何時もと変わらず参拝客の居ない博麗神社。綺麗に掃除されていても、人気のなさから寂れている様に感じてしまう。
普段なら誰かしらが境内に出ているのだが、今は母屋の方でおきたトラブルに掛かりきりでそんな余裕は無かった。
「おい、霊夢。いい加減でてきてくれよ」
「ごめん、無理」
「…………」
霊夢の部屋の前で立ち尽くすリュウと、部屋の中から拒絶の意思を示す霊夢。
普段ならまず考えられないような光景だが、別に二人は喧嘩をしているわけではない。
切欠は永遠亭で起こった輝夜たちの悪戯。あの時にリュウと霊夢の唇が触れ合って以来、霊夢はリュウと会うのを避ける様に自室に引き篭もってしまっていた。
「三日も引き篭もるなんてお前らしくないぞ。いい加減出てこいよ」
「アンタに合わせる顔が無いから無理」
「合わせる顔って……そんなの普段通りでいいだろ」
「それが出来ないから篭ってるの! 兎に角ほっといて!」
「……やれやれ」
リュウは今日も説得に失敗したと落胆しながら霊夢の部屋を後にする。
如何にかして霊夢に部屋から出てきてもらいたいのだが、リュウには一つ如何しても分からない事があった。
その答えが出ない限りは部屋から出すのは無理だろうと思いながらも、その答えが未だに見付からないでいる。
前にもこうして答えの出ない悩みを抱えていたなと昔の事を思い出しつつ、答えの出ない現状から逃避する。
普段のリュウなら逃避せずに答えを探して悩み続けるのだが、今回ばかりは如何して良いのか分からない。
リュウが盛大な溜息を吐きつつ居間に入ると、丁度同じタイミングで衣玖がおにぎりをお盆に乗せて台所から顔を出す。
お盆に急須と湯のみがあるところを見るに、霊夢に昼食を出しに行こうとしていたのだろう。
「あら、リュウさん。霊夢さんの様子は如何でしたか?」
「全然駄目だ。取り付く島もないって感じだよ」
「まぁ霊夢さんにとってはアレが初めてな訳ですし。顔を合わせ辛いのですよ」
「……それなんだけどさ、なんで霊夢は引き篭もっちまったんだ? ただ唇が触れ合っただけだろ」
「えっ? もしかして、それは本気で仰っているのですか?」
「ああ。てか、俺がこんな冗談を言う訳ないだろ」
「………………」
衣玖はリュウの発言に絶句してしまうが、これはリュウの言い方が悪かった。
リュウもキスが親愛の情を示す行動であることは理解しているが、それで何故霊夢が引き篭もってしまうのかが理解出来ないだけ。
リュウからしたらキスなど手を繋いだり、腕を組んだりするのとあまり差はなく、女性陣が懐いているイメージとは違う物なのだ。
女性の気持ちなんて分からないと公言して憚らないリュウに、霊夢が引き篭もった原因を理解しろと言うのは無理な話しではあるが、リュウでは永遠に答えを出せない事は明白である。
そんなリュウの感性を知っている衣玖でも、今回のリュウの発言には流石に頭を抱えるしかなかった。
「……いいですかリュウさん。乙女にとってキスとはかなり重要な意味を持っているのです」
「親愛の情を示す行動だって言うんだろ? その位俺にだって理解出来るぞ」
「確かに愛情表現の一つですが……親愛ではなく、もっと純粋な愛情表現です!!」
「お、おう……」
突然の衣玖の怒声に思わずリュウはたじろいでしまうが、衣玖はそんな事気にせずに話を続ける。
「昔から思っていましたが、リュウさんは女性の機微に疎すぎます! リュウさんがそんなだからお二人の関係が何時まで経っても進展しないのです!」
「進展って……。俺が疎いのと、俺達の関係になんか関係でもあるのか?」
「大有りです! どうしてその二つが関係ないと思うのですか。霊夢さんの言動を鑑みれば直ぐに分かる事なのに、どうして霊夢さんの気持ちが分からないんですか!?」
「いや、アイツの考えって結構複雑で、偶に何がしたいのか分からないときがあるんだよ」
「その様な事を仰らずに、もっと霊夢さんの気持ちを考えてくださいまし」
「あっはっはっは。女性の気持ちになれる男なんて只のオカm……アイッタッ!?」
リュウの言葉を遮るように衣玖は手に持っていたお盆でリュウの頭を叩いた。
普段の衣玖からはまず考えられないような行動だが、これまで二人の事を間近で見てきた者として色々と言いたい事が堪っていたのだろう。
二人の関係は端から見てもヤキモキする様な事が多く、間近で見てきたのならそのストレスは並々ならぬものだ。
今回の一件でそのストレスが一気に噴出したのだろうが、それでもお盆に乗せていた物を退かしている辺りは流石である。
「いって~……。今、手加減なしで叩いただろ」
「はいはいと従うだけが従者ではありません。主が間違った道に進もうとしているのなら、それを正すのも一つの忠義です」
「いや、そう言うことを言っているんじゃなくてだな。てか、間違った道ってなんだよ」
「間違った道は間違った道です。いいですかリュウさん。霊夢さんは巫女の後継として幼少のころより大事に育てられてきたのです。恋愛とは無縁の環境で育てられた霊夢さんにとって、初めて心を寄せる事の出来る異性がリュウさん、貴方です。自分の思いを素直に伝える事が出来ずに苦悩しながら、貴方に好く想われたいと懸命に努力してきた霊夢さんに対して〝女性の気持ちなんて分からん〟とは何事ですか! 分からないものを分からないままにせず、理解しようと努力する気はないのですか!?」
「あ~…その……とりあえず、ごめんなさい」
普段の様子からはまず考えられない様な怒り方をする衣玖に、リュウはただ謝る事しかできなかった。
それだけ衣玖もリュウの発言に思うところがあったのだろうが、怒られる側からすれば堪ったものじゃない。
「わたくしに謝って如何するのですか! 第一これは謝罪すれば済むような問題ではありませんよ!」
「衣玖が物凄く怒っている事は理解できた。理解できたけど……いい加減霊夢に昼飯を持っていったら如何だ? アイツも腹を空かせてるだろ」
「む、確かにそうですね。それにリュウさんにこの様な事を言っても馬の耳に念仏ですし」
「ひっでぇ言われ様だな……」
「そう思うのでしたら、霊夢さんが何故引き篭もったのかもっと真剣に考えてください」
それだけ言い残すと、衣玖はお盆におにぎり等を乗せて居間を出て行く。
彼女が居間を出て行くのと同時にリュウは溜息を吐き、心の中で衣玖を怒らせない様にしようと固く誓うのだった。
そんなリュウの誓いなど露知らずに、衣玖は何食わぬ顔で霊夢の部屋の障子を開けて中に入る。
部屋の中は綺麗に片付けられているが、真ん中には昼間にも拘らず布団が引かれている。
布団に誰かが潜り込んでいるのか、小さな山の様に盛り上がっているが、衣玖は特に気にする様子もなく布団の傍に腰を下ろした。
「霊夢さん、お昼をお持ちしましたよ」
衣玖が布団に向かって声を掛けると、まるで亀が甲羅から頭を出すように霊夢が布団から顔を出す。
その顔は若干赤くなっているが、風邪を引いているような様子はなく、ただ衣玖の事を恨めしそうに睨んでいた。
「あら、どうかしましたか霊夢さん?」
「……さっきの会話、丸聞こえだったんだけど」
「あらやだ。意外と壁が薄いのですね、この家」
「……あんだけ大声を出していれば聞こえるに決まってるじゃないの」
「ふふ、それもそうですね」
微笑みながら聞き流す衣玖に霊夢は呆れて溜息を吐く。
そして布団から手を出して、衣玖が持って来たおにぎりを手に取ろうとしたが、寸前のところで衣玖に手を叩かれてしまう。
もう一度手を伸ばしておにぎりを取ろうとするが、やはり衣玖に手を叩かれて阻まれてしまう。
「ちょっと、何の真似よ」
「霊夢さん。行儀が悪いですからちゃんと布団から出て食べて下さい」
「むぅ……」
霊夢は不満そうに頬を膨らませるが、正論を言われてしまっては反論のしようがない。
若干めんどくさそうにしながらも霊夢は布団から出て、寝巻きのまま今度こそおにぎりに手を伸ばし食べ始める。
衣玖は霊夢が食べている間に持って来た湯のみにお茶を淹れ、そっと霊夢に差し出す。
「……それで霊夢さん。何時までこうして引き篭もっているつもりですか」
「さぁね。私の気持ちの整理がつくまでじゃないかしら」
「あまり長く篭っていると、またリュウさんが思い詰めてしまいますよ」
「それは……分かっているんだけど、どんな顔をすればいいのか分からないのよ。アイツを前にすると、あの時の事を思い出しちゃってまともに顔が見れないの」
霊夢自身も今のままじゃいけないと言う事は分かっている。だが、事故とは言え初めてキスをした事にいまだ戸惑いを隠せないでいるのだ。
何処の馬の骨かも分からない相手なら、徹底的に叩きのめした後で忘れる事もできるのだろうが、相手が長年想い続けてきたリュウとあってはそうもいかない。
嬉しいことは嬉しいのだが、それ以上に気恥ずかしさが前に出てしまい、如何すればいいのか本人にも分からないでいる。
霊夢だってリュウには会いたいのだが、あの時の事を思い出すとまた逃げ出してしまいそうになる為、こうして引き篭もるしか方法が思いつかなかった。
「まぁ、霊夢さんにとってはアレが初めてですからね。純情な霊夢さんには無理らしからぬ事です」
「いや、アレが初めてと言えば初めてなんだけど、そうじゃないと言えばそうじゃないのよね……」
「……はい?」
「いや、コッチの事だから気にしないで」
そう言って誤魔化しながら、霊夢は衣玖が淹れてくれたお茶を手に取り、一口飲む。
お茶の渋みがおにぎりの塩気を洗い流し、乾いていた喉を潤してくれる。
「……ふぅ。本当に衣玖が淹れてくれたお茶は美味しいわね」
「以前の主が色々と煩い方でしたから、わたくしも必至になって覚えましたよ」
「あ~……成る程。なんか納得した」
霊夢は話題を逸らそうと試みるが、衣玖にその様な事が通じる筈もなかった。
「霊夢さん。今のままじゃいけないと思うのでしたら、いい加減出てきてください。リュウさんもわたくしも待っているのですよ」
「ぐ、またその話を蒸し返す。そりゃ二人には悪いと思っているけどさ……」
「そう思うのでしたらリュウさんに会いに行ってあげて下さい。あの方も寂しそうでしたよ」
「……寂しそうにしているアイツってイマイチ想像できないわね」
「ですが事実なのです。……わたくしでは、あの方の寂しさを埋める事は出来ないんですよ」
「………………」
少しだけ悲しそうな顔をする衣玖を見て、霊夢は何も言えなくなってしまった。
幾らリュウの従者となり傍に居られるようになっても、リュウと衣玖の間には越えられない壁がある。
その壁に隔てられているからこそ、衣玖は何時もの日常に戻って欲しいと願うし、寂しさを埋められない事実に胸を痛めた。
衣玖の気持ちを知っている霊夢だからこそ、悲しそうな顔をする彼女を見て申し訳なさで胸が一杯になる。
「……顔はまだ合わせられないかもしれないけど、部屋からは出るようにするわ」
「そうですか。でしたら後の事は宜しくお願いしますね」
「……へっ?」
「わたくしはこれから食料を買いに行かなければなりませんので、お洗濯物の取り込みと、食器洗いはお任せしますね」
「あ、ちょっと、衣玖」
「それでは失礼します。……頑張って下さいね」
衣玖はそういい残すと、お盆を置いたまま本当に部屋から出て行ってしまった。
霊夢は閉められた障子を見ながら、乾いた笑みを浮かべて冷や汗を流す。
部屋から出るといってもまだ気持ちの整理がついていないし、せめて今日の夕方から等と甘い事を考えていたため、衣玖が買い出しに行く事など全く考えていなかったのだ。
食器を洗ったり、洗濯物を取り込まないで夕方まで篭るという選択肢もあるが、衣玖に先手を取られてしまう。
「あ、リュウさん。わたくしこれから買い出しに行ってきますので、後の事はお願いしますね」
「ん? そりゃ別に構わないけど……お盆はどうした? 珍しく片付け忘れたのか?」
「いえ、まだ霊夢さんが食べていましたから置いてきたのです。後で下げに来ると思いますよ」
「ふ~ん、珍しい事もあるもんだな。まぁ買い物に行くのなら俺も付き合うぞ」
「リュウさんの手を煩わせう程のではありません。お気持ちだけ受け取っておきます。……では、行って参ります」
「おう、気をつけてな」
障子の向こうから聞こえてきたやり取りに、霊夢は自分に逃げ場がない事を思い知らされる。
衣玖がああ言った手前、お盆を片付けないわけには行かず、夕方まで篭っていたらリュウが変な勘違いをしてしまうのは明白。
霊夢はお盆を下げていかなかった衣玖を若干恨みながら、おにぎりを食べ終え、寝巻きから普段の巫女服へと着替える。
そして少し時間を置いて気持ちを落ち着かせてから、そっと障子を開けて台所へと向かう。
緊張から心臓の鼓動が速くなっていくが、それ等を押し殺して居間の障子を開いて中へと入る。
「お、霊夢。やっと出て来てくれたのか」
「ひ、久し振りね、リュウ」
居間でだらけていたリュウが声を掛けてくるが、声が上ずり、霊夢は顔を逸らしてしまう。
その様子にリュウは複雑な表情を浮かべるが、特に追究はせず見てみぬフリをする。
リュウの気遣いに霊夢は申し訳ない気持ちになるが、やはり顔を合わせることが出来ず、そのまま台所へと向かって食器を片付け始める。
二人の間にはなんとも気まずい空気が流れるが、霊夢の方から声を掛けることは出来なかった。
台所から食器を洗う音だけが響く中、気まずい雰囲気を断ち切るようにリュウの方から声を掛けた。
「あ~……霊夢。このあいだの事だけどさ」
「う、うん」
「その……お互いに災難だったな。あんな事故に遭っちまうなんて」
「……事故、か」
リュウが言った一言に食器を洗っていた霊夢の手が止まり、霊夢の胸にその言葉が深く突き刺さる。
あの一件はリュウに取って大したことじゃないのは分かっていた。自分の意志ではなく、紐に引っ掛かって偶然そうなっただけの事故。
衣玖が言っていたようにリュウは女性の機微に疎いし、あの一件を全く気にしていなかったとしても、霊夢は事故の一言で済ませて欲しくはなかった。
「アイツ等は衣玖が折檻してくれたらしいし、お互い犬にでも噛まれたと思って―――」
「忘れるなんて絶対に嫌」
「―――……霊夢?」
「切欠はなんであれ、私にとってアレは初めてだった。アンタがなんとも思っていなくても、忘れてなかった事にするなんて絶対に嫌……ッ」
リュウの言葉を遮って、霊夢は搾り出すように言った。忘れたくないと。
想い描いていた形ではなかったにしても、長年想い続けてきた相手なのだ。その相手との初めてのキスをなかった事になんて出来る筈がない。
だから霊夢は拒絶する。たとえリュウからの提案でも……いや、リュウからの提案だからこそ忘れたくないのだ。
しかし一方でリュウは、予想とは違う霊夢の反応に如何したら良いのかと困惑していた。
リュウは霊夢が事故でキスしてしまった事に傷付いて、引き篭もったのだと結論付けたのだが、霊夢の反応を見る限りそうではないのだと思い直す。
忘れたくないと霊夢は言うが、リュウにとってアレはただの事故でしかない。
輝夜が仕掛けた幼稚な罠に引っ掛かって起こっただけの事故。リュウにとってそれ以上でも以下でもないため、如何して霊夢が忘れたくないのかが理解出来ない。
しかし、リュウは何か思い付いたのか、席を立ち上がり霊夢の傍に近寄る。
「……お前がなんて言っても俺にとってアレは事故だ。それは変わらない」
「アンタにとってはそうだとしても、私には―――」
霊夢が何かを言おうと後ろを振り向いた瞬間、リュウが霊夢の身体を抱き寄せて唇をふさいだ。
余りにも突然の出来事に霊夢は目を丸くし、洗い掛けていた食器が地面に落ちて音を立てて割れた。
驚いて身体を硬直させていた霊夢だが、次第に力が抜けていきリュウに身体を預けるようになる。
二人のキスはそれほど長いものではなかったが、当事者からしたらとても長くキスしている様に感じる。
長いようで短いキスが終わり、リュウは頬を朱に染めた霊夢と真っ直ぐ向き合う。
「だから、これが俺達の初めて……って事じゃ駄目か?」
リュウは何処か照れくさそうに笑いながら、霊夢にそう言ってきた。
あの時は事故だったが、今回は自分の意志でしたからコレを二人の初めてにしたい。リュウはそう言った。
リュウにとって初めてであるかなんて些細な問題でしかないが、自分の中でケジメを付ける為にあえてそう言ったのだ。
それを聞いて霊夢の中では色んな想いが錯綜するが、どれも思うように言葉にすることが出来ず、赤らんだ頬のまま小さく頷く。
リュウがキスしてくれたことは嬉しいけど、恥かしくしくてどんな顔をすれば良いのか分からない。
恥かしくて逃げ出したいのに、リュウの腕を振り解きたいとも思えない。寧ろこのまま懐かれていたい。
色んな思いが霊夢の中で湧き上がる中、嬉しいという感情だけははっきりと感じていた。
霊夢が頷くのを見てリュウも安心したのか、とても嬉しそうな笑顔を見せる。
間近でリュウの笑顔を見てしまった霊夢は思考の処理が追いつかず、リュウの腕の中で気絶してしまった。
「うおッ?! いきなり如何したんだ霊夢!? なんでいきなり気絶するんだ? 俺、変な事したか!?」
霊夢の突然の気絶にリュウは慌てふためき、如何したらいいんだと混乱してしまう。
幾つもの事件に遭遇してきたリュウであっても、女性の扱いに関しては未だに分からない事の方が多い。
だから突然の気絶に慌てふためくのだが、リュウの腕の中で眠る霊夢の寝顔はとても幸せそうな表情をしていた……。
……落ちたなって、数年前からそうだったか。