宝物庫になくてがっかりしたのは、ひとえに、他の金品を物色して路銀補填できないかを考えたから……
足がつくから、やらないでしょうが。
バチカルの港は先だっての騒動で早々に封鎖されてしまい、使うことができない。
徒歩にてバチカルを後にし、イニスタ湿原を抜けてベルケンドの港からキムラスカ領を脱出したフィオレは、単身マルクトへやってきていた。
フリングス将軍と出くわす可能性があるこの地へはあまり来たくなかったのだが、顔は変えてあるし、我儘を言ってもしょうがない。
マルクトの首都、グランコクマの港にて。
ヴォルトの話を聞いていたフィオレは、軽く頭を抱えた。
『触媒、宮殿の中ですか……』
『ああ』
レムとの契約を交わしていない以上、光の屈折率を操って不可視になることはできない。
フィオレにできるのは、条件付きで、あくまで見知った他人になることなのだ。宮殿を歩き回ってもおかしくない人物になら知っているが、それにしてもリスクが高すぎる。
否、今は突入のことを考える必要はない。契約の証を装備できる今、かつてのスィンのように振る舞うことも可能なのだから。
『シルフ。あなたの目を貸してください』
『オッケェーイ!』
妙にハイテンションなシルフは事態が事態なだけにスルー、風の視界を借りて宮殿を盗み見る。
きっと、厳重な宝物庫みたいなところに管理された代物だろうと意気込んでいたフィオレは、脱力した。
丁度、皇帝の私室の窓が開いていたのだが……
『床に放り出してある、あの剣がそうだ』
一体何がどうなっているのか。
小奇麗で広いが、ぶうさぎがのさばり、私物が転がる私室の床。無造作に転がっている剣がそうだというのだ。ロマンもへったくれもない上、ぶうさぎが近付いたら危ない。
直刃と曲刃の境にあるような刀身に、片翼を模したような鍔、黄金の柄。
バチカルで手に入れた弓型の触媒──聖弓ケルクアトール同様、こちらも見た目は美術品めいた宝剣である。
しかし、皇帝の私室はある意味宝物庫より忍び込み難いかもしれない。
一度風の視界を切り離し、港のベンチに腰かけたまま天を仰いだ。
もう一度見たいと切望し、夢にまで見た光景が広がっている。けれどフィオレは、この空の下で没することも叶わない。
これがきっと、生を受けたこの世界での最後の旅路。
だから見飽きて、もういいと思えるまで、この光景を目蓋に焼きつけようとして。
「おいおい。年頃の娘さんが、なんてえカッコだよ」
邪魔された。
それまでベンチにのけぞるようにしていたのを、弾みをつけて起き上がる。
両足で地面を踏みしめ、睨みつけた先には、水夫と思わしき三人が突っ立っていた。突然立ち上がったフィオレを前に、彼らは総じて怯んでいる。
こんなところでは、おちおち考え事もできない。
きびすを返してその場を離れたフィオレの足は、自然と宮殿前の広場に向かっていた。
住民がそれぞれ憩いの場としてくつろぐ中、フィオレの眼はマルクト軍基地へ注がれている。
──宮殿の正面入り口から皇帝の私室へ向かうには、非常に困難を極めるだろう。
しかしフィオレは、それらをパスできるルートを知っている。
マルクト帝国軍第三師団師団長の執務室に皇帝自らが作ったあの通路なら、警備を気にせず楽に私室へ潜り込めるだろう。
問題は、あの大佐の執務室までどのように到達するか。
また、如何にしてあの皇帝と鉢合わせずに触媒を頂くか。
そして顔を変えてあるとはいえ、恩人の顔を犯罪者にしたくない。するとなると……やはりこの方法を使うべきなのかと。
宮殿前の広場を抜けて、フィオレは貴族達が居を構える高級住宅街へ向かった。
一日の時を経て、宮殿前の広場に立つ。
しかし此度、フィオレの足は立ち止まることなくそのまま軍基地へ赴いた。
軍基地の正門に立つも、兵士に見咎められることはない。それどころか敬礼され、すれ違い様一礼される。
──現在、フィオレはマルクト帝国軍、第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐の扮装をしていた。
借姿形成は顔なり姿なりを模写できるが、服装までは変えられない。そのため、一晩かけてわざわざ彼の住居に侵入し、軍服と軍靴を拝借してきたのである。
ただし。
「カーティス大佐! あの……「眼帯についてならノーコメントです」
未だ、目の色が変えられないため、医療用の眼帯を装備。藍色のままの眼は隠してある。
すれ違う兵士に何を尋ねられても、それで凌ぐ。
きっと、中にはルーク達と行動を共にしている彼が何故単独で現れたのか。それを尋ねようとした兵士もいたはずだ。
この姿を見られたその時から、迅速かつ急がず焦らない目的達成と逃亡が求められる。
普段より長い足は当然ながら足幅もかなりあり、件の執務室は以前より早く見つかった。
中に誰も──彼の副官すらもいないことを確認してから侵入、幸い鍵の外し方は知っている。息つく暇もなく、本の散らばる一角へ踏み入り、隠し通路へ身を投じた。
大柄ではないが、長身のこの体ではさぞかし窮屈……かと思いきや、そうでもない。
そういえば、件の皇帝は彼と同じような背丈だったようなと思いつつ、ゆっくりと通路を歩む。
下手をしたら、ぶうさぎに騒がれて全ては台無しだ。
そうして慎重に、皇帝の私室へ近寄り様子を窺った矢先。
「……?」
気配がない。
皇帝本人は執務の真っ最中のはずだが。彼の部屋は一昨日見たように、常にぶうさぎが放し飼いにされていて、何もいないということは……
そろり、と部屋を覗いて、目を見張る。初めて侵入したときはあんなに群がってきた皇帝の愛玩動物達が、一匹たりともいない。
散歩中か何か。いずれにせよ好都合だ。
一気に身体を持ち上げ、床に転がる触媒を掴み再び隠し通路へ身を躍らせる。
通路の両足がつく頃。借姿形成は解け、剣型の触媒は
身体が動かなくなることも覚悟していたが、それはない。しかし身体に違和感がある。早く脱出して、休んだほうがいい。
思わぬ幸運に感謝を捧げて、再びジェイドの扮装を纏ったフィオレは通路を駆けた。