一人のウマ娘がいた。
そのウマ娘は、周りを不幸にしてしまうという噂があった。
そして本人も、そう思い込んでしまっている。
彼女は強かった。才能があって、努力もした。
彼女は強くなるべくして強くなったのだ。
しかし、世間はそれを認めなかった。
邪魔をするな、と。
見たかったのはお前の勝利ではない、と。
心無い言葉で、彼女を傷つけた。
「……。そんなの、間違ってるよ」
誰もいない教室で、少女―――プレクラスニーは読んでいた新聞を握りしめる。
今、トレセン学園では一人の少女が、悲劇に見舞われている。
彼女がかつて、そうだったように。
「クラスニー?トレーニング行くぞー?」
「!はーい!今行く!」
同じチームカノープスの親友であるナイスネイチャに声をかけられて、彼女は我に返った。
新聞を机の上にポンと置いて、ネイチャの後を追いかける。
その新聞の表紙には、『漆黒の刺客、次の獲物はメジロマックイーンか』と記されていた。
芝のコースで、カノープスの面々は勢ぞろいしていた。
ネイチャはクラスニーとストレッチをしていて、イクノディクタスはチームの部室から持ってきたホワイトボードを設置している。
残されたツインターボは、というと。
「やだやだ!すとれっちめんどくさいよー!ターボは怪我なんかしないもん!」
「ターボちゃん!駄目だよストレッチはしなきゃ!」
一昨年の冬に新加入したマチカネタンホイザと共に強制的にストレッチを行っていた。
「ターボ身体柔らかいもん!大丈夫だもん!」
「ターボちゃん……」
駄々をこね続けるターボに、クラスニーがそっと近づく。
「私みたいになるよ……」
「うっ……」
「いや、なにそのやたらと説得力のある脅しは……」
クラスニーの人の悪い笑みを見て、ネイチャが苦笑する。
そう、実はプレクラスニーは怪我療養中なのだ。歩くことは問題ない程度には回復しているものの、医者から全力疾走は禁止されている。
あの有馬記念を終えた後だったからよかったものの、怪我はやはり怖いものだ。
「そうですよターボさん。皆さん、ストレッチをしながら聞いてください。作戦会議です」
「わーい!会議だ会議だ!」
そこにホワイトボードへの書き込みが終わったイクノディクタスが現れる。
教鞭を握った彼女は、一つ咳払いをしてホワイトボードを指示した。
まあ、書いてあることはいつも通りなのだが。
クラスニーも、イクノの隣に立って両手を腰に当てている。
「第n回目!チームカノープス会議!我々はどうすればスピカに勝てるだろうかー!!」
「わーいわーい!」
「毎度のことながら、私にこのテンションはキツいわ……」
引き気味のネイチャと、目をキラキラさせて食い入るようにホワイトボードを見つめるターボタンホイザコンビ。
いつも通りの空気感に、イクノもわずかながら笑みをこぼした。
「ということで、プレクラスニーさんが待望の第一勝を手にしてくれたわけですが。我々の目標にはまだ届いていません」
「うんうん、そうだよね」
「ターボがテイオーに勝つんだから!」
「ターボはまずテイオーに名前覚えてもらうところから始めなさいよ……」
ツインターボは、テイオーを一方的にライバル視しているものの、そのテイオーからは名前をちゃんと覚えられていない。
やれダブルターボだ、ダブルジェットだ、ふざけてるとしか思えない不名誉な覚え方をされてしまっている。
わいわいとやかましいカノープスの面々を、イクノが咳払いをすることで静かにさせた。
「トウカイテイオーはもちろんですが……皆さんご存知かとは思いますが……最近一番その実力を伸ばしているウマ娘がいます」
「おお!それは一体誰なんでしょう!」
プレクラスニーの言葉に、イクノが待ってましたとばかりにその眼鏡を光らせる。
と同時に、ホワイトボードを半回転させて、新しいボードを全員に見せつけた。
そこに現れたのは……頭に可愛らしい帽子を乗せて、綺麗な黒髪をなびかせるウマ娘……が、パンを食べている写真。
「ライスシャワーです!」
「おお!ライスか!!」
「ライスちゃん、強いよね」
カノープスメンバーも、ライスシャワーというウマ娘は全員が知っている。
去年、無敗の三冠を成し遂げようとしていたミホノブルボンを、菊花賞で差し切った漆黒のステイヤー。
その小さな身体からは想像もできないほどあふれ出る闘志は、同じウマ娘として見ても目を見張るものがある。
既に何度も対戦をしたことがあるマチカネタンホイザは、その凄さを身をもって知っている。
かくいう彼女もそのライスシャワーに何度か先着しているので、彼女自身も、間違いなく実力者なのだが。
「私も一緒に走ってみたかったなあ~」
「こらこら、クラスニーさんや、そんな状態で一緒に走りたいとか言っちゃダメだからな~」
「は~い……」
クラスニーは去年の後半のレースにほぼ出走できていない。
その頃から負った怪我が、未だに癒えないのだ。
「結局あのあとマックイーンにも全敗だし……やっぱ皆強いよねえ」
「と、いうことで、我々もそろそろクラスニーさんに続きG1を勝たなければいけません。ライスシャワーにも勝つ必要がある!今の所、一番期待できるのはタンホイザさんですからね。頑張ってください」
「うん!頑張るよ~!えいえい、むんっ!」
カノープスの士気は高い。
きっとこの調子なら大丈夫だろう、とプレクラスニーは笑顔でチームメイトを眺めていた。
「……ってかライスってスピカじゃないよね?」
ネイチャの呟きは、誰の耳にも届くことは無かった。
「え?ライスシャワーさんが天皇賞春を回避?」
ある日の食堂。
授業を終えて食堂へ昼食を取りにきたウマ娘達で賑わうこの場所で、3人のウマ娘が話をしていた。
「そーなんだよー……理由はわからないけどね。でもボク、これには絶対理由があると思うんだ」
「うーん……どうだろ。クラスニーは、なにか思い当たる?」
トウカイテイオーとナイスネイチャ。
トウカイテイオーは今怪我をしていてレースには出走できていない。
本人も相当悔しいだろうが、今はチームメイトのサポートに回っているようだ。
ネイチャとテイオーの後ろで、とんでもない量のご飯を食べているオグリキャップを見なかったことにして、クラスニーは自分の考えを述べた。
「わからないけど……最近の、ネットニュースとか、新聞とか見てるとさ、あんまり良い感じはしないよね」
「あー……確かにね」
昨年ミホノブルボンの三冠を阻止してからというもの、世間からライスシャワーへの当たりが強い。
勝った方が強いのだから、そこに文句を言われる筋合いはないのだが、世間はそうもいかないらしい。
「もしライスさんが何かに悩んでいるんだとしたら、助けてあげたいな」
「ボクも!マックイーンとの対決、いちウマ娘として見てみたいしね!」
「テイオーは相変わらずカッコ良いねえ……」
テイオーはそう言うが早いか、残っていた食事を一目散に食べ終えて、席を立った。
「ボク聞いてみるよ!もしライスが悩んでるんだったら、話聞かなきゃ!」
考えたら即行動!という感じのテイオー。
食器を返却すると、彼女の後ろ姿はすぐに見えなくなった。
「ネイチャはどう思う?ライスさんの件」
「んー……どーだろーね。けど、クラスニーの時もそうだったけど、世間からの評判って、周りが思っているよりも本人にダメージいくんだよね。って考えるとさ……なんかほっとけないなーって思う」
「ふふふ、ネイチャはやっぱり優しいね」
「なっ!いやいやいや……ネイチャさんにそんな期待の眼差しされても困りますよ……」
クラスニーが辛かった時、助けてくれたのは目の前のナイスネイチャだ。
やはり今回の件は、放っておけない。そう思ったクラスニーは、ライスシャワーと話に行くことを決意するのだった。
スピカのメンバーが、ライスシャワーを捕らえようとしているらしい。
その噂は、すぐにクラスニーの耳にも入った。
何故……?と思ったが、行動派の多い彼女たちのことだ。
きっと天皇賞春に出走しない理由を聞き出そうとしているのだろう。
(私も話してみたいなって思ったけど、今行っても委縮させちゃうかな……)
クラスニーは空き教室で、リハビリの簡単なトレーニングを行っていた。
ゴムチューブを使った、上半身のインナーマッスルを鍛えるトレーニング。
最近の個人練習は下半身が使えないので、必然的にこういった練習になってしまう。
と、そんな時。
「ねえねえ!中間テストどうする?!」
(……ん?)
教室の外から声がする。
どこかで聞いたことのある話し声だが……。
「逃げ!」
「それな!」
(ああ……ヘリちゃんとパーマーか……)
残念ながら(?)会話の内容で誰かがわかってしまった。
レース中はどれだけ逃げても構わないが、中間テストからは逃げないで欲しい。
と思っていると、教室の扉が突然空いた。
誰かが中に入り、即座に扉を閉める。
「はあ……!はあ……!はあ……!」
(……ん?)
入ってきたのは、小さな姿……。
頭に乗せた帽子と青い華が、彼女の黒い髪によく似合っている。
(ライスさんだ)
ライスシャワーだ。
彼女は何かに怯えるように、外の様子を伺っていた。
すると、外からまた新たな声が聞こえてきて。
「ねえねえ、ライスシャワー見なかった?」
「ライス?見てないな……ヘリオスは見た?」
「見てなーい」
「探しています。見つけたら、教えてください」
「「りょ!」」
(テイオーと……ミホノブルボンさん、かな?)
テイオーは分かったが、相手が……あのかしこまった感じの話し方は、確かミホノブルボンだったような……といった感じのクラスニー。
おそらく、テイオーとブルボンで、ライスシャワーを探しているのだろう。
ヘリオスとパーマーが見ていない、と言ったことで、どうやらテイオーとブルボンは立ち去ったようだ。
それを確認したライスが、ホッ、と胸をなでおろす。
「ライスねえ……」
「ん?なんかあるの?パーマー?」
「……ひぅっ……!」
しかし続けざまに外から聞こえてきた声に、またライスは怯えだしてしまった。
が。
「いや、この前の菊花賞見たっしょ?」
「あ!ブルボンに勝っちゃうなんてマジヤバ!」
「強いウマ娘同士のああいうレース、私超憧れっていうか……!」
「わかるー!」
その内容は、ライスシャワーを称えるものだった。
「……え?」
その内容が意外だったようで、2人が立ち去った今も、ライスは教室の外を見つめていた。
「ライス、さん」
「うわあ?!誰……!?」
ライスが驚いて後ろを振り返る。
そこにいたのは、プレクラスニーだった。
「プレクラスニー……さん」
「ありゃ、知ってたか。こんにちは」
クラスニーはライスのことを知っていたが、ライスがこっちを知っている保証はない。
そう思っていたクラスニーだったが、その心配は杞憂だったようだ。
まあクラスニーも一時期トレセン学園内で有名人だったので、その影響もあるだろう。
「テイオー達に、追われてるの?」
「……はい……」
ライスシャワーの耳が、力なく垂れ下がっている。
「ライスは……レースに出ちゃいけないんです。皆を、不幸にするから。ライスが勝っても……誰も、喜ばない」
「……そっか……」
ライスシャワーが涙で顔をくしゃくしゃにして、訴えている。
その言葉をゆっくりと噛み締めて、クラスニーは自分の予感がまちがっていなかったことを確信する。
彼女は、見えない何かに怯えているのだ。
「ライスシャワーは……祝福の名前なのに……ライスは、皆を不幸にする……」
そんなことないよ、と。
大丈夫だよ、と。
ありきたりな言葉をかけることはいくらでもできる。
けれど、クラスニーはそうはしなかった。
それは、きっと皆やってきただろうから。
クラスニーは扉の前で体育座りをしているライスシャワーの横に、腰を下ろした。
「ライスさんは……私が一昨年起こした事件……知ってる?」
「……!」
「お、知ってるのか、じゃあ、話は早いね」
知らないわけがなかった。
前代未聞の、降着事件。
本来一着のはずだったメジロマックイーンが、スタート直後に斜行……斜めに走って他のウマ娘の進路を妨害したとして、降着処分を受けたのだ。
そして、その降着処分のおかげで一着になったのが……プレクラスニー。
メディアにはプレクラスニーも斜行気味だったのに一着をさらった汚いウマ娘だとして、相当な叩かれ方をした。
ライスも、あの時のトレセン学園内の空気は忘れたことは無い。
「私さ、走るの、やめようって思った。こんなに頑張って来たのに、なんも意味なかったんだって」
「……」
ライスは、黙って耳を傾けている。
誰も、自分の気持ちなんて理解してくれないと思った。
だから、何を言われても、「私の気持ちなんてわからないよ」と言い続けた。
けど、この人は、違う。
自分と同じような経験を、過去にしている人。
ライスは、自嘲気味に笑うクラスニーの横顔を、じっと見つめている。
「けどね、マックイーンが、メディアに向かって言ったんだ。『降着処分は、私に責任がある。プレクラスニーを貶める行為は、メジロの名において決して許しません』って。かっこよかったよ~」
「……すごい、ね」
「ね、ほんと、すごい」
クラスニーも、昨日のことのように思い出せる。
画面越しに見ていたのだ。あのマックイーンの発言を。
「その後、またマックイーンと対戦して……勝てたんだ。奇跡だよね。あんなに速いマックイーンに私なんかが勝てるなんてさ」
「……」
「まあ、何が言いたいのかっていうとさ……正直、次のレース、もし仮にライスさんが勝ったら、メディアはなんていうかわからないよ。世間は、冷たいからね」
「……!」
ライスの表情が少し強張った。
初めて言われた。どうなるかは、わからないって。
安易な励ましではないことに、ライスはもう気付いていた。
「けどさ、私から、必ず言えることが一つあるよ」
「……何?」
クラスニーが、涙に濡れたライスの瞳を、優しく見つめる。
「マックイーンは、どんな結果になっても、相手を称えるってコト」
「……!」
「そういうウマ娘なんだ。あの娘」
クラスニーだから分かる。
あの悪夢のような期間を、一緒に乗り越えたプレクラスニーだから、わかるのだ。
マックイーンは決して、相手を蔑むようなことはしない。
「世間の目はさ、怖いよね。ブーイングは、痛いよね……。けど、あの時私は全力で、もう一度マックイーンと走りたいって、そう思った。ライスさんは今、どう?」
「……!」
(ライスの……本当の、気持ち……)
逃げてきた。
批判されるのが嫌で。ブーイングが、痛くて。
けど、マックイーンの走りを初めて見た時、感動した。
あの人のように走ってみたいと思った気持ちに、嘘はない。
ライスの心は、揺れていた。
「私は、逃げるなーとかそういうことは言わないよ。私自身、わかってるから。どれだけあれが辛いことかなんて。けどね……」
ゆっくりと、クラスニーが立ち上がる。
表情がわからなくて、ライスが見上げると、そこにはいたずら盛りの子供のような笑顔を浮かべるクラスニーがいて。
「マックイーンは強いぞ?そんな簡単に、勝てないと思うな~?」
「……!」
「ふふっ!じゃあ、どっちにするにしても、頑張ってね。後悔しない選択、してね」
クラスニーがトレーニングに戻る。
ひらひらと手を振った彼女を、ライスは少しだけ呆然と見送って……。
「あ、あの!」
突然かけられた声に、クラスニーが振り返る。
「ありがとう……ございます!」
まだ、正直怖さはある。
けれど、テイオーとブルボンの話を聞いてみてもいいかもしれない。
ライスはクラスニーの話を聞いて、そう思ったのだ。
一目散に、ライスは教室の外へ駆け出していく。
「頑張ってね、ライスシャワー」
小さな身体に背負った重圧。
クラスニーはライスシャワーを、笑顔で見送った。
お久しぶりです。
ライスとプレクラスニーを絡ませたかった。それだけや。
あと、新しくウマ娘の短編集を書き始めました。
https://syosetu.org/novel/260444/
この作品のように、史実ネタを随所にちりばめた短編集になってます。
よかったら、こっちも読みにきてください。