城塞都市セントビナーにて。
くだらない茶番を起こしてしまった。
──茶番で、あるはずだから。
乗合馬車がグランコクマを離れて、ようやく一息つく。
あれから迅速に軍基地を離れて、ジェイドの軍服と軍靴を返してきたフィオレは、そのまま乗合馬車に飛び乗った。
例え後日発覚したとしても、フィオレを犯人にするのは限りなく難しい。今にしても、一見して何も持っていないのだから。
──もう少し、慎重に確実に事を成すことはできた。
ぶうさぎの散歩の時間や皇帝の執務の大まかな時間帯を探ることも、軍基地内が手薄になるような出来事──演習などが予定されていないかなど、調べることは確かにできた、のだが。
時間をできるだけ短縮したかった。その一言に尽きる。
調査は確実に日を費やすことになり、それだけグランコクマの潜伏期間が延びてしまう。
一同を待たせている以上、時間ならいくらでも短縮できるはずだ。そのために、あんなところに押し込んだようなものだから。
そしてこのセントビナーでも、さくさく触媒を得たかったのだが……
以前の騒動で建造物の大半が崩壊してしまい、今もまだ復興中の街中をぐるりと巡ってため息をつく。
今しがた、セルシウスによって示された触媒の在り処。それは、マルクト軍基地を兼ねたマクガヴァン将軍の、邸宅だった。
この建物も半壊を免れていないが、代表市民に選ばれている老マクガヴァンの自宅でもあるためか、すでに修復されている。
触媒がセントビナーにあると聞いて、倒壊した倉庫などにあったら人目を忍ぶだけでいいのに、と思いを馳せたが、そう上手く事は運ばないようだ。
ここに某宮殿のような便利な隠し通路はない。あったとしても知らない。
まずは触媒の詳細な位置を探ろうと、フィオレはマルクト軍基地前の階段に腰掛けた。
目蓋を降ろし、俯き加減になってシルフに協力を要請する。
風に委ねられたフィオレの視界は、軍基地の空気孔からするりと内部へ移行した。
空気の通う場所を一通り見て回り──どこにあるのか無事判明したところで、声が聴こえた。
「……あのー……」
妙に申し訳なさそうな、消え入りそうな声。
視界を移せば、まるで眠っているかのように階段の脇へもたれかかる自分がいる。
その周囲を、数人が立ち止まっていた。
その顔ぶれは。
『かつての仲間達か。さて、なんとする?』
『対応します』
風に委ねていた視界を戻して、ゆっくりと身体を起こす。
その気配を感じ取ったか、フィオレの周囲を取り巻いていた彼らは気持ち、後ずさった。
ルーク、ティア、ガイ、ジェイド、アニス、ナタリア。
浮かべている表情は各々違うものだが、誰一人として記憶に違わない。
「……何か?」
「あ……ええと……」
「いえ、うら若いお嬢さんがうずくまっているように見えたので、どうしたのかと」
声をかけたらしいルークがうろたえるのを隠すように、ジェイドがずずいと前へ出てくる。
この間、鏡で見たばかりだが。相変わらず胡散臭い笑顔だと、フィオレは思った。
「それはお騒がせしました。では」
「待ってくださいませ! わたくし達、怪しい者ではありませんのよ」
そそくさとその場を去ろうとするフィオレを、ナタリアが呼び止める。
──彼らが単なる親切で道端の人間に声をかけたとしたら、呼び止める理由はない。何らかの用事があると見た。
おそらくはバチカルでのことだろう。グランコクマのことなら、全力でとぼける腹積もりだった。
「あなた方の身元に興味はありません」
「あなたはそうでしょうが、少々お聞きしなければならないことがありましてね」
マルクトの軍服を着ている人間にそう言われ、無視するのはまずい。特にこの男相手では、皇帝と懇意であることをいいことに、変な罪状を作りかねない。
それにしても、カイル達と別れた後でよかった。
「では、何か?」
「数日前、バチカルの往来にてトラブルがありました。その仲裁にあなたが関与し、とある人間から借金を取り立てようとしていることを我々は知っています」
バチカルのことで間違いない。
その事実を再確認して、フィオレは鷹揚に頷いて見せた。
「そうですが、それが何か? 仲裁方法に文句がおありなら……」
「いえ、そのことではありません。あなたが借金を取り立てようとしている女性に、私達も用事がありまして」
「そうそう。だから知ってること、教えてほしいな?」
それを聞いて、フィオレは意図的に笑みを浮かべた。
そういうことなら、ここは演じきるのが最良の選択肢だ。
「マルクトの軍人さんが、どうしてバチカルの往来での出来事に精通していらっしゃるのか知りませんが。私の場合、必ずしも彼女自身と対面せずとも解決します。故に協力を求められても、応じる理由にはなりません」
「へ?」
「けれど、あなたは借金を取り立てようとしているのでしょう? ならまずは、彼女自身を見つけなければ……」
首を傾げるティアに対して、フィオレはにっこり微笑んでみせた。
これから彼女に語るのは、まぎれもない事実である。
「私が行うべきは借金の取り立て。極端な話、お金さえ払っていただければそれでいいんです」
「はあ?」
「現に、バチカルで彼女は死亡したかもしれないという情報を得ました。ですが本人が亡くなられたからといって、借金は消えません。それでは誰もが不幸になるばかり」
「まあ……」
これまでそんな事態から程遠い人生を送ってきたであろう面々は呆れたような反応をし、ルークからはセコいと罵られる。
しかし、一部の人々の反応は様々だ。
「まあ、間違った話ではありませんね。基本的には借りた側に非があることですし、仲介者ならそれくらいシビアでないと」
「そうだよ。借主が死んだからって借金踏み倒されたら、普通はたまったもんじゃないって」
そんなわけで今は、彼女の家族や関係者を含めて捜索しているところだと、フィオレは語った。
ただ、問答無用で取りたてるわけではない、とも。
「いくら本人が見つからないからと言って、関係者にいきなり借金返済を要求するような真似はしません。彼女の行き先に心当たりがある方がいるかもしれませんし、関係者への請求は最終手段です」
例えば当人の死亡を確認した場合、関係者へ請求する。
拒否された場合は正式に国へ訴え出て死亡した彼女を罪人とし、死者に鞭打つような真似をやめてほしければ借金分を補填してもらうべく交渉するのだと。
そういった手段があると聞き、ルークは目を見開いて仲間達に振り返った。
「ホントかよ!」
「……さあ。アニスちゃんわかんなーい」
「わたくしも、そちら方面には疎くて……」
「なるほど。彼女がマルクト人であることは突き止めたのですね」
ダアト、キムラスカの法が不透明な中、マルクトの法では適用されることが証明される。
とはいえ、スィンはマルクト人でありキムラスカ王室の侍女を務め、ダアトで権威ある教会内にて一定の地位を持っていた。従ってどの国に訴えようと、法が適用されないことはない。
ここで、フィオレは反撃に転ずることにした。
「そういえば、あなた方もそれはご存じなのですね。もしかして、彼女の関係者をご存知です?」
「あ、あのな! あんな話聞かされて、ホイホイ答えるとでも……!」
「いるのですね。少なくとも彼女は、天涯孤独ではない。情報提供ありがとうございます」
ルークの過剰反応からしれっ、と礼を述べれば、本人ははっとしたように口を抑えて、周囲はその迂闊さに態度で呆れている。
傍から見ていても、そのやりとりは非常に懐かしかった。
「雄弁は銀、沈黙は金ね……」
「どっちかと言うと言わぬが花、って奴だな」
「と、ところで。彼女の借金とはその、いかほどでして?」
あれから数日間、時間があってよかった。
このつまらない嘘をそこそこ練ることができたから。
ナタリアの問いに対して、フィオレは手のひらを突き出した。
「五……五万ガルド、ってところか」
「いいえ、五十万。積もりに積もった利息を含めて、私の雇い主はこの金額を御所望です」
「!」
王族二人は多少虚を突かれた程度だが、他の面子はそうもいかない。
アニスは言わずもがな、ティアやガイもそうだが、ジェイドさえ驚きを隠さなかった。
「ご、五十万ガルド……一体何に使ったのかしら……」
「まさか、総長に貢いだとか?」
「あー、なあ。あんたは知らないか? 金の使い道」
彼らは覚えていないかもしれないが、スィンには借金をしてもおかしくない事情があった。生き延びるために高価な薬を常飲しなければならなかったから。
そして借金取りであるフィオレにも、通すべき筋がある。
「──彼女の関係者と、それほど深くはないようですね」
「へ?」
「とにかく私には、彼女と接触する術を持ちません。あなた方が知りたいことは、それだけですよね」
借金取りに扮するフィオレの立場からすれば、まだ彼女の死亡を確認していない以上、迂闊なことは口にできない。借金の使い道はプライバシーに直結するから、尚更だ。
「では、私はこれで」
「あ、ちょっ……」
「まだ何か、聞きたいことでも?」
返事がないことを確認し、ぺこりと頭を下げて踵を返す。
マクガヴァン邸の下見は済んだことだし、彼らに尾け回されても厄介だ。先程見て回った街中をもう一周して宿へ戻り、夜になるまで潜んでいよう。
そう決めて、足を踏み出そうとして。
「ま、待ってくれ!」
ガイに腕を掴まれて、たたらを踏む。
これが右の腕であったら、彼が女性恐怖症を引き起こすか、悪化した異性恐怖症をフィオレが引き起こすか。どちらが早いか、どの道彼は手を離すものと思われたが。
彼が掴んだのは左──義手だった。
「ん?」
革手袋の上からならいざ知らず、ゆったりとしたローブの上からでは隠しようもない。
急に真面目な顔つきになったかと思うと、ガイは無言で──しかし有無を言わさず、袖をまくった。
「きゃあっ!」
「え……!」
「何? 譜業でできた腕!?」
意図して悲鳴を上げ、振り払おうとして気付く。
今はフィリアに借姿形成──自らを形成する
従って普段フィオレが使うような体術は一切使えず、また、護身術の類も、知識はあるが身体はなめらかに動かない。つまり、見よう見まねでしか使えない。
腕を握りしめたまま、ガイは露わになった義手をまじまじを見詰めて……奇声を放った。
「うおおおおっ、すげええっ!」
「が、ガイ!? どうし「義手だよな!? この外観で、めちゃくちゃ軽い! しかも、動かしてたよな、てことはお前の意志で動くのか? つまり譜業義手だよな! バッテリーが見当たらないが、服の中か? 何にせよこんな精巧な音機関、見たことない! なあ、頼む、外して見せてくれよ!」
「いっ、嫌です! いきなり何を言うんですか! 離してください!」
穢れを知らぬ幼子の如き、碧眼をきらっきら輝かせたガイの懇願を、混乱する素振りも入れて断りにかかる。
音機関、譜業──いわゆる精巧な機械仕掛けを目にすると、興奮して我を忘れるガイの悪癖を、フィオレとて忘れていたわけではない。
しかし、見ず知らずのはずの他人に対してここまで強く、分別を忘れて迫ったことがかつてあっただろうか。少なくとも彼は、フィオレをスィンだと確信しているものと思われる。
もちろん、こんなことを言われて「はい、どうぞ」と返せる人間は少ない。本物のフィリアならできるかもしれないが、彼らと極力関わりたくないフィオレでは無理な話だ。
掴まれた腕から逃れるべくもがいて、脛に鈍痛が走った。
「いたっ!」
「ちょ、ちょっとガイ!」
腕を捻られた瞬間、足払いをかけられたようで。受け身が取れず、無様に倒れ込んだところで背中にずしんと重みが生じた。
フィオレが暴れないよう抑え込んだガイは、捻じり上げた腕全体を撫でまわしている。
「接続部位はどこだ? どこの辺りまで生身の腕があるんだ?」
駄目だこれ、もう絶対目の色変わってる。
それがわかっていても、痛みを訴えることは怠らない。ここは人のいない荒野のど真ん中ではなく、街中ど真ん中なのだ。
実際、ろくに肉のついていない背中に押し付けられるガイの膝は痛かった。
「いたっ、痛い、いや、離してくださいっ」
義手は確かに手早く取り外しができる。正確にはそうしてもらった。
しかしそれは、ボタンひとつを押せば外れるような簡単な作りではないし、手順を無視して無理やり外そうとすれば、接続部位に激痛が走る。
そもそも地面に抑え込まれ、肩が地についた状態では何もできず。
絶えず走る痛みに抗い、どうにか動かした右手をついて、顔を上げる。
甲高い悲鳴を聞きつけて、野次馬が集まりつつあった。
「……なあ、ガイ、平気なのか? 思いっきり触ってるけど……」
「珍しい音機関を前に我を忘れているというのもあるでしょうが……」
周囲が見えていないのか、普段は比較的常識人であるガイの珍しいご乱心に頭が回っていないのか。女性陣は固まっているし、呑気なルークとジェイドの会話が憎い。
ここがマルクトでなければ、あるいはジェイドがいなければ、ガイを暴漢に仕立ててやるところだが……
そこへ。
「何をやっとる!」
捻られた腕が解放され、唐突に圧力が消える。
ずきずきと痛む肩を抱えつつ身体を起こすと、心配そうにこちらを覗きこむ好々爺が立っていた。
セントビナーの代表市民、マクガヴァン老。
ほんの僅かな時間だったが、スィンとの面識もある。
「お嬢さん、大丈夫かの?」
「……お気遣いなく」
受け身が取れなかったせいであちこち痛いが、それどころではない。
見やればガイは兵士二人に両脇を抱えられ、軍本部へひったてられている最中だった。
「真昼間から女性に襲いかかるとは、なんて破廉恥な!」
「女の敵め、きりきり歩け!」
「違うんだ! 俺は……!」
何が違うのか是非説明してほしい。しかし、それを聞くのは非常に危険なことだろう。
「街中で婦女暴行など、不埒極まりない! 如何にカーティス大佐の連れであろうと、これは見逃せませんぞ!」
「そうですね、ええ。連行して……いや、止められなかった我々にも責任があります。行きましょう」
遅れてやってきたマクガヴァン将軍──マクガヴァン老とは親子関係にある──に一喝を食らったジェイドを筆頭に、ぞろぞろと一行が軍本部へと連行されていく。
それを見送って憤然と、マクガヴァン老は肩を怒らせた。
「まったく。ジェイド坊やは何をやっとるんじゃ」
そんな呟きを零したマクガヴァンは、ここでフィオレに何があったのかを尋ねた。
「彼らが……」
流れのまま事情を説明しかけて、口を噤む。ちらっとジェイドの背中を見て、言い直した。
「いえ。事情はあちらの軍人さんからどうぞ」
「どういうことじゃ?」
「得体のしれない私とマルクトの軍人さんでは、言い分を聞いて頂ける自信がありません。あなたは軍の関係者……あちらの軍人さんとは懇意なのでしょう」
「!」
「失礼します」
騒ぎになって困るのは、こちらも同じ。事情を聞かれるために軍本部へ連行されるのも、歓迎できない。
幸いにも、彼らはルーク達にかかりきり。傍にいるのはかつて軍属だったとはいえ、老人一人だ。どうしても撒けないことはない。
幸い足は挫いておらず、痛む肩を抱えるようにしてその場を離れた。
「……ばっかみたい」
自らが起こした茶番劇に辟易しながら、するべきことを再確認する。
この情勢でマクガヴァン親子があの基地を空っぽにすることはないだろう。ならば、機を窺うだけ無駄だ。このまま夜を待って忍び込み、触媒を持ち逃げするより他はない。
今はもう何もない、かつてソイルの木が立っていた場所を仰いで。
こらえきれなかった涙が一粒、溢れて頬をつたった。