…さて、龍神様に用事があると言われて急ぎ竜宮にやって来ましたが、その内容を聞いて思わず唖然としてしまいました。
用事と言うのはリュウさんにお酒を届けるだけなのですが、その量が一升瓶を1ケースと言うとんでもない量。
ケースに入っていますから、持ち運べないと言う事もありませんけど……こんなに持っていっても迷惑に為る気がします。
地上では桜も咲き始めてきましたし、今度皆さんを集めて宴会でもやろうとお考えなのでしょうが、それでしたら運ぶのは当日でも問題ないですのに……。
「…はぁ。全く龍神様は、何時も唐突に物事を頼むんですから」
他の仕事も残っているのにこの様な事を頼まれて、わたくしは小さな溜息を吐いて愚痴を零してしまう。
あの方に対してこの態度は如何なものかと思いますが、恐らくこの程度の事は笑って許してくれるはず。
それよりも今はこのお酒を神社に届け、急ぎ他の仕事に戻った方が良いでしょうね。
そう考え頭を切り替えたわたくしは、お酒のケースを手に取り、急ぎ神社へと向かおうとしましたが―――
「永江さん、少々お時間宜しいでしょうか」
―――あまり会いたくない子がやって来てしまいました。
わたくしに声を掛けてきたのは、比較的若い世代の子で数年前に竜宮で働くようになり、今のわたくしの状況を快く思っていない方の代表格みたいな子。
「また貴女ですか。今度は一体なんでしょう」
「…その酒瓶は龍神様に頼まれたモノですか」
「えぇ。ですが、宮仕えの貴女が気にする様な事でもありませんよ」
「そうですか。…でも、天界に奉公に出ている永江さんでなくてもいい仕事ですよね」
「……………」
少し高圧的に言ってみたものの、彼女はそんな事気にも留めずに嫌味を言ってくる。
どうも彼女は竜宮で働いている事に誇りを持っているのか、わたくしがこの宮殿に来る事をあまりよく思っていない。
本来ならこの宮殿に寄り付くことの無いわたくしが、龍神様に何かと重用していただき、リュウさんと親しい間柄でいるのが面白くないのでしょう。
「まったく、如何して龍神様はアナタを使いに出すのでしょう。言葉を伝えたり、荷物を運ぶだけなら彼女ではなくても良いのに」
「…元々これは頼まれた事を満足にこなせなかったわたくしへの罰。他の方に任せてしまっては意味が無くなります」
「そんな事は知っています。ですがそれは何年も前の話ではないですか。今も罰が続いているのはおかしいんじゃないですか」
「それは……」
彼女に言われた事に咄嗟に反論することも出来ず、わたくしは何も言えずに押し黙ってします。
今も罰が続いているのはおかしい。確かにそれは尤もな事ですが、今も続いているのはわたくし個人の意思によるもの。
既に龍神様には許しを得て、元の仕事に戻っても良いと言われましたが、わたくしは自らの意思で続ける事を望んだ。
神社でのあの一時が余りにも心地よくて、お二人をお話できる日が来るのを待ち遠しく思っている自分がいて、知らず知らずの内にあの方の傍に居たいと願っている自分がいた。
だから、どんなに仕事が重なって辛いと感じても、総領娘様に文句を言われたりしても今の関係を続けてきた。
「わたし達、竜宮の使いは主の為に滅私奉公するべき存在。なのにアナタは、あの方に対して私情を持ち込んでいるのではないですか」
「……………」
「本来なら竜に仕える事も出来ないのに、平然とあの方のお傍にいるばかりか私情まで持ち込むなんて……。リュウ様に迷惑が掛かっているとは考えないのですか!」
「…ッ」
罵声を浴びせるように強く言って来た彼女の一言は、わたくしの胸に深く突き刺さる。
何か反論しようとしても言葉が思うように出ず、口を開いても発する事無く言葉を飲み込んでしまう。
彼女が言って来た一言は、わたくしに取ってずっと目をそらしてきた部分。
あの方に懐いてはいけない想いを懐いてしまったわたくしの咎。
惹かれてはいけないと、好いてはいけないと言い聞かせても自分を抑える事が出来なかった。
わたくしはあの一途でお優しいリュウさんの事が……―――。
「懐いてはいけない想いを懐き、あの方のお傍に居ようなど言語道断! アナタには〝竜宮の使い〟としての誇りは無いのですか!」
「……返す言葉もありませんね」
「これ以上あの方に迷惑を掛けるわけにも行きませんから、このお酒はわたしが運びます。宜しいですね」
「……どうぞ、ご自由に」
「では、失礼します」
完全に言い負かされてしまったわたくしは、その場から一歩も動く事も出来ずに、彼女が荷物を持って行くのを見てることしか出来なかった。
勝ち誇った様子に彼女とは反対に、わたくしの胸の中にはどうしようもない嘆きが満ちている。
わたくしが傍に居る事であの方の迷惑に為るのではと考えた事が無いわけじゃない。
たとえ迷惑だと思われても、わたくしはあの方のお役に立ちたかった。リュウさんの傍にいたかった。
リュウさんの心には霊夢さんがいて、わたくしの事なんか見てくれない事は分かってる。…それでも、あの方のお役に立てるならわたくしはそれだけで幸せでした。
……これではあの子に何も言い返せなくて当然ですね。わたくしには私情しかないのですから。
「……もう、終わりにしましょう」
わたくしは小さな声でポツリを呟き、既に誰も居なくなっている広間を後にします。
非常に重い足取りで竜宮を後にしながら、リュウさんにもう神社へは来ないと告げる決意を固めました。
今のままでは何時かあの方に迷惑を掛けてしまうし、未練がましく今の関係を続けても辛いだけ。
あの方は話せば分かってくれますから、きっとこの関係に終止符を打ってくれるでしょう。
…そう考えても足は何度となく止まってしまい、心の何処かで引き止めてくれるのではと考えてしまう。
嗚呼、わたくしはなんて未練がましい女なのでしょう。終わりにしなくちゃいけないのに、あの方に引き止めて欲しいと願っている。
自分の事を見てくれない方を想い続けるのは辛いだけなのに、どうしてすっぱりと諦める事が出来ないのでしょうか……。
断ち切れない想いを引き摺ったまま、コレで終わりにしようと重い足取りであの方の元へと向かいました。
………
……
…
想いを引き摺ったまま地上に降りると、神社に着いた頃にはお昼を回ってしまいました。
既に昼食を食べ終えているのか、神社にリュウさんの姿はなく、霊夢さんは縁側でお昼寝しています。
わたくしは霊夢さんを起こさない様気をつけながら上がり、リュウさんの私室を覗き込んでみましたが部屋にも姿はなく、愛用の釣竿をも部屋の壁に立てかけられてました。
釣竿が部屋に立てかけられているところをみますと、幻想入りした道具を拾いにでも行かれたのでしょう。
恐らく近くの野山にでも行かれたのでしょうが、流石にリュウさんがどの辺りで道具を拾っているのか把握できない。
帰ってくるまで此方で待たせて頂こうかと考えていますと、境内の方から何やら話し声が聞こえてきました。
リュウさんが帰ってきたのかと思い、裏庭から境内へ向かいますと……其処にはあの方と彼女の姿がありました。
「だ~か~ら、何度も言っているだろ。これは俺が好きでやっている事なんだって!」
「そうは仰られても、リュウ様ほどの方がその様な泥臭い作業をするのは間違ってます! 土に塗れた道具を拾うなどの行為は即刻お止め下さい!」
「コレはウチの神社の数少ない収入源だって言うのに、簡単に止められるわけ無いだろ」
「収入なんかよりも威厳の方がずっと大事です!」
「威厳なんかで腹が膨れるか」
どうやら彼女はリュウさんとお会いする事が出来たみたいですが、リュウさんの道具拾いと言う行為に納得が行かない様子。
竜を神聖視している方にとっては、リュウさんの行為を容認する事は難しいのでしょう。
「まったく、永江さんは如何して今までリュウ様の行為を止めなかったのでしょうか。これでは竜神としての威厳が損なわれてしまう」
「彼女の方が理解力があったってだけの事だろ。てか、なんで今日に限ってアンタが龍神の使いなんだ? 普段なら衣玖さんが来る筈なのに」
「彼女は少々事情がありまして、代わりにわたしが使いとして派遣されました。以後お見知りおきを」
悪びれる様子もなく嘘を付く彼女に思わず腹を立てますが、此処にはもう来ないと決めたわたくしには彼女の元へ向かい文句を言う事も出来ない。
むしろ、彼女の付いた嘘に便乗してしまった方が別れ易くなるのかも知れません。
「事情があって代わりに…ねぇ。俺はそんな話し聞いていなかったんだが」
「龍神様もアナタ様と同様に多忙なお方です。その影響で連絡しそびれたのでしょう」
「俺はアイツと違って暇人だ」
「そ、そんな筈は無いでしょう。アナタ様ほどのお方が暇だなどと……」
「嘘じゃねぇよ。俺は自分の生きたい様に生きているだけで、神なんて面倒な生き方はしていない」
「……………」
リュウさんの何気ない言葉に彼女は呆気に取られたのか、何も言えずに呆然と立ち尽くす。
噂でしかあの方の事を知らない彼女に取っては、今の発言はあまりにもショックが大きかったのでしょう。
「とりあえず衣玖さんが来れないの分かったから、アンタはその酒瓶を置いてとっとと帰れ」
「い、いえ! せっかく此処まできたのですから、リュウ様の身の回りのお世話をさせて頂きます!」
「んなもん必要ねぇよ。そんな事して貰わなくちゃいけないほど困ってもいないしな」
「ですが、今まで永江さんにはさせていたのでしょう? でしたら今後はわたしが代わりにお世話します!」
追い返そうとするリュウさんに、彼女は必至になって追い縋ろうとする。
そんな彼女の様子を見てリュウさんは心底ウンザリした様子で溜息を吐いた。
「はぁ…。どうやらはっきり言ってやらないと分からない様だな」
「何がですか。わたしはただアナタ様の為に―――」
「アンタじゃ衣玖さんの代わりは無理だ。他の誰が来ても彼女の代わりには為れない」
「―――……えっ」
リュウさんが仰った一言に彼女だけではなく、盗み聞きしていたわたくしも目を丸くして驚いてしまった。
あの方が仰った言葉は余りにも予想外で、その言葉を如何受け止めれば良いのか分からずに戸惑ってしまう。
「か、代わりになれないって如何言う事ですか!? わたしは彼女よりもずっと優秀です!」
「優秀か如何かなんて関係ない、衣玖さんは俺に取って掛け替えの無い友人なんだ。そんな人の代わりなんて居る筈無いだろ」
「友人…? 永江さんはアナタ様の従者ではないのですか?」
「誰が何時そんな事を言ったんだよ。ったく、
竜の世界で流れているご自分の噂を察したのか、メンドクさそうな様子でリュウさんは肩を落とした。
一方で噂の内容を信じていた彼女は、この現実を受け入れられないのか落胆した様子で俯いている。
最近の噂ではリュウさんはかなり神聖視されていて、一部では龍神様よりも尊い存在とまで言われている。
そんな話しを信じていた彼女に取っては、噂を全否定するリュウさんは相当堪えたのでしょう。
「……事実無根な噂が飛び交っている事は認めます。ですが、アナタ様に従者が居ないのも事実なんですよね」
「ん? まぁ…昔は使い魔が二体ほど居たが、確かに今はそう言う奴を傍に置いていないな」
「でしたら、わたしをアナタ様の従者にしてください! 必ずや永江さんよりも働いてみせます!」
思い描いていた理想とはかけ離れた現実を前にしても、彼女はあの方の従者になるのを諦めようとはしない。
世話をしてくれる者など必要ないと言われたにも関わらず、必至になってリュウさんに懇願する姿は他の方が見たら滑稽に映るのかもしれない。
…ですが、わたくしには彼女の事を笑う事なんて出来ない。あの方の傍に居たいと願うのはわたくしも同じ。
そんな人が今の彼女を笑う資格なんてこの世の何処にも存在しないのだから……。
「あのなぁ……。さっきも言ったが俺は従者なんて求めて無いんだよ」
「ですが、仕事に私情を持ち込むような方よりはずっとマシです!」
「彼女が此処に来たのは仕事をする為じゃないし、友人が私情を持ち込んで何が悪いんだよ」
「そうだとしてもわたしの方が―――」
「くどいぞ。何度も言っているが、お前じゃ彼女の代わりには為れない」
「―――………」
必至に為って追い縋ろうとする彼女にリュウさんは、わたくしの代わりに為れないとはっきりと言い捨てる。
その言葉で彼女は如何足掻いても無理なのだと悟ったのか、それ以上あの方に縋ろうとはしなかった。
残念そうに肩を落とす彼女にリュウさんは何の言葉も掛けず、ただ面倒そうに彼女の事を見ている。
お二人の間に僅かな間だけ沈黙が続き、肩を落としていた彼女が顔を上げて口を開いた。
「…リュウ様、最後にお聞きしたい事が御座います」
「今度はなんだよ」
「もし、もし仮に誰かを従者に取る様な事があれば、その時アナタ様は誰を選ぶのですか?」
「……本当にへんな事ばっかり聞いてくる奴だな」
「申し訳御座いません」
「従者に誰を選ぶかねぇ……。万が一そんな事があるのだとしたら、俺はきっと衣玖さんを選ぶだろうな」
「その理由は?」
「別に大した理由なんてねぇよ。ただ俺が彼女に居て欲しいと思ったからだ」
「…さようで御座いますか」
答えを聞いて踏ん切りが付いたのか、彼女は小さく微笑んでから持って来た荷物を地面に置き、リュウさんに背を向けてこの場から去ろうとする。
しかし、背を向けた彼女の両肩が小さく震えているのをわたくしは見逃さなかった。
「……これ以上此処に居てはご迷惑に為りますので、わたしはここで失礼させて頂きます」
「ああ、分かった」
「それでは、さようなら」
リュウさんの顔を見る事無く別れを告げた彼女は、そのまま振り返る事無く空へと飛んでいく。
少しの間彼女の後姿を見送っていたリュウさんですが、彼女の姿が見えなくなるまで見送る事はなく、地面に置かれた酒瓶のケースを軽々と持ち上げて溜息を吐く。
「はぁ…。なんか面倒な事になってるみたいだけど、詳しい事は龍神の奴にでも聞くか。どうせ今夜の宴会に顔を出すだろうし」
リュウさんは面倒そうに呟いた後、荷物を抱えたまま此方へと向かって歩いてくる。
今鉢合わせするのは気まずいと感じたわたくしは、後先考えずに全速力で飛んでこの場から離れる。
もしかしたら最初から気が付いていたかもしれませんが、今のわたくしにはあの方に合わせる顔なんてない。
あの方に別れを告げようと思ってきたのに、あの方に必要とされていると分かった途端、別れを告げるのが急に惜しくなった。
想いを断ち切ろうとしていたのに、どうしてわたくしはこの様な時に会いに行ってしまったのでしょう。
必要とされていると分かってしまえば、あの方から離れる事が出来なくなってしまう。
見てくれないのなら、せめて必要とされたい。その思いが今の関係を続けている原因となっているのに……。
全速力で飛ぶ事に疲れたわたくしは、山から流れる川辺の近くに力なく降り立った。
あの方から離れることも出来ず、今の関係を続けるのは余りにも辛すぎる。
自分自身でも一体如何すれば良いのか分からず、自然と瞳から零れた涙が頬を伝う。
「……わたくしはいったいどうすればいいの。だれかおしえてください……」
涙声で助けを求めるけど、この声に応えてくれる人は誰も無い。
如何する事も出来ない想いを抱えたまま、わたくしは独り涙を流し続けるしかなかった……。