ロニール雪山、本来ならアルビオールがないと来れない場所へ。
フィオレが単独で向かうことができたのは、セルシウスならびに意識集合体達が全力でサポートしてくれたおかげです。
そんなわけで、テイルズオブジアビス最強と謳われる敵。
ジェイド・カーティス、サフィール・ワイヨン・ネイス(ディスト)、ピオニー・ウパラ・マルクト九世の師、ゲルダ・ネビリムの生体レプリカ。
この作品においては、フィオレの生みの母親にそっくりさん。
レプリカネビリムのお目見えですの!
逃げるようにバチカルを出て、三日後のこと。
フィオレはロニール山脈を越えて、シルバーナ大陸北西へ訪れていた。
「こんな時期にたった一人で!? お客さん、死ぬためにロニール雪山に行くんじゃないだろうね?」
「死ぬつもりなら装備なんて求めません、死なないための準備しに来たんです」
ケテルブルクにて登山装備を買いこみ、店主と少し話をしたせいで足がついてしまったかもしれないが、この際どうでもいい。これまで用心に用心を重ねてきたが、今この精神状態では繕えるものも繕えない。
とにかく必ず帰ること。それが例え敗走し、封印されているものを野放しにすることになっても。これまでの旅路を経て、フィオレはどうにかそれだけは決断していた。
ロニール山脈を越えた先は、人が立ち入ることがごく稀の秘境である。到達しようにも命を落とした人間は数多い。道中珍しく好天が続いたため順調に目的地へ近付いているが、そうでなかったらフィオレも帰らぬ人になっていたかもしれない。
『さて、封印の場所は目前じゃ。心の準備はいいかえ?』
「いいえ」
『素直で結構なことじゃ。しかし、この場での棒立ちは自殺行為じゃぞ』
セルシウスの言う通り、フィオレが立っているのは洞窟の入り口、封印間近である。
内部は意外に広く、正確には眼前ではないのだが、フィオレの足はなかなか一歩を踏み出そうとしなかった。
戦いが、待ち受けているのだ。どうなるのか見当がつくようでつかない、激戦が。
実力的にも精神的にも、辛い戦いになるのは必至。今の状態で挑めば、とりあえず満遍なく冷えた身体で素直に戦えないだろう。まずは身体を温めなければ。
そう自分に言い聞かせて、フィオレはどうにか足を進めた。
広く感じた空洞だが、奥行きはそれほどもなく。ついに封印の地へ至る。
ドーム状となった洞窟の最奥は、ほのかに明るかった。
光源は天井ではなく、地表である。むき出しの岩肌に譜陣が描かれ、常に明滅を繰り返していた。
見た限り実に不思議な構成で、もともと存在していた譜陣の上から更に新たな譜陣が描き足されたように見える。
『これは……』
『見たまま、じゃ。惑星譜術の礎たる譜陣の上から、封印をするために描き加えたのじゃよ』
これ以上のことを知りたければ
譜陣によれば、指定の位置に光と闇の触媒を設置することで再起動するようである。
──それと同時に、封印が解ける、とも。
封印解放と同時に惑星譜術を起動すれば、案外あっさり
フィオレとて、本音は自力で惑星譜術のことを調べたかった。真髄を得るのは無理だろうが、さわりだけでも。
もともと知識を持つ人物を殺して知識を吸収するなどという手段に抵抗はあったし、正直不確かでもある。知識の吸収自体は仕方ないとしても、自分の眼で文献を紐解き、再確認するような形を取りたかった。
しかし、限られた時間でダアトへ赴いても成果は少なく。ネビリム宅が全焼した際、焼け残った資料などはマルクト軍が引き払ったとの情報をディストの私室で見つけたものの、それら資料に大した情報は無いとの見解に。その程度の情報のためにこれ以上時間は割けないと、断念したのだ。
そのため、フィオレに惑星譜術の何たるかがまったくわからない。
それなのに、応用して転送陣を組めなど無茶な話である。しかし、それしか手段がないなら、納得できなくても実行するしかない。途方に暮れて、意識集合体を頼ったのはフィオレだ。
コンタミネーションを解除し、散らばる六つの触媒を譜陣の意味に従って並べる。
譜陣の力が働き、置いたはずの武具が次々と滞空する中。最後のひとつ、魔剣を手にフィオレはひとつ、深呼吸した。
冷えた空気で肺が痛むものの、外ほどではない。整理運動の効果で身体は温まっている。後は、肚を決めるだけ。
片手に握りしめた紫水の感触を確かめながら、フィオレは魔剣をその場所へ置いた。
重力から完全に背いた形で、剣が浮かび上がる。光と闇の触媒という供給を経て、譜陣はこれまでにない輝きを放った。
「!」
地表の譜陣から新たな譜陣──解放を示す類のそれが岩の壁へ這うように形成され、音を立てて扉のように開いていく。
接ぎ目のあるおかしな岩壁だと思ったら、これが封印だったのか。ここが最奥ではなくて、分厚い壁の向こうに、空間があるようだ。
細く開いた岩扉の先に譜陣が延び、その向こうを仄白く照らす。
飛びこむのは危険だ。この地形でできるのは、待ち受けることのみ。
岩壁の奥が僅かに陰り、人型の何かがゆっくりと姿を見せる。
──雪色の髪に、緋色を宿した切れ長の、猫のような瞳。かつて所持していたロケットペンダントに収まっていた肖像画、そのものの細面。
ゲルダ・ネビリム当人と同じであろうなよやかな肢体だが、その背には異形の翼が揺れており、よくよく見ると足を動かさず、滑るように移動している。
とても封印されていたとは思えない、滑らかな動作で譜陣の真上に降り立った女性──レプリカネビリムは、フィオレに向かってにこりと微笑んだ。
「あなたが触媒を集めてくれたのね」
「……」
これが、母の声。初めて聞く、母親と同じ声帯から、発せられる声。
柔らかな印象を与える、通常の女声である。穏やかな様子と併せて、とても気が触れているようには見えない。
「おかげで、私に足りなかったレムとシャドウの
まさかその、補給とやらをしたから、今は安定しているやも──
会話に応じることなく、また警戒を解くことなく様子を窺っていたフィオレだったが、次なる言葉を耳にして思考が停止した。
「ありがとう──フィオレンシア」
「……え?」
その言葉だけは、決して耳にすることがないと思っていたのに。
「な……んで」
「大きくなったのね。もっとも私が知っているのは、生まれて間もないあなただけれど」
聞き違いじゃない。
そのことに絶望しながら、フィオレは子供のように首を振った。
「そんなわけない! どうして、その名を……!」
ネビリムの姓を持つこの名は、この世界において誰にも明かしていないのに。
そもそも知った経緯が手紙、しかも読んだその直後に手紙は発火して消滅した。他に知るのは、今は亡き当人だけのはずなのに……!
「どうして知っているのか、ですって? 娘の名を考えたのは他ならぬ私。知らないわけがないわ」
「嘘だ! レプリカのあなたに、そんな……!」
声を荒げて、言葉に詰まる。
悠然と佇むレプリカは、通常の行程を経て作成されたものではない。死亡直前の人間から直接情報を採取し、譜術を用いて作成されているとディストの研究資料にあった。
その推測を裏付けるように、ゲルダ・ネビリムのレプリカは悲しげに眉をひそめた。
「レプリカだなんて。記憶なら、あるのよ。あんなに痛かったことを、あなたの元気な産声を──忘れようがないわ」
「!!」
──悪夢、だった。
確かに、封印されているのがレプリカ、それも誕生したてとそう変わらないなら大した情報など持っていないはずなのに、惑星譜術がどうこうなど、引っ掛かっていた事項ではある。
混乱する感情とは裏腹に、フィオレはひとつ確信していた。
目の前の彼女は、レプリカで間違いなさそうだと。
「さあ、お母さんにもっとよく顔を見せて」
ひょいと伸ばされたしなやかな腕、白魚のような指先が帽子のひさしを摘まむ。
言の葉を奏でる音に違和感を覚えて、その手から逃げようとしたこと。
それが。フィオレの運命を大きく変えた。