その間に、
「ジューダス。あっちの露店でミントの茶葉を取り扱っていました」
「わかった」
属する時代が戦争中につき、物資が足りなかったからだろうか。
文字通り売るほどある品々を見て目を輝かせたハロルドがロニの財布をスッてまで買い物をしたがり、臨時収入があったフィオレがいくらか出すことによって収拾がついた午後。連絡船が無事出港して、今に至る。
「今度行くのはどんなところなの?」
「この世界唯一の宗教団体ローレライ教団の総本山を中心として成り立つダアト、という街です。近くに活火山があります」
「これは……ダアト、って読むのね」
未だハロルドが持つ地図の一点を指し、船で一日くらいの距離であることを伝える。
活火山と聞いて嫌な顔をしたのはナナリーだ。
「……噴火とか、しないよね」
「しませんよ。気候そのものならケセドニアより過ごしやすいはずです」
何せケセドニアはザオ砂漠に面しているのだ。反対側はマルクト領のイスパニア半島に通じているとはいえ、一年の半分以上は殺人的日差しに悩まされている。
今は季節的に気温もそう高くない時期だったから、あまり彼らも気にならなかったようだが……そういえば、あれからどれだけ経過しているのかを調べていなかった。無論、それに伴う世界情勢も未調査のままである。
理由としては、知れば知っただけこの世界に未練を持ってしまうだろうと、わかっているからだ。
今はフィオレとして、今の仲間達のことを第一に考えなければならない。彼らには何の落ち度もないし、それは当然のことだから。
そのことだけを考えて、脇目をふりたくなかったから。
まだ見ぬ目的地のことを聞きたがる彼らは、睡眠が欲しいことを理由にいなして、一人船室の寝台に潜り込む。
手ぐすね引いていた睡魔が迎えにくるものの、その手を取る前にひとつ、やるべきことがあった。
ヴォルトから得た情報の内、彼が唯一言葉を濁したこと。
死亡した契約者であるスィンが、どうなったのかを。
多少の予想ならできる。現在スィンの肉体が世界の理に従い、星に還っているのなら、ヴォルトがそれを隠す必要などないのだ。
その骸が世界を混沌に陥れた男の妻だった者として見せしめに辱められていたとしても、はたまた珍しい虹彩異色症の献体として研究室送りになっていたとしても、意識集合体がフィオレに気遣わなければならない理由はない。ありのままを語って、大いに衝撃を与えればいい。
そうしなかったことと、意味ありげに言っていたが「ウンディーネのみならず意識集合体達から総スカンを食う者」が何故契約の証を手にしているのか。
これらの事柄が、繋がるのだとしたら。
忌避していたはずの感覚に不覚にも懐かしさを覚えながら、フィオレは寝台に突っ伏した。
ぼんやりと、霞がかった光景がはっきりとした形を結んでいく。
「……そ、んな」
どこからが夢で、どこからが
夢と現ともとれぬまどろみを引きずったまま、フィオレはぼんやりと目を開けた。
予算の都合上、船室は男女に分けての一部屋ずつである。現在の時刻はわからないが、女性陣は余さず寝台の中にいた。
──今この時ほど、タイミングの良さに感謝したことはない。
濡れていた頬を手の甲で拭い、しぱしぱする目を擦りそうになって我慢する。足音を忍ばせて船室を出で、手鏡を取り出せば両眼はこれ以上ないくらい赤くなっていた。
このまま同じ色になってしまえば、何か変わるのだろうか。
ありもしない空想に、目をそらすための夢想に心を委ねたまま、フィオレはふらふらと甲板に出た。
夜明けは遠く、漆黒の海と空が船を包んでいる。
その光景が、ひどく恨やましかった。これだけ単色に染められたら、何も気にしなくて済むだろうに。
今は何においても皆を元の世界に戻さなくてはいけない。だからそのことだけを第一に考えなくてはいけないのに。
詠みながら眠り、眠りながら詠んだ
死ぬまで、忘れられそうにない。
最後の最期まで手放さなかった契約の証が、まさかこんな事態を引き起こすとは。
──ヴァンとの交戦を経て、目の前が真っ赤になった後。ルーク達が最奥に到達し、ヴァンを下したようだ。
かつてスィンが詠んだように、彼は地核へ落ちていったはず……が。
何をトチ狂ったのか、彼はすでに息を引き取ったスィンと共に墜ちたようなのだ。
『……共に、ゆこう。今だけでいい。お前達と、いさせてくれ』
最期に呟いたその言葉は、肉声を聞かずともフィオレは涙させる力を持っていた。
それだけなら、無性に切なくなるだけで済んだのだが……むしろ問題はここから。
地核へ落下したヴァンは、音素と元素に還りかけながら辞世の句代わりだろうか。大譜歌を構成する最後の一節……ユリアの譜歌を口にしたらしい。
それは偶然にも、ユリアが紡いだ契約の言葉だった。
契約の証をその身に所持、かつユリアに酷似した個体振動数の持ち主であるスィンの身体をその腕に抱いていたのだから、ローレライに勘違いするなと言うのは酷。
引き寄せられたローレライの力により、二人の肉体は再構築された。
しかし、一度世界の中心核へ墜ちた生身はそうそう這いあがれない。特にヴァンは、意識があったことをいいことに、ローレライをその身に取りこんでいる。
命を拾い、新たな力を得ようとするからには、今度こそ
ただ、人の身で意識集合体という存在を取り込むなど、どう考えても容易なことではない。現にまだ、世界中のどこを探してもその姿を見ることはできないが……それでも時が経てば、再び目的を遂行するために、彼は行動を起こすだろう。
一方で、当の昔に魂と呼べるだろう要素を失くしていたスィンの身体は、再構築を経て現世に放り出されている。
魂がないのだから単なる死体……もしくは昏睡状態であるべきであったのだが。
先程ヴァンの姿と共に捜索した結果。スィンの姿をした生き物は存在し、活動をしていた。
シルフが呟いた通り、ザレッホ火山の付近で何やら蠢いている。
どうして動いているのか、何が目的なのかさっぱりわからないが、相手が元自分なら遠慮はしない。
何を抜かそうが、何を抜かしても、何も抜かさなくても契約の証を奪い取る。
新たな決意を胸に彼方を見やれば、夜明けの気配が白々と空を染めつつあった。
あえてそれから目をそらし、身を翻して船室に戻る。
今はまだ、あの漆黒の空と海のように、ひとつのことだけに集中していたかった。
ありとあらゆる疑問、そして感情に蓋をするだけで、直視するだけの余裕も覚悟もないまま。道は再び交錯する。