「春ですよー。春なんですよー」
「…一年ぶりに声を聞いたけど、思ったよりも元気そうだな」
山に木霊する春告精の声が聞こえる今日この頃、彼女の言う通り最近は大分暖かくなって来た。
気温が暖かくなるに連れて雪も溶けていき、土の下から植物の芽が覗かせている。
そんな穏やかな日々が続いている中、俺は久々に山の方で釣りをしに来ている。
雪解けで川の量が増してはいるが、足を滑らせて川に落ちるような間抜けじゃないし、冬の間はあんまり釣りをしていなかったから物凄く釣りをしたくて仕方が無かった。
「よっと。……また小ぶりなのが掛かったか」
俺は釣り上げた魚のサイズを見て落胆するが、今の時期だと大振りな魚が掛かる方が稀だし、小ぶりなのが釣れるのは仕方が無いのかもしれない。
とは言え、あまり小さい魚ばかり釣り上げていても面白くないし、もう少し粘って駄目だったら場所を移動しよう。
そう考えながら釣り上げたばかりの魚を逃がし、針に餌を付けてからもう一度川の中に針を投げ入れる。
川の水面に赤いウキがプカプカと浮び、このまま暫く待っていようなどと暢気に考えていると、何の前触れもなく急にウキが川の中に沈んだ。
「ヒットッ! …って、なんだこりゃ?!」
ウキが沈んだのに合わせて竿を立てたものの、針の先から伝わってくる手応えは異様なほどに重たい。
川で釣れる魚にしては重すぎて、下手すると湖で釣れる巨大魚かそれ以上の手応えはありそうだ。
でも川の水深を考えると其処まで大きい魚は住めないだろうし、掛かった魚が一切抵抗しないと言うのもおかしな話だ。
一瞬岩か何かにでも引っ掛かったのかと思ったが、リールを巻くことは出来るし、水面にも少しずつ掛かった獲物の姿が見えてきている。
水面に薄っすらと見える魚影は緑色なのか、その下には青っぽい物も見受けられた。
……緑色の魚が釣れるなんて聞いた事無いし、水面に少しずつ浮ぶ姿はとても魚とは思えない形をしている。
「……なんか変な物を釣り上げたみたいだな」
思い掛けない大物が釣れたと思ったのに、此処に来ていきなり裏切られたような気分だ。
俺は大きく肩を落として溜息を吐きながらも、釣り針を回収する為に掛かった謎の獲物を釣り上げた。
針に引っ掛かっていたモノは、水色っぽい服を着て大きな緑色のリュックを背負った青髪の少女だった。
なんで少女が針に掛かったのか疑問だけど、この状況から見て彼女は水死体か何かなのだろうか?
だけどここら辺に人間が来る事なんてまず無い上に、入水自殺をするにしてもこんな物騒な所に来てまでしないだろし、よく見てみるとただ気絶しているだけみたいで命に別状は無いだろう。
そんな風に考えながらも、あまりこの少女に興味を持てなかった俺は、とりあえず彼女を川から引き上げてからリュックに引っ掛かっている針を回収した。
釣り上げるときに分かっていた事だけど……この子、見た目以上に物凄く重い。
背格好だけ見ると魔理沙と大差ない感じなのに、重さは前に湖で釣り上げた巨大魚と大差ないって如何言う事だよ。
恐らくこのリュックに沢山の物を詰め込んでるんだろうけど、一体何を詰め込めばこんなに重くなるんだ?
物凄くリュックの中身が気に為るところだが、流石に見ず知らずの少女の荷物を漁る訳にもいかないし、ここは好奇心をグッと堪えてさっさと釣り針を外す事にしよう。
「いよっし。やっと針が取れた」
釣り上げた少女を陸に上げた俺は、彼女からリュックを下ろして木陰に寝かせ、リュックに引っ掛かった針をなんとか取り外した。
思ったよりも食い込んでいたお陰で外すのに苦労したが、針自体にはコレと言った損傷は見付からなかった。
アレだけ重いものを釣り上げたら変形しても不思議じゃないが、特にそんな事も無いみたいで安心したよ。
針が無事だった事にホッとしつつ、このリュックを少女の傍に置いて、また釣りを再開する事にした。
まだ今夜の夕食分は釣り上げていないし、碌な魚を釣り上げないまま帰るのはなんか負けた気がする。
思い切ってポイントを移動するって手もあるけど、湖の巨大魚の方が釣れる可能性低いんだよ。
一口に湖って言ってもそれなりに広いし、アイツ等も警戒心が強いから中々ヒットしないんだよな。
気楽に釣りを楽しむならこっちの方が良いし、二人分の魚が欲しいだけだから巨大魚を狙う意味も無い。
そんな考えからもう少し此処で狙ってみる事にしたが、少女を釣り上げたときに魚が逃げてしまったのか、今度は中々当たりが来なくなってしまった。
魚なんてそう簡単に釣れるもんじゃないと自分に言い聞かせるが、川の中に魚の姿が全然見当たらない事を考えると今の状況は絶望的なのかもしれない。
やっぱり此処は素直に移動した方が良いんじゃないかと考え始めたとき―――
「う~ん………ハッ! 此処はダレ? あたしは何処?」
―――なんか典型的なボケを言いながら、釣り上げた少女がようやく目を覚ました。
「よう、目が覚めたのか。思ったよりも早かったな」
「アンタは……誰だっけ? なんかで見た事あるんだけど」
「そうなのか? 俺は君と出会うのはコレが初めてだと思ったが」
「……あ、思い出した! 文の新聞に載ってたリュウとか言う人だ!」
「新聞? ……そう言えば去年の秋ごろに取材を受けたっけか」
言われた時は何の事だかさっぱりだったが、あの天狗の取材を一度だけ受けたのを何となく思い出す。
取材を受けてからなんの反響もないから発行してないかと思ったけど、彼女の話を聞く限りだと一応は新聞を出してはいたんだな。
「いや~、あの文の新聞だからまた出鱈目な記事だと思ってたけど、こうして見るとあの新聞は何時もの出鱈目って訳でも無さそうだね」
「…ちょっと待て。あの天狗の新聞ってどんだけ信用が無いんだよ」
「文の新聞は基本的にゴシップしか書かないから、アレを読んでる奴は記事の内容を鵜呑みに何てしないさ」
「……………」
何やらとんでもない事を言っているが、平然とそんな事を言えるこの少女に思わず絶句してしまう。
この場合は知り合いの新聞を酷評する彼女に驚けば良いのか、知り合いからゴシップ扱いされている天狗の新聞に驚けば良いのか分からないな。
でも、この少女の話しが本当だとすれば、新聞が発行されたにも拘らずなんの反響がないのも頷ける。
最初から信用されてないのなら、どんなに真面目な記事を書いたところで信じてもらえるわけ無いよな。
「…まぁ、あの新聞の事は一先ず置いておくとして。君はどうして川から流れてきたんだ?」
「〝君〟なんて言い方は止めてくれよ。あたしは河童の『河城にとり』。にとりで良いよ」
「それじゃにとり、どうして川から流れてきたんだ? 釣りをしている俺が言うのもなんだけど、今は雪解け水で増水してるから川に近付くのは危険だろ」
「あたしら河童は水辺に住む妖怪だからね、この程度の増水は如何って事無いさ」
「んじゃなんで川から流れてくるんだよ。まさか水辺に住む妖怪の癖に川で溺れたなんて言うんじゃ無いだろうな」
「あ、いや、それは…その……」
今まで軽快に喋っていたにとりだが、此処に来て急に言い辛そうに口淀んでしまう。
その様子は何か隠し事をしているというよりも、恥かしくてあまり口に出したくないって感じがする。
口にするのも恥かしい様な経験をした…って感じでもないし、何をそんなに言い辛そうにしているのか理解出来ない。
男の俺には言えない様な事って訳でも無さそうだし、本当に何が遭って川から流れてきたんだ?
「…どうしても話せないってんなら無理には聞かないぞ」
「其処までの事じゃないけど……」
「だったら話してくれても良いだろ。俺としてはかなり気になってるんだからな」
「……なら、今からする話を他の人…特に天狗たちにしないって約束できる?」
「別に構わないけど…そこまでしないといけない様な事なのか?」
「だって恥かしいじゃないか! 河童のあたしが実験に失敗した挙句、岩に頭をぶつけて川の中で気絶したなんてさ!」
「……なんだそりゃ」
川を流れていたわけを聞けたのは良いものの、あまりにもしょうもない理由に呆れ果ててしまう。
水辺に住む妖怪が川の中で気絶したなんて笑い話も良いところだが、必至になって隠さなくちゃいけないような事なんだろうか?
この辺りは種族による感覚の違いなんだろうけど、あんなにも言い辛そうにしていたわりにはあまり大した理由じゃないな。
「岩に頭をぶつけたってのは良いとして、一体何の実験に失敗したんだ?」
「光学迷彩って言う姿を隠すことの出来る装置だよ。コレを使うと誰にも見付からずに居られるんだ」
「へぇ~…便利なのか不便なのかよく分からん装置だな。…んで? なんで失敗したんだよ」
「実はこの機能を自分の服に取り付けたんだけど、肌が露出してる部分を隠すことが出来なかったんだよ。そこで全部を隠せるように顔をすっぽりと覆えるフードを付けたり、両手を袖の中に入れたりしたら今度は周りが何にも見えなく為っちゃってさ」
「…それで周りに何が在るのか分からず、あたふたしている内に岩に頭をぶつけたと」
「大体はそう言う事。いや~まいっちゃっうね! あはははははははは………はぁ~」
にとりは今回の話しを笑い話にしようとしたが、やはり自分の失敗を恥じているのか、それとも俺の呆れている視線に耐えかねたのか、肩をガックリと落として溜息を吐いた。
一方で彼女の話を聞き終わった俺は、にとりが如何して天狗たちにこの話を知られたく無いのか理由を察した。
他の天狗が如何かは知らないが、あの鴉天狗に知られたら有る事無い事を織り交ぜてより酷い話しになるだろう。
そうなるのを恐れて俺に黙って欲しいと頼んだんだろうけど、なんか哀れに感じて話のネタにする気にも為れない。
こんな話しなら聞くんじゃなかったが、今更そんな事を言ってもどうしようもないし、にとりの為にも早めに忘れるようにしよう。
「光学迷彩自体は成功だったのに、まさか何にも見えなくなるとは思わなかったよ」
「……まぁ、発明自体は成功したんだから良かったんじゃないか? これで作った物も失敗だったら笑い話にもならん」
「確かにそうだけど…って、そう言えばなんでリュウはあたしの姿を確認できたの?」
「なんでも何も、俺はただ釣り針に引っ掛かったにとりを釣り上げただけだ」
「いや、そうじゃなくて、なんで迷彩を起動していたあたしを釣り上げれたのかって話し。迷彩を起動させてたら誰にも見えないはずなのに」
「そんな事言われても川の中に居るときから普通に見えてたぞ」
「えっ? …………ま、まさかッ!?」
俺の話を聞いて何を思ったのか、にとりは大声を挙げると慌てた様子で突然自分のリュックを漁りだした。
彼女のリュックからは何らかの工具や、用途不明な機械の部品なんかが出てくるけど、一体あのリュックにどれだけ詰め込んでいたのか聞きたくなる程の量が出てくる。
幾ら大量の荷物が入ると言っても限度が有るはずだし、そんなに詰め込む必要も無いだろうに……。
それだけ大量の荷物を詰め込んでいれば、川から引き上げるとき重いと感じたのも当然の話か。
自分のリュックを漁る彼女を呆れながら傍観していると―――
「あーッ! やっぱりーッ!!」
―――何か良くない事が遭ったのか、にとりは悲鳴にも似た大声を挙げた。
「…今度は一体なんだよ」
また何か問題でも起こったのかと呆れながら尋ねると、にとりは項垂れた様子で自分のリュックの中を指差す。
落ち込む彼女に首を傾げながらもリュックを見てみると、中にはずぶ濡れになった機械らしき物が入っていた。
しかし、機械関係に関しては門外漢な俺には何が如何なってるのか分からず、機械が濡れているなって位の感想しかもてなかった。
「……この濡れた機械がどうかしたのか?」
「見て分からない?! あたしの光学迷彩発生装置が壊れちゃってるんだよ!」
「いや、光学迷彩って服そのものの事じゃないのか?」
「服に機械部分を付けたらゴツゴツして動き難かったんだよ。だから外部装置を作って動き易くしたのに」
「……………」
「一体何処で壊れちゃったんだろ。リュウに釣り上げられた時には既に見えてたって事は、川の中で壊れたんだろうけどコレと言って損傷はしてないし、やっぱり耐水加工が甘かったのかな? それともシステム自体に過負荷が掛かったとか?」
にとりは壊れた機械を見ながらブツブツと独り言を言うが、正直なところ俺には全く付いていけない世界だった。
魔術的なことだったら多少は理解できるけど、この機械を見て耐水加工がどうだとか、過負荷がどうだとか言われてもさっぱりだ。
にとりは自分の世界に入り込んでいて周りが見えてない様だけど、そう言うのは家に帰って独りで考え込んで欲しい。
「もしかして、安物の銅線を使ったから回路がショートしちゃったのかな? でも、水の中でショートしたなら流石に気付けるか。…ねぇ、リュウはどう思う?」
「……あ~っと、此処で考え込んでも分からないし、家に帰ってその装置をばらしてみたら如何だ? 何が原因か分かるかもしれないだろ」
「それもそうだね。此処じゃ碌な工具もないし、そうしてみるよ」
そう言うとにとりは、周りに落ちている道具を急いで拾い集めてリュックの中に仕舞いこんだ。
大量の荷物を押し込めてパンパンになったリュックを、にとりは特に苦労した様子もなく背負ってみせる。
「それじゃあたしはもう行くね。今日は色々とありがとう」
「あ~別に気にするな。それよりもまた頭をぶつけない様に気をつけろよ」
「あははははッ。流石に何度もぶつける様なドジじゃないって。…それじゃ、縁があったらまた会おう」
そう言って別れを告げたにとりは、自分が流れて来た川の中へと飛び込んでいった。
彼女が飛び込んだ影響で水飛沫が上がり、皮の傍にいた俺はその水飛沫を思いっきり被ってしまう。
にとりに一言いってやりたくなったが、当の本人の姿は既になく、川の中にも彼女の姿を確認する事が出来なかった。
「……はぁ。今日はもう帰ろう」
色々と遭って精神的に疲れた俺は、魚を一匹も釣れないまま家に帰る事にした。
魚が無いと今夜のおかずに困るだろうし、帰り道の途中で適当な獣でも狩って帰ることにしよう。
俺は大きな溜息を吐き出しながらも、釣り道具一式を片付けてこの場を後にするのだった。
早く風神録の話をしたいけど、色々な都合でまだ出来ないんだよなぁ~……。
あぁ、早いとこ溜まっているストックを消化したい。