竜の石像に吸い込まれたと思ったら、辿り着いた先には何もない空間が広がっていた。
光の様に眩しい白い空間でもなく、闇の様に真っ黒と言う訳でもない。
一言で言うなら虚無の空間、光でも闇でもない何かが広がっているだけの場所。
当然の様に地面なんてないから、今私が立っているのか浮いているのかも分からない。
……まぁ、私の場合はどっちでも問題ないから構わないんだけどね。
「それにしても、此処は一体何処なのかしら? 深層領域って訳でも無さそうね」
私はそう呟きながら、右も左もない空間を見渡してみた。
此処に来るときに通った道は既に無く、後ろも周りと同じ様に虚無が広がっている。
元から引き返す気は無かったけど、退路が無いと言うのもそれはそれで困るわね。
リュウが目を覚ませば此処から追い出されると思うけど、そうならなかった場合は此処に住まないといけないかな? ……いや、そうなったら紫たちが私を救出しに動くか。
「ま、なんにしても此処で突っ立ってる訳にも行かないし、とりあえず先に進みますか」
気を取り直した私は、何時もの様に勘に従って前進して行く。
特に気にもせず歩き出したけど、やっぱり足元に地面が在る様な感じはしない。
……だと言うのに普段と何ら変わらずに歩く事が出来るという矛盾。
イチイチ気にしても仕方が無いとは言え、在るのか無いのかハッキリしてほしい物ね。
そんな事を考えながら虚無の中を歩いていると、前方に人影の様なものを発見した。
此処に私以外の人が居るとしたら、それはリュウ以外に考えられないけど……見えてくる後ろ姿は、普段のリュウとは違う姿だった。
次第にはっきりと見えてくる彼の姿は、戦闘時にしか見る事の出来ない竜人の姿だけど、細部が普段のとは異なっている。
姿形は竜人の姿を変わらないのに、彼の背中に生える翼や足、それに腕と頬に現われる模様の色が赤ではなく青になってる。
私も何度かあの姿を見た事はあるけど、青い竜人を見るのはコレがはじめて。
ただ色が変わっただけなのに、今私の目の前にいる彼は全くの別人に見えてしまう。
「……リュウ、よね? こんな所で何してるの?」
私は普段の彼とはリュウに恐る恐る話しかけてみる。
するとリュウは、こっちの方を振り向いて顔を見せてくれたけど、彼の眼に宿っていたのは悲しみと……失望?
一体何に失望してるのか分からないけど、リュウと目を合わせた私にはそんな風に見えてしまった。
「お前か。こんな所にまで来るとは物好きな奴だ」
こっちを振り向いたリュウは、私の顔を見るなり吐き捨てるようにそう呟いた。
「あのねぇ……。私は元気のないアンタを励ます為に此処まできたのよ? 感謝はされても、其処まで邪険に扱われる筋合いはないわよ」
「誰も頼んでいない。さっさと自分のいるべき世界に帰れ」
「人が心配してるのにそんな言い方無いんじゃないの?」
「お前に心配される筋合いは無い」
「……いい加減にしないと私も怒るわよ」
このリュウの態度に腹が立ち始めたけど、他のリュウ達とは何かが違う様な気もする。
性格としては氷竜が近いけど、もっと根本的なところで他のリュウ達とは違う。
色を覗けば見た目は一緒なのに、如何してこんなにも別人の様に感じてしまうんだろう……。
「此処はお前の居て良い場所じゃない、早く帰れ」
「……その前に一つ聞かせて。アンタは一体何者なの? 似てるけど、私の知ってるリュウとは何かが違う」
「……………」
「早く答えて。返答次第によってはただじゃ済まさないわよ」
私は両手の中に札を取り出して、目の前にいる奴を軽く脅す。
だけど目の前に居るリュウは、悲しみと失望を瞳に宿したまま顔色一つ変えなかった。
「私と奴の違いが分かるとはな。よく見ている様だが、残念ながら私も奴に一部だ」
「そうだとしても、アンタは他の竜とは何かが違う。……本当に何者なのよ」
「……私はかつてリュウと戦い……敗れた竜の片割れ。その残留思念だ」
「戦って敗れた…?」
最初はアイツの言っている事を理解出来なかったけど、前にリュウが話してくれたことが脳裏を過ぎった。
幻想郷に来る前の世界で、不完全な召喚により二つに別れ、全く別のモノを見てきたもう一人の自分と戦って……。
信じていた人の子孫に裏切られ、疎まれた結果、最後には人を信じれなくなったもう一人のリュウ……その名前が確か……。
「…… アンタが『フォウル』?」
「そう呼ばれていた者の成れの果てだ」
否定はしなかったけど、完全に肯定したとも言い難い返答。
…だけど、目の前に居るコイツが本当に『フォウル』なのだとすれば、私の知っているリュウと違うのも納得出来る。
アイツも自分とは全く違う奴だったって言ってたし、私が違和感を感じるのも無理はないわね。
だとしたら、如何して『フォウル』がこんな所にいるのかしら? リュウと戦って取り込まれたって聞いていたけど……。
「如何して私が此処に居るのか分からない……そんな感じか」
「そりゃ…ね。リュウに取り込まれて消えたと思ってたから」
「確かに私は無意識の奥底で眠っていた筈なのだが、自分自身が分からなくなった奴の嘆きに揺り起こされ、気が付いた時にはこの『意識と無意識の狭間』を彷徨っていた」
「眠っていたアンタを起こす程の嘆きか……。相当参ってるのね」
「私から言わせれば、誰かに心を開いた所為でしかないのだがな。誰も信じなければ、自分を見失い傷付く事もなかった」
吐き捨てるように言って来た彼の暴言に、さすがの私も無視する事は出来なかった。
「それは違う! 確かに幻想郷に来たばかりのアイツは、自分が何者なのかも良く分かってなかった。…でも、此処で暮らしていく中でアイツは〝自分〟と言うモノを確立させていったのよ!」
「だが、今のアイツは自分自身を見失っている。こんな思いをする位ならば心など不要だ」
「……………」
余りにも悲しい事を言うフォウルを見て、私は彼の心の傷がどれだけ大きいのか思い知らされた。
リュウから聞いただけの私には、フォウルの身に一体何が遭ったのかは分からないけど、沢山の辛い経験をしてきたと言う事は容易に想像が出来た。
「だからお前も必要じゃない、此処から消え失せろ」
「……それは出来ない」
「ならば、力付くで排除するだけだ。……ハアァァァァァァァァァァアッ!!」
力を解放したフォウルは、竜人から腕から赤い四対の光りの羽根を生やし、赤い顔に二つの角が生えた漆黒の身体の竜になった。
私の知らない竜ではあるけれど、何処と無くかつて見た『アンフィニ』に何処か似ている様な気がする。
漆黒の竜に変身したフォウルは、先端が鉤爪と為っている腕を振るって私に襲い掛かってきた。
私はそれを後ろに跳んで回避すると、フォウルは直ぐ反対の腕を使って追撃してくる。
振り切られる前に着地した私は、迫り来る腕の下に飛び込み、なんとか攻撃を掻い潜る。
懐の中に潜り込み、絶好のチャンスだったけど……私は攻撃する事が出来ず、直ぐにその場から離れて距離を取った。
《バルハラー》
「くっ」
距離と取ったところを狙われ、頭上から赤紫色の雷が降り注いだ。
咄嗟に結界を張ることは出来たけど、全てを防ぎ切る事は出来ず、少しだけ雷を浴びてしまう。
感電したのか身体が痺れてるけど、運の良い事に動けないほど痺れてもいない。
動きを止めたら討ち抜かれると判断した私は、軽く痺れたままの身体で飛び回ることに。
何が来ても対処出来る様に距離は取ってるけど、リュウの実力を考えたら生半可な防御は意味がない。
こっちも攻撃して抑え込むのも考えたけど、あの竜にはそう言う事はしちゃいけない気がする。
……だからと言って、逃げ回っていてもこの状況を打破できる訳じゃないか……。
そんな事を考えながら攻撃を避けていたら、アイツの両腕の間に光の塊の様なものが出現した。
あの光の塊が一体何なのか分からないけど物凄く嫌な予感がする。
私はその勘を信じて、自分の四方に札を配置して何時攻撃が来ても良いように備えた。
《…ビックバン》
アイツの声に反応して結界を発動させたけど、放たれた閃光の前には殆ど意味を成さなかった。
視界一杯に眩い光が満たされた思ったら、私の結界はあっさりと破られ吹き飛ばされてしまった。
結界のお陰である程度のダメージは軽減できたけど、さっきの雷よりもダメージを受けてしまう。
それに、眩い光に目が眩んじゃって視界が全く利かなくなっちゃってる。
とりあえず身体を起こして立ち上がるけど、フォウルが今何処に居て、私は何処を向いているのか分からない。
私は使えなくなった眼に頼るのを止め、全神経を両耳に集中して周囲の音を探る。
何も聞こえない無音の空間かと思ったけど、前の方から何かが風を切る音が聞こえてきた。
その音を頼りに右の方に逃げたけど、反応するのが遅すぎたのか、何かに背中を引き裂かれてしまった。
背中から激痛が走り、前のめりに倒れてしまいそうになるけど、足元を踏み締めてなんと堪える事が出来た。
《掠っただけか……》
「十分に裂傷でしょうが」
《今の一撃で決める心算だったのだがな》
「冗談にしては性質が悪いわよ」
《そんなモノを言った心算はないッ》
背後から聞こえてきた音を頼りに横に回避するけど、またしても完全に回避出来ずに掠めてしまう。
今度は左腕を掠めたみたいだけど、そんな事気にする間もなく次の音が聞こえてきた。
その攻撃も回避しようと試みたけど、またしても上手く行かず今度は脇腹を掠めてしまった。
まともに防御する事も出来ず、私はただアイツの攻撃を紙一重で避け続け、致命傷だけはなんとか回避し続けた。
とは言え、ギリギリの綱渡りをしていたから、何時の間にか身体中に傷が出来てしまった。
全身から痛みが走って、立っているのもやっとだけど……少しずつ眼の方も回復してきた。
そのお陰で相手の攻撃を回避出来る様になって、さっきよりはマシになったけど……状況が最悪な事は変わらない。
相手の動きを見て反撃に転じようにも、漆黒の竜の攻撃が苛烈すぎて自分の身を守ることすらままならない。
隙を見つけて札を展開して防御を固めようとしても、リュウの一部らしく私の結界をなんなく打ち砕いていく。
攻撃することも防御する事も碌に出来ず、ただ一方的に攻撃され続けるなんて幻想郷じゃまず考えられない状況。
この私を此処まで追い詰めるなんて、流石はリュウの一部と言ったところかしら。
何時倒されてもおかしくない状況だって言うのに、こうして皮肉が思い浮かぶ辺りはまだ余力が残されているって事かしら。
でも、私はアイツにやられた傷で既にボロボロなのに、対する向こうは未だに無傷。
流石にコレ以上ダメージを受けるのは不味い…………って、そう言えば如何して私はまだ動けるんだろう?
リュウの攻撃力は幻想郷でも屈指なのに、私がまだ立っていられるのは少し変ね。
それにアイツの攻撃が、さっきから爪で殴りかかってくるだけなのもおかしい。
本当に私を殺す気があるなら、漆黒の竜のブレスや『ビックバン』とか言う魔法を使えば良いのに……。
「……………」
向こうの攻撃をよく観察してみると、やっぱり繰り出してきているのは爪での攻撃のみ。
最初の方は魔法で攻撃してきたのに、今では爪を使って殴りかかってくるだけ……。
回避する分には楽で良いんだけど、私を殺そうとしてるにしては幾らなんでも変よね。
私の事を舐めている……訳でもないでしょうし、此処から消し去りたいと思っているのも嘘じゃない気がする。
そんな疑問を抱えたまま、アイツの攻撃を回避し続けていると……殺気が無い事に気が付いた。
本当に私を殺す気があるなら出していてもおかしくはない筈なのに……。
不思議に思いながら攻撃を避けていると、一つのある答えが頭の中に浮んで来た。
浮んだ答えが正しいのか分からないけど、私はそれを信じて攻撃を回避するのを止めた。
目の前に漆黒の竜の爪が迫って来る中、私は身動き一つしないで立ち止まっていると……竜の爪は、私の鼻先数cmの所でピタリと止まった。
《……何故逃げようとしない》
漆黒の竜は爪を引いたりせず、私の方を見据えながら不思議そうに尋ねてきた。
「そんなのアンタの事を信じてるからに決まってるじゃない」
《信じる…だと?》
「えぇそうよ。アンタなら……リュウなら私を殺さないって信じれたから、だから逃げなかった」
私はリュウの眼を見たまま言うと、彼は肯定も否定もしてこなかった。
でも、よく思い返してみるとリュウは最初から私を殺す心算は無かった様に思う。
本当に殺す心算なら幾らでも手段はある筈なのに、それをしようとしなかったのは……私を此処から追い出したかったから。
人に失望した『フォウル』の残留思念って言ったけど、今はリュウの一部ならきっと何処かで私の事を想っている筈。
ただ、他人を信じれなくなったから、コレ以上自分の深い部分に入れたくなくて追い出そうとしている……そんな風に思ったら、漆黒の竜の攻撃を避ける必要なんてないって思えたから。
《……どれだけ信じようとも、人間と言う生き物は何時かは裏切る。貴様もそうだろう》
「私はリュウを絶対に裏切らない」
《根拠も無いのに何故そんな事が言える》
「だって、私はリュウが大好きだから。好きな人を裏切れる訳無いじゃない」
音の消えた虚無の空間で、私は両手で彼の爪を包み込み、彼の顔を見据えたまま自分の想いを告げた。
……ちょっと順番がアベコベになったけど、私はやっと言いたかった言葉を告げる事が出来た。
漆黒の竜は返事を聞かせてくれないけど……今はそれでも構わないって思ってる。
ただリュウに知って欲しかったから、私がどんなに貴方の事が好きなのかを……。
「他のどんなモノを信じれなくても良い。でも、私と自分の心は信じてあげて……」
《私は残留思念でしかない。そんなモノに想いを告げても意味は無い》
「そんな事はないわよ。アンタが何者でも、私にとってはリュウに違いないんだから」
《……お前は
「当たり前じゃない。……それに言ったでしょ、ずっと一緒に居るって」
《……………》
静かに私の想いを聞いていたリュウは、何を思ったのか彼は瞳を閉じた。
すると、突然足元から身体が消え始めていき、徐々にその存在が消えて行く。
余りにも突然の出来事に驚くけど、リュウは特に慌てた様子も無く、静かに口を開いた。
《慌てるな霊夢。私は不要となり、また眠るときが来ただけの事だ》
「そんな事言ったって、いきなり身体が消え始めたら誰だって驚くわよ」
《私は元々無意識に眠っていた残留思念だ。また私の居るべき場所に帰るだけさ》
「……アンタはそれで良いの?」
《嗚呼。本来なら消えていた筈なのに、お前の様な者に会う事が出来た。それだけで十分だ》
「……………」
落ち着いた口調のリュウの声音は、本当に悔いが無いように感じられた。
残留思念である彼を繋ぎ止める手段もなく、既に満足している彼を無理に引き止める事も出来ない。
そう感じた私は、コレ以上なにも言わないで、最後の瞬間まで彼の傍にいると決めた。
《手を離さないとは……本当に物好きな奴だ》
「うっさい」
《……物好きな貴様に小さなお節介だ、受け取ると良い》
彼がそう言うと私の後ろに何かが出現したような気配がした。
何が出たのか確かめようと振り向くと、其処には『アンフィニ』が描かれた大きな扉があった。
「この扉は……」
《あの先が深層領域。お前が探している奴の居る場所だ》
「あの扉の先にリュウが……」
《分かったら早く行け。私はもうじき消え去る》
そう言われて彼の方を向き直ると、確かに身体の大部分が消えていて、残っているのは私が握っている爪と頭の部分だけ。
彼にして上げられる事は何も無いけど、最後に言葉を掛けてあげるくらいは出来る。
たった一言だけど、私はせめてもの気持ちを込めて彼に最後の言葉を送った。
「……ありがとう、フォウル」
《礼を言いたいのは私の方さ……ありがとう、霊夢》
彼が最後に一言そう言うと、漆黒の竜の姿は完全に消え去り、私の目の前にはまた虚無の空間が広がっていた。
少しの間彼が居なくなった空間を眺めていた後、私は気持ちを切り替えて後ろに建つ扉に潜った。