幻想郷が梅雨入りするよりも前の事。
空に浮ぶ雲よりも遥かに高く、広大な大地が浮び広がる世界『天界』。
その中で『有頂天』と呼ばれる区画に、地上では見る事の無いくらいの大きな屋敷が建っていた。
天人や天女が暮しているその屋敷の一室で、緋色の衣を纏った女性が天衣無縫の衣服に身を包んだ青髪の少女の前に、何やら困り果てたような顔をしていた。
「……如何しても受理して頂けないのですか?」
「何度言われたって駄目なものは駄目よ」
緋色の女性は懇願しているのだが、少女は女性の話を取り合おうともせず、彼女の頼みを拒絶し続けている。
女性は元々この屋敷で働いていたのだが、別に仕えるべき主を見つけ、その者の下で働く為に主であった少女に辞表を提出したのだ。
しかし少女は、出された辞表を読もうともせず破り捨て、女性の願いを聞き届けようともしない。
ただ女性に今まで通り働けと言うばかりで、まともに取り合おうともせず女性を困らせていた。
「衣玖が如何して辞めたいのかなんて聞く気も無いけど、アンタはワタシの従者なんだから今まで通り働きなさい」
「わたくしの心は既にあの方に捧げています。ですから、今まで通り総領娘様の下で働くと言う訳には……」
「そんなのワタシの知った事じゃないわよ。アンタはワタシの物なんだから、今まで通り言う事を聞いていれば良いの」
「……………」
早く新しい主人の元で働きたいのだが、辞表を提出しに来た時から話は平行線のまま、一歩も前に進まずにいる。
少女の事は無視して主の元へ赴くと方法もあるが、今まで世話になって来た為その様な不義理な真似をする事も出来ない。
幾ら少女が自分勝手とは言え、その者の下で働いていた以上は、通さなければ為らない筋と言うものがある。
女性はそう考えているからこそ、断られても諦めたりせず、何度も通い少女に懇願し続けていた。
だが、少女はそんな女性の気持ちなど露知らず、ただ気に入らないと言う理由だけで彼女の辞表を破り捨て続けていた。
「全くこんなモノ出されたって認めるわけ無いでしょ。寧ろ天人に仕えれる事を誇りに思いなさい。第一、その男の何処がいいって言うのよ。話を聞く限りだとただの貧乏人じゃない」
「裕福であるかどうかなど些細な事です。ただわたくしがあの方に惹かれ、共にありたいと願うからこそお傍でお仕えしたいのです」
「だ~か~ら、そんな事を聞いてるんじゃないの。天人のワタシではなく、土臭い地上人の何処が良いのかって聞いてるのよ。如何考えてもワタシの方が良いに決まってるじゃない」
「そんな、総領娘様とあの方を比べるだなんて……そんなのあの方に失礼にも程があります! 確かに普段のあの方は若干天然が入っていて、優しい三枚目な殿方と言う感じもしますが、自らの信念を貫く確固たる意思と強さを持っているのです! 普段はお優しいあの方も、何かの障害と直面したときには己の存在の全てを賭けて己が信念を貫いてみせます。しかし、その強さと同時に危うさも秘めていますが、だからこそお傍でお仕えして支えとなりたい思えるのです。あの方の何気ない笑顔で癒され、あの方の真剣な眼差しに胸がときめき、あの方の為に尽くす事ができる……これ程に素晴しい生き方があるのでしょうか。いえ、きっとない!」
「………………」
普段ならまず見られないようなテンションの高さに青髪の少女は思わずドン引きしてしまった。
ココまで熱を入れるのだから相当な相手なのだろうが、天界で暮す少女からしたら地上の者に其処まで熱を入れられるのか理解できない。
一方で緋色の女性は、普段なら紅白の巫女以外に語ることの無い思いを語り、青髪の少女が引いている事に気付く。
二人が居る一室にはなんとも微妙な空気が漂うが、その空気を払うように緋色の女性は小さな咳を一つ吐いて話を戻す。
「そ、そう言うわけですので、わたくしの心は既にあの方の物なのです。総領娘様の下に居るわけには参りません」
「従者の癖に言ってくれるわね。……だったら、衣玖には二ヶ月間ここで働いてもらって、ワタシの素晴しさを再確認させてあげる」
「でしたら、その二ヶ月の間にわたくしの心が変わらなかった暁には、辞表を受理して頂けますね」
「えぇ良いわよ。どうせ無駄でしょうけどね」
「わたくしのあの方への思いは変わりはしません。……では、失礼させて頂きます」
女性は礼儀正しく一礼してから部屋を出て行くと、部屋に残された少女は一人なにかを思案し始める。
少しの間考え事をしていると、少女は何か面白い事を思い付いたのか、悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。
リュウSide
空の彼方に緋色の雲を見かける様になったある日、俺は神社の本殿前で衣玖が来るのを待っていた。
彼女が辞表を出しに天界に行ってから早二ヶ月、神社にやって来るどころか連絡一つよこしてこない。
衣玖も子供ではないんだし、捜しに行くほど事でもないと思うんだが、二ヶ月もの間に一度もやって来ないと為ると流石に心配になってくる。
ウチに来る様になって週にニ・三回は来ていたから、こんなにも長い間やって来ないのは今回が初めてだ。
恐らく出した辞表が受理されずに困っているんだろうが、連絡の一つや二つくらい寄越しても良いだろうに……。
「……ったく、一体なにをしてるんだか」
俺は雲一つ無い快晴の空を見上げながら一人呟いた。
空からは夏らしく太陽の光が燦々と降り注ぎ、今日も昨日と変わらず暑い一日になりそうだ。
此処最近は連日の様に快晴が続いている為、ほぼ毎日の様に真夏日が続いている。
霊夢は洗濯物が良く乾くと喜んでいるが、よく調べてみると快晴が続いているのは神社だけらしく、他の場所では霧雨が降ったり雹が降ったりしているらしい。
恐らくは何らかの異変だと思うんだが……特に害意もないし、解決するのも面倒なので絶賛放置中だったりする。
「無駄に晴れやがって、今日も暑いなぁ~……」
夏らしい暑さに参った俺は、涼む為に本殿前から母屋の中へと退避する事にした。
玄関から母屋の中に入り、靴を脱いで居間へと上がると、霊夢が団扇を片手で扇ぎながら寝そべっていた。
居間の四つの隅には少し大きめの桶が置いてあり、その中には俺が作り出した氷塊が入れられていて、涼しげな冷気を放っている。
夏の耐えかねた霊夢が頼んできたモノだが、狭いこの居間の中では絶大な効果を発揮していた。
「あ、お帰りリュウ。その様子だと衣玖はまだ来てないのね」
「ただいま。…お察しの通り、やって来るどころか連絡一つ無いよ」
俺は霊夢に返事をしながら適当な場所に座り、掌の中で小さな氷を作って口の中に放り込んだ。
口から伝わる冷たさを甘受していると、霊夢が何かを強請るように手を差し出してくる。
如何いう意味か直ぐに察した俺は、彼女の手の上に小さな氷の塊を作り出してやる。
俺から氷を受け取った霊夢は、そのまま氷を口の中に放り込んで、氷の冷たさを味わう。
「……それにしても、衣玖が二ヶ月も来ないなんて初めてよね」
「だな。何が遭ったのか知らないけど、コレ以上遅くなるようなら捜しに行くか」
「う~ん……私の勘だと、辞表が受理されなくて困ってるだけだと思うけど?」
「そうだとしても、一度くらいは様子を見に行くべきだろ。不当に働かされてる可能性もあるしな」
「確かにそうかもしれないわね。ならその時は私も一緒に行くわよ」
「来てくれるのは有り難いが……巫女としてそれで良いのか?」
「そんなの今更じゃないの。アンタが気にしなくても良いわよ」
「……それもそうだな」
霊夢とそんな事を話ながらのんびりとしていると、何の前触れもなく大地震が発生した。
地震は大地を揺らすだけではなく、神社全体を大きく揺らし、棚に入っていた食器が次々と外に放り出される。
「ちょッ?! 一体何事よ!?」
余りにも突然の出来事に霊夢も困惑していたその時、居間に置かれていた棚が霊夢目掛けて倒れ始めた。
その事にいち早く察知した俺は、驚いている霊夢を抱き抱えて、素早く空の上へと脱出する。
俺が霊夢を抱えて外へ出ると、擦れ違い様に棚が倒れ、連鎖的に他の家具も次々と倒れて行く。
空からこの状況をただ呆然と見ていると、地震の揺れに大黒柱が耐え切れなかったのか、母屋が屋根から崩れ落ちてしまった。
続いていた地震が漸く終わり、辺りの景色を見てみると……神社が建っていた場所には、瓦礫の山が出来上がっていた。
突然起こった出来事に呆気に取られてしまうが、俺達の家が一瞬にして瓦礫の山に為った事に代わりは無かった。
「い、一体なんだって言うのよ……」
「そんなの俺が聞きたいっての」
俺達は困惑しながら地面に降りて周囲を見てみると、周りの状況が少しおかしな事になっているのに気づく。
神社を倒壊させるだけの地震が発生したのに、周辺に広がっている森には何の変化も無く、山道の前に在る鳥居には皹一つ入っていない。
あれだけの大地震が起こったのなら、周りの物も倒れていてもいい筈なんだが、どう言う訳か倒れたのは神社だけと言う不自然な状況に為っている。
神社だけを倒壊させる局地的地震なんて、普通に考えて自然的に起こる訳もないし、如何考えても今のは人為的に発生したものだな。
何処の誰が何の目的で起こしたのか知らないが、俺達を狙ってくるだなんて随分といい度胸してるじゃねぇか。
俺が今回の犯人に対して静かに怒りを募らせていると―――
「あーーーーーーーッ!!!!」
―――隣に居る霊夢が突然大声を挙げてきた。
驚いた俺は、一体何事かと霊夢の視線の先にある物を追っていくと、其処にあったのは瓦礫に埋もれている『パンク』人形だった。
家が壊れたときに木片でも刺さったのか、人形のアチコチから綿が飛び出していた。
「わ、私のお気に入りが…………」
「アレ、お気に入りだったのかよ」
霊夢が地面に手を付いて落胆している横で、俺は思わず変なツッコミを入れてしまった。
物を大切にするのは良い事だと思うが、正直なところあの人形は大切にして欲しくない。
只の人形であるものの、姿形は俺が変身出来る竜の一体と寸分違わぬ形だから、アレを愛でられるのは正直恥かしくて堪らない。
直接アレを捨てろとは流石に言えなかったが、あそこまでボロボロに為ってしまえば捨てるしかないな。
ついさっきまで怒りを募らせていたのに、今では冷静になって物事を考えている。
霊夢には悪いと思うものの、内心ではアレを捨てる口実が出来た事に喜んでいる俺が居た。
そんな事を思っていると、酷く落胆していた霊夢がゆっくりと立ち上がり、何かが吹っ切れた様な小さな溜息を吐いた。
「……何処のどいつか知らないけど、私に喧嘩を売った事を後悔させてやるッ!!!」
霊夢は空に向かって大声で宣言すると、神社の惨状に眼もくれず一目散に飛んで行ってしまった。
一人神社に残された俺は、これからボコボコにされるであろう犯人の冥福を祈りつつ、暫くの間泊まらせてくれそうな家を捜す事にしよう。
真っ先に思い浮かんだのが先代の家だが、あの人の家に暫くの間住まわせてもらうのは気が乗らないな。毎日の様に霊夢と喧嘩する光景しか浮んでこないし。
流石にそれは精神衛生上あまりよろしくないし、他の家に泊まらせてもらったほうがあの二人の為に成る様な気がする。
そうすると…………泊まらせてくれそうな奴の所に片っ端から出向いてみるか。ここで考えていても始まらないしな。
リュウSide out
次回の更新は15日の月曜日になります。土日に野暮用があるって言うのと、次回の話は1から書き直さないといけないので。
今回衣玖さんがリュウの事を如何思っているのか書きましたけど、霊夢がリュウを如何思っているのか知りたい人っていますか? 本編の霊夢回を読めば何となく分かりそうな物ですが、衣玖さんの様に語る機会って今後ないとおもうんですよね。
なので知りたいって方が居たらメッセージかなんかで教えます。……まぁ、そんな人が居るとは思えないけど。