをどれだけ知ってるっていうの?」

 

 しかし、助け舟はあえなく渦潮に巻き込まれた。

 話題がそらされたことにも気付かず、ジューダスはむきになって言い返している。

 

「どんな事態にも、涼しい顔で対応してみせる。こっちがどんなに心配しても、それに対し何も思おうとしない。心配するだけ、助けようとするだけこっちの徒労に終わる」

「ふーん。それはそれは、嫌みな奴ねえ。まあそれはそれとしてね」

 

 敢えて何か言うことはせず、ハロルドは再び話題を変えた。

 ここで何か言ったところで、自分の預かり知らぬ間柄の偏見──激しく曲がった信頼は拭えるものではないから。

 

「フィオレはどうして、バルバトスに怒っていたのかしら? 様子が変だったのも確かみたいだし、思い当たることはない?」

 

 リトラーにはフィオリオの死に関することだろうと誤魔化したものの、真実を知るハロルドに事情はわからない。

 それは一同としても同じことで、唯一ジューダスがカイルを横目に見ながら答えた。

 

「……おそらくは、スタンの死が原因だ」

「え……?」

「過去、ハロルドにとっては遠い未来に、フィオレと親交のあった人間達がバルバトスに傷つけられ、内一人が死亡している。僕らがダイクロフトへ赴く以前にも、そのことで苦悩していたようだ」

 

 スタンの死が、フィオレの平静を奪っていた。そのことに、少なからず関わっていたロニが絶句している間に。

 ハロルドはぴこぴこと指を振っている。

 

「あのさ、そんな不安定な状態で普段通りにできると思う? 実際様子は変だったでしょ」

「それは……」

「更にバルバトスは、アトワイトを人質にできる。狙ったかどうか知らないけど、突飛な行動で驚かせることで不意をついた。あの手はもう使えない」

 

 彼女はどうするのだろうかという質問に対し、ジューダスはどこまでも食い下がる。

 その様子を見て、ハロルドはやれやれと肩をすくめた。

 

「もういいわ。攫われたのは私の部下でフィオレなら、実験データを取り損ねたとか適当にゴネて捜索隊を組ませられるかと思ったけど……」

〔ティンバー中将、ベルセリオス博士。至急作戦会議室まで来られたし!〕

 

 ハロルドが言い終えるよりも早く、そんな艦内放送が響く。

 声の主はリトラーのようだが、かなり切羽詰まっているような声音だった。

 

「どうしたのかしらね、あんなに慌てて。ま、行ってみましょうか」

 

 三度(みたび)、ハロルドに促され作戦会議室へと赴く。

 そこにはリトラー、カーレル、そしてひと抱えの革袋を手にした兵卒がいた。何故か総じて顔色を悪くしており、ディムロスの姿はまだない。

 

「君達か。すまないが、ディムロスが来るまで待っていてくれ」

「えらい切羽詰まってるけど、何かあったの? しかも、私とディムロスって」

「実は……」

「失礼します、総司令。何か御用でしょうか」

 

 誰よりも顔色を悪くした兵士が口を滑らせるよりも早く、ディムロスが会議室へ入室する。

 リトラーは壇上から降りてきたかと思うと、兵卒を招き寄せた。

 

「巡回中の兵士が、駐屯地正門前にて発見したそうだ。確認してほしい」

 

 そう言って、彼は革袋を開けさせた。リトラーが取り出したものを見て、ディムロスが、ハロルドが目を見張る。

 

「これ、アトワイトのブレスレットじゃない。血染めって、趣味が悪いわねえ……」

「そして、この手紙が添えられていた」

 

 掲げられたそれにはただ一言、「スパイラルケイブにて待つ」とだけある。

 その綴られた文字は、赤黒い染料で不気味にかすれていた。

 血液を指につけて羊皮紙に滑らせれば、同じものができるだろう。

 ディムロスによりブレスレットがアトワイトのものであるとはっきりしたところで、リトラーはブレスレットごと革袋をハロルドへ差しだした。

 

「革袋の中身を解析してほしい。ブレスレットに付着したものも、だ」

「総司令、その中には何が……」

「知らない方が幸せよ、ディムロス」

 

 受け取って早々中を覗きこみ、眉を歪ませたハロルドがさっさと会議室を立ち去る。

 それを一同が追うも、ジューダスが抜きんでて彼女の前に立ちふさがった。

 顔を上げたハロルドの顔は青い。

 

「見ない方がいいわ」

「想像はついている。確認したいことがあるんだ」

 

 いつになく熱心なジューダスの熱意に押されて、ハロルドはしぶしぶ皮袋を手渡した。

 迷いなくそれを開くも、中身は彼の想像を絶していたのだろう。ジューダスの動きが停止した。

 

「どれどれ……」

 

 その隙をついて、好奇心に駆られたロニが横から覗きこむ。

 挙動に気付いてジューダスが咄嗟に口を閉めるも、時すでに遅く。

 

「うっぎゃああ!?」

 

 彼は悲鳴を上げてのけぞった。

 

「んな、何だこりゃあ!」

「だから言ったのに。アホねえ」

 

 ほんの一瞬しか見ていないと言うのに、ロニの顔色が見る間に青ざめていく。もはや皮袋すら見たがらない彼の反応にナナリーは面白がって揶揄するものの、それはいつになく真剣なロニの警告にかき消された。

 

「なんだい、だらしな「お前ら、絶対見るなよ! しばらく夢に出るぞ!」

「ほんとに、何が入ってたの……?」

 

 人間、止められるとやりたくなるものだ。

 その心理を知っていて、だろう。ハロルドはあっさりとそれが何であるかを明かしにかかった。

 

「知りたいなら教えてあげる。血塗れの──」

「ハロルド。これはおそらく、フィオレの左手だったものだ」

 

 言いかけて、ジューダスの断言を聞き眉をひそめている。

 根拠はあるのだろうが、それをここで確かめるわけにはいかない。

 

「こんなところじゃなんだわ。あんたらの部屋、行きましょうか」

 

 本格的な解析はできないが、話を聞くだけなら彼らに……正確にはフィオレに貸し与えられた部屋で十分だ。更に作戦会議室からも近い。

 滞りなく移動した一同は、まず中央のデスクに皮袋を置いたジューダスの発言に注目した。

 

「で、何を根拠に?」

「……入っていた指の一本に、これがあった」

 

 彼が取り出したのは、血染めになった銀環だった。三日月を満月にせんとする台座には、蒼い輝石がはめ込まれている。

 

「あいつが常に左の手につけていたものだ。他にも確認してみたが、間違いない」

「ふうん。ブレスレットについてるものはあれから付着したもののようだし、質量からして手首ひとつだけみたいだし……アトワイトは多分無事、かな」

 

 さらりと言い放たれた一言に、皮袋の中身を見ていない一同はぎょっとして彼女を見た。対してハロルドは軽いノリで手を振っている。

 

「言っとくけど、切断されてるだけじゃないから。綺麗なままの手首がころん、って入ってると思ったら大間違いだかんね」

 

 まったくもって、何の救いにもなっていない。

 分厚い皮袋を不気味そうに見ながら、ナナリーはくってかかった。

 

「何をそんな、悠長に……!」

「二人がさらわれた時点で、いつ二人の生首が送りつけられてもおかしくなかったわ。あんたら、危機管理がなっちゃいないわね」

「しかし、人質とは無傷だから価値があるものだろう! バルバトスも軍人なら、そんな初歩的なことは」

「じゃ、あいつにとってアトワイトだけが人質だったんでしょ。フィオレには用事があったんじゃない? これが送りつけたのはあんたらを牽制してるのか挑発してるのかわからないけど……こんなことになった以上、もう死んでいたっておかしかないわ」

 

 さらりと言い切られたその一言に、戦慄が走る。ほんの少し前ならまさか、と思われた未来が、今はひどく現実味があった。

 皮袋から洩れた、新鮮な血潮の匂いがそうさせたのかもしれない。

 

「大変だ……! 早く助けに行こう! リトラーさんにそれが何なのか話せば、きっと」

「それはどうかしらね。いくらフィオレが精霊の助けを借りてベルクラント迎撃ができても、身分は一兵卒の新兵。衛生兵長にしてソーディアンチームに抜擢されているアトワイトでさえ捜索許可が下りないのに」

「でもよ、今フィオレは左手がないんだろ? 早く手当てしてやらにゃ、命に関わる。それにこっちは仲間っつーか身内みたいなもん……そうだ!」

 

 ごにょごにょと何かを言いかけたロニが、唐突にジューダスを見た。

 普段の茶化すような雰囲気は無く、いたって大真面目な表情である。

 

「ジューダス、フィオレは恋人だから助けに行くって言い張ってみるのはどうだ? 仲間よりは効果あるかもしんねえ。お前が嫌だってんなら、俺が言う」

「無駄ね。嘘が見抜かれるとか、そういう問題でもないわ。ディムロスだって、過去を遡ればイクティノスだって、恋人じゃなくて軍の規律を選んでる。あんたらも見習えと、諭されるだけでしょうね」

 

 ディムロス、そしてイクティノスまでもが同じことをしている。途端に訳がわからなくなった一同に、ハロルドは驚くべき種明かしをした。

 

「アトワイトはね、ディムロスの恋人なの。あんたたちが見た公開処刑のフィオリオも、イクティノスの恋人だった。どういうことなのかは、理解できるわよね?」

「理解って……二人して恋人を切り捨てたってことか!? 信じらんねえ……」

「わたし……わたし、わかる気がする」

 

 ロニは理解不能だと頭を抱えている側で、リアラはぽつりと呟いた。

 当然カイルは驚いているものの、少女はあまり頓着していない。

 

「それが正しいわけ、ないと思うけど。課せられた責任を果たすために、大きな目で物事を見なければならないとしたら……」

「フィオリオというフィオレそっくりの軍人は、地上軍と民間人の仲違いを防ぐため見捨てられた。そして今回も、アトワイトひとりの命と引き換えに地上軍全兵士のことを優先する、ということか」

「そんなところね。一度そうと決めたからには、それを貫く義務がある。それが人の上に立つ者としての責任なの。まあ私は、結構好き勝手してるけど……」

 

 ここでハロルドは言葉を切ったかと思うと、とある一点を見つめた。

 視線の先には、先程から微動だにしないジューダスがいる。

 

「あんた、どうかした?」

「……そこにいるな。契約者をほったらかして、何をしている」

『仕方ないでしょ。聖域が失われて、代行者は証を失った。そんな状態じゃ、僕らにできることは限られる』

 

 虚空に向かって呟くジューダスを一同が気味悪がるより早く、その声音は一同の脳裏に響いた。

 フィオレの持ち物が置かれた辺りから光が生まれたかと思うと、新芽色の光球がふよふよと漂いつつ一同の前に……ジューダスの眼前に現れた。

 

「な、なんだ!?」

「オバケか!?」

『失礼だなあ。確かに実体はないけど』

 

 ため息まじりの呟きと共に、光が弾ける。

 金の髪をふたつにくくり、支脈の透ける薄い羽根を生やした少女が現れた。

 

「……!?」

『我が名はシルフィスティア。この星の風を司るもの。君と言葉を交わすのは、これが二回目だね』

「……僕に何か用か」

 

 ハロルドすらも目を見張るこの事態に、ジューダスは努めて淡々と用件を尋ねた。

 対してシルフィスティアは、首肯で意志表示をしている。

 

『その皮袋と、今あなたが忍ばせたものを返して』

「……フィオレは今、どうしている」

 

 皮袋はおろか、懐に忍ばせたものを取り出す素振りも見せずにジューダスは一方的な質問をつきつけた。

 実力行使はする気がないようで、シルフィスティアは肩をすくめている。

 

『だからね』

 

 ん、とばかりに、少女の姿をかたどった守護者は手を伸ばした。

 ジューダスへと。

 

『神の瞳、返して。それを使ってフィオレを捜すから』

「あいつの位置を把握していないのか?」

『風が、ボクの眷属が行き交う場所ならすぐわかるけど、違うみたいだから。軍則だからって、僕達の依代を全部置いていなくなられちゃ特定もできないし』

 

 しかしジューダスが、素直にそれを差しだすことはなかった。

 神の瞳を渡せば、守護者が以降他者の介入を許すかどうか。最悪、神の瞳を持ち逃げして単身フィオレの元へ行かれるかもしれない。

 ここは親切を装うべく、ジューダスは懐へ手をやりながら一同を見回した。

 

「人を介して力を振るうと言っていたな。この中で晶力を扱うなら、リアラが適任か?」

『お断りだよ!』

 

 言うだに、激しい拒否である。ジューダスから神の瞳を手渡されそうになったリアラは、硬直を余儀なくされた。

 

『フィオレの協力者だからなるべく干渉しないようにしてきたけど、キミにだけは使われたくない! あの下僕を使役しているのは、僕らに喧嘩を売ってきたのはそっちじゃないか! キミ本人に恨みはないけど、その力で手助けなんかされたくない!』

「わがままな……致し方ない」

『あの下僕と同じ復活者に使われるなんてヤダ!』

 

 却下の一途を辿る。悠長なことを抜かしている場合か、とくってかかるも。風の守護者はそれだけの理由ではないと語った。

 

『代行者でない人間に僕らの力は扱い難い。あっという間に消耗するよ? 抜け殻になってもいいの?』

「ああもう、守護者のくせにがたがたうるさいわねえ」

 

 脅すように言い放たれた言葉だったが、彼女にだけは一切の効果がなかった。

 ジューダスが取り出した神の瞳を包んでいたハンカチごと奪い、帽子を持つことで依代をも手にしている。レンズの凹面に血糊が張り付いていることは承知だろうに、彼女は眉ひとつ動かさなかった。

 

「あの子を捜す前に、答えなさい」

『そんな義理は……』

「あんたが……守護者が、契約者の危機で自発的に動いてるってことは、契約者より助けを求められれば、無論のこと応じるのよね」

『そりゃ、もちろん』

「じゃあなんでフィオリオは助けてくれなかったのよっ!」

 

 語気を荒げて詰め寄るハロルドを前に、シルフィスティアは飄々としたものだった。

 まるで我儘を言って駄々をこねる子供を前にした母親のような、人間じみた冷静さすら感じる。

 

『──彼女はすべてを受け入れたから。悪夢も、自分の残された道も、等しくね』

「嘘よ、あの子は間違いなく気が触れていたわ! 自分が殺されると知ってあんなに泣き喚いたのに……助けを求めないわけない、壊れた精神だってあんたらの力なら」

『……その様子だと、本当のことがわかるまで手伝ってくれそうにないね』

「どういう意味よ!」

 

 次なる彼女の言葉を聞いて、ハロルドは絶句した。

 表情から反応から、その衝撃は計りしれない。

 

『あれね、演技なんだ。衛生兵だから、おかしくなった人間の挙動は知ってたんだよ。残される人達のことを思いやって、さ』

「……?」

『君だって少なからず思ったはずだよ。おかしくなったフリで奇行を繰り返した彼女に、矯正のしようがなかったその醜態に、せめて楽にしてあげよう。それが彼女のためだって』

「!?」

 

 経緯がまったくわからないなりに、一同は見守るしかない。

 ハロルドは珍しくうろたえながらも、必死に言葉を絞り出した。

 

「そんな、だって……!」

『彼女、どんな人間だった? 彼女が正気だったらさー、君や他の人間達はどうしてた? 何より彼女はさ、死にたくない、助けてって、君に言った?』

 

 ハロルドは、完全に俯いてしまっている。

 風の守護者を名乗る少女はひとつ息をついてから手にしているものを手放すよう促すも、ハロルドは従わなかった。

 

「……うっさいわね、早くあの子を捜しなさい!」

 

 その言葉にこそ応えなかったが、シルフィスティアは早くもその姿を薄れさせる。

 代わり、守護者の背後には彼女の視界と思わせる映像が浮かび上がった。

 地上軍拠点周辺と思われる映像、その場所から一同にはどこかもわからない廃墟の隅々まで。雪だらけの景色が延々続いたかと思えば、ぽつりと現れた雑木林に突貫し上から下へ。

 人の常識では考えられない速度で様々な場所を巡っても、それらしき姿はない。

 それでも確実に力を使っているのだろう。力の提供者であるハロルドは玉のような汗を浮かべている。

 

「スパイラルケイブ、という場所はわかるか」

『んー……アース、変わって』

『わかった』『探してみる』『まずは存在する洞窟を……』

 

 荷袋の中から、麦藁色を宿した光が浮かび上がる。

 その瞬間、ハロルドの体がぐらりと傾いだ。

 

「ハロルド!?」

「……消耗がハンパないわ、これ。フィオレもフィオリオも、よくこんなの平気で使えるわね」

 

 それでも彼女は、それらから手を離そうとしなかった。

 それを憂えたのかあるいは他の理由か、漂う光がリアラの元へと向かう。

 

『もう一人の聖女』『我らの使役を』『このままでは彼女が抜け殻になる』

「えっ? いいの」

『気にしない』『我慢する』『すべてはフィオレのため』

 

 ためらうリアラを急かして、フィオレの荷袋を開けさせる。

 赤い巾着の中から蔦が巻き付く意匠の、中央に輝石がはめ込まれたバングルをリアラに持たせたかと思うと、大地を司る守護者アーステッパーは探索を始めた。

 

『スパイラルケイブ』『螺旋を描く洞窟』『──見つけた!』

 

 シルフィスティアによって壁へ投影された映像が途端に漆黒を映す。しかしそれは一瞬のこと。漆黒は鈍色の岩肌へと成り代わった。

 鍾乳洞と思しき石旬が連なり、天然の洞窟と思われる空間が広がっている。

 

『シルフ』『あと任せた』『あまり無茶をしては──』

『わかってる! フィオレ、どこだろ』

 

 アーステッパーが探し当てたのはあくまで場所のみ。見当たるのは住みついた魔物の姿ばかりだ。ハロルドの持つ神の瞳をリアラに持つよう指示して、探索が再開された。

 シルフィスティアの力が働き、めまぐるしく視界が切り替わっていく。やがて洞窟の最奥部と思われる場所で、ついに人影を見つけた。

 

「いたわ。けど……」

『──いい子にしていたようだな』

『……私の手を、どこへやってしまったのです。まさかエルレインに差し上げてしまったのですか』

 

 シルフィスティアとアーステッパーの力を持ってして発見したフィオレは、一人ではなかった。

 一体何があったのか。

 軍服に身を包んだフィオレは、満身創痍だった。

 被服のあちこちが意図的に引き裂かれ、透き通るような肌が覗いている。その様相は被服本来の意味を果たしているとは言い難かった。

 穴だらけにされたタイツから白桃を思わせる太腿がはみだし、力なく投げ出された足には生々しい傷がいくつも刻まれている。

 脱走を阻止せんとしてか、違う理由か。

 その傷をつけたと思われる男は、フィオレの眼前に仁王立ちしていた。

 

『……まだあの小娘の意識が居座っているのか。元凶は除いたというのに!』

 

 地の底から響く怨嗟にも似た、恐ろしく不機嫌な声音が漂う。

 それも束の間。まるで絞り出すかのような声を発していたバルバトスは怒りを発露するかのようにがなりたてた。

 

『出ていけ、妹の体からァッ! 俺のフィオリオを返せッ!』

『……知らねえっつーの、シスコン野郎。質問に答えやがれ』

『それ以上妹の顔で、妹の声で! 汚らしい言葉を吐くなぁっ!』

『喚くな、うるっせぇな。寝言なら夢でも見ながらにしろよ』

 

 鬼気迫るバルバトスにまるで動じることもなく、フィオレはどこか投げやりに応じていた。

 億劫そうに起き上がろうと壁についた手が震えていることを、一体何人気付いたことか。

 言葉もなく振り下ろされた斧は、それまでフィオレが寄りかかっていた壁を破砕して、その粉塵を漂わせた。

 一撃を辛くも逃れたフィオレは、ちらりと一同に、その場にいないはずの彼らに視線を寄越す。しかしそれは一瞬のこと、眼帯を奪われたのか色違いが露わになった瞳は、バルバトスへと向けられた。

 誰もが注視した左の手は──外套の裾が絞られ、詳細はわからない。

 しかしあるべき場所には何もなさそうなこと、黒ずんだ血潮の色に染まるその場所を見れば、一目瞭然だった。

 

『遊びは終いだ。一気に片をつけてやる!』

 

 生まれたての小鹿が必死で立ち上がるかのように、膝が砕けては持ち直す。

 刻まれた生傷から鮮血が滴り落ち、フィオレの足元はたちまちぬかるんだ。

 その手にはいつの間にか、禍々しい魔剣を手にしている。

 

『業炎斬!』

 

 上段から振り下ろされた斧の一撃を紙一重で回避するも、散った炎が生傷を炙る。かまわず反撃を見舞いかけたフィオレの瞳が、苦痛に揺らいだ。

 下からすくい上げるような拳打を、もろに受けて。

 

『斬空剣!』

 

 完全に宙を泳いだ体に、生み出された旋風がまとわりつく。細かな鎌鼬が外套を、その肌を容赦なく引き裂いた。

 

『裂砕断!』

 

 大地をも砕く勢いで斧を叩きつけられ、フィオレはかろうじてこれを受けた。しかしその衝撃を受け流すことはできず、その場に叩きつけられている。

 

『……そのなりで、我が奥義三連殺を凌ぐか』

 

 フィオレを痛めつけたことで溜飲が下がったのか。息こそ荒げているものの、先程の激情は完全になりを潜めている。

 一方、倒れたフィオレは自らの血だまりに身を浸し、ぴくりとも動かない。

 このまま死亡してもおかしくはない衰弱ぶりに、バルバトスが同情を覚えるわけもなく。

 

『やっと大人しくなったか……てこずらせおって』

 

 片足で蹴りつけ、動かないことを確かめて。闇色の球体が現れた、その瞬間。

 

『……ぐ!?』

 

 バルバトスの顔が、痛みに歪む。彼が見下ろした先、フィオレに押し当てていた足に特殊な刃物が突き刺さっていた。

 敢然と上がった顔が、これをどけろと言わんばかりに、睨み据える。

 自らの勝利を確信していただろうバルバトスの沸点は、存外低かった。

 

『このっ!』

 

 特殊な刃物──笹の葉を象った手裏剣を引き抜き、再び突き刺そうとしたフィオレに、巨大な足裏が迫る。

 馬鹿正直に蹴打を受けるでもなく、どうにかその片足を捕まえたフィオレは流れるような動作でそれをひねった。

 

『ぬっ!?』

 

 バランスを崩したバルバトスが、それ以上の負傷を防ぐためにか、素直に尻もちをつく。

 獲物を引き倒した肉食獣の如き勢いでバルバトスに飛び乗ったフィオレだったが、そこまでだった。

 

『図に乗るんじゃねえ!』

 

 悲しきかな体格の差、あっけなく上下が入れ替わる。バルバトスの全体重を受けてフィオレは苦しげに息を吐くも、その眼は冷めきっていた。

 恐怖も屈辱も、苦痛さえもない。あるのは、自分にのしかかる男への蔑みだけだ。

 フィオレの身動きを封じたバルバトスが、その首を掴みあげる。

 

『誇りがあるなら、勝者に従うが礼儀だ! この期に及んで抗うか、見苦しい!』

 

 気道を狭められ苦しげに喘ぐフィオレに怒鳴りつけるも、効果はない。

 逆にその眼は、その眼だけが言葉を聞きつけて凍てついていく。

 眼は口ほどに物を言い、その視線を受けて怯んだようにバルバトスは声を荒げた。

 

『……その眼を、やめろ! フィオリオの眼で……潰されたいか!』

『……何が誇りか』

 

 何かの弾みで緩んだか、腕を払われたバルバトスがびくりと巨体を震わせる。

 首をさすりながら、フィオレは吐き捨てるように呟いた。

 

『人質を使って得た勝利にそんなもんはどこにもない。一端の勝者を気取るな、下衆』

『負け惜しみを……まだ躾が足りんようだな』

 

 返す言葉はないらしい。ぎり、と歯を食いしばったバルバトスが、その柔肌を蹂躙せんと外套に手をかける。

 その瞬間、フィオレは口元に薄笑みを浮かべていた。

 

『ぐあっ……!』

『汚い手で触るな。下劣が伝染る』

 

 首をさすっていた手がいつのまにか手裏剣を持ち、その手をひっかく。

 ほんの僅かに怯んだその瞬間、フィオレはその野太い首に手裏剣を突き立てた。

 

『消えろ、屑。できればそのまま死ね』

 

 頸動脈を狙ったのか、勢いよく迸る鮮血がフィオレに浴びせられる。それを抑えるようにしながら、バルバトスは言葉もなく闇色の球体に呑みこまれて消えた。

 

『っ……』

 

 あの、他を圧倒する気配が完全に失せたのだろう。安堵の吐息をついて、フィオレはゆっくりと起き上がった。 

 浴びた血潮を袖で拭い、細かく震える手が外套の前を掻き合わせ、無言で周囲を見回す。

 その唇を動かさないまま、フィオレは声なき声を放っていた。

 

『……シルフィスティア? どうして、ここに』

『君の仲間達の力を借りた。すぐ助けに行ってもらうから……』

『……!』

 

 やはり先程の交戦中に勘付いたのだろう。シルフィスティアがいることを前提に念話を用いた様子である。

 シルフィスティアの返答を耳にして、絶句するも束の間。気を取り直したようにまくしたてた。

 

『アトワイトもここにいます。今のところ彼女には何もしていないようですが、あの様子ではいつ手を出すかわかりません。早急に、救助を願います。あと! 契約者でない人間があなたの力を用いて何かあったら、私はあなたを許さない!』

 

 明らかな消耗も隠さず、敢然と告げるフィオレの言葉を最後に、洞窟の光景が消えていく。そこには再び、何の変哲もない壁に戻った。

 

「……おい」

『フィオレのいた場所のすぐ近くに、アトワイト・エックスもいる。確かに伝えたからね』

 

 叱られたことによる弊害か。ぶっきらぼうな声だけを残して、シルフィスティアの気配が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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