草木も眠り始めた夜遅く、私は例の枕を持ってリュウの部屋に忍び込んでいた。
リュウは私が忍び込んだ事に気付かずに、布団の中でスヤスヤと眠っている。
私は彼の枕元に座りこみ……其処から先に進む事が出来ないでいた。
「……コイツを元気付ける為とは言え、何も一緒に寝る必要は無いじゃない」
自分の耳にしか聞こえないくらい小さな声で呟き、思わず深い溜息を吐いてしまう。
リュウと一緒に眠るという気恥ずかしさから、自室を抜け出すまでにも結構時間が掛かり、コイツの部屋に着いてもついつい臆してしまう。
もしもリュウが私よりも先に目を覚ましたら……そう考えると、中々コイツの布団の中に潜り込む勇気が湧いてこない……と言っても、何時までも枕元に座り込んでいても仕方が無いし、いい加減覚悟を決めないと不味いわね。
私は湧き上がる羞恥心を押し殺し、リュウを起こさない様に彼の位置をずらして、なんとか私が眠る場所を確保する。
後は持って来た枕を置いて、布団の中に潜り込んで眠るだけ……だけど、先に睡眠薬を飲んでおかないと。
私は懐の中に入れておいた薬瓶を取り出し、中に入っている薬品を一気に飲み干した。
すると、いきなり強烈な眠気に襲われて、瞼が重くなり視界が段々と霞み始める。
即効性の薬だって聞いていたけど、こんなにも早く効き始めるとは思ってもみなかった。
私は朦朧とする意識の中、なんとかリュウの布団の中に潜り込み、そのまま眠ってしまった……。
………
……
…
一度遠のいた筈の意識は、直ぐ傍から聞こえてくる騒がしい音と、何かに引き摺られる感覚に揺り起こされる。
何に引き摺られているのか分からないけど、聞こえてくる音は何かが戦っている様な感じがする。
私は僅かな意識を総動員して瞼を開けると……目の前に広がっていたのは、幻想郷ではまずお目にかかれない荒れ果てた不毛な大地と、暗雲が立ち込める空でアズキ色の竜とシアン色の竜が戦っている光景だった。
「…………はい?」
目の前で起こっている余りにも突拍子も無い光景に、私の思考は完全に置き去りにされてしまった。
空の上で戦っている二頭の竜は、アイツの『ジャブジブ』と『ジャバウォック』で間違いないでしょうけど、なんであの二頭が戦っているのかが分からない。
私はリュウを元気付ける為に夢の中に潜った筈だけど、如何してこんな状況に巻き込まれているのかしら?
《あ、気が付いた霊夢。なら、自分の足で歩いてよ。正直引き摺るのが辛い》
「……ん?」
背後から私を引き摺る誰かの声が聞こえ、後ろの方に目を向けてみる。
すると其処には、襟の所を銜えて私の事を引き摺っている薄紅色の小さな竜の姿があった。
『ジャブジブ』と『ジャバウォック』だけじゃなく、まさか『パンク』まで居るだなんて……この世界は何がどうなってるのよ。
《考えるの後にした方が良いよ。早く此処から離れないと危ないんだから》
「危ないって如何いう意味よ」
《言葉通りの意味だよ。……ほら、降って来た》
「だから何が……よッ?!」
『パンク』に問い質すよりも先に、私の直ぐ隣に大きな氷塊が降り注いできた。
私の身長と同じ位の大きさはありそうな塊は、何かの熱に当てられたのか表面が若干溶けている。
なんでこんなのが降って来たのかなんて、空を見上げれば直ぐに分かる事。
恐らくコレは、空で戦っている二頭がお互いの力で放ったモノの流れ弾なんでしょう。
そう思っていると、今度は空の上から火の粉……と言うには、余りにも大き過ぎる炎の塊が降り注いでくる。
私は襟元に居る『パンク』を掴み上げ、全速力でこの場から離れる事にした。
降り注ぐ炎の熱で大気がドンドン熱くなり、呼吸するのも辛くなってくる。
このまま走り続けていても、その内炎の熱にやられて倒れてしまいかねない。
そうなる前に安全な場所に避難しないといけないけど、右も左も分からない場所だから何処に逃げれば良いのか検討も付かない。
左右を見渡しながら走っていると、私の腕の中に居る『パンク』が服を噛んで引っ張ってきた。
「ちょっと! こんな時に服を引っ張らないでよ!」
《霊夢、アッチの方に洞穴があるよ。逃げるなら其処に行こう》
「洞穴ですって?」
私は『パンク』が教えてくれた方を見てみると、確かに小さな洞穴の様なものが眼に入る。
入り口大きさは、人一人が入れるか如何かと位のものだけど、このまま走り続ける訳にも行かない。
私は炎の塊が降り注ぐ中、教えてくれた洞穴へ向かって全速力で走り……なんとか滑り込む事が出来た。
「あ、危なかった……」
《お疲れ~》
「……アンタは楽できて良かったわね」
《なはははは》
気楽そうに言ってくる『パンク』を睨むと、何時かのリュウみたいに笑って誤魔化してきた。
そんな風に笑っている姿を見ると、リュウの事を思い出して、何故だか怒る気も失せてしまう。
呆れた様な溜息を吐いた後、私は『パンク』を抱えたままその場に座り込み、一息付く事にした。
外ではまだ二頭の竜が戦っているけれど、この洞穴の中に居ればとりあえず安全みたい。
この穴に居る間にコイツから色々と聞きだして、今後如何動くのかちゃんと考えておかないと。
「ねぇ『パンク』。幾つか聞きたい事があるんだけど」
《ん? なに霊夢?》
「此処はいったい何処なの? リュウの夢の中じゃないの?」
《此処はリュウの心象世界。その表層領域だよ》
「心象世界? 表層領域?」
質問してみたのは良いけれど、コイツが何を言っているのかイマイチ理解出来ない。
リュウの夢の中に来た思っていたけど……実際はそうじゃないのかしら?
《この世界はリュウの心が創り上げた場所。そして君は僕の姿を見て『パンク』だと言ったけど、実際には僕も彼の一部……言わばリュウの感情なんだ》
「アンタがリュウの感情?」
《僕だけじゃなくて、空の上で戦っている二人もそうさ。
「……………」
教えてもらって何故あの二頭が戦っているのか理解することが出来た。
あの日の〝怒り〟が今も収まっていないからこそ、それを抑える為に〝理性〟が戦っている。
もうあの事件から何日も経っているのに、外の『ジャブジブ』の様子を見ているとまだ怒りは収まらないみたい。
それだけ閻魔に言われた事に腹立てているんだろうけど、普段の生活でそんな事を全く表に出さないリュウの理性も凄いわね。
《本当は他の感情も居るんだけど、この世界が荒れちゃってるから姿を隠しちゃってるんだ。僕が居るのは君が励まそうとしてくたからだよ》
「頑張ってみたけど大した効果は得られなかったんだけどね。……でも、アンタみたいなのが居るって事はリュウにもちゃんと〝心〟があるって事じゃない」
《違うよ霊夢。今の
「でもアンタは、危険地帯に居た私を助けようとしてくれたじゃない」
《それすらも解らないんだ。君を想う気持ちも誰かの真似をだけかもしれない》
「リュウ……」
何処か他人事の様に話しているけれど、私の腕の中に居るリュウの瞳には悲しさの様なものが宿っているように見える。
多分リュウ本人は気が付いてないだろうけど、私には確かにコイツの悲しさを感じ取る事ができた。
……だと言うのに、こうして話していてもリュウを心を晴らす事が出来そうにない。
現実世界と同じ様に、私がどんなに語り掛けても肝心な心にまで届いていない。
私がどんなに話し掛けても、彼が喜びそうな事をどんなにしても、リュウが心を閉ざしている限りは何をしても意味が無い。
……なら、たっちゃんが言っていたようにアイツの〝心〟を見つけて、直接元気付けるしかないわよね。
「ねぇリュウ。アンタの大本って今何処にいるか知ってる?」
《僕の大本って……君達が言う『アンフィニ』の事?》
「多分ね」
《彼なら心象世界の奥深く…深層領域に居ると思う》
「……そう言えば、さっきも言ってたけど〝表層〟とか〝深層〟って如何言う事?」
《この世界は二層構造になっていてね。表に出易い感情がいるのが表層領域で、隠しておきたい想いがあるのが深層領域。霊夢が探している彼はきっと深層にいるよ》
「なら、アンタを元気付けるには深層領域に行く必要があるのね」
《もしかして……行く心算なの?》
「当たり前でしょ。表のアンタに話しかけて駄目なら、深くに引っ込んじゃってるアンタを元気付けるしかないじゃない」
私が当たり前の様に話すと、リュウは目を見開いて明らかに狼狽した。
自分の心を見られたくないと思うのは当然だろうけど、私も此処まで来てそう簡単に引き下がる訳にもいかないのよ。
《止めた方が良いって、死にに行くようなもんだよ!》
「……自分の心なのに酷い言い様ね」
《表層でこんなに荒れてるんだから、深層はコレ以上に荒れてるに決まってるだろ!》
「確かにそうかもしれないけど、何があっても私は行くわよ」
《如何して無茶ばかりするんだよ! 少しは自分の身を大切にしろって!!》
「……………」
リュウにそう言われて、私は前にも似た様な事を言われたのを思い出した。
あの時は〝これが私の仕事だから〟とか言ったけど、今はそんな理由でこんな無茶をするんじゃない。
昔とは違う確かな理由があるから、今の私はどんな無茶でもやっていける。
そう確信している私は、腕の中に居るリュウを地面に下ろし、正面を向けて彼の眼を見据える。
「私はね、アンタと笑い合えていた日常をやり直したいのよ。……だから、どんな無茶な事でもやり遂げてみせるわ」
《霊夢……》
「それに大丈夫よ。感情の一部であるアンタが、親身になって私の心配をしてくれるって事は、本心でも私の事を心配してくれてるって事じゃない。なら、過度な危険もないわよ」
《……それでも
「アンタが何を言っても私は行くわ。……リュウが私の心に触れてくれた様に、今度は私がアンタの心に触れなくちゃいけないから」
《そんな事した覚えは無いんだけどな》
「無自覚かもしれないけど、アンタはちゃんと私の心に触れてくれたのよ」
私がそう言うと、リュウはイマイチ思い出せないのか首を傾げてしまう。
そんなリュウの様子を見て、私は思わず顔が綻び、クスクスと笑い出してしまった。
リュウは益々不思議そうな顔をするけど、私は思い出せないならそれでも構わないと思っていた。
本当に無自覚な上に鈍感だから、きっと思い出すことは無いだろうと思っていたし、今まで過ごして来たあの日常こそが答えなのだから、解らないもの無理はない。
嫌な事だってあったし、喧嘩なんかもしたりしたけど……私の心に触れてくれるには十分過ぎるものだから。……だからこそ私は、リュウと一緒に過ごして来たあの日常を取り戻したい。
決意を固めた私は、名残惜しむように目の前に居るリュウの頭を軽く撫でた。
「それじゃ、私はもう行くから。またね、リュウ」
《…………気をつけて》
「ありがと…でも大丈夫よ。私の実力はアンタも知ってるでしょ」
《うん、そうだね》
目の前にいるリュウに別れを告げた私は洞穴を抜けて外に出た。
洞穴を出た私の眼に飛び込んできたのは、激しく燃え盛る劫火の海と、時すらも止まった様な氷の世界だった。
未だに暗雲に覆われた空では、この両極の世界を創り上げた二頭の竜が戦い続けている。
お互いの属性では決着が付かないのか、今は己が牙を使って相手を噛み殺そうと襲い掛かっていた。
あの二頭を無視して先を急ぎたいのだけど、この状況ではどちらかを何とかしないと先には進めなさそう。
我を忘れんばかりの〝怒り〟と、冷徹なまでに自分を律する〝理性〟……。この感情の内、どっちの味方に付くのか……なんて、そんなの考えるまでもない事よね。
「荒事や面倒事は色々とあったけど、今回のは今までにないくらい大変な事になりそうね」
そう言いながら私は、両腕を空に向かって高く伸ばし、背筋を伸ばす。
固まっていた身体を解した後は、二頭が戦っている空へと向かって飛び上がる。
二頭の竜は、私が近づいている事にも気付かずに、相手を殺そうと躍起になっていた。
近付いていくに連れて、大気が炎の様に熱かったり、氷の様に冷たかったりと変動が激しくなってくる。
普通に戦うにはかなり辛い環境だけど、私は臆する事無く取っ組み合いをしてる二頭の間に潜り込む。
二頭の竜の間は、熱気と冷気がごちゃ混ぜになっていて、熱いのか寒いのかすら解らない。
そんな環境の中で私は札を取り出し、怒りで我を忘れているリュウに向かって障壁を張った。
私の障壁に触れた〝怒り〟の
《霊夢か。一体何しにきた、さっさと帰れ》
懐にいる私を見た〝理性〟の
なんとなく予想は出来ていたけど、此処まで冷たいなんて思いもしなかったわ。
「全く、折角助けてあげたのに他に言う事無いの?」
《何も無い、だから帰れ》
「…あっそう。でも私は、深層に居るアンタに会うまでは帰らないわよ」
《なら、さっさと向かえば良い》
「アンタ等が派手に戦ってると炎や氷が邪魔で先に進めないのよ!」
《そんな事俺が知るか》
「言うに事欠いてそれか!!」
余りにも酷い言い分に詰め寄ろうとすると、真っ赤に燃える炎が私達に向かって放たれた。
私達に炎を吐いてきたのは、閻魔への怒りですっかり我を忘れてしまっている
アイツへの怒りが凄いのは理解してたけど、まさか私の事も気が付かないくらいだなんて思いもしなかった。
心の片隅で、私の事に気が付いてくれると思っていたけど、そうも行かないみたいね。
「やれやれ。あの
《……共闘の申し出か》
「えぇ。ソッチの方が早く済みそうじゃない」
《別に構わんが……足手纏いに為るようなら、容赦なく見捨てるぞ》
「ご自由にどうぞ。でも、私がアンタの足手纏いに為る訳ないじゃない」
《フっ。…なら、虚言でない事を俺に示してみろ》
「言われなくたってそうするわよ!」
私はそう言った後、戦い易いように足元から背中へと乗り移り、懐から大量の札を取り出した。
こうしてリュウと戦うのは二回目だけど、今回は前と違って本当に倒すぐらいの気概で望む。
コレが原因でアイツに嫌われるかもしれないけど、それでも私は深層領域にいるリュウに会わなくちゃいけない。
最初から出し惜しみしないで行くけど……痛くても我慢しなさいよねリュウ!!