前作にて神の眼と対峙した際、度々話しかけてきた「彼女」の正体が明らかに。
風に舞い上げられたキャスケットは、まるで操られでもしているかのようになかなか地面へ落ちてこなかった。
決して見失うほどでも、追うのをあきらめるほど遠くへ吹き飛ばされたわけでもない。
だからこそ、フィオレは怒りを込めてチャネリングを起動した。
『シルフィスティア、あなたの仕業なのでしょう!? ふざけてないで、姿を現しなさい!』
しかし返事はなく、キャスケットは手の届かない中空にふんわりと舞っている。
今はキャスケットで目元を覆っているため、わざわざ狭い視界を更に狭くすることもないだろうと、眼帯もしていない。
誰に見られたところでいきなり正体がばれることもなかろうが、妙に焦る思いを抱えてキャスケットを追う。
その内、中空のキャスケットはどんどん高度を下げ、ついには岩山の乱立する付近へと落ちた。
それを確認し、フィオレの全力疾走に唯一ついてきたジューダスに手ぶりで行き先を示し、検討をつけて入り組んだ岩山に入り込む。
誰かの手によって運ばれるようにキャスケットが行きついた先は、岩山に埋まるように存在する遺跡じみた東屋だった。
東屋といえど、その空間はノイシュタットの闘技場ばりに広い。
空中都市落下の衝撃が原因だろう。あちこちが見る影もなく破壊されているが、唯一中央の石碑が無傷で残っている。
「……ここは……」
『よかった。来て、くれた』
キャスケットを拾い上げ、唐突に声を聞く。
脳裏に響くような音なき声にして、この声には聞き覚えがあった。
『シルフィスティア、ですね。ご無沙汰とご挨拶するべきですか? どうして今の今まで……』
『気をつけて、フィオレ! ボクも話さなきゃいけないことが山ほどあるけど、それどころじゃない!』
シルフィスティアの悲鳴じみた警告の後に、広大な東屋が震動する。
まさか崩れるのかと身構えた、その時。
「おい。守護者とやらとおしゃべりしている場合じゃないぞ」
仮面をかぶったその時から、太刀筋でリオンと知られないためなのか。出会ってから今に至るまで双剣を手にしたジューダスが姿を見せた。
双剣といえども、片や細身の剣、片や短剣という特異な……少なくともそういった剣技の使い手をフィオレは知らない。
前に心得はあるのかと尋ねたが完全に我流であるらしく、これまで得た剣技を一切捨てているため、はっきり言って稚拙で、たどたどしい。
それでも道中、問題なく戦闘をこなしてきたのは、やはり生来の素質にあるのだろう。
ジューダスの言葉に一瞬思考し、フィオレは合点がいったように手を打った。
「そうか。それをつけてるから、聴くことができるんですね。で、何がありました」
「自分の眼で確かめろ」
促され、東屋から外を覗く。
未だ、時折激しい震動に襲われる東屋を攻撃しているのは、見上げるほどに巨大な竜の姿だった。
硬殻に覆われた翼が動くたび強風を引き起こし、東屋を震動させている。
更に周囲の岩石が強風によって吹き飛ばされ、東屋の屋根を直撃しているのが現状だ。
『シルフィスティア……明らかにあなたの聖域狙いですが、あんなのに一体何を』
『何もしてないよ! っていうか、今狙われているのはフィオレだから!』
やけにきっぱり言い切るあたり、守護者は現状を把握していると見た。
そこで詳細を尋ねるも、彼女は語ってくれない。
『悠長にお話ししてる場合じゃないよ。早くどうにかしなきゃ、また圧死……あっ』
『……死因についてなら自覚してます。やっぱり私を十八年前の世界から現代に蘇生させたのは、あなたたちの仕業なんですね』
相変わらず震動が響く中、シルフィスティアの沈黙を答えとして受け取る。
限界まで彼女への追及を緩める気はなかった。少なくとも、この問題に対して妥協する気は一切ない。
『一体どういうつもりなんですか。いきなり右も左もわからない世界に放り込んでおいて、あまつさえ知らんぷりなんて! 比較的すぐジューダスに……事情が同じ人間に出会えたからよかったものの』
『フィオレ、お願い。落ち着いて、冷静になって、ボクの話を聞いて。それには理由がある。きちんと説明するから。だからまず、安全の確保を……』
まるで幼児に噛んで言い含めるかのような物言いをされて、フィオレは自分がどれだけ怒り狂っているように見えているのかを把握した。
元から冷静のつもりだったからこそチャネリングを使っているのだから、チャネリングを使っているからこそ感情も色濃く伝わるのだろう。
それを証明するかのように、フィオレはとある指摘を口にした。
『あなたの本体はここにあり、ここに聖域が存在するのです。あなたはあんなチンケなドラゴンに、自らの聖域の破壊を許すので?』
自由奔放な風を統括する守護者にしては何とも情けない話である。
そもそもここが聖域だとわかっているからこそ、フィオレは安心してシルフィスティアに話しかけているのだが。
『チンケって、風の眷族の中では最強種なんだけど……』
『風の守護者たるあなたが、どうして従える眷族に攻撃を許すのです』
『だ……だって』
『でももだってもありません。それとも何か? 私を蘇生するのに力を使い過ぎて、自らを守ることも叶わないのですか?』
『うーん……結構ニアピン。フィオレって本当、勘がいいよね』
思わぬ肯定に、思わず返す言葉が出てこない。
まるで畳みかけるように、シルフィスティアの告白が続いた。
『実は今、僕達守護者と敵対する勢力があるんだよ。彼らに対抗する手段として、僕たちはフィオレを選んだ。でもフィオレの蘇生に力を使いすぎちゃったみたいでさ。彼らが本格的に活動を開始する時期はわかったから、それまでに回復しようってそれぞれ司る自然の管理を眷族に任せて、ボクらは眠りについた……んだけど』
『だ、だけど?』
『完全に力を取り戻す前に、眷族たちがたぶらかされちゃったみたいで。僕達本体の宿る依代呑まれて、吸収されちゃった』
実にあっけらかんと経緯を語るシルフィスティアに、開いた口が塞がらない。
それはいくらなんでも情けなさすぎないか、それだけ敵対勢力の実力は守護者に匹敵しているのか。
『その……他の守護者達も、同様に?』
『わからないよ。こんな状態じゃ皆と連絡とれないし、フィオレの声は聞こえてもこっちからの言葉は届かないし……ここまで来てくれて本当によかった。ここいらならボクの聖域だから、まだ力が及ぶんだよ』
それに関してはジューダスに感謝しなければならない。
彼の言葉さえなければ、フィオレはあっさり迂回路を探していた。
そこで発生した問題を、彼女に尋ねようとして。
『それでね、フィオレ。落ち着いてくれたところで、そろそろどうにかしてくれると嬉しいかなって……』
『……助けた暁には、山程質問に答えてもらいますからね』
震動は相変わらず、断続的に聖域を揺るがす。ジューダスへ視線をやれば、彼は納得済みという顔で頷いた。
「あの怪物を倒せばいいんだな?」
「そうなんですけど、ジューダス。手を出さないで頂けますか?」
クレスタではジューダスの出現により買い損ね、彼が嫌がったがためにダリルシェイドには寄ってすらいない。
そのため、現在のフィオレには自衛手段はあっても積極的に攻撃する手段はなく、道中の交戦は大抵ジューダスに任せていた。
フィオレがしていたことと言えば自衛、あるいはシャルティエを借りての援護である。
「シャルを貸せばいいのか」
「いえ。殺されそうになったら助けてください」
紫電が手元にない今、専らフィオレを悩ませるのは交戦技術の衰えである。
薄ぼんやりとしか正体のわからないあの男とは、再び
その時までに確実に撃退する術を用意しておかなければならない。今度は、意識を失わずに済む策を。
紫電のような武器を手に入れるのが最も近道だが、あんな業物早々お目にはかかれないだろう。
ならば、手持ちの武器でどうにかするよりほかならない。
「ここで待機していてくださいな。では」
呼びとめるジューダスの声を無視、東屋から外へ出てコンタミネーションを発動させる。
あんな硬そうな外殻のドラゴン、シャルティエのように「斬る」ことに特化した剣では多少手間取るだろう。
フィオレにとってけして軽くはないこの魔剣の重さを利用し、「殴る」あるいは「叩きつける」、そして「断ち切る」必要がある。
ともあれ、一人東屋から出てきたフィオレを、シルフィスティアの眷族とやらである飛竜は見逃さなかった。
『依代を呑みこまれたって、体内にいるんですよね? なら腹をかっさばいて取りだします。何か異論は?』
『その必要はないよ。レンズ呑まされて凶暴になってるだけだから、普通に倒せばそれで十分』
……どうでもいいが、留守を任せるまでに信用していたであろう自分の
それをつついて得た内容に、フィオレは頷かざるをえなかった。
『負けたらそれまで、実体がなくなるだけだよ。僕達にはそもそも、命と呼ばれるものはない』
四方八方から吹き荒れる風の直撃を受けないよう、半身になってどうにか接近していく。
すでにフィオレの存在に気付いている飛竜は唸りを上げて、巨大な翼を無茶苦茶に振り回した。
途端乱気流が発生し、それまで風で削られていた岸壁や、自生する僅かな草木が激しく揺れる。
「天空を踊りし雨の友よ。我が敵をその眼で見据え、紫電の槌を振り下ろさん……」
当然近付くこともままならない。
が……この豊富な風の気配を前に、攻撃方法が思いつかないわけもなく。
「インディグネイト・ヴォルテックス!」
濃厚な
発生した雷乱舞は飛竜を包みこみ、その巨体をなぶった。
外殻のせいで黒焦げにこそできないが、代わりに一時的な麻痺が発生したらしい。
巨体は羽ばたきをやめて地面に降り立った。
倒れこむことこそないが、半開きの口から煙を漏らす程度で動こうとしない。
「弧月閃っ、白虎宵閃牙! 虎牙破斬、虎牙連斬!」
月の幻影を二度──否、四度斬りつけ、虎が獲物を噛み砕くが如く上下に幾度も斬り上げ、斬り下げた。
「崩襲脚、飛燕瞬連斬っ!」
その衝撃で地面に叩きつけられた頭を、跳躍した上で踏み潰し、更に後ろへ回り込んで、空を駆け上がるように蹴りを含めた連撃を打ち込んでいく。
動けなくなったところで容赦ない連続攻撃を受け、飛竜は再び動けるようになる前に力なく倒れ伏した。
細かな痙攣がやみ、見開いていた眼から光が消える。
次の瞬間巨体は消え失せ、残ったのは拳大のレンズと小さなピンバッジだった。
『ありがとー、フィオレ。助かったー』
『どういたしまして。それで依代とは、このレンズのことですか?』
『ううん。それはボクの眷族が取りこんでいたもの。ボクはこっち』
告げるなり、ピンバッジを彩る輝石が煌めく。
レンズではない透明な輝石は、どことなくフリーズダイヤに似ていた。
『じゃ、約束通り。まずはボクの聖域に』
とにかく、風の眷族を惑わせ、豊富な
ずきずきと痛む腕をかばいつつ東屋の中から様子を見ていたジューダスに事情を話し、石碑のくぼみにピンバッジを奉納した。
直後、光が零れたかと思うとシルフィスティアの姿が現れる。
金の髪をふたつにくくる、愛らしい少女の姿に変わりはない。
「これが……風の守護者!?」
『えらくちまっこいんですね。僕はもっと、仰々しい姿だとばかり』
『ボクがどんな姿だって別にいいでしょ。まあ、改めて……ありがと、フィオレ。おかげで助かったよ』
言葉にこそ出さないが、礼の言葉など心底どーでもいい。
今フィオレが切実にほしいのは情報。ただそれに尽きる。
『早速ですが、まず尋ねたいのはこれです。……神の眼は今、どうなっていますか?』
『言いにくいけど、とっくに破壊されたよ。十八年前、あなたの仲間たちによって』
──足元の地面が急に消え失せ、自分の体が際限なく落ちていく。そんな気がした。
薄々わかっていたことだが、守護者の口からはっきり言われるとやはり違う。
感情をそのまま彼女にぶつけることを自制できたのは、一重にジューダスとシャルティエがこの場にいたからだ。
「……では、もう。私には、あなた方と契約を結ぶ意味は、なくなりました」
明かされた事実を前に、今度こそチャネリングを使う理性もなく肉声が零れる。
震える声がそのまま契約破棄を告げようとして、割り込まれた。
『フィオレ、落ち着いて。ボクの話を聞いて。神の眼がなくとも、あなたの望みを叶える手段はある』
うつむきがちだった顔がパッと上がり、キャスケットの奥の眼がシルフィスティアを必死に見つめる。
どういうことなのか、詳細を尋ねようとして。
フィオレはシルフィスティアの視線があらぬ方向へ向いているのに気がついた。
『ところでね、フィオレ。さっきの話から察するに、彼の事情は知っているんだよね』
シルフィスティアが視線で指すのは、先ほどから会話に入ることもままならず居心地悪そうにしているジューダスである。
彼女の問いを肯定するには、情報が足りない。
『私が知っているのは、彼が私と同じ経緯でここにいる、ということだけです。それ以外は知りません』
『──そっか。ならここからは、内緒話したいな』
確かにフィオレとて、あまり他者に聞いていてほしい内容ではない。
ジューダスに近寄り、おもむろに指環を奪って懐に放り込む。
彼からの抗議は無視して、フィオレはシルフィスティアの言葉に耳を傾けた。
『薄々気づいてると思うけど、彼は敵対勢力に属する者だよ。僕達が君を蘇生させたように、あちらも人を蘇らせた……敵意は感じられないけど、何か目的があるのかもしれない。間者かもしれないし』
『だとしたら、私があなたの元に来ることはなかったと思います。私が今ここに居るのは、ジューダスの言葉があってこそ』
驚くシルフィスティアに経緯を伝え、そしてフィオレは更なる質問を口にした。
もしかしたら彼は知らぬ間に泳がされているのかもしれないが、守護者達と敵対勢力の対立など今はどうでもいい。
『それで。神の眼なしに私の望みを叶えるとは、どういうことですか?』
『……それを話すにはまず、ボクらの望みを知ってもらわないといけない気がする』
そういえば、最初に接触した守護者──シルフィスティアは言っていた。
歪む運命にある世界を、なんたらかんたら。
『もともとボクらは、ボクらの見守る世界がある存在によって歪められることを知っていた。フィオレが神の眼と呼ぶ存在──「アタモニ」の持つ未来視によってね』
『ア、アタモニって……』
『人の言葉で「唯一神」って意味なんでしょ。表舞台から神の眼──彼女を隠すために生まれた神様らしいじゃん。それに、ずぅっと昔隕石と共に訪れた彼女はそう呼ぶにふさわしい力を持っていた。ボクらと敵対するのではなく、共生を選んだしね』
以前アイルツ司教が、神の眼をアタモニのご神体だと言っていたが、まさか本当だったとは。
フィオレの戸惑いを余所に、シルフィスティアの話は続いた。
『その、ある存在こそがボクらと敵対──というか、あっちが一方的に嫌ってるんだけど──対立する勢力のリーダーだよ。ボクらとしては彼らの目的を邪魔する理由こそないけど、その手段はとても看過できるものじゃなかったから』
『その目的に、手段って』
『目的は、全人類の絶対幸福。手段はそれを、自らの手で行うということ。強大な存在が人と深く関わることを良しとしないボクらはその事態を危惧し、回避するために代行者を選定した。この世界と関わりを持たず、アタモニが選んだ「未来視を可能とする人間」──フィオレを。最も君は、彼女の思惑に反して一度たりとも使ってくれなかったけど』
これまで謎だった事柄が、どんどん明らかになっていく。
興奮せざるをえない内心を静めるためにも、フィオレは今一度内容を整理した。
まずこの世界に招かれた理由が、将来起こりえる事態を防ぐことだった。
未来視──
『ボクらが回避したかったこの事態は、これから大体十年後に起こることなんだ。そもそもの発端が十八年前に起こったことだから、本当はそこから何とかしてほしかったけど……まさか彼らの真似して、時を渡るわけにもいかないし』
『時を渡る!?』
『うん。彼らが持つ力は本当に、人間で言う「神様」に近いよ。時空転移、蘇生、不治の病を癒す奇跡まで何でもござれって感じ。今もその力をフルに使って、この時代にも干渉してる』
話を聞けば聞くほど、ジューダスを蘇らせたと思しきエルレインの存在と合致する。
明らかとなった事柄をひとつひとつ整合させながら、質問するべき内容を厳選する。
興味本位で色々尋ねたら、頭がパンクするだろう。
『その……回避したい事態の発現から十年前に私が放り込まれたということは、今からそれの妨害工作をしろ、ということですか?』
『それもあるけど、先に皆の……他の守護者達の安否を確認してほしい。さっきから連絡してるけど全然反応がないから、多分ボクと同じような状態になってるんじゃないかなあ』
彼ら専用の道はどうなったと尋ねても、管理している守護者「アーステッパー」が音信不通につき状況はさっぱりわからないとのこと。
流石に渋い顔を隠せないフィオレに、シルフィスティアは機嫌を取るかのようなフォローをした。
『ま、まあ皆腐っても守護者だし、フィオレにどうにかできないことはないよ! それにこれからは、ボクもついていくからさ!』
『え?』
以前は動けないようなことを言っていたのに、これはどういう風の吹きまわしなのか。
風だけに、まさか彼女の気まぐれということもあるまい。
それを尋ねれば、彼女は肩をすくめて見せた。
『動けないっていうのは、聖域がきちんと機能していた時の話。もう大分破壊されて、この谷でも風は勝手に吹き荒れてるし、この場所に居座り続けていても大した意味はないんだよ』
『ついていくって、どうやって』
『それは簡単。フィオレがそれを身につけてくれればいいんだよ』
シルフィスティアはびし、と己の依代──ピンバッジを指差している。
全力でお断りしたい心持ちだったが、彼女の言葉にそれはあきらめた。
『ちなみにね。ここに置いて行かれたら、ボクはまた同じ目に遭うと思う。もう眷族をたぶらかされることはないだろうけど、まだ完全に力を取り戻したわけじゃないから。変なの寄越されたら、抵抗できないと思う』
『……これを、身につければいいんですね』
『うん! よろしくー!』
シルフィスティアの姿がかき消え、石碑に奉納されていたピンバッジが光る。
材質不明、蝶の土台にフリーズダイヤに似た輝石がはめこまれたバッジを外したキャスケットに取りつけた。
『これでいいんですか?』
『うん。ほとんど寝てると思うけど、求められれば力を貸すから!』
言われなくてもそうするつもりである。
ともかく、大体の事情はわかった。無作為に守護者の聖域を探していたことを考えると気楽なものである。
一息ついて、フィオレは唐突にジューダスのことを思い出した。
彼はまるでむくれたように東屋の入り口へ顔を向けている。
「ジューダス。拗ねてないで私の話を聞いてください」
「別に拗ねてなんかない。それで、守護者との内緒話とやらは済んだのか」
それなりに長い時間話していたせいか、彼は取り出していたシャルティエを再び漆黒の布に包んで背中に収めていた。
懐に放り込んでいたせいで生温かい指環を返し、当たり障りのない報告をする。
「私の目的は果たされました。次はファンダリア……いえ、知識の塔へ行きます」
「なら、アイグレッテだな。知識の塔に果たして一般人が入れるかはわからんが……」
アイグレッテとやらへ行くには、このハーメンツヴァレーを超える必要があるのだという。
降りるだけでも大変だったあの絶壁を、今度は登れというのか。
目的が果たせた以上、一ミリたりとも努力をする気がないフィオレは早速シルフィスティアの力を借りることにした。
東屋を出で、来た道を戻り、対岸へ続く壁のような崖の前に立つ。
そして自分たちを運んでもらおうと頼もうとして。
『あのさ、フィオレ』
緩やかにして小さな羽ばたきを耳にして、振り返った。
真後ろに対空していたのは、手のひらに乗るほど小さな飛竜である。
敵意があるようには見えないし、あったとしても両手で叩き殺せるほど儚い。
『何か御用ですか』
『そのコね、君がさっきぼっこぼこにしたボクの眷族。我を忘れていたとはいえ、悪いのは自分だから謝りたいって』
まるでその言葉を肯定するように、小さな飛竜は、くぁ、と鳴いた。
表情こそわからないが、つぶらな翠の瞳は愛らしい。
『それでね。お詫びといってはなんだけど、さっきのレンズを使わせてくれれば目的地まで運ぶって。また凶暴化なんてさせないよ。今度はボクが、きっちり手綱を取るから』
ちら、とジューダスを見やり、彼に文句がないことを確かめて。
フィオレは回収したレンズを取り出した。
※アタモニ=唯一神、という作中の記述は創作です。アタモニという名称は、キャラクターデザインのいのまた先生のアナグラム。でも、そんなに見当違いでもないと思っています。