キムラスカ首都バチカル、港にて。
ここで本来の、アビスのシナリオとかち合います。
ディストが怪しげな術でモースに
平和条約が結ばれてから、マルクトとキムラスカ間を通行するにあたってダアトもケセドニアも挟まずに済んだ。足の遅い船旅を余儀なくされるフィオレには好都合なことである。
あと数時間でバチカル港が見えてくる頃、フィオレは契約の証に宿り同行してきたセルシウスと意志を交わしていた。
『……なるほど。ひとつは彼女が持っているんですね。ひとつは私がすでに持っていて、残るひとつはルグニカに……』
『そういうことになる。この場から探るは、それが精いっぱいじゃ』
『感謝します。ところで、何故私の肉体が意識を持って動いて回っているんですか』
ほとんど仮説は立っていたが、知っているものなら教えてほしかった。
『主、レプリカなる
『まあ、そうですね』
やはり彼女はもう一人のスィン──否、今はこちらが偽物みたいなものである。本物のスィン、と称するべきか。
極めて利己的に彼女を殺して、その固有振動数をこの肉体に上書きする。できるできないは別として、そして成すべきことを成す。
知らぬまま、知ろうとしないまま全力で目標を見据えて、突っ走ること。それが今、フィオレのできる仲間達への償いだ。
元はといえば、結果が容易に伺える無茶な夢想をしたフィオレに非があるのだから。
今はまだ装着できない契約の証を外装のポケットに収めると。
「フィオレ!」
突如船室の扉が開け放たれた。
そこに立っていたのは、甲板へ行っていたはずの少女二人である。
「何か?」
「もうすぐ港に着くんだけど、様子がおかしいの」
時間的には確かにそうだが、魔物でも現れたのだろうか。
しかし、それならリアラもナナリーもそのものズバリを言って、もう少し慌てているはずだが。
とにかく彼女らに促され、甲板へ赴く。
男性陣やハロルドはおろか、甲板は多数の乗客で賑わっていた。
いつぞやのような、船が沈没するような危機的状況ではない。沈没しかねない脅威──魔物が現れたような形跡もない。
「どう思う?」
甲板に彼らを集めた元凶。それは連絡船の入港を邪魔するような、停泊するいくつもの船舶だった。これ以上接近すれば接触の危険もあるため、連絡船はその場での停止を余儀なくされている。
船の大きさこそ連絡船が上回っているものの、体当たりでどうにかなるほどの差ではなく、一般客を多く乗せているため荒事には持ち込めない。
しかし、そんなことは問題ではない。
問題は今、セルシウスによって語られている港の情景にあった。
「……非常事態、ですね。私が戻らなかったら下船時は私の荷物もお願いします。で、宿の場所なのですが」
今回彼らを押し込めて……もとい、待機させようとしていたのは、闘技場付近の有名な宿である。
行き先と外観を教えて、フィオレはくるりときびすを返した。
進行方向とは真逆の甲板、人目につかない位置まで移動し、音を立てないよう足先から入水しようとして。
『妾が導いてやろう。ウンディーネを使役したようにせよ』
その言葉にありがたく力を借り、身を投げるが音はしない。そのまま海中に呑みこまれるように、フィオレは入水した。
結界に護られたまま、船をよけてそのまま港に近寄る。
港自体に喧騒はない。代わりに、人が話し合うやりとりらしき言葉が聴こえてきた。
水面下に待機し、何が起こっているのかを探ろうとして。
「!」
水面に影が出来上がったかと思うと、巨大な風船じみたものが彼方へ飛来して去った。
埠頭から離れた場所、通常積み荷の上げ降ろしを行う波止場から回り込んで様子を伺う。
──やりとりを交わしていたのは、ルーク一行とディストだった。
どうも、盗み聞く限りあの風船じみた物体はモースであるらしい。
この間見た時は人の形をしていたのに、一体何があったのか。
「人間が、あんな姿になっちまうのか……」
「素養のない人間が
ガイは未だ彼方を見やり、ジェイドは批難をディストに向けている。モースを魔物化させたらしいディストは、至って涼しい顔だ。
「モースは導師の力を欲しがっていましたから、本望でしょう。ま、私は実験できれば誰でもよかったのですがね。では」
「……私達がここで、あなたを見逃すとでも?」
さらりと去ろうとしたディストを、ジェイドの槍が威嚇する。
そこへ。
「……な!」
港を封鎖する船の一隻から、何か──無機質な譜業人形が飛び出し、ディストをかばうように降り立つ。
また自作の音機関をけしかける気かと身構えた一同だったが、それからひらりと降りてきた姿を見て、刮目した。
「な……!」
数々の船舶が蜘蛛の子を散らすように去っていく。
計画通りなのか。それには頓着せずに、しかしディストは慌てていた。
「し、シア! 何故ここに……! 何をしているのです、戻りなさい」
「……」
──シア、とは。かつてスィンが名乗っていた偽名だ。本名が判明してからも、ディストはスィンのことをそう呼んでいた。
雪色の短い髪。ゲルダ・ネビリムを彷彿とさせるその髪が、潮風を受けてふわりとなびく。
彼女がその言葉に反応した風情はない。
まるで頭痛をこらえるかのように、こめかみを片手で揉むようにしながら、軽く眉をしかめながら、足取りは確かに一同へ歩み寄る。
「シア! 言ったでしょう、思い出さなくていいと! 思い出せば、苦しむのはあなたなのですよ!」
「……そうかもしれない。でも、それじゃあたしはいつまでも、前へ進めない」
「シア!」
「見覚えなんてないのに。初めて見たはずなのに。なんで?」
なんでこんなに胸が苦しいの。
彼女はそう、呟いた。
最早ディストの言葉に耳を貸すことなく、その姿を目にして立ち尽くす一同の前に立ち止まる。
衝撃を乗り越え、どうにか言葉を発したのは。
「スィン……やっぱり、生きてたのか……」
「……やっぱり、って? どういうこと?」
「フリングス少将から聞いたんだ。演習中、キムラスカの旗を掲げた集団に襲われたところに居合わせたって。顔は隠してたけどお前だと思う、命を助けられたって……」
「それ、あたしじゃないわ。多分アイツよ」
聞き慣れぬ口調、今まで冗談でしか向けられたこともない、ざっくばらんなそれを聞いて、ガイは更なる衝撃に襲われた。
そんな彼の心情を伺い知ることもなく、首を振って否定している。
「……アイツ?」
「心当たりがある、でいいわ」
疑問符を浮かべるティアには視線も向けずにそう言いのけて、ひとつ息をつく。
「……スィン、ね。それがあたしの、アイツの名前」
たじろぐガイを、再び色の違う眼に収めて。
「ご無沙汰しております、ご主人様」
「!?」
「って、アイツなら言うのかしら。顔が同じだから納得できないかもしれないけど、あたしはあなたの奴隷じゃない」
「ど、奴隷!?」
「……記憶がないことをいいことに、あの馬鹿があることないこと吹き込んだようですね」
「あなたなんでしょう? あたしの元ご主人様で、半分だけ弟。そこのいるバラのおっさんだけが言ってた情報だから、それがすべてとは思わないけど。でも、そんなことはどうでもいいの」
発言したジェイドにちらり、と視線を寄せるも、意に介さない。
シア──スィンはあくまで、ガイを見つめている。
「ど、どうでもいいって……」
「全部過去のことだもの。そりゃあたしだってさ、なんでそっちの眼鏡の軍人さんを見ただけで無性にムカつくのか。お腹出してる男の子見ただけで悲しいような腹立つような気分になるのか、不思議だけど」
記憶はなくとも──否。一同を目にしたから、身体が覚えている感情がそのまま気持ちに反映されているのか。スィンはしれっと、己の抱く感情を告げた。
それは間違いなく過去に起因したもの──彼女が間違いなくスィンである証拠で。ジェイドは表向き表情を動かさないが、ルークは酢を飲んだような顔をしている。
そんなルークをとっくり眺めて、スィンは面白そうに唇を歪めた。
「心当たりあるんだ。ちょっと興味あるけど、それよりも聞きたいことがあるの」
「聞きたい、こと?」
「そ。知ってるかしら? あたしは──いいえ。スィンがどうして死んだのか」
音を立てて空気が凍る。
誰一人、何ひとつ物言えないこの状況に、しかしスィンは喜色を浮かべていた。
「知っているのね、その反応。全員無関係じゃないなんて、ラッキー」
「……そんなことを知って、どうするのですか」
「そんなこと、とはご挨拶ね。あたしにとっては大問題なの。あなたにとってはどうでもいいのかもしれないけど」
「……」
「知ってどうするのか、よね。とりあえずはどうもしない。あたしはただ知りたいだけなの。バラのおっさんは聞けば答えてくれるけど、すべてがすべて正確な事実じゃない。それくらいならわかるわ。言いぐさからして、どうもあたしが死んだその場にはいなかったみたいだから。やっぱり当事者に聞いた方がいいかなって」
自分の最期を尋ねるのに、明るくハキハキと流暢に話す辺り、えらく軽いノリである。
これで疑問が解けるとばかり上機嫌なスィンに、ナタリアが震える声をどうにか張った。
「か、過去のことはどうでもいいのに、自分の死亡理由は、知りたいと言うのですか」
「そうね。過去のこと、どうでもいいって思うから知りたいの。どうでもいいことのはずなのに、どうしてこんなに気になるのか。それを知ったら、あたしの中で何かが変わるはずだから」
だから教えて頂戴と、再三繰り返す。
一同は成す術なく、何となく視線をガイへと集めた。
彼は未だ信じられないような目……幽霊を見るような目で、スィンを凝視している。
「……死んだ、理由」
「そう。なんで死んだの? やっぱり、ヴァンって奴に殺され「やめろっ!」
どこまでも無邪気に尋ねるスィンに対し、ガイは耐えられなくなったように制止を怒鳴った。
言葉を遮られたスィンは、気圧されたように一度、口を噤む。
しかし、それは一瞬のこと。
「──言ったでしょ。あたしはあなたの奴隷じゃない。怒鳴ろうが命令しようが、言うことは聞かないし、聞けない」
「ち、違う! そんな、つもりじゃ……!」
「無意識なの? 尚更ヒドいわ。命令するのが当たり前だった、ってことよね。それ」
眉をひそめて、ガイの行いをずけずけと批難する。
青ざめるガイを見て気まずそうにしながらも、スィンは言葉を止めなかった。
「聞いてた通り、おかしな関係だったのね。ああ、あなただけのせいじゃないわよ。スィンも大概ひどい奴だわ。あなたのその態度に何も言わなかったんでしょ? 甘やかすことが楽しかったの?」
くるりと後ろを向いてそれを尋ねる。
その視線は物陰に潜むフィオレにしっかり向けられていて、心臓が早鐘のように鳴った。
「隠れても無駄よ。自分のことだもの、わからないわけないじゃない。こないだはよくもやってくれたわね」
まだ手形が消えないと、どうしてくれるんだと袖をめくってまで喚く。
……どうしよう。無視か応じるか、それ以外ともなると──
「出てきなさいって言ってるでしょ! それとも何、気まずくて出てこれないの? あんたも何とか言ってやんなさいよ、かつてのご主人様にさ!」
「──」
潜んでいたその場所から、帽子をかぶり直して姿を見せる。
これで、顔だけは見えないはずだ。
「やっと出てきたわね。えっと……スィン!」
「人違いです」
これは間違いない。スィンフレデリカはもう死んだ。
正確には、その名前の持ち主は、生まれることもできなかった人物のものだが。
「え? でも今、そこのご主人様が……」
「ご主人様言うな。──どうでもいいなんて、嘘」
「!」
「本当は、気になって仕方ないんですよね。わからないことが怖くて仕方ない。私のことですから、わかりますよ?」
何かをしていなければ、自分を、何もかもを見失いそうになる。
かつて、それまで当たり前のようにあったすべてを喪い、喪失感に潰されそうになった時。
ぼんやりしている場合かと祖父にどやされて、前を見据えるために常に何かをしていた。実際には何も出来なくても、何かをしようと努力した。
異世界に放り出された際も、それから18年後の世界に放り込まれた時も。
どうにかこうにか思考停止せず、立ち止まらずに済んだのは、間違いなく彼のおかげである。
しかし眼前のスィンに、その記憶はない。記憶はなくとも身体は当時を覚えている。落ち着かなくて仕方ないはずだ。
しかし、見栄っ張りであるが故に彼女はそれを認めない。
「う、そ、そんなこと、ないわよ。」
「嘘つく時、語尾の発音がおかしくなるのまで私のままなんですね。正直不愉快ですが」
幼い頃、何かを隠そうとしてガイに嘘をついたことがある。幼い時分、それは彼にバレる程度には稚拙な嘘だったのだろう。「嘘をつくな」と一喝されて以降、できるだけ嘘はつかない──嘘ではないが本当でもない、そんな物言いを常とするよう、なるたけ嘘はつかないよう努力して、今に至る。
自らの虚言を指摘され、スィンは逆上した。
「うるさいわね、横からやってきてゴチャゴチャと! あんただって知らないんでしょ、知りたくないの! 私達の──」
「死んだ理由なら、大体何となくですが察しています。答えたくない人に回答を迫るような恥知らずな真似はやめてください。見苦しい」
「なんですって!」
最早彼らは眼中になく、肩を怒らせてつかつかと歩み寄ってくる。
彼女、スィンはそのままフィオレの眼前に立ちはだかった。
「どういうことなのよ!」
「従属印が何なのかはわかりますか」
ディストの傍にいても、その存在は知らされていないらしい。
くってかかる勢いが消え、目に見えて彼女は困惑した。
「……何、それ」
「まあ要は、ご主人様の言うことを従僕に何が何でも聞かせる呪い、もとい手段なのですが……多分、死因はそれです」
ちら、と視線を巡らせれば、スィンを回収しようとしてか、まごまごしているディストと、同じ声で対峙する二人をただただ見るしかない一同がいる。彼らが今すぐ何かをしようとする気配はない。
「前々から、言うこときかないと唐突な頭痛がしたんですよね。最終的には言いなりにならずとも、頭が痛いような気がする、で済んでいたのですが」
「じゃあ、どうして」
「最終的に、私はふたつ命令違反をしました。今までの命令違反が蓄積したのか、一度にふたつも背いたからか、定かではありませんが……従属印が爆ぜたんだと思います。少なくとも、殴られて頭の中身をぶちまけたわけじゃありません」
「あたしが気づいたとき、頭が割れるように痛かったのは、実際割れてたからってこと!?」
「さあ」
「なんてこと……つまるところ」
ぐるんっ、と首を巡らせてスィンが、フィオレから目を離す。フィオレのものと寸分たがわぬ腕が持ち上がり、その人差し指がぴんと張った。
「あたしが死んだのは、結局のところあんたのせいってわけね!」
「違います。変な逆恨みをしないように」
柳眉を逆立ててガイを指差すスィンの腕を掴んでやめさせる。
以前を思い出したのか、嫌悪も露わに振り払われるも、それは頓着することではない。
今フィオレが、気にしなくてはならないのは。
「私が死んだのは、私のせい。私を慮っての忠告だったのに、私は」
感情だけが先走って、他のことが考えられなかった。結果として、命を落としてしまった。
それを聞いても、スィンが納得する気配はない。
「何それ、わけわかんない!」
「わからなくて当然です。私はあなたじゃない、あなたは私じゃない」
「自分だけで納得してんじゃないわよ!」
とうとう掴みかかってきたことをいいことに、逆にその腕を、襟を掴みあげる。
これ以上、この場で醜態をさらすわけにはいかない。
かつての主、かつての仲間達の前だからではなく、逃走したモースを捕らえんと召集されたバチカルの兵士達が集結しつつあるのだ。
突然の事態に傍観するしかない彼らも、いつ我に返ることか。
無力化を狙うなら、このまま引き倒して抑え込むのが常道。しかしフィオレは、彼女の固有振動数を今の身体に重ねなければならない。
引き倒すに留まらず、掴んだ襟ぐりを地に叩きつける勢いで投げた結果。
スィンの頭部は石畳に叩きつけられ、異音を発し、その髪は瞬く間に色を宿した。
その体に流れていた、朱の色を。
「……え」
呟きが誰のものであったか。それを察する余裕はない。
ぐったりしてぴくりとも動かないスィン──異常を察したのか、無駄に長い手足を動かして、譜業人形が近づいてくる。
その譜業目がけてスィンを突き飛ばせば、目論み通り譜業人形はその手で傷ついたスィンを支えた。
その隙に巨体をよじ登り、操縦席らしい場所に滑り込む。
操縦式の計器が並ぶ中、一か八かで踏んだペダルは、幸運にもここまで移動するのにも使われた推進力だった。
譜業人形の巨躯が、華麗に宙を舞う。
その手にしっかりスィンが握られていることを確認して、フィオレは操縦桿を握った。