エンペラペーってなんぞ。
急速に、彼らの声が遠くなる。覚醒が近付いているのもあるだろうが、それだけではない。
意識だけの世界に干渉した何かがある。
ぱっちりと開いた瞳が映したのは、豪奢な寝台の天蓋だ。
しかし、現実世界においても明らかな異変が起こったことは、次の瞬間証明された。
「フィオレ、起きなさい!」
ばぁんっ、と派手な音を立ててハロルドが客室の扉を蹴破って現れたからである。
この時までに、フィオレは一同と合流してから今に至るまでの行程をどうにか思い出していた。
といっても、王城で宿泊許可をもらった、と聞いてから客室で寝込んでいただけだが。
「呑気にぐうすか寝てる場合じゃないわよ!」
「……何が、ありました?」
「私の解析君二号改が、時間軸の歪みとエントロピーの異常なまでの増大を検出したの」
「……」
えんとろぴー。聞いたことのない単語に対する疑問は、この際脇に除けておく。
「……時間軸の歪み……過去が弄くられて、現在が変質しているんですか?」
現在に何らかの影響が発生したなら、そうあるべきだ。未来が変わることで変質が発生したなら、それは。
「惜しいわね。現在の変質は当たりだけど、歪められているのは過去じゃない」
そこへ、ハロルドを追ってだろうか。ナナリーとジューダスが開け放たれた扉から姿を現した。
「やっと起きたのか」
続いて、カイルとリアラを引き連れたロニが現れ、召集理由の説明を求める。どうやら、ハロルドに言われてロニに連れてこられただけらしい。
二人で出歩いていたところ……デート中に。
「で、エンペラペーって、何?」
「エントロピーのことかしら。まあ、とにかく」
先程フィオレが伝えた言葉を寸分違わず繰り返す。しかし、直前まで守護者達と意志を交わしていたフィオレと違い、彼らは首を傾げているのみだ。
「わかりやすく言うと、時間の流れがとってもヤバい状態になってるってこと」
「ヤ、ヤバい状態って?」
「ぶっちゃけた話、未来がなくなりかけているのよ」
焦った調子も何もない、あっさり放たれた衝撃の事実に困惑を露わとしたのは彼女だ。
「未来がなくなるって……どういうことだい、それ!?」
「具体的なことまではわからないけど、未来からこの時代に対して何らかの干渉が行われているようね」
現代において唯一、十年後という近い未来の出身であるナナリーには特に重要なことである。
しかしハロルドの言は、それどころの騒ぎではないことを如実に示していた。
「その影響で本来あるはずの未来が失われようとしてるってわけ」
「それってエルレインが、今度はこの時代を変えようとしてるってことか?」
「だとしても、これまでのように生易しいものじゃないわ」
過去エルレインが行った救済は、折りを見てハロルドに通達済みである。
十分過激だと思っていたが、あれを指して生易しいとは。
「未来そのものを消してしまいかねない、恐ろしく大がかりなものよ。すでにそのきざしは出始めている。さっきも時空間のゆらぎを観測したわ。一瞬だけど、現代と未来が重なったみたい」
先程の異変は、これを指すようだ。
フィオレは単なる違和感しか覚えなかったが、彼らはその目で明確なビジョンを見た様子。
「カイル、さっきの……!」
「あ、ああ……」
「あんたたち、なんか心当たりでも?」
「……見たんだ。ハイデルベルクが、ゆがんで、消えかけるのを……」
現代と未来が重なって見えたのがそれということは、つまるところエルレインが企むのは。
「世界の破滅、か……」
「世界の破滅って……どういうことだ、ハロルド?」
「だから、そのまんまよ。エルレインはこの世界を消そうとしてる。未来がなくなるのは当たり前だわ」
守護者達の危惧が現実になったということか。おそらくは、現代と未来出身の彼らがいたばかりに。
「世界を消すだって……! どうして、そんなことを!?」
「さあ、理由まではね。こればっかりは本人に聞くしか、ないんじゃないの?」
理由も、おそらくは救済を望む人々を創造するためだと思われるが、ハロルドの意見は的確である。悪戯に守護者達の推察を伝聞しても、混乱させるだけだろう。
「それしかなさそうだな。だが、エルレインは一体どこにいるのか……」
「ああ、それなら心配ないわ。時空間のパルスを辿っておいたから」
パルスとは何か。それを尋ねたら、話が脱線しそうだ。
「今から約八万七千時間後、つまり十年後ね。そのあたりにいるわ」
「となると、次の問題は時間移動のためのレンズか。この城にあったのは、俺達が海に沈めちまったし……」
たとえ回収したとしても、勝手に使うわけにはいかないだろう。
エルレインはあのレンズを使って改変世界を創造したことを彼らは知らないし、ウッドロウとかなり親密になっているようだから仕方ないのかもしれないが。
「あんたたち、確かイクシフォスラー使ったのよね? なら、そのレンズを使えばいいじゃない。私の特別製だから、エネルギーもバッチリよ」
「だが、あれはどこに墜落したのかわからないんだ。地上ならいいが、時空間の歪みに巻き込まれていたりしたら……」
ジューダスのため息をかき消すように、ハロルドは馬鹿にしたような勝ち誇ったような、いずれにしてもカンに触る笑声を放った。
「こんなこともあろうかと、自動帰還装置をつけておいたのよ~ん!」
「……インチキくせえな、おい」
非常に胡散臭いと言いたげなロニだが、この生まれてくる時代を微妙に外していない天才に常識を説いても、時間の無駄だろう。
嘘をついても、ハロルドには何の得もない。
「用意周到と言ってよね。とにかくオートパイロットが働いてもともとの保管されていた場所に戻っているはずよ」
「となると目指すのは、地上軍拠点跡地の格納庫ってワケか」
そうと決まれば、事は急ぐもの。一同はウッドロウに暇を告げ、王城を辞した。
「なあ……フィオレ。ウッドロウさんに会っていかないのか?」
「ええ。会わせる顔がありませんので」
彼に何か言われたのだろうか。不満げなロニをさらりと流して、フィオレはカイルに話を振った。
「地上軍拠点跡地までは如何程で?」
「あの時は急いでたから半日で着いたけど、一日くらいかかるんじゃないかな?」
あの時、とはおそらくリアラとフィオレがアイグレッテへ予期せぬ突撃を敢行した際のことだろう。
リアラが会話に加わらないのは、気まずいからかもしれない。
「非常食と食料と、アイテム補充……雑貨屋さんに寄って行きましょう。ハロルド、防寒着は要りませんか?」
「必要ないわ。私の服は寒暖調整機能付きだから」
うらやましい限りである。それでなくても、太陽が差さず雪で覆われた大地で暮らしていたハロルドには、寒さに対して一定の慣れがあるのだろう。
「それ、もう一着作れない?」
「そうねえ……」
ナナリーの気持ちはよくわかる。何故なら今、フィオレもまた極度の寒冷地に対して対策を立てる必要に迫られていたから。
「私、マフラーがほしいかもしれません」
「首に巻いているそれはなんだ」
「義手用です。接ぎ目が痛いような寒いような……霜焼けになっていませんか?」
ハロルドに診てもらうも、特に何ともなっていないとのこと。
「神経が敏感になっているようね。千年前より寒くないからかしら? 防寒具は必須として、環境に慣れるまで軟膏を処方しておくから、つけときなさい」
「!」
フィオレの身体には、毒も薬も効かない。生来の体質と幼少期の訓練によって、グミすら意味をなさないのだ。
例外は致死性の猛毒か無茶なアルコール摂取だが、それもフィオレの身体はどうにかして排除しようと試みる。おそらくそれは、事情を知らないハロルド手製のものでも同じことだろう。
毒の脅威がない以上、薬の恩恵が受けられないことはとうの昔に納得していることだが、さてどうしたものか。
下手に事実を話せば珍しいサンプル扱いでハロルドを暴走させてしまう危険性がある。さりとて、軟膏の効果が認められなければ彼女は怪しむだろうし……
いや。環境に慣れるまで擦り込めと言っていたから、実際に霜焼けになったら自分で治療して、早めに適応したということにしておこう。
「フィオレ?」
「ええ、わかりました。防寒具と、包帯も余分に用意しましょうか」
補充を済ませて、ハイデルベルグを後にする。
道中、野営の際にハロルドが何を思ったのか、ロニに一服盛るという事件が発生するもののパナシーアボトルで乗り切り、カイル達の先導によって地上軍拠点跡地へ至る。
千年前の貴重な遺跡、ということでだろうか。そう広くもない跡地は有刺鉄線の柵で囲われ、唯一の出入り口はファンダリアの寒冷地仕様で固めた兵士達が詰めている。
しかし、カイル達が一度訪れているせいなのか。彼らは警戒するどころか一礼して、一同の侵入を見守った。
「前来た時はめちゃくちゃカリカリしてたんだけどな」
「ウッドロウさんの勅命状を見せようとしても、何をする気だ! ってすごい剣幕だったんだよ」
「それはまた、災難でしたね……」
当初、イクシフォスラーが収められていた格納庫には何重もの封印が施されていたらしい。
跡地を隅々まで探索し、遠隔で施されていた封印を破った過程を聞かされながら、かつてはハロルドの巨大な作業場であった半地下の格納庫に至る。
千年前の面影はほんの僅か、あちこちが老朽化し、渡された梯子を降りた先に。
「すげぇ……ホントに帰ってきてる」
「あったりまえでしょ! 誰が作ったと思ってんの?」
まるで何事もなかったかのように、イクシフォスラーは鎮座していた。天井もある半地下に、一体どうやって収納されたのか。誰も気づかないまま、ハロルドが機体の下へ潜り込んでいく。
「ほい、とれた。小さいけど、これひとつあればペンダントの力を増幅できるはずよ」
無造作に機体の下へ潜り込んだせいだろう。頬が煤けているハロルドの手には、ソーディアンのコアレンズと同等の大きさのレンズを手にしている。
それを手渡されたリアラは、レンズを見つめて呟くように言った。
「じゃあ、みんな集まって……」
「リアラ、どうしたの?」
いつになく沈みがちな少女の様子を気にして、英雄と認められた少年が気遣う。
ちらりとカイルを見やったリアラは、一瞬の間を経て彼に向き直った。
「……カイル、お願いがあるの。これから、たとえ何が起こっても……エルレインを止めると、誓って」
「どうしたんだよ、リアラ。そんなの当たり前じゃ……」
「お願い、誓って」
これは何かあると、勘繰らざるを得ないほどに、彼女は必死な表情を浮かべている。
覚悟さえ決めたような瞳を見て、何も言えなくなったようで、少年は同意した。
「……わかった。誓うよ、リアラ。何があっても、エルレインを止めてみせる。必ず!」
長い沈黙の後、リアラは言葉をかみしめるように頷き、小さく「うん」と呟いた。
「それじゃ、行くわ。未来へ……!」
手にしたレンズ、首元に下がるレンズ両方から輝きが溢れる。