鬱陶しかった梅雨が過ぎて、真夏の太陽が地上に燦々と降り注ぐある日、霊夢と以前から約束していた向日葵畑に出かける事にした。
去年は異変の所為で花が枯れていて見せる事が出来なかったが、今年は草木に影響の出るような事件は起こらず、畑には一昨年に勝るとも劣らない大輪の花が咲いていた。
あの場所に居た幽香の奴には前もって連絡を入れていたし、人も妖怪もあまりより付かない場所だから誰かに邪魔されるって事も無いだろう。
「……それにしても、霊夢の奴まだかな」
俺は真夏の日差しが燦々と降り注ぐなか、鳥居の下に立って霊夢が来るのを待っていた。
一時間くらい前から待っているんだが、未だに彼女がやって来る気配は無い。
今日出掛けると言うのは、昨日のウチからしていたから準備に手間取っているとも考え難い。
第一、朝早くから起きて色々と準備していたから、手間取るわけも無いんだが……本当に何してるんだか。
鳥居に背中を預けて寄り掛かり、ボーっと境内の方を眺めていると、手提げの籠を持った霊夢が小走りで走ってくるのが見えた。
「遅いぞ霊夢」
「ごめん、色々と探すのに手間取ってた」
「それなら一言言ってくれよな。一緒に探したのに」
「私もそう思ったんだけど、直ぐに見付かると思ったのよ」
「…まぁ、いっか。それじゃ行くぞ、霊夢」
「うん!」
元気良く返事をすると、霊夢は空いている手で俺の手を握ってきた。
俺がその手を握り返してやると、霊夢は本当に嬉しそうな顔で笑い掛けてくる。
こうして俺達は、手を繋いだまま空へと飛び上がり、目的地である『太陽の丘』へと向かった。
………
……
…
空を飛んで直接行っても良かったんだが、偶には霊夢を驚かせてやろうと思い、畑の手前に在る森の中を二人で歩いている。
ちゃんとした道なんてないが、草が生い茂っているわけでもなく、人が通れるくらいのスペースは確保されていた。
あの妖怪が気を利かせてくれた……って事は無いだろうし、恐らく前々から人が通れるくらいのスペースがあったんだろう。
そんな事を思いながら俺は握った霊夢の手を引いて、彼女が少しでも歩き易いように前を歩いている。
「それにしても……」
「ん? なんだ?」
「折角リュウとのお出掛けなのに、普段通りの服って如何なのかしらね」
前を歩きながら視線を霊夢に向けると、複雑そうな顔でそんな事を呟いた。
確かに今の霊夢の格好は普段となんら変わり無い服装をしている。
すっかり見慣れてしまった巫女服ではあるが、霊夢には何か引っ掛かる部分があるらしい。
「普段通りもなにも、それ位しか服がないなら仕方が無いんじゃないか?」
「それはそうなんだけど、折角の機会なんだし、別の格好でも良かったんじゃないかって」
「無い物ねだりしたって仕方が無いだろ。今回は諦めとけって」
「確かにそうなんだけど……。こんな事なら衣玖に服でも借りて置けばよかった」
「止めとけ止めとけ。ぜってぇ似合わねぇから」
「なんでそんな事言うのよ。もしかしたら完璧に着こなせるかもしれないのよ」
「……じゃあ聞くけど、お前あの服装を着こなす自信があるのか?」
「ごめん、無理」
自分から聞いておきながら、余りにも早い霊夢の返事に俺は思わず笑ってしまう。
いきなり笑われたの気に入らないのか、霊夢は抗議するように睨みながら頬を膨らませてくる。
霊夢のその表情は、恐いというよりも可愛らしいって感じなんだが、口にするともっと怒るだろうから黙っていよう。
「兎に角よ! こう言う時に着る服があって良いと思うのよ!」
「俺にそんなこと言われてなぁ~」
「何よ、リュウは違う服を着た私を見たくないの?」
「偶になら見てみたいが、めかし込み過ぎて変な格好をされても困るぞ。春先の薄着とかな」
「あ、アレについては忘れなさい」
「いや、結構印象が強くて中々忘れられないんだよ」
そんな話をしながら二人でのんびりと森の中を歩いていると、木々の間から一面に広がる黄色い景色が見えてきた。
如何やら目的に着いたらしく、霊夢も目の前から見える景色に興味が湧いたのか、木々の間から覗き込むようにその景色を見ている。
今にも駆け出しそうな霊夢だが、繋いだ手を確りと握ってその逸る気持ちを抑えている。
こうして手を繋いだまま森を抜けると、俺の身長よりも高い向日葵が無数に咲き誇る、広大な花畑へと辿り着いた。
「着いたぞ、此処が目的地だ」
「……凄いわね」
俺がこの向日葵畑を紹介すると、霊夢は驚いた様子でポツリと一言だけ呟いた。
何度か眼にした今でも圧倒されるが、初めて見た霊夢の驚きはそれ以上らしく、彼女にしては珍しく言葉が出て来ないみたいだ。
こんなにも驚いてくれたのなら、俺としても連れて来た甲斐があったが……ただ此処で見ているだけも面白くない。
そう思った俺は、呆然としている霊夢の手を引いて、目の前に広がる花畑の中へと入っていく。
畑一面に咲き誇る向日葵の花は、野生で群生しているには余りにも背が高く、中に入ってみると向日葵以外見えなくなってしまうほど。
こんなにも背の高い花に囲まれるのは初めてなのか、霊夢にしては珍しく周囲をキョロキョロと見渡している。
「離れて見ても凄かったけど、近くで見るとまた圧倒されるわね」
「俺達よりも背が高くてこの数だからな。俺も初めて見たときは驚いたよ」
昔を懐かしむような口調で言いながら、霊夢の手を引いて二人で畑の中を歩く。
この向こうに何かが在るって訳でもないが、こうして一緒に歩くだけでも楽しいと思える。
俺もこの世界に来て随分と変わったと考えていると、霊夢が急に繋いでいた手を離してきた。
一体如何したんだと後ろを振り返ると、其処に彼女の姿はなく、俺は一人向日葵畑に取り残されていた。
「……霊夢?」
何処にいるのか分からず、一応呼び掛けてもみるが……霊夢からの返事はない。
ついさっきまで確かに一緒だった筈だが、一体何処に行っちまったんだ?
姿の見えない霊夢を探して、周りをキョロキョロと見渡してみるが、やはり姿は何処にも見当たらない。
仕方が無く周りの気配を探ってみると、後ろの方で俺の様子を窺っている誰かが居るのが分かる。
後ろで様子を窺ってるのは、十中八九霊夢だと思うが……一体何がしたいんだアイツ?
霊夢の行動を理解出来ないまま、彼女を見つけようと後ろを振り返ると―――
「わッ!」
「うわぁッ?!」
―――何時の間にか真後ろに移動していた霊夢に驚かされてしまった。
「あははは。どう驚いた?」
「驚いたって……いきなり何すんだよ」
「私の方ばっかり驚かされて癪だったから、お返しに驚かそうと思って」
「あのなぁ……」
なんとも子供っぽい事を言う霊夢に、俺は思わず呆れ果ててしまった。
いきなり手を離すから、何事かと思って心配してみれば……こんな理由とはな。
「ごめんごめん。…でも、アンタの驚いた顔が見れたからよし」
「……俺で遊ぶな!」
霊夢に言い分にイラッと来た俺は、彼女の頭に軽く手刀を叩き込もうとしたが、後ろに跳ばれて避けられてしまった。
「……………」
「……………」
俺は無言のまま一歩詰めても叩き込もうとするが、またしても後ろに跳ばれて避けれてしまう。
懲りずにもう一度叩き込もうとするが、今度は横に跳ばれて避けられてしまった。
「……とりあえずだ、霊夢。其処を動くな」
「いやよ。文句があるなら捕まえてみなさい」
「上等!」
霊夢の挑発に乗ってしまった俺は、ムキになって逃げる彼女を追い掛け始めた。
幽香お気に入りの向日葵畑と言う事もあって、下手に本気になって追いかける事も出来ない。
その事を知って知らずか、霊夢は捕まりそうで捕まらない微妙な間合いを取って、楽しそうに俺の手から逃げ続ける。
あと少しで捕まえられそうなんだが、その〝少し〟を詰められず中々にもどかしい感じがする。
でも、此処に霊夢を連れてきたのは俺なんだし、コレばっかりは自業自得で片付けるしかないか。
「だー! ヒョイヒョイと逃げるな!!」
「そう簡単には捕まらないですよーっだ」
「うがーッ!」
………
……
…
向日葵畑の中で、霊夢と三十分くらい追いかけっこしていた俺は、なんとか彼女を捕まえる事が出来た。
霊夢を捕まえるまでの間に、何度追いかけるのに邪魔な向日葵を斬ってやろうと思った事か。
ホントに花が無ければもっと楽だったんだが、下手に折ったりすると、幽香にどんな目に遭わされるか分かったもんじゃない。
そこら辺の事も気にしながらだったから、霊夢を捕まえるのには本当に苦労したよ……。
そんな苦労をしながら霊夢を捕まえた頃になると、太陽は天高くまで昇っていてかなり暑くなってくる。
俺達は向日葵畑から出て、直ぐ近くにあった木陰の中に避難して、そこで昼食を取る事にした。
「あー楽しかった」
「俺はちっとも楽しくない」
「そう? 私には笑ってる様に見えたけど?」
「きっと霊夢の見間違いだ」
「……なら、そう言う事にしておくわ」
霊夢はクスクスと笑いながら、持って来た籠を取り出して、中から竹の水筒と笹の葉で包まれた何かを渡してきた。
おにぎりでも包まれているかと予想していたが、意外なことに笹の葉の中にはパンが数個入っていた。
「霊夢がパンを用意するなんて珍しいな」
「本当はおにぎりを作りたかったんだけど、夏の暑い時期に来るのは予想出来てたから、傷みそうな物は止めといたのよ」
「なるほど。……で、なんで笹の葉なんだ?」
「他に包める物が無かったのよ。家にあると思って衣玖に借りなかったのは失敗だったわ」
悔しそうに唇を噛む霊夢を見て、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
其処まで悔しがるほどの事でもない思うが、如何やら霊夢に取っては違うようだ。
「まぁ、そう言う失敗は次に活かせば良いさ」
「え、次も何処かに連れて行ってくれるの?」
「あ~……また何か見つけたらな」
「なによその返事は。ちゃんと約束してくれても良いじゃない」
「さ~って、腹も減ったし飯にするか」
「あ、誤魔化した」
ジト目で睨んでくる霊夢を無視しつつ、俺はパンを手に取り、そのまま齧り付いた。
パンを齧ると、口の中にパンの淡白な味わいと甘いイチゴジャムの味が広がる。
この世界に来てパンを食べる機会が減ったから、随分と久し振りに食べた様な気がする。
「…それにしても、リュウがウチに来てから色んな事があったわね」
「ん? 突然なんだよ?」
「アンタが来てからもう2年…いや、3年くらいになるのかしら? たった3年なのに、今まで知らなかった事を沢山知れたわ」
「それは…良い事、なんだろうか? 世の中知らないほうが幸せな事も沢山あるだろ」
「私にとっては幸せな事よ。リュウと出会ってから毎日が楽しいんだもの。そんな楽しい毎日が不幸せな訳ないじゃない」
「そ、そうか」
臆面も無く告げてきた霊夢の言葉に、俺は気恥ずかしさから思わず照れてしまった。
こんな事を言われるなんて思ってもみなかったから、どう返事をすれば良いのかわからず適当にはぐらかしてしまう。
ただ、こんな俺でも霊夢の事を幸せに出来ているんだって思うと、恥かしさもあるけどそれ以上に嬉しいって思える。
今まで誰かを不幸にする事の方が多かったけど、俺みたいな奴でも霊夢を幸せにしてやる事は出来るんだな……。
「リュウに出会う前の私だったら、この場所を見つけても何の感慨も無く通り過ぎるだけだったんでしょうね。でも今は、今まで気付けなかった幻想郷を知る事が出来て良かったって思ってる」
「俺は今までと違う環境の世界にやって来たもんだから、新鮮さよりも戸惑う事の方が多かったな。見るもの聞くもの全てが初めての事で、最初は如何したら良いのか分からなかったよ」
「確かに来たばかりの頃のリュウは色々と酷かったものね。里を案内した時だって辺りをキョロキョロと見渡して、本当に恥かしかったわ」
「あ~……その節は大変ご迷惑をお掛けしました。できれば忘れてくれると物凄くありがたい」
「いやよ絶対。あんなに落ち着きの無いリュウなんて、もう二度と見られないかも知れないんだから、また思い出したときにネタとして弄ってあげるわ」
「勘弁してくれ……」
嫌な事を思い出されて頭を抱えていると、その様子を見ていた霊夢が可笑しそうに笑い出す。
笑っている霊夢の顔を何となく見ていると、昔の事を思い出していたからか、ふと初めて会った頃の霊夢の顔が脳裏を過ぎる。
「……………」
「ん? どうかしたのリュウ?」
「いや、初めて会った頃に比べて霊夢は良く笑うようになったなって思って」
「そうだったかしら? あんまり自覚してないんだけど」
「あの頃のお前はもっとサバサバしていたと言うか、もっとツンケンしてたぞ」
「…まぁ、昔は他人に興味なんてなかったしね。リュウと出会わなかったら今も他人に興味なんて持てなかったわ」
「だけど今はこうして笑顔を見せてくれる。そう思うとちょっと感慨深くてな」
「なによそれ。もしかして、昔のツンケンしてた頃の私のほうが良かったとでも言いたいの?」
「いや、俺は笑っている霊夢の方が好きだ」
「ッ!? ば、バカ。突然なに恥ずかしい事を言ってるのよ」
「本当のことなんだから仕方が無いだろ」
「あぅ……」
思っている事をはっきりと伝えると、霊夢は顔を真っ赤にして縮こまってしまった。
そうやって顔を真っ赤にしている霊夢をからかってやると、今度は飛びつかんばかりの勢いで怒鳴り込んでくる。
その時の霊夢の様子が可笑しくて、思わず笑ってしまうと頬を膨らませて睨み付けて来た。
流石にこれ以上怒らせると後が怖いし、今日はとりあえずこの辺にしておこう。
そんな風な事を考えながら、機嫌が直る事を願って霊夢の頭を優しく撫でてやる。
「……そんな事されたって許さないわよ」
「でも、こうして頭を撫でられるの好きだろ」
「まぁ…嫌いじゃないけど……」
「それじゃ、今はコレで機嫌を直してくれ」
「……仕方が無いわね。今回だけよ」
口ではそう言いながらも、霊夢は嬉しそうに頭を撫でられるのを甘受する。
二人で他愛の無い話をしながらと昼食を食べていると、突然霊夢が眠たそうに大きな欠伸を掻いた。
「なんだ、霊夢? はしゃぎ過ぎて疲れたのか?」
「そんなんじゃないけど……」
「眠いなら無理しないで寝てても良いぞ」
「でも、折角のお出掛けなのに勿体無い様な気がして」
「別に今日しか出来ない訳じゃないんだし、無理する必要は無いだろ」
「……そうね。なら、お言葉に甘えさせて貰うわ」
そう言うと霊夢は、持って来た荷物を片付けた後、俺の膝を枕にして横になった。
余りにも突然の事に俺は一言いおうとも思ったが、別に困る事でもないので気にしない事にした。
俺はパンと一緒に手渡された水筒の口を開け、中に入っている液体を飲んで喉の渇きを潤して空を見上げる。
木陰の中に入っているとは言え、流石にこの時期の太陽の暑さは中々堪えるものがある。
そう感じた俺は、力を使って風を操り、穏やかな風が俺達の所を吹き抜ける様に気流を操作した。
夏の風だから生温い感じはするけど、風一つ無い状況で眠るよりは幾分かマシになっただろう。
「あのさ、リュウ……」
「ん? なんだ?」
霊夢に呼ばれて視線を下げると、彼女は何処か言い辛そうに俺を見上げていた。
「……別に珍しい所でなくても良いから、また何処かに連れて行ってね?」
「嗚呼、何時かきっとな」
「うん、約束よリュウ」
何時に為るか分からない約束を交わすと、霊夢は本当に嬉しそうに微笑んだ後、瞼を閉じて静かに眠りに付く。
眠っている霊夢の髪を優しく撫でると、何故だか俺まで眠くなってくる。
起きていてもする事の無い俺は、後ろの木に寄り掛かって霊夢と一緒に眠る事にした。