幻想郷中に溢れていた幽霊も少しずつ数を減らし、季節外れに咲いていた花も枯れ始めた今日この頃。
何時もの仕事が一段落しましたので、休憩も兼ねて神社にやってきたのですが……どうも何時もと空気が違う様な気がしてなりません。
普段の博麗神社でしたら、明るく穏やかな空気に包まれている筈ですのに、今日は暗く悲しい空気に包まれています。
此処に通うようになって初めて感じる空気で、一体何が遭ったのかと首を傾げながら境内に足を踏み入ると、大変珍しい事に境内の掃除を霊夢さんお一人で行っていました。
普段でしたら、リュウさんが朝早くからやっていますのに、今日に限っては霊夢さんが掃除をしているようです。
まぁ、霊夢さんが掃除をしているのは悪い事ではないのですが、彼女が纏う空気が暗く、時折り溜息を吐いているのが気にかかります。
お節介に為るかもしれませんが、わたくしは彼女に声を掛けて、溜息の訳を聞くことにしました。
「霊夢さん」
「……あ、衣玖。来てたの」
「はい、休憩も兼ねてお邪魔させて頂こうかと」
「別に良いけど……今日はアンタの相手をしてる暇は無いわよ」
「それは構いませぬが…何か遭ったのですか? 先ほどから溜息ばかり吐いていますが」
「遭ったから溜息を吐いてるんじゃない」
「それもそうですね。……あ、もしかして、リュウさんと喧嘩でもしたのですか?」
「その程度で済むなら、こんなに思い悩んでないわよ……」
霊夢さんはそう仰った後、心の底から出て来た様な深い溜息を吐きました。
普段の霊夢さんなら、此処まで深い溜息を吐く事などまずありえません。
その事を考えると、今回の悩みと言うのは相当難しい問題なのでしょう。
「霊夢さん、一体何で悩んでいるんですか? わたくしで宜しければ、相談に乗りますよ?」
「…………リュウの奴がね、今塞ぎ込んでるのよ」
「リュウさんが…ですか?」
「えぇ」
悲しそうな声で霊夢さんは教えて下さいましたが、わたくしには今一つ理解する事が出来ませんでした。
何かに悩んでいるなら分かりますが、あの方が塞ぎ込むと言うのは想像が付きません。
元々明瞭とした性格の方ですし、何かに思い悩んでいても、霊夢さんが傍に居れば直ぐに明るくなると思っていたのですが……。
「…イマイチ納得出来ないって顔ね」
「それは……まぁ」
「だったら会わせてあげるわよ。着いて来なさい」
そう仰ると、霊夢さんは箒を持ったまま裏庭の方へと向かって歩き始めました。
わたくしが彼女の後をついて母屋の裏庭に行きますが、リュウさんの姿は母屋の中には見当たりませんでした。
あの方はご自身の部屋に居るのかと思い、そちらの方を覗こうとしましたが、障子が閉じられていて中の様子を見る事は出来ません。
障子を少しだけ開けて、中を覗こうかと考えていますと、霊夢さんがわたくしの服を引っ張り、屋根の方を指差してきました。
わたくしは、彼女が指を指してきた先の方に眼を向けますが、今いる場所からでは屋根の上を見る事が出来ません。
見えるように少しずつ後ろに下がっていきますと、屋根の上には寝転がって空を見上げているリュウさんの姿がありました。
その様子は、塞ぎ込んでいると言うよりも、ただ呆けている様にも見えますが……確かに普段の様子とは違うようです。
わたくしは声を掛けようと思いましたが、ソレよりも先に霊夢さんが空を飛んであの方に近付いていきました。
「リュウ、衣玖が遊びに来てるわよ」
「……そうか」
「空ばっか見てないで、挨拶ぐらいしなさいよね」
「俺の勝手だろ」
「アンタねぇ……。衣玖はアンタの様子を見に来てるんだから、少しは気を遣いなさいよ!!」
「悪いが放っといてくれ」
「ッ! あっそう! だったら、何時までも空を眺めてなさい!!」
「あぁ、そうする」
たったそれだけのやり取りを交わすと、霊夢さんは屋根から下りて、そのまま境内の方へと行ってしまいました。
リュウさんは変わらぬ様子で空を見上げてますが、霊夢さんは今にも泣き出しそうな位悲しそうな顔をでした。
わたくしは、リュウさんに一言いってやろうかとも思いましたが、それ以上に霊夢さんの様子が気になり、急いで彼女の後を追って境内へと向かいました。
境内へと向かいますと、霊夢さんが鳥居の下の階段に座り込み、頭を垂れて落ち込んでいました。
彼女の背中からは、悲しさと寂しさが滲み出ていて、本当に泣いているようにも見えます。
わたくしは、そっと彼女の隣りの場所に座り込み、悲しそうにしている彼女の頭を撫でて上げます。
「……なに、してんのよ」
「慰めて上げようかと」
「べつにないてないわ」
「声が鼻声ですよ」
「これは……はながつまってるだけよ」
「そうですか。…でしたら、こちらをお使い下さいまし」
わたくしは服のポケットからハンカチを取り出し、霊夢さんにそっと差し出した。
霊夢さんは受け取るのを躊躇していまいしたが、そっと受け取った後、涙を拭ました。
「……あとであらってかえす」
「はい、分かりました」
わたくしがそう返事しますと、霊夢さんはハンカチを畳んで、ご自身のポケットの中に仕舞いました。
「それで霊夢さん。リュウさんは一体如何されたのですか? 何時ものあの方らしくありませんでしたが」
霊夢さんが落ち着いたのを見計らって、わたくしは気になっていた事を尋ねる事にしました。
わたくしが尋ねると、霊夢さんは言い辛そうに顔を顰めてしまいます。
無理に聞き出す心算もなかったので、下手に追求したりはせず、彼女が口を開いてくれるのを待ちます。
少しの間、わたくし達の間に沈黙が続きましたが、心を決めたのか霊夢さんが口を開いて下さいました。
「……ちょっと前に、リュウが閻魔ともめたのよ」
「妖怪の賢者に鬼と続いて、今度は閻魔様ですか……。相変わらずと言えば、相変わらずですね」
「それだけで済めば良かったんだけど、その閻魔がリュウの人格を否定する様な事を言ってきて」
「リュウさんの人格を……ですか?」
「えぇ。今のアイツは、前に居た世界で解き放たれた力が人の姿と人格を得て、この幻想郷に流れ着いたから。そんな奴が誰かを想う事が出来るのかって」
「……酷い言い分ですね」
霊夢さんの話を聞いて、お会いした事の無い閻魔様に怒りを覚えました。
長い付き合いと言える訳ではありませんが、あの方が見せてくれる笑顔は紛れもなく本物でした。
どのような経緯で此処に辿り着いたにしても、一個人の人格を否定するような物言いは納得できません。
「リュウも思い当たる節があったのか、家に帰ってきてからずっとあんな調子で……」
「でしたら、あの方の傍にいて励ましてあげれば良いのでは?」
「それくらいしたわよ。……でも、アイツの心には全然届かないの。何を言っても適当に返されるだけで……」
「……………」
「ずっと傍に居てくれたのに、今のリュウは何処か遠くに居る様な気がして……こんな毎日が続くなら私達はもう駄目なのかな?」
「そんな悲観するには早すぎますよ! リュウさんは少しだけ憂鬱になってるだけです!!」
「でも、私には如何すれば良いのか分からないのよ! ……こんな事になるなら、アイツの事ちゃんとみてあげればよかった……」
「霊夢さん……」
わたくしと話して今まで溜めていたのが溢れたのか、霊夢さんはとうとう泣き出してしまいました。
今回の件で参っていたのは彼女も同じらしく、如何する事も出来ない悲しさをずっと溜め込んでいた様です。
泣いている霊夢さんを慰める良い手が思いつかず、わたくしはただ泣いている彼女を優しく抱き締めてあげる位しか出来ませんでした。
………
……
…
霊夢さんが泣き止んだ後、わたくしは直ぐに雲の中へと戻り、龍神様が居られる竜宮へと向かいました。
今回の件は、わたくしだけでは如何する事も出来ず、霊夢さんも途方に暮れています。
ですから此処は、リュウさんと古い仲である龍神様のお知恵をお借りする事にしました。
巨大な宮殿の中に入り、同僚達への挨拶もそこそこに済ませ、わたくしは宮殿の奥にある謁見の間へと急ぎ足で向かいます。
廊下と謁見の間を別つ門を抜けて入ると、広い部屋の奥に蛇の様に長い胴体を持つ、綺麗な深緑の鱗の龍神様が居られました。
わたくしがお話をしようと龍神様に近付きますと、あの方から寝息の様なものが聞こえてきます。
お昼寝の最中だとは知りませんでしたが、此方としても火急の用ですので、ご無礼ですが起きて頂かなくてわ。
お眠りに為られている龍神様に近付き、少々大きな声であの方に声を掛けました。
「龍神様、衣玖です! 火急の用件が御座いますので、起きて頂けないでしょうか!」
《……………》
「あの……龍神様!!」
「なんじゃ五月蝿いのぉ。その様に大声を出さずとも聞こえておる」
「キャアッ?! りゅ、龍神様、何時の間にわたくしの後ろに!?」
龍神様の化身体がわたくしの背後に居るのに驚き、思わず悲鳴を挙げて少し後ろに下がってしまいました。
少々無礼だった気もしますが、龍神様は特に気にした様子も無く何時もと変わらない様子でお声を掛けてくれました。
「驚くでない衣玖。…して、火急の用とはなんじゃ?」
「あ、はい。実はリュウさんと霊夢さんの事で少々問題が……」
「あの二人に問題とな? ふむ……それなら別室で聞こう」
「分かりました」
わたくしが頭を下げますと、龍神様は化身体の姿のまま何処かへと向かって歩き始めました。
あの方の姿を見失わない様に後を付いて行きますと、龍神様はわたくし達『竜宮の使い』が使用している休憩室へとお入りになられました。
龍神様が部屋に入られたことで、中で休憩していた同僚達は驚いた様な声を挙げ、直ぐに部屋から飛び出して行きしまいました。
彼女達には申し訳ない事をしてしまいましたが、休憩室は此処以外に複数ありますので、そちらを使っていただきましょう。
そう思いながら部屋の中に入りますと、龍神様は既に椅子に腰掛けてわたくしの事をお待ちになられていました。
わたくしは手馴れた感じでお茶とお菓子の用意をし、お茶を差し出してから龍神様の対面の席に腰掛ます。
龍神様は出したお茶を一口飲んだ後、わたくしの事を真っ直ぐ見据え、話を切り出してきました。
「して、あの二人が如何したと言うのだ」
「……実はですね―――」
わたくしは、先ほど神社で見てきた事、聞いてきた事の全てを龍神様にお話し始めます。
最初の頃は龍神様も平然としていましたが、わたくしの話を聞いている内にドンドン顔を顰め、話し終わる頃には握力だけで湯のみに皹を入れていました。
これ程までにお怒りに為られている龍神様は初めてお目にしますが、それだけお二人の事を気に掛けておられると言う事なのですね。
お怒りになられている龍神様を見ながら心の中でそう思いつつ、博麗神社でのことを包み隠さず全てお話しました。
「―――…と言う事がありました」
「映姫が死に掛けたと聞いて見舞いに行ったが、そう言うことか。……元地蔵の分際で、我が友を愚弄するとは良い覚悟だ」
感情の篭らない声でそう呟くと、怒りが爆発したかのように龍神様は湯のみを握り潰してしまいました。
それと同時に全身から怒りが噴出し、それが大気に伝わり、周囲に在る物をガタガタと震え上がらせます。
出来る事なら今すぐこの場から逃げ出したいですが、今の龍神様をお独りにするのは危険すぎます。
わたくしは、心の底から湧き上がって来る恐怖を押し殺しながら、震える声で龍神様に声を掛けました。
「りゅ、龍神様。お怒りに為られるのは分かりますが、一度気をお静めになって下さいまし」
「……………」
「閻魔様の事よりも、今はあのお二人の関係修復の方が先ではないかと」
「……それもそうじゃな。すまぬ、衣玖」
「いえ、お分かりになって頂ければそれで……」
龍神様が怒りを静めて下さいますと、部屋にある調度品の振るえも止まりました。
一息つけたわたくしは、自分用に入れたお茶を一口飲み、心を落ち着けます。
「しかし、今回の問題は一筋縄では行かぬぞ。なにせ、アヤツの心の問題じゃからな」
「それはそうですが、この件を解決しなければ本当にお二人が別れる破目になります」
「その位分かっておるが……霊夢の言葉も竜に届いておらぬのではな……」
「そうですよね……」
わたくしと龍神様は、殆ど同時に深い溜息を吐いてしまいました。
霊夢さんの声がリュウさんに届かないと言う事は、幻想郷に住む他の方の声でもリュウさんの心に届かないのと同じ。
あの方を励ますために宴会を催しても、今のリュウさんには煩わしいだけでしょうね。
「映姫の奴が謝りに行っても……意味ないじゃろうな。と言うよりも、アヤツが謝るとは思えん」
「霊夢さんの話ですと、ご自身の気持ちが本物なのか分からなくなっているようですからね。謝罪しただけで解決する問題とは思えません」
「それに二人の関係を修復せん事には意味が無いからのぉ。一番難しいのは其処じゃ」
「……いっその事、リュウさんの心に直接触れられれば良いのですが」
「心に直接? ……………それじゃッ!」
「キャアッ?! なんですか一体!?」
何かを思いついて下さったのか、龍神様は勢い良く立ち上がり、それに驚いたわたくしは、またしても思わず悲鳴を挙げてしまいました。
しかし、龍神様はわたくしの悲鳴など意にも介さず、思い付いた事を実行するための算段を思案し始めました。
「これを妾一人でするのは少々難しいし、他の者達にも手伝わせるか。八雲は協力するか分からぬが、永遠の姫なら手を貸してくれるじゃろ」
「あの龍神様。一体何をなさるお積りですか?」
「兎に角今は色々と準備をせねばな! すまぬが衣玖よ、妾は少々出掛け来る。部屋の片付けは任せるぞ!」
「は、はぁ……」
わたくしが呆けていると、龍神様は仰りたい事だけを仰り、風の様に部屋から飛び出していきました。
今一つ状況が飲み込めないわたくしは、とりあえず龍神様から仰せ付かった様に部屋を片付けることにしました。
わたくしが何となく言った一言から何か思い付いた様ですが、一体どのような方法でリュウさんの心に触れる心算なのでしょう?
色々と何でもありな方ですが、他人を他の者の心に触れさせるなど簡単に出来るとは思えませぬが……。
龍神様が思い付いた方法が何かを考えながら、わたくしは部屋を黙々と片付けました。