swordian saga second   作:佐谷莢

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 ダアト~ザレッホ火山。
 いきなりアビスの本編へ乱入、イオンがアニスによって誘拐され、瘴気が復活したところからのスタートです。
 ここで、本当は、イオンとのお別れだったのですが……


第七十戦——再会寸止めと、キエエアァァシャァベッタァァ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海上の襲撃も、これといったトラブルも何もなく。一行は無事ダアト港に到着した。

 

「さて、これからどうしたらいいんだ?」

「見たところ、ここは単なる港みたいだけど」

「これから乗合馬車を使ってダアトまで行きます。着いたらまず宿まで案内するので、皆はそこを中心に待機。そこでとりあえず二日ほど……」

 

 これから、ということにかこつけて、動向を含む先のことを説明しようと目論む。後から文句をつけられても、先に説明したと言いくるめる寸法だ。

 しかし、ここで言葉は遮られた。

 

「ええー、またじっとしてなきゃいけないのかよ?」

 

 航海中、やることがないと言って手持無沙汰をアピールしていたカイルだった。

 騒ぎを起こすなと厳命したため船内での修練もままならず、ロニとチェスを興じていた模様だが……そういう問題ではないようだ。

 

「このままじゃ腕が錆びついちまうよ~」

「だよなあ。これじゃあナンパ師の腕は鈍るは、息も詰まるってもん……」

「ナンパは関係ないだろ!? いっそ永久禁止にしたいもんだね」

「大体お前ら、鈍ったり錆びたりするほどの腕があるのか?」

 

 ロニの言い分はさておき、カイルの言い分にも一理ある。このところ、といっても三日も経っていないが、交戦技術とは湯に等しい。常に鍛えていなければ、劣化はあっという間だ。

 

「徒歩で向かえないことはありませんが、半日がかりですよ。道中には巡礼者を狙う盗賊や魔物も出現しますし」

「望むところさ!」

 

 そして、腕が錆びつくのは何もカイルだけではない。フィオレにしてみても、十分な期間だったりする。

 こうして一同は乗合馬車を用いることなく、徒歩でダアトへ向かうことになった。

 七人もいれば乗合馬車ひとつ貸し切ることになるから、少なくない出費ではある。これはこれでよかったはずだ。

 

「それにしても、こっちにも怪物がいるんだね」

「レンズが存在しませんので、動植物の変異ではなく純粋な生物ですが」

「それは、是非とも調査してみたいわあ……♪」

 

 ハロルドがうずうずしながら手持ちのスペクタクルズを取り出そうとしている。

 何に利用されるかわかったものではないから、止めたいところだが。あえてフィオレは何も言わなかった。

 何故なら。

 

「出たわね、データ採取! ……って、何よこれ!」

 

 茂みからおもむろに飛び出してきた魔物と対峙し、嬉々としてかのアイテムを突きつけたハロルドが盛大に奇声を放った。

 それに気を取られた一同を尻目に、フィオレは淡々と魔物を屠っている。

 ハロルドの奇声の理由など、ひとつしかない。

 

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないわ! これを見なさい!」

 

 一番に駆け寄ったリアラに突きつけたもの。それは、先程遭遇した魔物に使ったスペクタクルズだった。

 取っ手付きレンズの中心に描かれた瞳の中には、きちんと魔物の情報が提示されている。

 が。

 

「読めない……ね」

「えーと、こっちの言葉だね」

「そういや、港の露天でまとめ買いしてたね」

「安くしとくよーっ、て言われてたな」

 

 そう。

 彼女が構えていたのは、買ったばかりのスペクタクルズだ。性能は同じでも、掲示される情報媒体が文字である以上、ハロルドには無用の長物である。

 

「なんで教えてくれなかったのよ!」

「聞かれませんでしたから」

 

 噴煙立ち上るザレッホ火山を横目に、小休止中ケセドニアで購入した教団の外衣を羽織る。

 シルフィスティアの依代を隠すように紋章をとりつけ、再び深く帽子をかぶった。

 

「……?」

「教団関係者に見せかける扮装です」

 

 これより、フィオレは一同をダアトの宿、拠点へ送った後に教会への潜入を考えていた。

 以前判明した譜陣を使って火山奥部へ入り込み、元自分──仮名スィンと接触する。

 そこから先は、まず相手の反応によるが……荒事になると思われる。仮名スィンが、フィオレと同じような気性と仮定すれば、上手く事が運ぶことはない。

 相対するその前から問題は山積みだが、必ずや成し遂げようと。揺るぎない決意を固めて、おざなりにだが整備された道を行く。

 第四石碑を過ぎて、あれに見えるはダアトの門……といったところで。

 喧騒が、発生していた。

 

「どうしたんだろ?」

「おかしいな。あの辺り、なんか薄暗いもやみたいなもんが……」

 

 それだけではない。ダアトの入り口を、似たような意匠の人間達が殺到している。

 個々の特徴はいざ知らず、その様相は一同に見覚えがあった。

 

「あれって、例の爆弾抱えた連中じゃない! まさかこの街を襲撃する気じゃないでしょうね?」

「荷を抱えているようには見えないが、人海戦術で封鎖しているように見えるな」

 

 見やれば、無理やり通ろうとした旅人らしき男性が、逆に突き飛ばされて尻餅をついている。

 その旅人に駆け寄る姿があった。

 

「……!」

 

 その姿を見た瞬間。鳥肌が立ち、鋭く息を呑む。心の臓をわし掴みにされたかのような、感覚に陥った。

 彼女の後に続いて姿を確認できた彼らを見て、フィオレは。ずれてもいないキャスケットを深くかぶり直した。

 

「フィオレ?」

 

 もちろんその奇行は一同も余すことなく視界に収めており、不思議そうにしているが構う余裕はない。

 しかしその声は間違いなく、フィオレを正気づかせた。

 ──もう、スィンはいない。

 大気を薄暗く染めている気体の正体は、おそらく瘴気。もし再び噴出してしまったのだとしたら、世界中どこにいても同じことだが、あの街で待機していろと言われても頷きかねるはずだ。

 ならば。

 

「ジューダス、これを」

 

 路銀入れを取り出し、彼に渡す。

 

「皆を率いて港に戻ってください。用事が済み次第連絡します」

「あの街での待機は……」

「あんな得体のしれない空気、吸いたかないでしょう。私もなるべく吸わないようにします」

 

 手持ちのヴェールを口に押し当て、一同に別れを告げてダアトへ赴いた。

 侵入者を寄せ付けまいとしてか、人間爆弾と同じ目をした人間達が立ち塞がる。

 押しのける必要も、紫水を抜く必要もない。

 フィオレは、病魔に──瘴気触害(インテルナルオーガン)に侵されていたスィンではないのだから。

 

「その荒ぶる心に、安らかな深淵を──」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 第一譜歌の詠唱、夢魔の子守唄(ナイトメア・ララバイ)を謡い、居合わせた誰も彼もを卒倒させる。

 これもかなりの大技だが、それでも紫水を振り回すよりはずっとマシなはずだ。

 無差別にして威力は増大させたが、人数が人数につき、僅かな刺激ですぐに目を醒ますはず。通過する際、わざと彼らの耳元で足音を立てて走り去る。

 本音は約一名踏んづけてやりたいが、その瞬間足を掴まれたら、何もかもがパアである。

 瘴気が復活したことにより、街中はおろか教会内部まで混乱していた。その混乱っぷりたるや、教会指定の帽子を被らず、ヴェールで口元を覆ったフィオレが、教会奥に位置する旧資料室まで簡単に侵入できた程度である。

 この混乱ぶりは瘴気のことだけではないようだが、きちんと調べている暇はない。

 来る途中、礼拝堂へ通じる広間にて詠師トリトハイムがなんとかモースがうんたら、導師がどうたら、ザレッホ火山へ兵士を派遣するとか何とか騒いでいたから、勝手に推測しておく。

 何故か開いていた隠し扉を通って奥に設置された転移譜陣に足を乗せる。が……作動しない。

 よくよく見れば、譜陣に一条の傷跡がある。転移の譜陣同士は互いの状態を共有しているから、転移先の譜陣も同じ状態だろう。

 だからといってこれから転進してザレッホ火山のふもとへ行く時間も余裕もない。そこで。

 

「始まることも終わることも知らず、時空の狭間にて揺蕩うものよ。時の川をさかのぼることを許したまえ」

 

 その場で修復を行う。

 譜陣が問題なく働き、揺らめく光の向こうに人影を認めたその時。

 フィオレは戸惑うという選択とうろたえるという選択を捨てて、真後ろに倒れ込んだ。

 当然譜陣が描かれていた足場から落下するが、受け身を取って身を潜める。

 ──そういえばあの場には、彼らと共にはいなかったが。まさかここにいるとは。

 

「なんだ……? 譜陣は無効化したはず。確かめるのだ、アニス」

「……はい。モース様」

 

 朗々と秘預言(クローズドスコア)を唱えていた声がやみ、感情を押し殺したような返事と共に、足音が近づいてくる。

 今の内に第一譜歌を使おうかと思ったが、これはこれで好都合。

 譜陣の描かれた足場へ近寄る足音が、唐突に止む。

 

「作動するかを確かめるのだ」

 

 屈みこんで傷がついているかを確かめようとした少女に対し、膨れた腹の大詠師は命じた。

 ふわふわした黒髪をふたつに括った少女導師守護役(フォンマスターガーディアン)が、その言葉の通りに譜陣に足を乗せ、驚いた表情と共にその姿がかき消える。

 次の瞬間、足場によじ上ったフィオレはすかさず紫水を振るった。

 譜陣に亀裂が走り、立ち上る光が失せ、ただの紋様と化す。

 これで、アニス──何故かモースに付き従うあの少女の目を気にする必要はなかった。

 

「なんだ、貴様は! アニスの差し金か!? 両親の命をなんだと」

 

 喚く大詠師はいいとして、導師イオンをこのままにはしておけない。あの少年は、スィンフレデリカの死亡を知っているはず。

 そのため。

 

「その荒ぶる心に安らかな深淵を──」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 譜歌を謡って大詠師を、導師イオンを眠らせる。

 ふう、と息をついた矢先。

 足音を隠しもせず現れたのは、鏡だった。

 

「……あんた」

 

 否、鏡は喋らない。

 姿を見せたのは、雪色の髪に緋色と藍という色違いの瞳、妙齢と称するには少々幼い面立ち──

 フィオレと同じ顔の人間だった。

 違う点はといえば、背中まであったはずの髪が短く整えられ、黒を基調とし赤のラインで縁取られた軍服姿──シア・ブリュンヒルドという偽名で、教団に所属していた際の格好だということくらいである。

 意外なことに彼女は、フィオレの姿を認めても取り乱しはしなかった。それどころか。

 

「……あたし、よね?」

 

 対話を、試みてきた。

 同じ顔、同じ声。しかし、異なる人間。

 かつてアッシュやルークが抱いた、否無理やり抱かされたであろう感覚に殴られたような衝撃を覚えているフィオレに、返答する余裕はない。

 

「何よ。何とか言いなさいよ」

「なんとか」

 

 ただ、おうむ返しするしかできない。

 眼前の彼女は、不満も露わに憤然と唇を尖らせた。

 吐き気がする。

 

「そういうことじゃないの! ここにいるってことは、何か用なんでしょ」

「──契約の、証を。回収に、参りました」

 

 真っ白な頭が、問われたことを回答したことでどうにか再起動を始める。

 そう。何故か活動しているかつての自分の肉体に、収められたままの契約の証を回収する。

 こんなにも早く接触できたことは重畳で、僥倖。のはず。

 返答を得て彼女は、訝しげに己の指を見やっている。

 

「契約の証ぃ? こんなものどうするのよ。あいつらもう何も、応えるどころか力も貸しちゃくれないのよ」

 

 ──なんとまあ。尊大で軽薄な上に生意気で、何様ですかと伺いたくなる態度である。

 これでは力なんか貸したくないだろうし、接触したくもなくなるだろう。ルークを見たアッシュは、こんな気分になったかもしれない。

 

「お答えする義理は「ないわけないじゃない。あんたがあたしなら、あたしはあんた。なんで記憶だけのあんたが歩いたりしゃべったりできるのか、さっぱりだけど……そんなのどうだっていいわ」

 

 その、まるで無教養な喋り方をやめてほしい。

 そんなフィオレの心情など露知らず、ずいずいと彼女は歩みを進める。

 高いびきをかく大詠師も、うずくまる導師にも目をくれず。

 その手がひょいと帽子を取り上げて、放り捨てた。

 今のフィオレにはそれを抗議する意識どころか、帽子を取りに行くことすらままならない。

 

「ねえ、何があったのよ? あんたが記憶全部持っていっちゃうから、あたしは何にもわからずじまい。目が醒めたら知らない丸メガネのおっさんが鼻水垂らして喚いているなんて、悪夢かと思ったのよ」

「それについては深く同情します」

「知り合い、なのよね? あのおっさん、あたしにべた惚れだし、一生懸命ご機嫌取りしてくるから傍にいてやってるけど。気になることしか話してくれないし、どういうことか聞いてもはぐらかされるし」

 

 どうでもいい。どうだっていい、はずだ。

 早いところ契約の証を外させて回収しなければ。

 でも、知りたい。あのことを、確かめるのは、とてもこわいけれど──

 

「ねえ、あの男って誰? あたしをドレイ扱いしてたとかいう、弟とやら。そいつに殺されたようなものとか、どういうことなの、事実?」

「──」

「うーん、あたしの顔だけど読めないわねえ。当たらずとも遠からず、って感じじゃない。事実だけど、それがすべてってわけじゃなさそうね」

「」

「ねえ、教えてよ。そしたら、あんたの望みも聞こうじゃない。早くしないと二人が起きるわよ。あんたにとっても面倒なことになるんじゃないの?」

 

 とてもよく知る声のはずが、聞き慣れない言葉遣いによって非常に遠く感じられる。

 また、それに伴って契約の証を見せびらかすその姿に、嫌悪を覚えた。

 

「……何が、知りたいと」

「何で死んだの?」

 

 それについてはフィオレ自身も、憶測でしかわからないのだが。正直に、答えてみた。

 

「死んだときのことなんか、覚えていません」

「何よ、何で死んだのか分からないっての? 目が醒めたとき割れるように頭が痛かったから、どこかにぶつけて忘れちゃったのかしら」

 

 頭が割れるように痛かったのは、仕方ない。

 実際はぜ割れたと思われるのだから。

 それならば直前の状況を提示しろと、彼女は迫った。

 

「直前……ヴァンと、対峙してましたね」

「誰?」

「ヴァン。ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。私と……私達と、敵対していた者です」

「ウソね」

 

 あっさりと、彼女はフィオレの虚言を見切った。確かにそれだけではないが、嘘ではない。

 

「いいえ、嘘ではありません」

「ウソよ。敵を思い出して、なんでそんな顔するの」

 

 どんな顔をしていたのか知らないが、不思議に思われるような表情を浮かべていたことは確かなのだろう。

 それを見てまるで触発されたかのように。

 フィオレと同じ顔をした彼女は、歯ぎしりしたかと思うと掴みかかってきた。

 

「!」

「……思いだしたい」

 

 記憶を喪失した人間でも、言語を操るに支障がない例は数多く存在する。

 記憶はなくとも身体は覚えている、ということらしいが、これもその内なのか。

 思いのほか素早く、その手がフィオレの胸倉を捕まえた。

 

「ねえ、あたしの記憶返して。返しなさいよ!」

「……」

 

 どうやって、と口にするより早く、フィオレは懐刀を握りしめていた。

 目的は、彼女の指に絡みついた契約の証。その手はフィオレの眼前にあり、捕まえて指を斬り落とせば、回収は容易だ。

 ただ、ついこの間腕を失くしたばかりの身としては、言葉にし難い躊躇がある。

 いちいち相手を気遣っていたら、いくら命があっても足りない。

 いつになく纏わりついてくる躊躇いを振り払う最中にも、彼女は。

 

「目が覚めたら独りぼっち」

「!?」

「知ってる人は誰もいない、何をすればいいのかもわからない。敵も味方もわからない奴しか頼れないのはもうイヤ! ねえ、あたしの記憶返して……!」

「……ひとり? ひとり、だって?」

 

 掴みかかる手を外そうとして、なかなか外せない。

 それを不思議に思いながらも、追及は口をついて出てくる。

 

「な、何よ」

「ひとりってどういうこと? あの子達は?」

「はあ? わけ分かんない。あの子達って何のことよ。まさか子持ちだったの?」

 

 こんな台詞が出てくるということは。お腹にいたはずの二人は、もう──

 悲しみ、やりきれなさ、今更な話だが、彼らを護れなかった自分への嫌悪。

 それらによって膝をつきたくなって、唇をかみしめた。

 打ちひしがれるのは、どうしようもない後悔に苛まれるのは、寝てる最中でもできる。

 早いところ決断しなければ──

 

「何言ってるの、さっきから! こっちはあんたに全部記憶むしり取られてるんだから、説明しなさいよ!」

 

 胸倉を掴む手に力がこもる。

 その手にうっすらと光が帯びていることに気付いた。

 否。紙にインクが滲むように、和えかな光が刻まれた譜陣をなぞって、発光している。

 これは──

 

「強化譜陣……」

「ふうん、今のあんたにこれはないのね。いい加減口を割らないと、このまま火口に放り込むわよ」

 

 ディストに教えてもらったのか、本当に身体が覚えているのか。

 

「記憶がないくせに、使い方はわかるんですね」

「何となくわかるのよ。身体が覚えてるって奴ね……って、はぐらかさないでよ!」

 

 軽く胸倉を揺さぶられただけなのだが、筋力を強化しているのだろう。軽くだが、めまいがする。

 コンタミネーションこそ使えた身体だが、刻んだ譜陣の類が一切消失していたせいか。元から薄かった耐久力が更に低くなったことは自覚していた。

 これ以上揺さぶられたら、めまいを通り越して脳震盪を起こす。

 そう知覚して、フィオレはようやく覚悟を決めた。

 キュルキュル、と金属の音がする。

 

「何……?」

「お答えする義理は、やっぱりありません」

 

 胸倉を掴む手を、義手でがっちり捕まえる。最大出力を以てその手首を握りしめれば、彼女は悲鳴を上げて手を離した。

 しかしフィオレは離さない。メキメキッ、と骨の軋む音がする。

 

「いたっ、痛い! 離して!」

「契約の証を渡せ。拒否するならねじ切ってでも奪う」

 

 聞くなり、彼女は契約の証を取り外し、あらぬ方向へ放り投げた。

 易々手放された螺旋状の指環は、フィオレの背後へ転がる音がする。

 

「離して! 痛い! あれがほしかったんじゃなかったの!?」

「渡せと言ったのに捨てるなんて、顔の横についてるそれは飾りですか」

 

 血の巡りが悪くなって変色している手に、絶えず襲う痛みに喚きながら自由な片手が義手を殴るも、更に悲鳴を上げたのは彼女の方だった。

 

「何、この手……音機関? 気持ち悪い!」

「そっくりそのままお返しします。いい年こいた女が涙目で喚かないでください。気持ち悪い」

 

 ずきん、と胸が痛む。

 捨ててきたはずの良心か、散々言われて傷ついてきた言葉を吐いて、汚れてしまった気になっているのか。

 もう十分なくらい、心も身体も、穢れているというのに。

 考え事をしていたせいで、義手の制御が甘くなったようだ。

 緩んだ義手から逃れた彼女は、痛みに喘ぎながら負傷した腕を抱えて逃亡した。

 追いかけることはしない。追ったところで、彼女にもう用はない。

 放棄された契約の証を回収し、フィオレもまたこの場を離れるべく動いた。

 

 ──イオン連れ去りを目の当たりにしたルーク一行が、倒れたイオンを蹴り起こそうとするモースを発見したのは、もう少し先の話である。

 

 

 

 

 

 

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