バルバトスを下した後の、お別れラッシュは続きます。
おそるおそる、といった調子を隠さないナナリーと眼も合わせず、そう答えておく。
沈黙が訪れかけたその刹那、促したのはロニだった。
「……ん、じゃあ。とっととずらかろうぜ。もうすぐ外殻が崩れちまうんだろ? 巻き込まれたらたまったもんじゃ……」
「ああ、それなら大丈夫よ」
あっけらかんとロニの言葉──これから発生するはずの史実を否定したのはハロルドだった。
例のシステムを解除しようとして解析したのか、その手には引き続き愛用の小型端末が握られている。
「神の眼のエネルギーが、ソーディアンを僅かに上回っている。本来ソーディアンは六本の力をもってして神の眼に対抗できるんですもの。四本じゃキビしいわー」
「な、何だよそれ! 今から足りないソーディアン持ってこいってか!?」
「あと一押しだから、一本で足りるわよ。たぶん」
「そういう問題かー!」
漫才めいたやりとりはさておいて、カイルは珍しく真面目にどうするべきなのかを悩んでいる。そこへ。
『千年ぶりか……久しいな、カイル君』
声なき声が、脳裏を響く。聞き覚えがあるその声音に、カイルははっ、と顔を上げた。
彼の視線の先には、先程スタンが突き立てたソーディアン・ディムロスが刺さっている。
「ディムロス、さん?」
『残念だがハロルドの言う通りだ。我々だけでは力不足らしい』
それで終わってしまったら、史実改変は免れない。何とかならないのかと焦りからくってかかるカイルを、制する者がいた。
「騒ぐな。見苦しいぞ、カイル」
「ジューダス……?」
「黙って見ていろ」
普段はマントに覆われた背中から、黒布の包みを取り出す。
そして彼は、そこからシャルティエを取り出した。
『やあ、待たせたねみんな。遅くなって申し訳ない』
言葉に対して申し訳なさが全然ないが、彼なりにウィットを利かせたものと思われる。
それが関係しているかどうかは知らないが、サプライズは成功した模様だった。
『おまえは……シャルティエ!?』
『ほ、こんな形で現れるとは。ひねくれ者のおまえさんらしいのう』
『現存しうる全てのソーディアンは揃った。これならば、きっと……!』
神の眼はソーディアン達の制御化に置かれ、彼らの意のままとなる。
彼ら自身と引き換えに。
「な、何がどうなってんだ……?」
「そっか、あんた達はソーディアンの声が聞こえないのよね。今ジューダスが持っているのはソーディアン・シャルティエなの。神の眼に接続すれば、ソーディアンの互換性により力が増幅され、神の眼を上回る」
その結果が、史実に即するものだとしても。手放しで喜べるのは部外者だけだ。
人格を持つ者は、人格を持つ者を犠牲にして喜べる感覚を持たない。まして親しい人間なら、尚更。
「そういえばハロルド、初めて会った時にシャルティエのこと言ってたね。ま、あんたのトリ頭じゃ覚えてらんなくてもムリないか」
「な、何をぅ! お前だって、何がそういえば、だよ。今思い出したんじゃねーか!」
今日び、五歳児でもやらなさそうな口喧嘩はさておいて、シャルティエを握ったジューダスが神の眼と向き直る。
その姿を見て、何を思ったのか。
ディムロスは、残酷な質問をしていた。
『いいのか? 君は、シャルティエを失うことになるんだぞ』
「……この世界は、スタン達の手によって救われなければならない」
それが、すでに描かれたはずの史実だから。
歴史は改変ならざるものと、ジューダスは知っている。その認識とシャルティエを天秤に載せるまでもなく、判断を下していた。
一度でも天秤にかければ、どちらに傾くのかはわかりきっていたから。
『ソーディアンと使い手は一心同体。それを、マスターの手で消さねばならんとは……』
『運命とは、かくも酷なものか』
今しがた各々のマスターにそれをさせた彼らが言う台詞ではない。
だからこそ、ディムロスもつい確認したのだろうが。
その思いを察したのか、ジューダスはうなだれるようにシャルティエを見つめた。
「……許せ、シャル。僕は……」
『いいんですよ、坊ちゃん。僕らは永く生きすぎたんです。それに、正直言って坊ちゃんのお守りにも疲れましたし……ね』
「ちょうどいい。僕も、お前のお小言には付き合いきれないと思っていたところだ」
疲れているのだと、フィオレはぼんやり自覚していた。
史実において四本で事足りたはずのソーディアンが、今になって五本必要となっている。
明らかにバルバトスが原因だろう。神の眼とて、初めからこのような状態であったわけではない。どこかに供給源があるはずだ。
それを切り離せば、四本で事足りるのではないか。
供給元から切り離したところで、エネルギーがなくなる保証はないのに。
シャルティエだけは残せないかと、無意識に考えていたのだ。
そんなことをしても、犠牲はなくならない。
彼らとて、納得してる──否、彼らはこのために生まれてきたのに。
『フィオレ!』
そんな後ろめたさからか、名を呼ばれただけで身が震える。ふと気付いたかのように、フィオレは彼らの元へ歩み寄った。
『今までありがとう。君と知り合えて、よかった。これからは坊ちゃんのこと、僕の代わりによろしく!』
最期まで基本姿勢がブレない彼に、思わず苦笑が浮かぶ。
その拍子に、保っていた仮面が剥がれて落ちたようだ。
視界に映るシャルティエが、ぼやける。溢れた何かは頬を伝い、床へと滴った。
ジューダスが息を呑んでぎょっとしているようだが、知ったことではない。
『……お断りです。私にジューダスのお守りなんて無理ですよ。面倒くさい』
『ちょっ……僕のために泣いてくれるんだ、って感激してたのに、返事はそれなの!?』
「ジューダスも私を守ってくださるなら、考えます。ま、茶番はさておいてですね」
感情の高ぶりは軽口で静めて、おもむろにシャルティエの刀身をわし掴む。
ほどなくして、ポタポタと赤い雫が床を打ち、透明な雫と混ざって滲んだ。
「ば、ばか、何を……!」
「握手くらい……お別れくらい、させてください」
今ほどハロルドに、無意味な恨みごとを呟きたくなったことはない。
何ゆえ彼女は兵器に人格を付与し、他者との交流を可能とさせたのかと。その必要性が理解できていても、尚、そうなのだから。疲れているとしか思えない。
『私もです。あなたと、あなた達と出会えてよかった。私が生きている限り、あなた達のことは忘れません。今まで……ありがとうございました』
目蓋の中に残っていた雫が、はずみでボロリと落ちる。一層強くシャルティエを握りしめて、顔を上げた。
シャルティエの苦しそうな声音が、響く。
『……僕は、君を傷つけたくなかったのに』
『なら、私の前からいなくならないで……不可能でしょう』
乾かぬ眼を瞬かせ、視界をくっきりさせてから、微笑みかける。最後に見せる顔が泣き顔では、気まずいだけだ。
滴る掌を止血しようと、布を探して。
『……坊ちゃん。許してください』
「?」
不可思議な会話の後、不意に衝撃を受ける。
よろけて踏ん張り、状況をよくよく確かめてみれば。
フィオレは、シャルティエを持ったままのジューダスに、抱きしめられていた。
「う……」
ぞわぁっ、と鳥肌が浮かび怖気が走るも、声を聞いて抵抗を忘れる。
『君のこと、ずっと好きだった……もっと前から、こうしたかった』
シャルティエが、チャネリング現象を、発生させたのか。
横目で見たジューダスは、哀れさを覚えるほどに赤くなっている。しかし普段なら、とっくの昔に罵声を放っているだろう口元は、ぱくぱくとうろたえるばかりだった。
姿の見えないシャルティエを、目蓋の裏に浮かべて。
フィオレはジューダスの背中に、腕を回した。
「!」
『──ありがとう、シャルティエ。私は……』
途端。まるで振り払いでもするかのように解放される。
プイ、とそっぽを向いたのはジューダスの意志のようで、当のシャルティエは必至に弁明していた。
『ごっ、ごめんね。こんなこと伝えたって迷惑なことはわかってる。でも……!』
『そんなことない。とても光栄です。でも……』
『ああっ、わかってる。その先言わないで! これでもう、想い残すことなくなったからさ!』
想いが溢れて弾け飛んで、勢いで行動した挙句正気に戻った様子だ。
シャルティエの想像とフィオレが口にしかけたことは、おそらく一致する。本人が聞きたくないなら、それでいいだろう。
『わかりました。それではね、シャルティエ』
『うん……そうそう、坊ちゃん』
「……まだ何かあるのか? 早くしろ、時間がない」
ジューダスの声音がぶすくれているのは、仕方が無いことだろう。怒鳴りつけないだけマシである。
ただそれも、ほんの僅かな間だけ。
『坊ちゃんと一緒にいて、確かに疲れはしましたけど……結構楽しかったですよ』
「……僕もだ。今まで……ありがとう」
『らしくないです、坊ちゃん』
「おまえもな、シャル」
その間に、フィオレは少し離れたところで二人を見守る一同の元へ寄った。
シャルティエが神の眼に捧げられたなら、ソーディアン達は一丸となって神の眼の力を用いて、外殻の破壊を実行する。
その前に元の時代へ転移しなければ、ロニの言う通り崩壊に巻き込まれてしまうだろう。
それを説明し、リアラが慌ててレンズペンダントを手に取った時。
「いくぞっ、シャルっ!!」
『はいっ!』
──別離の言葉がないのは、彼ら流なのか、それとも、これもまた彼らにとって新しい門出なのか。
渾身の力もて振り上げられた細身の刃が、神の眼の表面を突き破る。
示し合わせたようにソーディアンが同調を始め、神の眼が激しい明滅を繰り返し──